第九十一話:夏休みの宿題大作戦・メンタル編
世の中は夏休みである。
先月の段階で暦の上では夏休みに入っていたものの、学校行事やら登校日やらがバタバタと続き、我が家にとっての「本格的な夏休み」が動き出したのは今月からだった。
とはいえ、専業主婦である私にとっては、朝の景色が劇的に変化するわけではない。
じりじりと肌を灼く朝の陽射しの中、息子を園へと送り届ける。その間、娘はクーラーの効いた茶の間で、ゲーム機を握りしめて待っている。
無事に帰宅すると、私は汗を拭いながら声をかける。
「ただいまー。じゃあ、宿題やろうか」
それが、我が家の夏休みの合図だ。
娘は学習机に向かい、私はその斜め後ろにある古びたちゃぶ台の上にノートパソコンを開く。マイクに向かってひたすら音声入力で喋り続ける私と、ノートに鉛筆を走らせる娘。
娘は宿題。私は小説。
エアコンの室外機が低く響く部屋の中で、なんとも不思議な光景が繰り広げられる。
「ママ、ここ分かんない」
「はいはい」
「これで合ってる?」
「うん、大丈夫」
そんなやり取りを挟みながら、お互いに自分の世界へと戻っていく。普段なら国語と算数を二ページずつ。土日であってもペースを崩さず宿題を進める娘は、本当に偉いと思う、私は娘と同い年の時できてなかったもん。
「ねえ、今日は一ページずつでいい?」
「いいよ~」
食い下がるわけでもなく、私はあっさりと頷く。大切なのは量じゃない。毎日机に向かうという、そのリズムを途切れさせないことだ。
それにしても、今の小学生の学習環境には驚かされる。一人一台、端末が貸与される時代なのだ。夏休み前、娘は重たそうにパソコンをリュックに詰めて持ち帰ってきた。タブレットのはずなのにけっこう重い。
昔なら紙の絵日記帳に、マス目を気にしながら鉛筆で文字を書き込んでいたものだ。だが、今の娘が見つめているのは液晶画面である。
画面に向かい、小さな指先を一生懸命に動かしている。
『は・な・び・を・し・ま・し・た』
カタカタカタ、と拙いながらも軽快なタイピング音が響く。見事なローマ字入力だ。私は思わず横から覗き込み、声をあげてしまった。
「えっ、ローマ字分かるの?」
「この表を見ればできるよ」
娘は机の端に置かれた一覧表をあごで指しながら、すらすらとキーを叩く。
「え? 記号も打ち込めるの?」
「うん」
カタカタ、ポチッ。
……すごいなぁ、と心底感心してしまう。まだ入学して数年だというのに。
私が同じ年齢だった頃、パソコンなんて学校に十台あるかないかの貴重品だった。さすがに黒い画面に緑色の文字が浮かぶような初期型とまではいかないが、それでも「パソコン=先生が特別な作業のために使うもの」という遠い存在だったはずだ。高学年で授業に使う時も数が足りないから、数人のグループで一台使っていた。
それが今や、子どもが当たり前にキーボードを叩き、夏休みの思い出をデータとして記録し、感嘆符や記号まで自在に操っている。時代は、私の知らない速さでどんどん先へと進んでいるらしい。
日記を書き終えると、待ちに待ったおやつの時間だ。娘がお気に入りのグミを食べてシール帳を眺めている間に、私は掃除機を取り出す。電源を入れると、勢いよく吐き出される風とモーター音。
「きゃー!」
娘が歓声をあげて逃げ回る。掃除機から逃走する子どもの習性というのは、時代が変わっても全国共通なのだろうか。ちなみに、息子は「ここは通さぬ」と言わんばかりに立ちはだかる、なぜだろうか。
昼食を済ませると、義父母は昼寝に入る。家全体が午後の温かい静寂に包まれる中、私はパソコンを持って仏間へと移動した。線香の匂いがかすかに漂う畳の上に座り、またこうして音声入力で言葉を並べている。
それでも、夏休みという大きな塊を前にして、私の頭の片隅には常に「宿題」という二文字が引っかかっていた。
国語や算数のプリントワークなら心配はない。毎朝、息子が子ども園に行っている静かな時間帯に終わらせる手はずになっている。
「その時間なら、ママずっと隣にいれるからね」
「うん」
そう約束すると、娘はあっさりと納得してくれた。
約束通り、私は娘の隣に腰を下ろす。隣でパソコンを開いて文章を書いていてもいいし、干し終えた洗濯物を畳んでいてもいい。あるいは、ただボーッと窓の外を眺めていてもいい。「運動しててもいいよ」と許可が出たのでステッパーを踏んでいる時もある。
娘は時折思い出したように話しかけてきて、私はそれに「そうね」「すごいね」と相槌を打つ。それだけだ。勉強の中身について言えば、八割方は何も教えていないに等しい。たまに雑談を挟んでいる。
ふと気になって、ある日聞いてみたことがある。
「ねえ、ママって横にいて何か役に立ってる?」
すると娘は、
「うん。いてくれるだけでいいの」
「安心するってこと?」
「ママいるなー、が大事」
「なら、いた方がいいね」
「そうそう」
良く分からないが、役に立っているなら意味がある、はずだ。母子分離不安とか愛着理論にすぐに飛びそうになる思考に縄をかけて呼び戻す。なんか、今はそういう難しいことを考えるんじゃなくて娘の感情と安心の隣にいるのがいい気がする。
それなら、ママできる。私は普段空気読めないけど、娘は私が分かる解像度というのか、言語化と空気を作ってくれるのでありがたい。うちの娘天才だと思う。そして、なんでかこういう時はハグして大好きと伝えたくなるが、勉強の集中をぶった切ってしまうため我慢している。終わったら、ママ嬉しかったありがとう大好きと伝えている。最近、塩対応されるようになってきたことに成長を感じる。
さて、夏休みの宿題の話に戻る。四十ページほどの薄いワークなんて、序の口に過ぎない。「自分で考えて形にする宿題」が、山のように残されているのだ。親も手伝う課題が多い!
特に読書感想文。お知らせを見ると、なんと三冊も本を読まなければならないらしい。
「三冊も!?」
思わず素で声が出てしまった。しかも指定されている課題図書を開いてみると、そこにはなんとも言えない昔ながらの児童文学の雰囲気が漂っている。昭和の匂いが、ページの間から漂ってくるような選本だ。
「ママ、この『朝ちゃん』ってなにかの略?」
物語の登場人物を指さし、娘が首をかしげる。
「えーっと……朝シャン?」
「あさしゃん?」
「あれ? 朝シャンプーのことだっけ?朝シャワーをあびることだっけ?」
「お風呂は夜に入るものじゃない?なんで?」
「夜に汗をかいてベタベタするからお風呂に入りたくなった、体臭が強いまたは気になるから洗い流したい、昭和ではこれが流行していたから、みんながしていたから自分もしたいみたいな?」
「夜にクーラーつければいいのに」
「確かに、あ、昔はクーラーない家が多かった。それが原因かな」
答えている私自身が混乱してくる。すっかり死語となった昭和〜平成初期の言葉遣いや文化に、ジェネレーションギャップを感じずにはいられない。そして、どんどん脱線していくので途中で義母が戻って来いと声をかけてくれる。
夏休みにつきものの悩みといえば、毎日の「お昼ご飯問題」だ。世のお母さんたちの悲鳴がSNSにあふれる季節だが、幸いなことに我が家は実家も嫁ぎ先も同じ食文化を持っていた。
『夜の残り物を、そのまま昼に食べる』
このシンプルなルールのおかげで、献立に頭を抱えることはあまりない。今日も娘は、戸棚を覗き込んで言った。
「今日、あの小さいカップラーメン食べたいな」
「いいよ。じゃあ小さいお椀のやつにして、ご飯とおかずも一緒に食べようね」
「うん!」
一発で交渉成立である。私は炊事が苦手のため献立の立案から毎日悩んでいる、独身の頃は旬の食材とか無視して汁物とおかずと主食の三つで回していた。考えなくて済む。毎日同じ献立でも苦にならないし、三食三日間カレーライスとサラダもよくやっていた。結婚同居子育てしているとそうもいかない、掃除や洗濯の方が楽だなと思う。
話は変わるが、娘の宿題について以前に『第五十三話:ママはプリンセスになる(真面目に)』を投稿した。あれが最近効果が薄くなった。
娘の最近の宿題モチベーションアップ方法が、
「いよっしゃあああああああ!!やるぜええええ!!」
とシャウトする方になってきた。私も合いの手を求められるため、
「いえええええええええい!!」
と返している。息子がいると、息子は何か遊びを始めると思うのか寄って来て拳を握って飛び跳ねている。ギニュー特戦隊が円陣組む前の気を貯めるあの感じに似ている、娘がプリンセスから戦士に進化してきた。成長である。
宿題がうまく進まないことも増えてきた。めんどくさいか聞くと頷く娘。
「ママは、そういう時にめんどくさーい!!って言うと動けるようになるんだ。ママの魔法の言葉。試してみて、それか、娘ちゃんの魔法の言葉を探してみてね」
数日後に娘がクレヨンしんちゃんの剣道の「めん、どう、くせー」を拾ってきた。どうを言うところでしかめっ面が笑い顔になり最後はケラケラ笑う。一通り笑った後に鉛筆を握り直して宿題に取りかかれるようになった。娘にはこちらの方が効果があるようだ。
そうして、娘がクレヨンしんちゃんにハマった。
娘は2015年の映画のクレヨンしんちゃん、引っ越し物語サボテン大襲撃にハマっています。私はアクション仮面対ハイグレ魔王が好きです。私がオネエさんが好きなのはしんちゃんからきてると考えています。今のしんちゃんってかなり表現がマイルドになったんだなあと感慨深くなりました。夫は映画は観たことがないと言っていて、娘がここが面白いとこだよと一緒に見ながら解説しています。もう十五回見たので、そろそろ違うしんちゃんが見たいです、アッパレ!戦国大合戦もまた観たい。




