第八十八話:嫉妬の炎
心理学では、感情には「一次感情」と「二次感情」がある、という考え方があるらしい。
一次感情は、怖い、悲しい、寂しい、苦しい、不安、恥ずかしい。人がまず最初に感じる、生きるための素朴で生々しい感情。
そして、その感情を覆うようにして生まれてくるのが、二次感情。怒り、嫉妬、妬み、攻撃、皮肉、八つ当たり。
そう考えると、私が「一緒に連れていく」と心に決めた、あの小さな人魂のような子たちは、まさに一次感情そのものなのだろう。まだ言葉にもならない。ただ、「怖い」「寂しい」「悲しい」と小さく震えているだけの存在たち。
じゃあ、その上にかぶさる二次感情について、私の内側はどうなっているんだろう。改めて自分の心を覗き込んでみることにした。
まずは、怒り。
私の『脳内外在化メンバー』には『女王』がいる。以前、ChatGPTに彼女の性質を尋ねてみたら、彼女が発する怒りは「健全な怒り」なのだと教えてくれた。
誰かを攻撃し、傷つけるための刃ではない。「ここから先は入ってくるな」と明確な境界線を引くための、凛とした光のような怒り。だからだろうか、彼女を怖いと思わない。むしろ頼もしい、めっちゃ頼もしいのだ。必要な時にだけ静かに剣を抜き、不要な時には鞘に収めておく。
では、怒り以外の感情はどうだろう。
次に、嫉妬。
これは、ある。めちゃくちゃある。
Instagramを開けば、煌びやかなテキストが目に飛び込んでくる。「AIで人生が変わりました」「月十万円達成」「月三十万円達成」。
そんな投稿を見るたびに、「いいなあ」と思うし、素直に羨ましい。私もその景色が見られる場所まで行ってみたいのだ。
例えるならあれだ、「小説家になろう」の姉妹ざまあ系作品で、妹役が「お姉さまはずるいです!!」と叫んでいる、あの感じ。実を言うと、あの手の小説を日常的に読むようになってから、私は現実世界で他人のことを「ずるい」と思わなくなった気がする。
「この人、ここまで来るのに一体何があったんだろう」
画面の向こうにいる見知らぬ誰かの人生を、勝手に想像してしまうのだ。
きっと苦しかった時期もあっただろう。失敗して膝を折った夜もあったはずだ。何度も試行錯誤を重ねて、「もうやめようかな」とポツリと呟いた日もあったのではないか。満足に眠れない夜だってあったかもしれない。もしかしたら、陰での並々ならぬ努力を、周囲から「運が良かっただけ」「才能があったから」「人脈に恵まれたんだよ」なんて一言で片付けられて、悔しい思いをしたことだってあったのかもしれない。
嫉妬から始まったはずなのに、いつの間にか相手の歩んできた物語に思いを馳せている。胸の内で勝手に妄想したそのプロセスに頷いている。自分でも頭おかしいなと思っているが、もう仕様になっている。
表からは見えない努力や葛藤が存在することを、「小説家になろう」の多くの作家さんたちが物語を通して教えてくれた。そしてきっと、自分自身が重ねてきた年齢のせいもあるのだろう。こうして他人の背景を想像できるくらいには歳を重ねられて、年を取って良かったなとしみじみ思うのだ。
続いて、妬み。
「なんであの人だけ」と思う瞬間はもちろんある。けれど、私の思考はその場所で止まってくれない。
「じゃあ私は、これから何を積み重ねればその場所に近づけるんだろう」
相手を低く評価して自分のプライドを保とうとしても、私にはそのための正確な情報がない。知っているのは、投稿という一場面の、切り取られた事実だけだ。
「本当は運が良かっただけじゃない?」
「きっと裏でズルをしているに違いない」
そんな想像をしてみても、すぐさま『裁判官』が厳格な声で尋ねてくる。
「で、その証拠はどこにありますか?」
証拠はない。じゃあ、その仮説は採用できない。はい、却下。「では、あなた自身はどうしますか」という問いが、真っ直ぐ自分に返ってくるだけなのだ。すごく惨めになって自己嫌悪の沼に落ちるため妬みは高等技術である。
では、攻撃性はどうだろう。
腹が立って「言い返してやりたい」と思うことなら、私にもある。けれど、その感情の波を押し退けて最後に出てくるのは、いつも「距離を置こう」という決断だった。
ああ、この前もそうだったな、と義父とのやり取りを思い出す。本気で腹を括った時、私は怒鳴ったり散らかしたりしなかった。静かになったのだ。
そして、「理詰めでいこう」と頭が冷えていった。あの時動いていたのは『司令塔』だけじゃない。『女王』も一緒に、私を守るために境界線を引いてくれていたのだと思う。
そして、皮肉。
これは本当に苦手だ。
そもそも私はお世辞を言うのが苦手で、同じように皮肉も得意ではない。遠回しな言葉のキャッチボールが体質的に合わないのだと思う。
どうしても、まっすぐな言葉しか差し出せない。知的な皮肉を効かせるなんて、本当に難しい技術だ。頭の中で何度スマートな返答を組み立ててみても、「いや、これじゃ意図が正確に伝わらないな」と行き詰まってしまう。余計に頭を使わないといけないから考えるだけでオーバーヒートを起こす。
脳の回路が違うんだろう、だから、からかいの文化についていけなかった。馬鹿真面目にやったことが結果ジョークに見えるしか分からない。結果として、皮肉を言う代わりに、状況を説明する文章がどんどん長くなっていく。
皮肉系の漫画や小説、ドラマ、映画を見てインプット勉強をしているが、やっぱり良く分からない。三十歳を過ぎてやっと下ネタと侮蔑は分かるようになった気がする。立ちはだかる壁が高くて分厚い。頭良くなりたいとつくづく思う。
最後に、八つ当たり。
これはある。超、ある。
疲れている時。寝不足の時。心にまったく余裕がない時。
つい口調が強くなり、目の前の子どもにきつく当たってしまう。そして、嵐が去った後に猛烈な反省の波が押し寄せてくるのだ。
「ああ、またやってしまった」
だから最近は、はっきりと自分ルールを決めている。疲れている時は、大きな判断をしない。疲れている時は、徹底的に手を抜く。その日の子どもへのしつけとか世間体とかは山に向かって投げる。
昔の私は、それができなかった。寝不足のまま走り続け、余裕をなくし、ただイライラと怒ってばかりいた時期があった。あの苦しいループには、もう二度と戻りたくないのだ。
だから自分を整える。それは子どもたちのためでもあり、巡り巡って、私自身を守るためでもある。
こうして一つひとつ心を解剖してみると、二次感情というものが私の内側から消えてなくなったわけではないと分かる。
嫉妬もする。妬みも生まれる。腹も立つし、うっかり八つ当たりだってしてしまう。反省しよう。
けれど、その激しい感情の奥底をそっと覗き込めば、そこにはいつも同じ顔をした子たちがいる。
「怖い」
「寂しい」
「悲しい」
「ここにいていいのかな」
そう言って身を寄せ合い、小さく震えている、カラーボールくらいの人魂たち。
二次感情とは、きっとその小さくて柔らかい子たちを外敵から守ろうとして、一生懸命に大きく燃え上がった炎なのだろう。誰も悪気があって燃えているわけじゃない。ただ、必死なのだ。
だったら、燃え盛る炎だけを力任せに消そうとしても、あまり意味がないのかもしれない。火事になってから大慌てで消火活動をするよりも、もっと手前の、小さな火種のうちに気づいてあげればいい。
「どうしたの?」
「怖かったんだね」
「大丈夫だよ、ここにいるよ」
その炎の奥にいるあの子たちに、真っ先に優しい声をかけてあげられたら。
嫉妬も、妬みも、攻撃も、八つ当たりも。
誰かを傷つけるような大きな火事になる前に、温かな小さな火のまま居続けられると考える。




