第十四章 最後の嘘
翌朝、珍しく天の声が早い時間から響いた。
起き上がる前から聞こえてきたので、布団の中でそのまま耳を傾けた。
「おはようございます全国の皆様!! 本日は朝から重要情報がございます!! 昨夜、ミレイア嬢の居室に不審な人物が接触を試みた疑いがあります!!」
不審な人物。
布団を跳ねのけて、起き上がった。
「接触は未然に防がれました!! なお不審な人物の目的は、ミレイア嬢に証言を撤回させることだったとみられます!! 王宮騎士団が現在調査中でございます!!」
証言を撤回させる。
ということは——王弟側が動いた。
急いで着替えを始めた。
「リリアーヌ様、今朝の実況を聞きましたか」
アネットが朝食を運びながら言った。
「聞いた。ミレイアさんへの接触があったとのことで」
「大丈夫だったのでしょうか」
「未然に防いだとのことだから、今のところは」
スープに手をつけながら、考えた。
昨夜、誰かがミレイアに接触しようとした。
証言を撤回させようとして、失敗した。
でもミレイア本人がどう動くかは、まだ分からない。
恐怖で揺れるか、昨日決めた通りに動くか。
王宮に着くと、執務室がいつもより騒がしかった。
文官たちが廊下を行き来していて、誰もが早足だ。
アレクシス卿が執務室の前で待っていた。
「聞きましたか、昨夜の件を」
「朝の実況で聞きました」
「不審な人物の身元がほぼ特定されています。王弟の屋敷に出入りする人間です」
「やはり」
「問題は——ミレイア嬢の様子です」
アレクシス卿が少し言いにくそうに言った。
「今朝から、様子が変わっているとのことで」
「変わっている、というのは」
「確認しに行きましょう」
第三居室に向かうと、廊下に侍女が二人、困り果てた顔で立っていた。
「どうしたんですか」
「ミレイア様が……朝から泣いておられて。部屋から出てこないと申しますか」
扉をノックした。
返事がない。
もう一度ノックすると、
「入らないでください!!」
叫び声が返ってきた。
昨日の落ち着いた声とは全然違う。
「ミレイアさん、私です。リリアーヌです」
少し間があって、
「……関係ない」
と、掠れた声がした。
「話を聞いてほしい」
しばらく沈黙があった。
ゆっくりと扉が開いた。
ミレイアの顔は、泣いた跡で赤くなっていた。
椅子に座ると、すぐに顔を背けた。
「昨夜、誰かが来たんですね」
「……来た」
「何を言われましたか」
ミレイアが唇を噛んだ。
「全部なかったことにしろって。昨日リリアーヌ様に言ったこと、全部嘘だったと言えって」
「そう言われて、どうしようと思いましたか」
長い沈黙があった。
ミレイアの手が、膝の上で握られている。
「怖かった。すごく怖かった。でも怖かったのは、ヴァルター様じゃなくて——昨日まで自分がやってきたことの方が怖くて」
「昨日まで、やってきたこと」
「私、ずっと泣いたら何とかなると思っていたんです。泣けば誰かが助けてくれるって。小さい頃からずっとそうやって生きてきたから」
ミレイアが顔を上げた。
瞳が揺れている。
「でも昨夜、怖くて怖くて泣いたら——誰も来なかった。殿下が廃嫡になってから、仲良くしていた侍女たちも来なくなって。泣いても、誰も来なかった」
その言葉が、静かに部屋に落ちた。
私はしばらく黙っていた。
アレクシス卿も、扉の傍で黙って聞いていた。
「ミレイアさん」
「なんですか」
「昨日の証言を撤回しますか」
ミレイアが私を見た。
「……したら、どうなりますか」
「真実が隠れます。奪われた聖女候補の方が、能力を取り戻せなくなるかもしれない。それだけです」
「私は、助かりますか」
「助かるかどうかは分かりません。でも昨日の証言を守れば、あなたには王族監査システムの保護があります。それは確かです」
ミレイアがまた俯いた。
「……私、ずっと嘘をついてきた。泣き方も、笑い方も、全部作ってた。本当のことを話したのって、昨日が初めてで」
「そうですか」
「本当のことを話したら、なんか——楽になった。それが怖かった。楽になっちゃいけないって思って」
「おーっとここでミレイア嬢の動向に注目でございます!! 本日の状況をリアルタイムでお届けしております!!」
天の声が入ってきた。
ミレイアが天井を見上げた。
複雑な顔をしている。
「ミレイア嬢、昨夜の接触後から様子が変化しているとのこと!! 果たしてどう動くのか!! 全国の皆様、見守っております!!」
「全国に見られてるんですね、私」
「そうです」
「……恥ずかしいですね」
「分かります、その気持ち」
私が言うと、ミレイアが少し目を見開いた。
「分かるんですか」
「私も最初の日から全国に実況されていたので」
「おーっとリリアーヌ嬢、さらりと共感を示しました!! なお嬢が実況を嫌がっていることは全国周知の事実でございます!!」
「今それを言わなくていいです……!!」
顔が熱くなった。
ミレイアが、少し笑った。
本当に、わずかだったけれど。
しかし午後になって、状況が変わった。
ミレイアが昼食の後、突然正式な申し入れをしてきた。
王族会議の関係者を呼んで、公式に証言をしたいと言ってきたのだ。
アレクシス卿と顔を見合わせた。
昨日の話では、追加の証言を整理してから正式な場に出すつもりだった。
なぜ急に、と思いながら、会議室に向かった。
会議室に入ると、ミレイアが正面に座っていた。
でも——様子が違った。
目が赤い。
泣き腫らしている。
唇が震えている。
手には、布切れを握っていた。
「どうしましたか」
私が聞くと、ミレイアは顔を覆った。
「もう、耐えられないんです」
「耐えられない」
「誰も信じてくれなくて。天の声に全部暴かれて。私がどれだけ傷ついているか、誰も分かってくれなくて」
あ、と思った。
昨日とは違う。
昨日のミレイアじゃない。
「私は被害者なんです。ヴァルター様に言われた通りにしただけで。全部あの方が悪いのに、なぜ私だけが責められるんですか」
声が高くなっていく。
涙が頬を流れた。
透明感のある、絵になる泣き方だ。
「昨日リリアーヌ様に話したことは、全部私が追い詰められて言ったことで。本当のことじゃなくて——」
「本日一回目の嘘泣きでございます!!」
天の声が、爽やかに入ってきた。
会議室が静まり返った。
「一回目」
アレクシス卿が、静かに繰り返した。
「そうでございます!! 本日一回目でございます!! なお昨日のゼロ回からの急増に注目でございます!!」
ミレイアの泣き声が、少し止まった。
「続けましょうか、ミレイア嬢!!」
「……続けます」
ミレイアが布切れで目を押さえた。
また泣き声が上がる。
「リリアーヌ様が私に意地悪をしていたのは本当のことで。みんなが嘘だと言っても、私は覚えているんです。廊下で睨まれて、お茶会に呼ばれなくて」
「本日二回目の嘘泣きでございます!!」
「嘘じゃないです!!」
「嘘でございます!! 根拠は以前お伝えした通りでございます!!」
そこからが大変だった。
ミレイアは止まらなかった。
泣く。
叫ぶ。
訴える。
被害者を主張する。
天の声は淡々と回数を数えた。
本日三回目。
本日五回目。
本日八回目。
本日十二回目。
その度に外から笑い声が上がり、会議室の文官たちが顔を背けて笑いを堪えた。
アレクシス卿は表情を変えずに聞いていた。
私は——少し、胸が痛かった。
ミレイアが昨夜の恐怖に戻ってしまったのだと分かるから。
でも事実は事実で、止める方法もなかった。
「私はただの男爵家の娘で、誰も守ってくれなくて、だから泣くしかなかったのに——」
「本日十五回目の嘘泣きでございます!!」
「そもそも移譲の術式とやらを私が望んだわけじゃなくて——」
「本日十七回目でございます!!」
「リリアーヌ様がいなければ全部うまくいっていたのに——」
「本日二十回目でございます!!」
ミレイアの声が、少し掠れ始めた。
叫び続けて、疲れてきたのだろう。
それでも続けた。
続けるしか、できなかったのかもしれない。
「本日二十七回目の嘘泣きです!!」
天の声が、いつもよりゆっくりと言った。
「なお昨日のミレイア嬢の涙はゼロ回でございました!! 本日二十七回!! その差、二十七回!! 全国の皆様、この数字の意味をどうかよくお考えください!!」
外から、今日一番大きな声が上がった。
笑い声と、呆れる声と、怒りの声が混ざり合って。
ミレイアの声が、ぴたりと止んだ。
しばらく、会議室が静かになった。
ミレイアは顔を覆ったまま、動かなかった。
泣き声はもう出ていない。
ただ、肩が小さく震えていた。
「ミレイアさん」
私が呼んだ。
返事がない。
「昨日のあなたは、本当のことを話した。それは変わらない事実です」
「……もう関係ない」
「関係ある、と私は思います」
「なんで」
「昨日のあなたの証言で、奪われた人が守られています。それは消えない」
ミレイアが顔を上げた。
目が赤く腫れている。
砂糖菓子みたいな笑顔も、絵になる涙も、今は何もない。
ただ、疲れ果てた少女がそこにいた。
「……私、どうすればよかったんですか。最初から」
「最初から正直に言えればよかったと、今は思います。でも最初から正直に言える人なんて、そんなに多くない。あなたは怖かったんでしょう」
「怖かったです」
「それは、分かります」
ミレイアが少し、私を見た。
「昨日に戻れますか。昨日の自分に」
しばらく沈黙があった。
「……分からない。でも、もう泣き方が出てこなかった。二十七回もやったら、出てこなくなった」
「おーっとここで!! ミレイア嬢から率直なコメントが届きました!!」
天の声が入ってきた。
ミレイアが、また天井を見上げた。
今度は、笑いとも諦めとも取れる顔をして。
「……全国に聞こえているんですよね」
「そうです」
「恥ずかしいな」
「分かります」
私が言うと、ミレイアが小さく、でも今日初めて、本当の笑いに近い顔をした。
夕方、アレクシス卿と廊下を歩きながら話した。
「午後の件、どう判断しますか」
「ミレイア嬢は結局、昨日の証言に戻りました。最後に自分で、二十七回やったと認めた形になっています」
「追い詰められて戻ってしまったのだと思います」
「そうですね。ただ——昨日の証言は記録されています。今日の撤回は成立しない」
「成立しない」
「嘘泣き二十七回の後の証言撤回を、誰が信じますか」
言われて、確かにそうだと思った。
天の声が全部記録していた。
昨日の証言と、今日の行動、両方が残っている。
「ミレイアさんの今後はどうなりますか」
「王弟の裁判に証言者として出ることになります。その後の処遇は、神殿と王国が協議します」
「厳しくなりますか」
「昨日の証言がある分、完全な悪人とは見なされないでしょう。ただ、王宮に留まることはできない」
「そうですね」
帰りの馬車の中で、窓の外を見ながら考えた。
ミレイアは明日、王宮を去ることになるかもしれない。
砂糖菓子みたいな笑顔の少女が、利用されて、怯えて、嘘をついて、疲れ果てた。
完全に同情はできない。
でも完全に突き放す気にもなれない。
「リリアーヌ様、難しい顔をしていますね」
「難しいことを考えていた」
「ミレイア嬢のことですか」
「うん」
「怒っていますか」
少し考えた。
「最初は怒っていた。でも今日の二十七回を見たら、怒りより別のものの方が大きくなった」
「別のものとは」
「うまく言えないけど——ああいう生き方は、しんどいなと思った」
アネットが静かに頷いた。
「本日の天の声、これにて終了でございます!! 本日の一言まとめ!! 嘘泣き二十七回!! 昨日のゼロ回から本日二十七回!! 記録的な数字でございます!!」
「なお本日の最後に、ミレイア嬢から一言コメントが届いております!! 二十七回もやったら出てこなくなった——以上でございます!!」
外から、くっと笑いを堪えるような声が起きた。
それから大きな笑い声に変わった。
私も、少し笑った。
笑いながら、少し胸が痛かった。
「明日は聖女追放の話をお届けできるかもしれません!! 続報をお待ちください!!」
聖女追放。
ミレイアの話が、一つの区切りを迎えようとしている。
でも王弟の話は、まだ終わっていない。
本当の終わりは、まだずっと先にある。
そのことを思いながら、夜の街を馬車で走り抜けた。




