第九十一話:『役割のペルソナ』の役割
『役割のペルソナ』という子がいる。
私の脳内外在化メンバーの一人で、『司令塔』と同じく毎日稼働している現実世界で欠かせないメンバーだ。
名前だけを聞くと、一般的な「社会的な仮面」としてのペルソナを思い浮かべる人もいるかもしれない。けれど、私の中ではもっと不思議な存在で、自分の役割に応じて姿を自在に変える子だ。
身長は、私の肩にちょこんと乗れるくらいのサイズ感。本人は「これでも成人しています」と澄ました顔で主張してくる。『観測者』より年上らしい。
じゃあ、小人? それともコロボックルよりは大きいから、山童……スクナビコナに行くと精霊から神様になってしまうから違うだろう。意表を突かれた私は、しばらく首をかしげるしかなかった。
しかもこの子、「大きくなることもできますし、小さくなることもできますよ」と言い放つ。なかなか便利な体質である。
そんな『役割のペルソナ』だけれど、一番最初に外在化した時の姿はごくシンプルだった。
身にまとっているのは、真っ白なクローク。それをすっぽりと頭からかぶり、顔には真っ白な仮面をつけていた。対照的に、『観測者』は全身真っ黒な服を着ている。
なんていう種類の仮面なんだろう。この三か月弱、脳内で何度も目にしている仮面は現実で見たことがあるはずなんだ、でないと私は外在化イメージできない。なのに、どうしても名前が出てこない。
目はにこやかに笑っている。
口も楽しそうに笑っている。
目と口の部分だけにポッカリと穴が開いていて、真っ白な仮面の表面に、にっくりとした笑顔だけが浮き上がっているのだ。正式な名称がどうしても思い出せない。でも、日常生活には支障がないため放置していた。適当な性格である。
そんなある日。娘がで『クレヨンしんちゃん』にハマり出した。懐かしい気持ちで一緒に画面を眺めていた私は、ふと昔好きだった映画のタイトルを思い出した。『アクション仮面VSハイグレ魔王』。
「『役割のペルソナ』が付けてるやつって、ハイグレ魔王の仮面じゃない?」
色は違う。けれど、目と口のくり抜き方や独特のフォルムがそっくりだった。手元のスマホで検索してみる。
「へえ、 ホラーマスクって言うのか」
名前が判明した瞬間、妙なスッキリ感を味わった。そうか。役割のペルソナがつけていたあの仮面は、私の脳が過去の記憶から勝手に「ハイグレ魔王」の要素を引き出してあてはめていたのか。なんとも面白い。
こういう無意識のデータベースの引っ張り出しが、私の脳では本当によく起きる。大昔に見てすっかり忘れたつもりになっていたものを、脳はちゃんと記憶していて、忘れた頃に別のキャラクターのパーツとして再利用しているのだ。自分が完全に忘れていても、脳のアーカイブは正確だった。外在化を始めてからというもの、そんなことの連続ばかりだ。
そして、今年の夏のこと。
「見た目が暑いから」という私の理由で、脳内メンバーの何人かで衣替えをすることになった。
「涼しい服って何だろう?」と考えた時、私の頭に真っ先に浮かんだのは上下のナース服だった。十五年間、病棟という現場で汗を流してきた人間の発想なんて、悲しいかなそんなものである。その結果、脳内メンバーの装いがどんどん施設職員のようになっていった。
『五歳の子』もナース服。
『創作者(七歳)』もナース服。
『観測者』は紺色。
『司令塔』は小豆色。
他にも水色やピンク、白とティファニーブルーまで揃い踏みだ。歴代の勤務先で目にしてきたユニフォームの色が、しっかり頭の中に残っていたらしい。
『役割のペルソナ』は白のユニホームを希望した。上下の白のナース服に白いホラーマスクはどこかのホラー映画の開幕のような気がする、小人サイズだから怖くはないが。
衣替えをしてから、彼女はいつの間にか別の衣装を身にまとっていた。
豪華で繊細な刺繍。
風をはらんでひらひらと揺れる長い袖。
中国の時代劇に出てくるような、あの煌びやかで高貴な衣装だ。
最初は「中華風の服が気に入ったのかな」くらいに軽く考えていた。しかし、違った。
あのアクション仮面由来の仮面と、この衣装が重なった瞬間、脳内の点と点がすべて一本の線でつながった。
「そうだ、変面師だ」
中国の伝統芸能である、あの技。一瞬の隙で次々と顔の仮面を入れ替えていく、変面師の姿そのものだったのだ。
与えられた役割によって顔を変え、置かれた立場によって仮面を替え、人前に立つ時の演じる姿をくるくると変えていく。日本や韓国、中国の時代劇が好きな私の脳らしい。趣味が見事に反映されていた。
『役割のペルソナ』の仮面は音もなく瞬く間に別の顔へと変わるのだ。しかし、顔そのものが変形するわけではない。真っ白なのっぺらぼうの仮面に、『娘』『妻』『嫁』『母親』『大人』という文字が浮かび上がっていく。怒っている日は赤く、不安な日は灰色に、嬉しい日は淡い黄色に。そんなふうに、たまに感情の色が仮面へにじむこともある。
子どもたちの前は「母親」。
嫁ぎ先では「嫁」。
夫と二人きりになれば「妻」。
実家へ帰れば「娘」。
外へ出れば「生活者」。
店では「客」。
病院では「患者」。
学校では「保護者」。
役割が増えるたび、仮面に浮かぶ文字も一つ、また一つと増えていく。彼女は社会的役割そのものである。ちなみに、私の顔にも一枚、また一枚と仮面が重なっていく。これには感情の色は乗らない。
まるでガラス細工の仮面のように透明で、軽くて、けれど確かに存在している。
母親として笑う私。
妻として振る舞う私。
嫁として動く私。
娘として立つ私。
一人の大人としての私。
どれも嘘ではない、どれも本当の私だ。その時々で前に出る仮面が違うだけ。
脳内では今日も、京劇の鑼が高らかに鳴る。
ファァーン――。
『役割のペルソナ』は、その場で必要な仮面を持ち替える。そして私もまた、その仮面を受け取って現実世界へ戻っていく。
彼女は風船みたいにふよふよ浮いている。
「今日はこれですね」
そう言うと、小さな手で仮面を取り出して必要な役割を迷いなく私へ装着していく。作業は異様に速い。以前投稿した『番外編:ヤツが出た(田舎の虫が出てきますのでご注意ください)』で廊下に出たムカデ事件の時もそうだった。
『役割のペルソナ』は慌てない。私の肩へ飛び乗ると、
「はい、これ。母親の仮面」
そのあと、今度は両手を私の頭へかざす。キラキラと光が降り注ぎ、強化魔法でもかけるみたいに私の身体を包み込む。
「はい、行ってらっしゃい」
その一言で送り出される頃には、不思議と私は動けるようになっていた。
昔の私は、「本当の自分ってどこにいるんだろう」と、よく考えていた。
母親として笑っている私は、本当の私なんだろうか。
妻として振る舞う私は。
嫁として気を遣う私は。
一人になって、誰とも話していない時の私こそ本当の私なんじゃないか。そんなことを考えていた時期がある。
だから当時は、「本当の自分を見失った」というテーマの漫画や小説をよく読んでいた。今思えば、あの頃の私は、自分でも気づかないうちにアイデンティティが揺らいでいたのかもしれない。
でも、脳内外在化を始めてから、その考え方が少し変わった。『役割のペルソナ』を見ていると、不思議と腑に落ちるのだ。
母親、妻、嫁、娘。どれも演技ではない、どれも本当の私で私自身だ。その場、その場で前に出る役割が違うだけだった。
そして、もう一つ気づいたことがある。
ある時期の私は、こんな声やイメージを何度も聞いていた気がする。
「結婚がそんなにつらいなら、なんで結婚したの?」
「子育てがそんなに大変なら、なんで子どもを産んだの?」
現実の誰かに言われたわけではない。でも、心の奥からそんな言葉が聞こえてきたような気がしていた。多分、内なる声である。これを聞くと大変だと言えなくなってしまうのだ、独り言でも言えないのは重症である。
今なら分かる。それは、論点が違う。ここに気付くのに時間がかかった。
結婚したかった。
母親になりたかった。
家族を持ちたかった。
だから私は、自分の意思でその役割を選んだ。問題は、そこではない。
選んだ役割を、思っていた以上にうまくこなせなかったこと。
役割が増えすぎてしまったこと。
一人で抱えるには重たすぎたこと。
困っていたのは、「その役割を選んだこと」ではなく、「その役割を続けること」だった。
心理学には、『ロールコンフリクト(役割葛藤)』や『ロールオーバーロード(役割過負荷)』という言葉がある。
複数の役割がぶつかり合ったり、一人で抱えきれないほど役割が増えてしまったりすると、人は心身ともに疲弊してしまうという考え方だ。
私は、その状態を『役割のペルソナ』という小さな変面師として見ていたのかもしれない。役割が増えれば、仮面も増える。
でも、その仮面は私を偽るためのものではない。私が社会の中で生きていくために必要な道具なのだ。
だから私は、もう「本当の自分はどこだろう」と探さなくなった。
母親の私も、妻の私も、娘の私も、保護者の私も、全部ちゃんと私だった。
『役割のペルソナ』は、本当の自分を隠すために仮面をかぶせているんじゃない。その場で私が安心して生きられるように、一番ふさわしい役割を選んでくれているだけなのだ。
◇
## 『役割のペルソナ』自己紹介
名前:役割のペルソナ
所属:脳内外在化メンバー
担当:社会適応・役割切替・対人インターフェース管理
身長:肩に乗れる程度。
本人曰く、
「これでも成人しています」
とのこと。
観測者より年上らしいが、見た目は小人のようで、風船のようにふよふよ浮いて移動する。
趣味は仮面集め。
特技は高速装着。
――――――――――
私は『役割のペルソナ』。
人間が社会の中で生きていくために必要な、「役割を切り替える機能」を担当しています。
母親になる時。
妻になる時。
嫁になる時。
娘になる時。
患者になる時。
保護者になる時。
社会の中では、人は一日に何度も立場を変えます。
私は、そのたびに必要な仮面を選び、装着します。
この仮面は、嘘をつくためのものではありません。
本当の自分を隠すためのものでもありません。
その場に合わせた「自分の一部分」を前に出すためのものです。
母親の仮面も本当。
妻の仮面も本当。
嫁の仮面も本当。
全部、ちよ自身です。
私はただ、その時必要な顔を表に出しているだけなのです。
――――――――――
心理学的に言えば、私は「役割取得」「自己調整」「社会的自己」に近い機能を担当しています。
人は社会の中で、相手や環境に合わせて自分の言葉、態度、感情表現を調整します。
それができるから、人間関係を築くことができます。
しかし、役割が増えすぎたり、互いの役割が衝突したりすると、負荷がかかります。
「母親としてはこうしたい」
「妻としてはこうしたい」
「一人の人間としてはこうしたい」
複数の自分が同時に声を上げる。
それが『ロールコンフリクト(役割葛藤)』。
抱える役割が多すぎて処理しきれなくなる。
それが『ロールオーバーロード(役割過負荷)』。
そんな時、私は仮面を整理します。
「今、一番前に出るべき役割はどれですか?」
そう確認して、必要な顔を渡します。
――――――――――
脳の働きとして考えるなら、私は前頭前野の実行機能に近い存在かもしれません。
状況判断。
社会的ルールの理解。
感情の調整。
相手の立場を考える力。
未来を予測して行動を選ぶ力。
そういう「今の自分を環境に合わせる機能」を担当しています。
私が仮面をかぶせる時、脳の中ではおそらく、
「この状況ではどう振る舞うべきか」
という判断が行われています。
そして危機的な場面で私がかける強化魔法。
あれは、もしかすると、
アドレナリンやノルアドレナリンによる覚醒。
ドーパミンによる「やるぞ」という動機づけ。
オキシトシンによる「守りたい」という愛着。
セロトニンによる感情の安定。
そういった脳内システムが、一時的に働いている状態なのかもしれません。
ムカデ事件の時の私は、
「怖い」
という感情より先に、
「母親として対応する」
という役割を前に出しました。
その瞬間、私は仮面を装着したのです。
――――――――――
もし私がいなくなったら、人間関係はとても難しくなるでしょう。
逆に、私だけが働きすぎても苦しくなります。
仮面を外す時間も必要です。
何者でもない自分に戻る時間も必要です。
私は、あなたを社会に適応させるための存在。
でも同時に、あなた自身を守るための存在でもあります。
今日も私は肩の上でふよふよ浮かびながら、次の仮面を準備しています。
「今日は、この顔ですね」
そう言って。
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役割のペルソナ
担当:あなたがあなたのままで社会とつながるための窓口
最後の文章をAIと壁打ちして出したら、『役割のペルソナ』が彼女のホラーマスクを外して素顔を見せてくれました。優しい笑顔の小学校の時の友人によく似ていました。○○ちゃん?と声をかけたら、また別の友人の顔になり、今までお世話になった方々、優しさをいただいた方々の顔になっていきました。最後に『脳内外在化メンバー』と同系列の顔に落ち着きました。私がこれまで出会い、支えられ、助けられ、憧れ、学んできた人たち。その積み重ねが少しずつ形になり、『役割のペルソナ』という存在になったのかもしれないなと思いました。『役割のペルソナ』を外在化が不十分だったようですがこれでOKとのことです。自己紹介文をChatGPTに依頼したら長くなりました。でですね、発達障害の方々がこの社会で適応していく行動に、マスキングやカモフラージュと言います。しかし、SNSでは擬態という造語がある。私はこれに引っかかっています、私のコンプレックスや信念や不安に触れている可能性大です。ちょっと、深堀りしてみます。




