あやめのご褒美ナポリタン
体育祭の翌朝。八神家のリビング。
朝食の後。あやめは恭に、こんな提案をした。
「今日は体育祭の代休だから昨日のお礼に、お姉ちゃんがお昼を作る。ナポリタンでいいか?」
「それはいいけど、うちにナポリタンの材料なんてあったか?」
首を傾げる弟に、姉はえへっと笑って頼む。
「無いから、お前が買って来て」
「俺への礼じゃねぇのかよ」
「もちろんお前への礼だけど、お姉ちゃん、休みの日はなるべく外出したくないタイプなので」
「俺だって昨日の今日でパシられたくねぇよ」
難色を示す恭に、あやめは真っ直ぐな瞳で代案を出す。
「お前が買い物に行かないなら、今日のお昼は袋めんにゆで卵を入れただけのものになる。ラーメンとは別に、わざわざゆで卵を作るところに、お姉ちゃんの愛を感じて欲しい」
協力して手作りナポリタンか、拒んで袋めん(ゆで卵入り)か。残念な二択を迫られた恭は、
「……分かった。買って来るから少しはマシなもん作れ」
と渋々スーパーに行った。
しかし頼まれた材料をカゴに入れてレジに向かう途中。
「ねぇ、もしかして八神君?」
「……誰?」
「え~? 酷~い。愛原だよ~。去年同じクラスだったじゃ~ん」
ギャルっぽい見た目の元クラスメイト・愛原は、親し気に恭に近づくと一方的に話を続ける。
「私はアイスを買いに来たんだけど、八神君は何? お母さんに買い物でも頼まれたの?」
「母さんじゃなくて姉。昼にナポリタンを作るから、材料を買って来いって」
「へ~? あのお姉さん、いちおう家事とかするんだ~」
何気なく恭の買い物カゴを見た彼女は、あることに気付いて怪訝な顔をする。
「って、ナポリタンなのに中華麺? 別の料理の買い物?」
「違う。うちのナポリタン、中華麺だから」
恭の返答に、愛原は「え~?」と馬鹿にするように笑って言う。
「何それ変。中華麺ならパスタをゆでずに済むからってこと? きのこもマッシュルームじゃなくて、なぜかしいたけだし。これじゃナポリタンじゃなくて洋風焼きそばじゃん」
大半の女子と同様に彼女も、姉だからって恭に馴れ馴れしすぎるあやめを嫌っていた。
なのでことさら貶すと、甘い声で同情を口にする。
「お姉さん適当すぎて八神君、可哀想。私ならもっと、ちゃんとしたナポリタンを作ってあげるのに」
学校の女子から見て、恭はあやめにしょっちゅう食べ残しを押し付けられるなど、散々な扱いを受けている。その境遇に同情し、手を差し伸べれば、好かれるだろうという算段だった。
ところが恭は喜ぶどころか敵意の表情で言い返す。
「俺はその変なナポリタンが好きだから、アンタの料理なんて絶対に口に合わないわ」
「えっ? もしかして怒ってる……って、ちょっ、八神君、待って! 気に障ったなら謝るから~!」
恭は愛原の謝罪をガン無視して会計を済ますと、競歩のようなスピードで彼女を置き去りにしてスーパーを出た。
帰宅後。
「ただいま」
「お帰り~……って、どうした? ムッとして」
あやめの問いに、恭はイライラと答える。
「スーパーで変な女に話しかけられて、うちのナポリタンは変だって、さんざん馬鹿にされた」
手抜きの自覚がある姉は馬鹿にされても特に怒らず、むしろそのくらいのことでカリカリしている弟に笑った。
「ひひっ、そりゃ悪かったな。お姉ちゃんのナポリタンが手抜きなばかりに、小学生みたいな意地悪されて」
「人の家の料理にケチをつけるほうが間違ってる」
「まぁ、自分で言うのもなんだけど、実際私の作るナポリタンは変だぞ。一応ネットで調べたレシピだが、そもそも中華麺だしな」
あやめは言外に、そこまで怒ることじゃないと宥めた。しかし弟はよりムキになって、
「でも俺はそっちのほうがいいし、普通のナポリタンより美味いし」
と姉のナポリタンを擁護した。
そんな弟の反応に、姉は思わず「ひひっ」と笑う。
「なんだよ?」
何がおかしいんだと眉をひそめる恭に、あやめは嬉しそうに答える。
「自分だって作るたびに『手抜きナポリタン』って言ってたくせに。本当は美味しいと思ってたんだなって」
「……そんなこと言ってない」
恭の苦しい言い訳に、あやめは「言いました~」と笑うと、
「美味しいナポリタン作ってやるから、機嫌直せ~」
と言い残して、買い物袋を手に台所へ向かった。
あやめはさっそく材料を取り出して、下ごしらえをはじめた。
ところが、すぐに洗面所でうがい手洗いを済ませた恭が台所にやって来る。
「どうした? できたら呼ぶから、部屋に戻っていいぞ」
首を傾げる姉に、弟は無愛想に、
「……やることねぇからここにいる」
と言って、キッチンに面したダイニングテーブルの椅子に座った。
そんな弟の行動に、姉はニヤニヤと言及する。
「お前、お姉ちゃんが料理してると、いつも寄って来るよな。料理中のお母さんにまとわりつく子どもみたい。お姉ちゃん、大好きかよ」
「違う。暇だから」
「じゃあ、そこでお姉ちゃんが、お前のために腕をふるうところ見てろ~」
弟はキッチンに立つ姉を見ながら、ボソッとリクエストする。
「……俺の分、大盛りにして」
「いいぞ。いっぱい食え~」
その後。姉弟は完成したナポリタンをダイニングテーブルに並べた。
あやめも食卓に着くと、恭が食べる姿を見ながら笑顔で問う。
「お味はどうですか?」
「……お前のせいで、もう普通のナポリタン食えない」
不服そうに述べる弟を、姉はニヤニヤとからかう。
「普通のナポリタンより、手抜き料理が美味いなんて可哀想」
「いいだろ。楽で美味いほうが」
「それはそう。簡単料理でも美味しく食べてくれるお前は、いい旦那さんになるぞ」
あやめの褒め言葉に、恭は下を向いて小声で呟く。
「……俺の味覚、お前のせいで狂ってるから、他の女の料理は口に合わないと思うわ」
「母さんの料理も食べてるから大丈夫だろ」
一品料理のあやめと違い、家事が好きな母は一汁三菜が揃った食事を出してくれる。味付けもハーブやスパイスを巧みに使い分ける料理上級者だ。
そんな母の料理で育ったので、2人の味覚はむしろ優れているほうだが、
「……母さんより、お前が作る料理のほうが好きだし」
と恭は本気で思っていた。
もっと子どもの頃は、それこそ姉が作ってくれたインスタントラーメンが、特別なご馳走に感じたくらいだ。
そういう楽しい思い出がたくさんあるから、他の誰の料理も姉には及ばない。
しかしそんなこと本人に言えるはずがないので、
「あ? なんて?」
と聞き返すあやめに「なんでもない」と答えて、表向きは無表情で大好きなナポリタンを食べた。




