姉の誕生日なのでバイトする
5月24日は、あやめの誕生日だ。
恭は誕生日の1週間前に、あやめの部屋を訪ねた。
「もうすぐお前の誕生日だけど、欲しいものある?」
「え~? プレゼントくれんの? 優しい~」
いちいちからかう姉に、弟はムッとして言い返す。
「違う。いちおう俺の誕生日に漫画をもらったから、義理で返すだけ」
ところがさっきまでふざけていた姉は急に真面目に答える。
「お前も知ってのとおり、あのプレゼントは私が読みたい漫画を買わせるための撒き餌だから気にせんでいいぞ。それにお返しをもらったら流石に気が引けるわ」
あやめはワガママな言動に反して、金銭に関しては意外と遠慮深い。弟の誕生日やクリスマスのプレゼントを自分の有利な方向に持っていくことはするが、直接的に何か買わせることは無かった。
「そんなことを言われても、こっちはもうやる気になってんだよ。いいからなんか言え」
「え~? じゃあ、キス」
「は?」
呆気に取られる恭に、あやめはニヤニヤしながら自分の頬をトントンと突く。
「昔みたいに『お姉ちゃん、誕生日おめでとう』って、チューしてくれたらいいぞ」
子どもの頃は恭のほうが、ことあるごとにあやめにキスをねだった。自分がされたら嬉しいので、姉にも誕生日のお祝いにチューしていた。
黒歴史を蒸し返された恭は、分かりやすく腹を立てる。
「高校生にもなって、そんな馬鹿みたいなことするか」
しかしこの反応は、むしろ姉の策略どおりだ。
「じゃあ、ただおめでとうって言って、一緒に誕生日のご馳走とケーキ食え~。バイトもしてねぇヤツが余計な気を回すな~」
「お前だって働いてないくせに」
けれどカチンとして言う恭に、あやめは尊大に返す。
「はっ、お姉ちゃんの経歴をお忘れか? まだまだ普通にバイトしたほうが稼げる額ではあるけど、それでも去年の短編のコミカライズですでに印税を得てるんだからな。今年はさらに何十万単位の金が入るらしいし、お前よりは明らかに金持ち」
「そんな金持ちアピールするなら、自分が欲しいもん俺に買わせんなよ」
「だからたたでさえ搾取されてるヤツが、人の誕生日まで気にすんなって言ってんだろ。ほれ、お姉ちゃん、お仕事で忙しいから行った行った」
しっしと手で追い払われた弟は憎々し気に、
「仕事してるからって馬鹿にしやがって」
と捨て台詞を吐いて、その場は引き下がった。
翌日の学校。恭は休み時間に自分のクラスで、友人にこんな相談をした。
「1日だけのバイトってねぇかな?」
「何? なんか欲しいもんでもあるの?」
首を傾げる槇に、恭は隠すほどでもないかと事情を説明する。
「今度、姉の誕生日で、プレゼント買いたくて」
すると一緒にいた陽太が、槇の代わりに「へ~」と話に食いつく。
「お姉さんのためにわざわざバイトするんだ? 恭って結構お姉さんが好きなんだね」
陽太の感想を、恭は瞬時に否定する。
「違う。この前『バイトもしてない癖に』って馬鹿にされたから、働けるぞってところを見せたいだけ」
「でも部活があるから長期は厳しいって感じ? だったらこんなのはどう? イベントをするのに警備員が足りないらしくて、臨時のバイトを募集してるみたいだぞ」
槇はそう言いながら、スマホで検索した求人情報を恭に見せた。
「ああ。接客とか苦手だし、こういうヤツのほうが助かる。応募してみるわ」
無事に採用された恭は、日曜日に現場である本屋に来た。
一緒に警備するおじさんは恭を見て、感心した様子で尋ねる。
「君、体格がいいな。運動部か何かかい?」
「高校でボクシングをしています」
「へぇ、それは頼もしいな。まぁ、警備と言っても今日はサイン会だから、危険は無いだろうけど、その作家さんはアイドルが本業だそうだ。普通の作家さんよりもファンがたくさん来るだろうから、大変だろうけど、列の整理がんばってくれ」
「はい」
作家は20代後半の男性アイドルだった。昔から趣味で小説を書いているらしく、初作品の発売記念のサイン会だそうだ。
余談だが、本屋にはアイドルのマネージャーも来ており、
「君、すごくカッコいいね!? 芸能界に興味は無い!? 君ならモデルか俳優になったほうが、警備員より稼げるよ!」
と言ってサイン会がはじまる前に、恭を熱烈にスカウトした。人間不信マックスのあやめから芸能界の黒い噂をたびたび聞いている恭は「目立つの嫌いなんで絶対に嫌です」と頑なに拒否した。
その後、サイン会がスタート。場所は本屋で、護衛対象は品行方正かつ人当たりもいいと評判の男性アイドル。
女性ファンが興奮しすぎることはあっても、まず事件など起こらないだろうと思われていた。
ところが帽子とサングラスで顔を隠した男が作家の前に来ると、突然手にしていた水筒の中身をバシャッと相手にぶちまける。幸いそれは墨汁だったが、予期せぬ暴挙にファンたちは騒然となった。
突然の出来事に、その場にいた全員がフリーズしている間に、
「顔だけアイドルが信者を利用して作家ぶってんじゃねぇよ!」
と犯人は捨て台詞を吐いて、現場から走り去ろうとした。
しかし恭がすぐに犯人を取り押さえて、その場にねじ伏せる。
「ぐああっ!? 痛い! 放せ!」
抵抗する犯人に、恭が厳しく言い返す。
「暴力じゃなくても人を傷つけてタダで済むと思うな」
すぐに他の警備員も加わり、警察が来るまで犯人の事情聴取が行われた。
犯人の男は作家志望のフリーターだと言う。しかし30半ばを過ぎても芽が出ない自分と違って、20代のアイドルが片手間に書いた推理小説が出版されて、サイン会まで開かれた。
「大して努力もしてないヤツが、名声だけで本を出せるなんて不公平だろうが!」
要するに嫉妬による犯行のようだ。しかし『努力していない』という決めつけに恭は引っ掛かった。
「なんで、この人が努力してないと決めつけるんですか? 仮に読んで面白くないと思ったとしても、本人は真剣に書いたかもしれないのに」
そう思ったのは以前あやめに、
『お前は基本嫉妬される側だろうけど、自分よりすごいヤツを見ても、楽して成功してズルいなんて思うなよ。お前の日々の努力が周りには才能の一言で片づけられるのと同様、誰がどれだけ努力したかなんて、周りには分からないんだからな』
と教えられたから。
実際あやめの努力を恭は結果が出るまで知らなかった。そんな風に人の努力や苦悩は、その人自身が語るまで周りには分からないものだ。
しかし姉より、ずっと年上のこの男は、
「こんな顔だけで飯を食ってるヤツが、俺と同じだけ努力してるはずがない」
と迷いなく言い切る。本の内容について言わないところを見ると、読んですらいないらしい。
犯人にも、こんな暴挙に及ぶほどの鬱憤があったのだろう。
だとしても、
「……自分のことしか考えられない人間が、小説を書くなんて無理じゃないですか?」
と恭は犯人の浅慮を責めた。
自分もまた相手のことを何も知らぬまま決めつけているかもしれない。けれど目の前の人の気持ちすら考えようとしない人間が、姉と同じ小説家を志していることが何故だか許せなかった。
当然ながら恭の発言は、犯人を怒らせた。
「ガキの癖に知った風な口を利くな! どうせお前だって、なんの苦労も知らずに、のうのうと生きてるくせに!」
男は反省するどころか警察が来るまで、間違っているのは自分ではなく世間だと喚き続けた。
警察に犯人を引き渡した後。被害を受けた男性アイドルが、
「あの、ありがとう」
と恭に礼を言いに来た。顏の墨汁は落としたが、着替えが無いので服は汚れたままだ。
「いえ、俺は警備の仕事をしただけですから。むしろ未然に防げなくて、すみません」
神妙に謝罪する恭に、男性アイドルは笑顔で首を振る。
「犯人を捕まえてくれたこともそうだけど、『努力してないと決めつけるな』って言い返してくれて嬉しかったんだ」
そう言うと、彼は恭にだけ聞こえるように、
「ここだけの話、本当はアイドルより作家になりたかったんだ。芸能人としての人気で本を出したのは事実だから、悪く思われるのは仕方ないけど、適当に書いたわけじゃないから、否定してくれて嬉しかった。ありがとう」
と小声で言って微笑んだ。




