仲直り
その日の放課後。ボクシング部。
「あれ? 八神はどうした?」
キョロキョロと恭の姿を探す顧問に、部員が答える。
「今日は体調不良で部活を休むそうです」
「ああ、今朝もなんか様子がおかしかったもんな。本人は大丈夫だと言ってたけど、やっぱり体調が悪かったんだな」
部活を休んだ恭は、いつもより早く帰宅した。
家に入ると風呂場からシャワーの音がする。
あやめが風呂に入っていると知った恭は、少し迷った末に姉の部屋に入った。
それから20分後。あやめは風呂を出て自室に戻った。
いつもならすぐに執筆をはじめるが、今日はその気になれずベッドに寝転ぶ。
目を閉じると、瞼の裏に自分に手を振り払われた時の恭の顔が浮かんだ。
(……流石に言い過ぎたかな?)
恭に対しては横暴なあやめだが、意外と人の気持ちに敏感なほうだ。
自分に冷たくされて恭が傷ついたことも、手に取るように分かった。
(でも先に嫌なことをしたのは向こうなのに、こっちから謝るのは嫌だな)
かと言って、あれだけ怒っておきながら、何事もなく元には戻れないだろう。
(いくら恥をかかされたからって、あんなに怒らなきゃ良かったな)
あやめが後悔していると突然。
『……姉ちゃん』
どこからともなく恭の声がして、あやめはビクッとベッドから身を起こした。
その声の発生源を知る前に、言葉の続きが耳に届く。
『嫌なことしてゴメン。許して』
音の出所を探すと、部屋の隅に目覚まし時計が置いてあった。
あやめが普段使っているものではなく、恭にあげたものであることが色の違いで分かった。
(アイツが自分の目覚まし時計を、ここに仕掛けたのか)
それに気付いたあやめは、少し考えてから自分の目覚まし時計を手に取った。
30分後。あやめの後に風呂に入った恭は、台所で水を飲んで自室に戻った。
「お帰り」
「なんで……」
ベッドに腰かける姉を見て、弟は驚きに目を見張った。
あやめは疑問に答える代わりに、目覚まし時計を操作する。
『……姉ちゃん。嫌なことしてゴメン。許して』
自分の情けない謝罪音声を聞かされた恭は、グッと顔を歪めた。
そんな弟を、姉はニヤニヤとからかう。
「『お姉ちゃん、ゴメン。許して~』だって。デカい図体して可愛いことするじゃん」
「人を辱めて楽しいか?」
あやめに言われた台詞をそのまま返すも、相手は笑顔で言い切る。
「メッチャ楽しい」
「自分はぶち切れたくせに」
恭の非難を、あやめは素直に「うん」と認めて謝る。
「お前はいつも許してくれるのに、私だけキレてゴメン」
突然の謝罪に驚く弟に、姉はさっきまでとは別人のような誠実さで、
「酷いこと言ってゴメンね」
と心を込めて謝ると、和解を求めるように手を伸ばした。
恭はあやめの小さな手を取ると、俯き加減に問う。
「……もう怒ってない?」
「怒ってないよ」
あやめは続けて「ほら、仲直りの印」と恭に目覚まし時計を渡した。
しかし恭とあやめの目覚まし時計は、同じ型の色違い。自分がもらった目覚まし時計は緑だが、これは赤だった。
つまりこれはあやめの目覚まし時計だ。
「なんでこっち? 俺の目覚まし時計はそっちだろ?」
「同じもんだし、いいだろ。こっちは私がもらっておく」
「なんで?」
不可解そうな恭に、あやめは意地悪に笑って返す。
「お前の貴重な謝罪音声を保存しておくためだよ~」
「は!? ふざけんな、返せ!」
「ダメ。これが仲直りの条件」
ピシャリと言われた恭はグッと押し黙った。
そんな弟に、姉は上機嫌で述べる。
「その代わりこっちには、お姉ちゃんの声い~っぱい入れといてやったぞ」
「ちなみに、おススメはこれ」と、あやめが再生した音声は、
『きょ、恭。早く起きるんじゃ。この村はもう持たん。ヤツラがここに来る前に、お前だけでも逃げ……グワァァッ!?』
と謎の寸劇からはじまり唐突な絶叫で途絶えた。
「どういうシチュエーションだよ」
呆れ顔の弟に、姉は生き生きと目を輝かせて語る。
「朝起きたら村が襲撃されてて、自分だけが生き残り、ここから冒険がはじまる! みたいな。お前の少年心をくすぐってみた」
「困惑しかない」
恭の冷たい反応に、あやめはこれ見よがしに眉を下げる。
「お前に新鮮な朝を迎えさせてやろうと、せっかく色んなシチュエーションを吹き込んだのに」
「いらん遊び心を発揮するな」
「じゃあ、全部消して公式サイトで人気の美少女ボイスでも入れ直すか?」
と言って回収しようとするあやめから、恭はパッと目覚まし時計を取り上げる。
「……知らん女の声で起きたくないから、これでいい」
結局あやめの謎寸劇を選んだ弟に、姉は「ひひっ」とご機嫌に笑う。
「じゃあ、お姉ちゃんのスペシャル目覚まし時計使え~。毎日『襲撃の朝』で起きろ~」
「それはやだ」
1週間後。恭のクラス。
「この間、姉が目覚まし時計をくれてさ」
休み時間。恭は友人たちとの談笑中にポツリと切り出す。
「自分で音声を吹き込めるヤツなんだけど、姉が入れたくだらない寸劇が悔しいけど、ちょっと面白い」
「え~? 何、お姉さんが入れた寸劇って?」
「色々あるけど……例えばなんか長老っぽい演技で『村が襲撃されたから、お前だけでも逃げろ』みたいな警告して来る」
「何それ。本当に面白いな」
思わず笑う槇に続いて、陽太もにこやかに聞き返す。
「じゃあ、最近はずっと、その目覚まし時計で起きてるんだ? だから恭はこの頃、調子が良さそうなんだね」
「調子が良さそうって?」
不可解そうに首を捻る恭に、陽太は改めて指摘する。
「なんか先週の恭、死んでたから。お姉さんがくれた目覚まし時計のおかげで朝笑って起きるから、最近は元気なのかなって」
「ああ、ヤバかったよな、先週の恭。何があったのかメチャクチャ落ち込んで、マジで死ぬのかと思ったわ」
槇と陽太だけでなく、会話を盗み聞きしている女子たちまで、内心うんうんと頷く中。
「……別に死んでないし、そこまで笑ってない」
「でもお姉さんの寸劇、ちょっと面白いって」
「だから、ちょっと」
ムキになって返す恭に、陽太は「え~?」と困惑しながら、
「朝から自分を笑わせてくれるお姉ちゃん、俺は羨ましいけど。恭って素直じゃないね~」
と意地っ張りな友人に少し呆れた。




