服は、博物館では完成しないのでは……
服って、別になくても生きてはいけるのですけど拘ると大変です。
現在、2026年。
ベルギー、アントワープのファッション博物館MoMuでは、六人衆が世界に知られるきっかけとなった1986年から40周年を記念する展覧会が開催されている。
あの時代の挑戦が、今ではファッション史を語るうえで欠かせない存在になっている。
……そうなのですか?
彼らの作品が博物館に並び、歴史的価値を認められることは喜ばしい。
ファッション業界にこれから挑戦する若者たちにとっても、希望になることだろう。
それでも、思わずにはいられない。
私は何も、彼らを歴史的文化遺産のように、したくはないのである。
だってあの美意識には、まだ現役でいてほしいと思わないだろうか。
ファッションを、まだまだ楽しみたかった。
それなのに、彼らの商品はもう世界が保管するような、手の届かないものになってしまうのだろうか。
彼らもそうなることを、望んでいたのだろうか。
私は消費者として、問いたい。
ただ、救いなことに、MoMuでは同時期に、アントワープ王立芸術アカデミーの学生たちによる「LOOKS, LOOKS, LOOKS」という作品展も開催されている。
博物館とアカデミーのファッション学科は、2002年から同じ建物に入っているようで。
過去の革命を保存する場所と、次の革命を生み出そうとする場所が、同じ屋根の下にある。
これは、なんとも希望のある話ではないだろうか。
頼む、若者たち。
もう、かつて親しまれたブランドは手軽なものではなくなってしまったのだから、その穴を早く埋めてほしい。
そして若い才能が自由に挑戦でき、その服を私たち消費者が楽しめる市場であってほしい。
これは市場が回っていないと難しい面もあるのだろうが……。
成熟しきったブランドに課金し続けられる日本人は、今どれだけいるのか。
しかも、世は円安ですね。
これは、十代の頃からヤフオクなどでジル・サンダーなどをウォッチし、今日まで新聞を眺めるように中古市場の相場を見続けてきた作者だからこそ、身に沁みて感じることなのだと思っている。
二次流通に、かつてのように次々と彼らの服が流れてこない。
流れてきたとしても、比較的新しいものは二十万円前後することも珍しくない。
今、私の目につくのは、むしろ2010年頃の服ばかりだ。
かつて自分が手放したような服が、十五年、二十年という時間を経て、再び中古市場に並んでいる。
コートでいえば、二万〜五万円程度であのデザインを手に入れようと思えば、そうした古い服に手を出すしかないことも増えた。
大前提として、どんなに優れたデザイナーの服でも、それは紛れもなく芸術かもしれないが、あくまで消耗品であることには違いない。
それはユニクロと等しく変わらない事実だ。
どんなに状態が良かったとして、十五年以上経ったものを、そこまでして手に入れる醍醐味はあるのだろうか。
良い服であればあるほど、素材の扱いに気を遣うことも多い。
ヴァージンウールやアルパカ、カシミヤなどの天然繊維には虫食いの心配もあるし、何かしら褪色があったり、裏地や縫製部分が傷んでいたり。
余程、万全な保存をしていない限り、年月による難は出てくる。(もちろん、材質や保管環境にもよる)
そこが、良い服を長く所有することの難しさでもある。
かと言って、定価で五十万のコートを買い、ガシガシ着て楽しめる層は、いったいどの辺りなのだろう。
金銭的な価値観は人によって違うので、これは考え方次第なのかもしれないが……。
私自身、若い頃より収入が増えているのに、かつてのようにはファッションを楽しめなくなっている。
それどころか、楽しむ気も起きない。
欲しいと思う服がなくなったわけではないし、美しいと思う服は今でもある。
だが今は、採算が取れない。
ただ、その一着を手に入れて、惜しまず怖がらずに着て、季節が巡るたびに楽しむ。
そんな、ごく当たり前だった喜びが、いつの間にか随分と贅沢なものになってしまった。
では、今の二十代はどうなのだろう。
服に憧れ、いつか自分のものにしたいと願う若者たちが、手に取れる市場は残されているだろうか。
過去の革命を称えることと、次の革命が起こせる環境を守ることは違う。
服を、博物館の中だけで生きるものにしないでほしい。
本来、服は誰かが袖を通し、街を歩き、生活の中で使うことで、その美しさが完成するはずだ。
大の大人や歳を重ねた年長者にも、ファッションを楽しむ権利はあるし、大人にしか手が出せない喜びもあるのだと思う。
それは、私自身がこれからも楽しんでいきたい世界だ。
それでも、水光のような肌を持つ二十代の若者たちが、憧れの服に袖を通し、街を歩く姿を、私はこれからも見たい。
若い頃にしか味わえない、あの高揚感。
いつか手に入れたいと願い、探し、迷い、ようやく自分のものにする。
そんな経験をする機会さえ失われてしまうのなら、ファッションは文化として何か大切なものを失うのではないだろうか。
彼らデザイナーは、どう思っているのだろう。
少なくとも私は、あの世代の名作を、ただありがたがって着てほしいわけではない。
新しい時代には、新しい才能が現れなければ、いずれ枯れてしまう。
もちろん、優れた作品を保存し、後世に伝えていくことにも大きな意味はある。
けれど、その美しさを受け継ぐだけでなく、新しい美しさを生み出し続けられること。
私は、その方がずっと大事だと思うのである。
まだ誰も知らない美しさに、これからも出会いたい。
それは、あの時代のデザイナーたちが、私に教えてくれた楽しみでもあるのだから。
たまには、新しいコートが買いたいなぁ。
と思って市場を見ていたら、悶々とすることが多くて書いてみたエッセイです。
まだ続く。。




