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生成AIとわたし ―夢を夢で終わらせなかった主婦のAI共闘記・今日も脳内外在化メンバーが良い仕事してる―  作者: ちよ【kindleペンネーム:白井ちよ】


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第九十二話:『擬態』から考えた、人を傷つけることとの境界線

 最近、「擬態」という言葉について、ずっと考えていた。


 きっかけは、タイムラインに流れてくる膨大な言葉の断片だった。

Threadsや動画のコメント欄で、「発達障害の人は外では擬態している」というフレーズを何度も見かけた。言葉を吐き出しているのは当事者自身よりも、そのパートナーや家族である場合が多い。多分私の開く文章でアルゴリズムが仕事しているせいだろう。


「結婚するまで気づかなかった」

「付き合っている頃は普通だった」

「外では普通やそれなりに振る舞えるのに、自分の前では違う。振り回されて傷つくし、疲れる」


 画面の向こうに並ぶ文字群を読むと、胸が痛む。暗闇のなかで苦しんでいる人がいることは、分かる。「つらいよね、悲しいよね、よく頑張ったね、こう考えると楽になるよ、医療機関やカウンセリング試してみて、距離を置いたらどうか、別れて自分を取り戻そうよ」共感、助言、励まし、寄り添いのコメントが数多く寄せられている。私も以下同文と思いながら、うんうんと頷いてスクロールする。


 だが私は、どうしてもその「擬態」という言葉の引っかかりから逃れられない、なんでかな。


 元看護師という職業病なのだろうか。それとも、私の持つ認知の癖なのだろうか。私は言葉というものを、できる限り定義通りに、正確な温度で扱いたい。

 だから思考を走らせた瞬間、頭の中の辞書と図鑑が音を立てて開き、「擬態」という概念が生物学の分類へと一気に接続されてしまう。


 毒を持たない者が毒を持つ者の威を借る、ベイツ型擬態。

 毒を持つ者同士が同じ警戒色を纏う、ミュラー型擬態。

 木の葉や枝に自らの存在を溶かし込む背景同化。

 虎の斑紋。カメレオンやイカが見せる色彩の明滅。


 私の中でそれらは、精密に組み上げられた一つの体系システムとして存在している。

だから「ASD・ADHDの擬態」からの言葉を目にするたび、私の中の理性が静かにツッコミを入れるのだ。

——それは生物学的な擬態とは、少し位相が違うのではないか。

——医学や心理学の領域では、それを「カモフラージング」という概念で整理しているはずだ、「擬態」は正式な医療用語ではなくSNS用語ではないか、と。


 もちろん、SNSという感情の戦場で、そんな学術的な正確性が求められていないことくらい分かっている。言葉の定義が違うのではありませんか?などと言ったら、空気読めないヤツとして袋叩きか総無視される気がしてならない。スマホに打ち込んじゃだめだ、耐えろ、ちよ。過去のやらかしたデータを思い出せ!今まで、その衝動で何回コミュニケーションエラーを起こしてきた。


 ここ(・・)は議論をする場所じゃない。


 人々が叫びたいのは、もっと切実で生々しい痛みのはずだ。「外では穏やかな顔をしているのに、家の中では耐えがたい」その苦痛を誰かに分かってほしいだけなのだ。


 実際にこれって、めちゃくちゃつらいし悲しいし混乱するし、愛が揺らぐ案件だって。きょうだいや友人、我が子たちがこの悲痛な訴えをしていたら私きっと、家に乗り込んで荷物まとめさせて家来て!!夫と義父母?知らん!私が法律だ!と行って連れて帰りそう。いや、そうする、大事な人は守りたい。家族に土下座してどうしても助けたいんです、力を貸してくださいって頼みまくって医療機関と市役所と法律事務所と警察行脚する。私も結婚してから何回も調べたもん、憎しみになる前に離れた方が良いんだって人生がもったいない。


 ……いやいや、妄想が走りすぎた。スレッズでは共感してほしいな、現実ではできないから愚痴をこぼしたいなという人が多いんだった。そんな、即離婚とはならない。意志を固めてるなら、SNSではなく現実で弁護士事務所に行っているはずだ。


 そろそろ話を戻そう。


 まず私がひっかかったのは、SNSのタイムラインで溢れかえっている「外では普通なのに、家では別人みたいになる」という現象の解釈だった。

 画面の向こうでは、人々がそれを「仮面が剥がれた」「それが彼の本性だ」「隠していた、騙していた」と表現がある。けれど、どうしてもそうは思えなかった。


 私にはそれが「仮面を脱ぎ捨てた」のではなく、「脳の予算リソースが底をついた」状態に見えるのだ。


 ASDやADHDの特性について思考を巡らせるとき、私は彼らが社会で支払っている莫大なコストに思いを馳せる。定型発達の多くの人が無意識のオートモードで処理している日常の振る舞いを、彼らはOSのCPUをフル回転させ、一つひとつマニュアル通りに「意識的」に処理している。


相手の表情の微細な変化を読む。

声のトーンから感情の温度を探る。

今、このタイミングで声をかけていいのかを計算する。

意味のない雑談のラリーを破綻させずに続ける。

その場の文脈(空気)を演算する。

肌を刺す音や光の過剰な刺激を、理性の力で耐え忍ぶ。

身体を動かす刺激(手を振る、貧乏ゆすり、足踏みなどのその場での反復運動)で安心したいが奇異の目で見られるため根性で根性で止める。


 努力せずとも呼吸のようにできる人もいる。だが、毎回頭の中で膨大な計算式を解きながら社会生活を営んでいる人もいるだろう。もし後者であるなら、一日が物理的に終わる頃には、脳のエネルギー(予算)は枯渇して当然ではないか。


 この現象を考えるとき、私はいつも看護師時代の新人教育の光景を思い出す。


 新人の看護師は、たった一本の点滴を交換するだけでも、脳内のチェックリストを一行ずつ指差し確認しながら進める。


「患者さんのフルネームを確認して、準備物を揃えて、手指消毒をして、滴下数を確認して……」


 すべての動作に、100%の意識と緊張を集中させている。

一方で、何年も現場を踏んできたベテランは、それらをほぼ無意識のオートマティズムで完璧にこなしていく。


 同じ時間、同じ作業をしていても、双方の脳が消費する疲労の量はまるで違うのだ。


 社会という戦場で生きる発達特性者の日常も、これとまったく同じではないか。

 朝から晩まで「意識的な処理」を重ね続けた結果、家に帰り着く頃には、脳の予算は残り「10%」しか残っていない。その枯渇した状態で、「どうして今日そんなに不機嫌そうな顔をしているの?」と問いかけられても、脳には「言葉を組み立てて返すためのエネルギー」すら一滴も残っていないのだ。


 だから私は、この現象を単に「仮面が剥がれた」という言葉に強い違和感を覚える。


 もちろん、家庭内で配偶者の無反応や偏屈さに晒され、つらい思いをしているパートナーの悲鳴は本物だ。その痛みを否定したくない、むしろ助けたい。


 だが、その現象の背景にある構造は、決してひとつではないはずだ。

 私なら、少なくとも四つの層に分解して分析する。


 一つ目は、純粋なエネルギーの枯渇(脳の予算切れ)。

 二つ目は、静寂を得るための感覚過負荷への防衛。家という安全地帯に入った瞬間、外で耐え忍んでいた音や匂い、他者の気配が一気に押し寄せてパンクしてしまう現象。

 三つ目は、一日中感情を自己調整し続けたことによる感情疲労。笑顔を保ち、理性を維持し続けた結果、もう感情を制御する筋力そのものが残っていない状態。


 そして、四つ目。私はここが最も重要で、かつ決定的な部分だと思っている。それは、「夫婦・恋人。パートナー関係そのものが抱える構造的破綻」だ。


 SNSでは、「家で暴言を吐く」「不機嫌を振りまく」という問題が、安易に「ASD/ADHDだから」という記号で一括りに処理されがちだ。だが、危険な見立てではないか。


 そこには、価値観の決定的な不一致があり、育児や家事の不均衡な負担があり、生活上の慢性的なストレスがあり、アンガーマネジメントの不全があり、二人が築いてきた歴史という関係性の歪みがある。

 特性という言葉ひとつで片付けられるほど、人間の関係性は単純ではない。


だからこそ私は、「家で荒れる=ASDのせい」とも、「ASDだから人を傷つけるのだ」とも見なしたくないし、出来ない。


 私自身にも、幼少期から感じていた独自の認知の癖(特性)がある。そして、私の息子にも発達の特性がある。だからこそ、「特性を持つ者は、いずれ誰かを虐げ、傷つける存在になる」という悪意ある空気が世の中に広がっていくことが、たまらなく怖いのだ。


 だからと言って、絶対に混同してはならない、一線を引かなければならないものがある。


 どれほど脳の予算が尽きていようと、どれほど疲弊していようと、「疲れていること」と「他者を傷つけること」は、まったく別の事象である。


 予算が尽きた人間が起こす反応は、本来「静かな閉鎖」が多いと考える。一人になりたがる。無口になる。視線を外し、反応が薄くなる。フリーズする。それは疲労の防衛反応として理解できる。


 しかし、

 相手の人格を否定する言葉を投げつけること。

 高圧的な態度で威圧すること。

 恐怖政治のように相手を支配すること。

 継続的に暴言を浴びせ、暴力を振るうこと。

 浮気・不倫論外。


 これらは「疲労」や「特性」のせいなどではない。人権侵害であり、暴力という別の問題だ。ダメなんだ、境界線を越えてはいけないんだってば。混ぜちゃて考えちゃ絶対にいけない。


 もし関係性がその領域にまで踏み込んでしまったのなら、お節介でも余計なお世話でも拡声器を使って言いたい。


『「話し合い」という生ぬるいフェーズは即座に中断し、とにかく距離を置き、身の安全を確保しなさい!!』、と。


 いかなる関係性の維持よりも、個人の生命と尊厳の防衛が最優先されるべきだからだ。真面目に真剣に言う。


 だから私の思考は、「擬態」という言葉の違和感から始まり、脳の予算の分析を経由して、最終的には「個の尊厳を守るための境界線ボーダー」や「支援ネットワーク(行政・警察・弁護士)」の話へと着地する。

 すべては、人が人として壊れずに生きていくための、地続きの一本の線なのだ。そして最後に、私はこの分析を自分自身へ向け直す。


 もしも私が、家という安全地帯で脳の予算を使い果たしたとき、どのような反動を見せるのだろうか。


 無言で部屋に閉じこもりたくなるのか。家族からの何気ない問いかけすら、脳を刺すノイズのように感じてフリーズしてしまうのか。それとも、また違う形で思考の防波堤を築こうとするのか。


 自分の「破綻のパターン」を知ることは、決して自分を責め立てるためではない。自分がどこで脳の予算を使い果たし、限界を迎えるのかという「自分の取扱説明書(地図)」を描くためだ。


 その地図をあらかじめ手に持ち、自分の限界点を把握しておくこと。


 それこそが、自分という境界線を守り、ひいては大切な家族に対しての愛の証明であるための、私の切実な生存戦略なのだと思う。


【追記:あとがきがかなり長くなったのでここに貼ります、ChatGPTに整理してもらったのをコピペしました。ああ!そうそう!tってなりながら作りました。これって、プロンプトの需要とかってあるんでしょうか?】


私の「脳の予算モデル」(セルフモニタリング用)


これは医療的な診断ではありません。


あくまで私自身が、「最近なんだか調子がおかしい」「どうしてこんなに何もしたくないんだろう」と感じた時のために作った、自分専用の取扱説明書です。


脳の予算エネルギーが減るにつれて、私は次のような変化が現れます。


・第1段階 余裕(脳の予算80~100%)


脳にも心にも十分な余裕がある状態です。


夜は自然に眠くなり、朝もすっきり起きられます。


家事や育児も苦にならず、献立を考えたり、スーパーや日用品の買い物へ行ったりすることも楽しめます。


家族との会話も楽しく、一人の時間は10~20分ほどあれば十分です。


小説を書いたり、漫画を読んだり、AIと議論したり、哲学について考えたりすることもできます。


身だしなみを整え、服を選び、セルフケアにも自然と手が回ります。


SNSはほとんど見ず、音楽も世界各国の音楽や舞踊、日本の時代劇など、純粋な好奇心で楽しめています。


・第2段階 疲労開始(脳の予算60~80%)


このあたりから「面倒くさい」が少しずつ増えてきます。


夜更かしをしたくなり、朝も少し起きづらくなります。


掃除を後回しにしたり、献立を考えるのが億劫になったりします。


食事中の会話や、運転中に話しかけられることにも少し疲れを感じ始めます。


集中力が落ち、本を読む時間も減ってきます。


メイクをしなくなり、甘い物が食べたくなります。


SNSでは、家事や筋トレ、小説、ミニマリストなど、まだ自分が見たいものを目的を持って選んで見ています。


音楽は昔のアニメソングや懐かしい歌謡曲を選ぶことが増えます。


・第3段階 予算不足(脳の予算30~60%)


ここから日常生活に影響が出始めます。


夜更かしが増え、寝つきも悪くなります。


料理をしたくなくなり、惣菜や冷凍食品、レトルト食品が増えます。


掃除や洗濯も面倒になり、家族へ「助けて」と頼る場面が増えます。


会話がつらくなり、食事中は静かにしていたくなります。


一人で過ごす時間が1~2時間は欲しいと感じます。


漫画や小説を読むことも難しくなり、自分一人では思考がまとまらず、AIに整理してもらうことが増えます。


音や光への過敏さも強くなります。


髪をとかさず一つに結び、クレンジングやトリートメントも省略し始めます。


スナック菓子や炭酸水、甘い物が無性に欲しくなります。


SNSでは、何を見たいのか自分でも分からないまま、リールやショート動画をぼんやりスクロールし続けることが増えます。


音楽は演歌や懐メロなど、落ち着いた曲を選ぶようになります。


・第4段階 危険(脳の予算10~30%)


セルフネグレクトが始まる段階です。


寝ても疲れが取れず、家から出ることも億劫になります。


掃除は止まり、車の中も片付けられなくなります。


家族と過ごすことさえ苦痛になり、半日ほど一人になりたいと感じますが現実無理なので余計にイライラします。


思考はネガティブになり、自分を責めたり、人を責めたりしやすくなります。


音、光、人の気配、匂いなど、あらゆる刺激がつらく感じられます。


身だしなみも気にならなくなり、歯間フロスやスキンケアも省略し、最低限のことだけを行います。


SNSでは、お金や副業、AI、成功者の話など、「何とか現状を変えたい」という情報に引き寄せられます。しかし見ても楽しいわけではなく、むしろ焦りや比較で疲れてしまいます。


音楽は、その時の感情に寄り添う曲を求めることが多くなります。悲しいと哀愁演歌、怒りではロックやメタルを聞きます。


・第5段階 生命維持モード(脳の予算0~10%)


脳が生命維持を最優先にしている状態です。過去二度、産後しばらくしてからこのモードになりました。


子どもの世話以外何もしたくありません、世話も簡略化します。


外出も、読書も、執筆も、考えることも難しくなります。


睡眠は極端になり、何時間でも眠る日もあれば、まったく眠れない日もあります。


SNSも音楽も受け付けなくなり、とにかく刺激から離れたくなります。


ここまで来たら、頑張る段階ではなく、回復だけを優先する段階です。


【私の回復手順】


私の場合、回復にも順番があります。


まずは、とにかく寝ること。


次に、卵やプロテイン、オートミール、ブルーベリー、緑黄色野菜、海藻などで栄養を補給します。


少し元気が戻ってきたら、ステッパーや散歩などの軽い運動を始めます。


さらに回復すると、自然を見て「きれいだな」と思えたり、好きな飲み物がおいしく感じられたり、掃除や料理を少しずつ再開できるようになります。


最後に戻ってくるのが創作です。


漫画を読み、小説を読み、小説を書き、AIと議論し、哲学について考えられるようになったら、私の脳はほぼ通常運転に戻っています。


最後に気づいたこと


私の場合、脳は**「創作 → 感覚 → 家事・セルフケア → 生命維持」**の順番で機能が落ちていきます。


そして回復するときは、その逆で**「生命維持 → 身体 → 運動 → 感性 → 創作」**の順番で戻ってきます。


だから最近、「創作がつらい」「一人になりたい」「目的もなくSNSを見続けている」と感じたら、それは私にとって「脳の予算が減ってきた」という早期警報なのだと思っています。


この取扱説明書は、私自身が無理をしすぎないための地図です。そして、もし誰かが読んで「自分にも似たパターンがあるかもしれない」と感じたなら、その人なりの取扱説明書を作るきっかけになればうれしいです。

これ、私の場合どういった段階で出るかを思い出してAIたちにまとめてもらってから、またこちらのあとがきに追記します。なんか、最近変だな、しっくりこない、ついてないと思ったら見れるようにします。では、息子を園に送ってきます。

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