デート詐欺事件
それはあやめが中2で、恭が中1の時。
7月。恭が部活を終えて帰宅すると、あやめがドタドタと玄関に出て来た。
「恭、ヤバい! 大変なことが起きた!」
「何? 大変なことって」
てっきり蜘蛛かゴキブリでも出たのかと思ったが、姉の報告は全く予想外だった。
「クラスの男子にデートに誘われた!」
「……は?」
ポカンとする恭をよそに、あやめは興奮気味に話を続ける。
「ヤバいだろ? 信じられないだろ? しかもけっこう人気のある男子なんだよ。それがなんで私に声をかけてくれたのか。こんな少女漫画みたいなこと、本当に起きるもんだな~」
「……えっ? 本当にソイツ、姉ちゃんが好きなの?」
弟の問いに、姉は声を弾ませて答える。
「なんか前からいいと思ってくれてたらしい。今すぐに付き合ってくれとかじゃないけどさ。取りあえず夏休みになったら、一緒に遊びに行こうって」
「それでソイツと会うの? 姉ちゃん、ソイツが好きなの?」
深刻な表情の恭とは対照的に、あやめは「んにゃ」と軽い調子で言う。
「別に好きだったわけじゃないけど、好意を持ってもらえたら嬉しいじゃん。滅多に無い機会だし、取りあえず行って来るわ」
姉の返答に、弟は密かに失望した。
自分と違って姉は、好きでもない異性の誘いに軽く乗って、多分そのまま付き合えるのだろうと。
けれど、おかしいのはきっと動揺している自分のほうだ。
だから恭はあえて平坦に答える。
「……ああ、そう。勝手にすれば」
それだけ言うと、はしゃぐあやめを見たくなくて、逃げるように自室に引っ込んだ。
約束の日。八神家のリビング。
「へへ~っ、どうよ? お姉ちゃん、可愛いか?」
あやめはこの日のために、わざわざ母にデート服を買ってもらった。
いつも夏場はTシャツに短パンなのに、明るい色のヒラヒラした服にミニスカート。家事や体育の時など以外は下ろしっ放しの髪も、母に可愛くまとめてもらった。
珍しくお洒落した姉に、弟は冷ややかに答える。
「……張り切り過ぎてて変。普段そんなんじゃないくせに」
「そりゃ普段とデートじゃ違うだろ。えっ? 母さん、変じゃないよね?」
不安そうに尋ねる娘に、母はニコニコと太鼓判を押す。
「大丈夫、すごく可愛いわよ。安心していってらっしゃい」
あやめが出かけた後。10分ほど遅れて恭がソファーから立つ。
「……俺もちょっと出て来る」
「どこに行くの?」
「別に……暇だし、本屋とか適当にぶらついて来る」
「そう。いってらっしゃい」
待ち合わせ場所は姉から聞いていた。相手がどんな男なのか、本当に存在するのか恭は知りたかった。
姉が通っている中学の近くの公園。ソワソワと相手を待つあやめを、恭は遠くから見ていた。
けれど約束の時間になっても相手が来ない。確か待ち合わせは12時のはずなのに。
夏のいちばん暑い時間帯。待ち合わせから1時間過ぎても、相手は来なかった。
姉は日陰の無い場所で太陽にジリジリ炙られながら、相手を待って立ち尽くしている。
帽子も被ってないのに。このままじゃ倒れてしまうと、弟は遠慮がちに声をかけた。
「……姉ちゃん」
「……えっ、恭? なんでここに?」
恭もそうだが、炎天下の中で立ち続けているあやめも汗だくで、意識が少し朦朧としていた。
「本屋に行く途中にたまたま見かけて、ずっとここで立ってるみたいだから」
気になって様子を見に来たとは言えず適当に誤魔化す。
素直に信じた姉は「あー」と、ややバツが悪そうに笑って言う。
「なんか遅刻みたいなんだけど、連絡も取れないから、下手に動いたら入れ違いになるかもって動くに動けなくて」
「もう来ないんじゃないの、ソイツ。今日はもう帰ったら?」
しかし恭の勧めに、あやめはしんどそうにしながらも、こう答える。
「でも私が帰った後に来たら悪いしな。携帯を無くしたとか、なんか事情があるのかもしれないし」
その男が特別好きなわけじゃないが、勝手に約束を破るのは気が引けるようだ。
「だからって、こんな暑いところで、ずっと立っていたら倒れるぞ」
弟が強く注意すると、姉は疲れた笑みで汗を拭いながら言う。
「確かに暑さが限界だわ。お姉ちゃん、ここで待ってるから、そこのコンビニでジュースかなんか買って来てくれない?」
「……分かった」
あやめに頼まれた恭は、公園の向かいにあるコンビニに入った。
スポーツドリンクを選んでレジに向かうと、ちょうど中学生くらいの男子が入って来て、
「やべー。アイツ、まだ待ってるよ」
と笑いながら雑誌コーナーに居た友人たちに近づく。
その報告に、友人2人は「マジで?」と下品な笑顔で言い合う。
「アイツが帰らないと、こっちも帰れねぇんだけど」
「でも、これは記録更新の快挙だな。この炎天下に連絡なしで1時間以上も待つとか。どんだけデートしたいんだよ」
彼らの会話に、恭はバッと少年たちを見た。
男子3人は悪意に満ちた笑い声で話を続ける。
「クラスに1人も友だちがいない底辺女に、誰が本気でデートを申し込むかって」
「普通少しは疑うよな~?」
「……おい。それ誰のことだよ?」
とつぜん会話に割り込んだ恭に、少年たちは「は?」と振り返る。
「誰だよ、お前。いきなり話に入って来て」
「お前には関係ねーだろ」
敵意を感じた少年たちは険悪な態度で答えたが、恭はそれ以上の怒気で追及する。
「質問してんのは、こっちなんだよ。お前らが言ってんのは誰のことだ?」
再度問われた少年たちは「あっ」と声を上げて恭を指す。
「もしかしてお前、八神の知り合い?」
そして目の前の少年があやめの関係者だと気付くと、ニヤニヤしながら続ける。
「じゃあ、八神に言っといてくれよ。お前とデートしたいなんて嘘だって。ただ同級生のモテない女に声をかけて、何人引っ掛かるか、どのくらい待つか賭けてただけだってさ」
首謀者と見られるその少年は、確かに背が高く顔立ちが良かった。
コイツが姉を弄んだと知った恭は、間髪入れずに殴り掛かった。
「ギャッ!? い、いきなり何すんだよ!?」
「急に殴って来るとか、頭おかしいんじゃねぇの!?」
「うるせぇ! 頭おかしいのはテメェらだろうが!」
「ちょっ、君たち! やめてくれ、店の中で!」
中学生たちが急にケンカをはじめて、店長のおじさんは悲鳴をあげた。
そこにちょうど『恭のヤツ遅いな』と心配したあやめが様子を見に来る。
「恭!? コンビニで何してんだ!?」
あやめに気付いた男子たちは、恭を指差して苦情を述べる。
「八神! なんだよ、コイツ! どうしてお前のことでコイツが怒るんだよ!?」
「恭が怒るって……というか、柴崎君はどうして、このコンビニに? 待ち合わせは?」
事態が飲み込めないあやめに、柴崎は恭への怒りから「は!?」と大声で暴言を吐く。
「お前とデートしたいなんて嘘に決まってんだろ! 誰がお前みたいな陰キャぼっち女とデートしたいんだよ!」
あえて心を切り刻むような物言いに、恭はいっそう激怒して、
「いい加減にしろよ! 殺されてぇのか!」
と自分より大きな少年たちに果敢に殴りかかった。
「いい加減にして欲しいのはこっちだよ! やめてくれ! 昼間から店の中で!」
コンビニのおじさんの悲鳴。奥に居た子連れの女性客も、怯えた顔でこちらを見ている。
この状況にあやめは、
「……恭。帰るぞ」
と硬い声で弟を制止した。
「でも姉ちゃん……」
恭はとても彼らを許せなかったが、
「これ以上、人様に迷惑かけんな」
と、あやめにピシャリと注意されて押し黙った。
「弟が迷惑をかけて、すみませんでした」
あやめは感情を押し殺して、店長に丁寧に頭を下げた。
おじさんも双方の口ぶりから、だいたいの事情は察したので、
「いや、そっちの子たちが悪いみたいだし。分かってくれればいいけど」
と許してくれた。
お店に謝罪したあやめは、恭を連れて出口に向かった。
しかし、その背に柴崎が声をかける。
「おい、八神! 俺たちにも謝れよ! お前の弟のせいで怪我したんだぞ!」
どこまでもあやめを馬鹿にした物言い。
けれど恭がキレる前に、あやめはギロッと彼らを振り返ると、
「うるせぇ。殺すぞ、クズ」
と見た目にそぐわぬドスの利いた声で言うと、今度こそコンビニを出た。
今日は仕事が休みで母が家にいる。今、家に戻れば「どうして、こんな早く帰って来たの?」と疑問に思うだろう。
姉弟はすぐには家に戻れず、あてもなく街を歩いた。
「……姉ちゃん、大丈夫?」
前を歩く姉の小さな背中に、弟が遠慮がちに声をかける。
「……あんなクズに踊らされて、こんな浮かれた格好して馬鹿みたいだ」
あやめは屈辱に手を震わせると、恭には決して顔を見られないように前を向いたまま頼む。
「さっきのこと、母さんには言わないでくれ。あんな馬鹿どもにいいように騙されて、浮かれてたなんて誰にも知られたくないから」
姉が酷く傷つけられたのに何もできない悔しさに、
「……誰にも言わないよ、絶対」
と弟は密かに歯噛みしながら誓った。




