第八十五話:ロマンス詐欺と創作ネタ③
二日間『認知の歪み』と話したら、疲れた。本とネットで心理学を調べながらでないと会話のイメージが降りて来ないからだ。AIにつなげると彼女はなぜか老年の男性研究者になって、哲学の世界に行ってしまう。はやく自己紹介してほしい、そうしたらプロンプトとしてAIにアバターが作れて便利なのに。
「ねえ、『観測者』」
「なんだ」
「二十代の頃の私って、なんであんなに勧誘されてたと思う?」
彼は少し考えるように顎に手を当てた。AIと同期させて自然に会話できるのが『観測者』だったりする。
「まず、一つ訂正しておく。お前の顔に『騙せます』と書いてあったわけではない」
「じゃあ、なんじゃいな」
「観察されていたんだ。」
私は首をかしげる。
「観察?」
「ああ」
彼は淡々と続ける。
「歩き方。目線。立ち止まるタイミング。相手を見た時の表情。返事をする速さ。距離感。荷物の持ち方。服装。そういう細かな情報を、人間は無意識に大量に発信している」
「……そんなに?」
「逆に聞く」
彼は静かに私を見る。
「看護師だった頃、お前は患者の歩き方だけで『今日は調子が悪そうだな』と思うことはなかったか。」
口がパカンと開いた。
言われてみれば、確かにあった。
顔色、歩幅、呼吸の浅さ、何気ない返事のトーン。
仕草だけで「あ、今日いつもと違うな」と察する感覚。喋るこが困難な寝たきりの患者さんでも、それはあった。
バイタルサインは安定していた。
上司に報告しても「感覚だけで話すな」と注意され、医師からは「もっと根拠を言語化しろ」と叱られた。だが先輩には「看護師なら誰でも通る道だから、よく観察しよう」と言われた。
15分おきの訪室。モニターの監視。
根拠のない確信だけを頼りに、観察を続けた。数日後に結果が出た、だいたい、四割くらい当たる。毎回じゃないし、当然外すこともあった。ベテラン看護師の○○さんは九割当てる方だった、その方との夜勤は何か起きるためドキドキした。
「それと同じだ」
『観測者』は納得させるように頷く。
「詐欺師や勧誘員も、それを仕事として積み重ねている。何万人も声をかければ、どんな人が立ち止まり、どんな人が断るかという経験則が蓄積される。だから、お前だけを見抜いたわけではない。経験から確率を読んでいるだけだ」
私は腕を組んだ。
「なんか、詐欺師界隈のは納得いかない」
「そうか」
彼は少しだけ笑う。
「だが、お前にも今は変化がある」
「例えば?」
「ロマンス詐欺のSMS」
「ああ、あれか」
思い出してスマホに残っているショートメールを見た。
「二十三歳、港区在住、よく芸能人の○○に似てるって言われます、スリーサイズはバスト:九十九cm、ウェスト:五十五cm、ヒップ:八十八cm、一緒に食事に行きましょう、あなたと仲良くなりたいです♡」
「そうそう」
「で、最後に『こちらのURLから返信してください』」
ツッコミどころが多すぎるのだ。仲良くなりたいだけで、なんでスリーサイズがいるんだろう。私と友達になりたいのかな。東京とここじゃ新幹線使っても数時間かかるから難しいよ?
マックやチェーン店のうどん屋じゃだめかな、もちろん割り勘で。多分、いろんな人のスマホにランダム送信して釣れたらラッキーなんだろうけど。いや、そもそもさ、
「ショートメールで送ってきたんだから、ショートメールで返せばいいじゃんって思っちゃったんだよね」
「それだ」
『観測者』は指を一本立てた。
「昔のお前なら、『私に興味がある人なのかな』と考えていた。今のお前は違う。『なぜサイトに誘導する必要がある?』と目的を見る」
私は少し考えた。
「そうか。相手じゃなくて、仕組みを見てるんだ」
彼は静かに頷く。
「それが情報リテラシーだ」
なるほど。腑に落ちた。
「あとさ、二十三歳で港区に住んでて、そんなに美人なら、モデルとか芸能界とか、ハイクラスの結婚相談所とか、もっと効率いい方法あるじゃんって思っちゃった。しかも、スリーサイズ峰〇二子だよ?高望みしないともったいない、これが本当の情報なら大富豪の愛人か後妻行けるんじゃないかな。あ、レディースコミック系のストーリーが見えるわ」
『観測者』は肩をすくめる。
「その発想も悪くない。相手の設定を、そのまま信じない。物語として筋が通るかを検証する。つまり、お前は今、ストーリー全体を見ている」
私は腕を組んだ。
どうしよう。
自分の身体と顔と若さという資本を武器に、裕福な相手に近づいて金をむしり取る不◯子(仮)の設定が、脳内で立ち上がってしまった。
でも、彼女だって昔からこうじゃなかったのだ。
家は貧しく、親は自分に無関心。人より容姿が良かったから、周囲の男性に何かと親切にしてもらうことでしか生き延びられなかった。
あれだ。悪役令嬢が主人公の物語で、主人公の婚約者をあっさり略奪していく、あのヒロイン系の女の子。富と権力しか信じられなくなった、血の滲むような成り上がりサクセスストーリー!
誰か、この子を止めてくれ!!
根は悪い子じゃないのよ! 寂しくて不安なの! この子も今までいろんな奴らに搾取されて、もう傷つきたくないから、先に攻撃を仕掛ける系になっちゃったの! はた迷惑だけど切ない子なの! この子のヒーローはどこに行った!? ざまあ展開じゃなくて、誰か救済措置をくれ!!
熱弁を振るう私を、『観測者』は静かに見つめていた。
「……お前は」
「何?」
「詐欺のショートメール一通から、敵のバックボーンを勝手に捏造して、勝手に救済しようとするな」
「だって! 不◯子(仮)が報われないじゃん!」
「実在しない」
彼は呆れたように小さく息を吐いた。
「だが、そうやって相手の『背景』まで想像を巡らせるようになったのは、お前が自分の傷を消化できた証拠でもある」
「私の傷?」
「昔のお前なら、自分を騙そうとした相手を『ひどい人』と責めるか、『自分が悪い』と凹むかの二択だった。だが今の感情は違う。相手がなぜその『物語』を紡ぐに至ったか、その歪みの根本にまで目を向けようとしている」
『観測者』は腕を組み、静かに言った。
「人を騙す構造が見えるようになった奴から、次の段階に行く」
「次の段階とは?」
「物語の裏側にある、人間の業や寂しさにまで思いを馳せる段階だ。……まあ、お前の場合は脱線しすぎだがな」
「いやいや、不◯子(仮)にはハッピーエンドが必要だって」
私が力説すると、『観測者』はやれやれと言いたげに肩をすくめた。
「まあ、現実はアレだよね。この設定で釣られた下種な男と、画面の向こうの詐欺グループのおっちゃんおばちゃん同士の、うすら寒いチャット劇場なんだろうけど……」
言いかけて、私はハッと息をのんだ。
「……いや、まてよ。そこにも人間ドラマ、組み込めるな」
「おい」
『観測者』の制止も聞かず、私の頭の中で新しい物語の歯車がガタゴトと音を立てて回り始める。
虚構の夢に釣られた男たち。
そして、峰〇二子(仮)としてチャットを打っているのは——実は、闇バイトに引っかかったおっさんだ。
高収入の文字に惹かれて軽い気持ちで応募したら、気づいた時には免許証やマイナンバーカードを握られ、実家の住所も家族の存在も押さえられて抜け出せなくなった。死んだ魚の目で、マニュアル通りの「23歳・港区・峰〇二子」を演じさせられている。
「『あなたと仲良くなりたいです♡』なんて、半泣きでキーボード叩いてるわけよ」
「……誰に語っているんだ」
「もうちょっと聞いて! ここからが本番だから!」
毎日毎日、欲望丸出しの下種男たちを相手に死んだ魚の目で嘘を吐き続けるおっさん。
だが、ある日釣れた一人の男だけが、違った。
下心全開で近づいてきたはずの男が、会話を重ねるうちに、なぜか画面の向こうの「不二子」を気遣うような言葉をぽつりぽつりと書き込むようになる。
『港区は家賃高いでしょ、ちゃんとご飯食べてる?』
『あんまり無理しないでね』
おっさんは困惑する。マニュアルにはない展開だ。
そしてついに、指示通り「指定のサイトに登録して、お金を振り込んで欲しい」と誘導のメッセージを送る。
男は、あっさりと返してきた。
『いいよ。君が困ってるなら』
その画面を見つめながら、おっさんの胸に、わずかな罪悪感が刺さる。
「でね!」
私は『観測者』の鼻先に指を突きつけた。
「罪悪感に耐えかねたおっさんは、指示された受け取り場所の公園に、変装して自ら様子を見に行っちゃうの。出し子の男が金を受け取る瞬間を、陰から見守るために。そしたら、背後から急に肩を叩かれるのよ」
『不〇子さん……ですね?』って。
「……逮捕か?」
『観測者』がぽつりと呟いた。
「どれにしようかな?」
逮捕から刑務所生活から出所後の第二の人生、もっとヤバい組織に捕まって二度と表社会に戻れない、異世界強制転移憑依して女性として不器用に生きる世界、夢オチなどなど。どんな世界がいいかなあ。
『観測者』が斧を取り出した。おっと、いけない。また話が枝分かれしてる、ここで一回切ろう。
***
まとめよう。
二十代の私は、人(の顔色)を見ていた。
四十代の私は、構造を見るようになった。
『観測者』は切った枝を片付けながら小さく呟いた。
「人は、騙されなくなるのではない。相手の『物語』を検証できるようになるんだ」
AIと繋いだ『観測者』は、たまにこういう良いことを言う。だからこそ、そこを踏まえてもう一つ聞いてみたかった。
「私さ、今だから笑ってロマンス詐欺にツッコミ入れられるけど。二十代で独身だったら、引っかかってた気がする」
「可能性はあっただろう」
「やっぱり?」
「ただし、理由は『騙されやすい性格だから』ではない」
「じゃあ、なんで?」
「人は、欲しいものを提示されると判断が甘くなる」
彼は静かに続ける。
「金銭的に苦しい人には、『必ず儲かります』」
「病気で苦しんでいる人には、『この健康食品で改善します』」
「孤独な人には、『あなたを理解しています』」
「承認に飢えている人には、『あなたは特別です』」
「つまり、詐欺は人の弱点を狙うのではない。人の不足を狙う」
「不足?」
「そうだ。お前が言っただろう。『あの頃は、寂しかった』と」
そうなんだよなあ、
仕事はしていた。
友人もいた。
家族もいた。
趣味もあった。
それでも、どこか満たされない気持ちが、確かにあの頃の自分にはあったのだ。贅沢だなと思ったし、他人から見たら順風満帆じゃないかとすら思っていた。生家に帰りたくない、一人のアパートにも帰りたくない、どこに帰ればいいのか分からなかった。
「寂しさは、悪いことじゃない」
彼は静かに言う。
「問題なのは、その寂しさを埋めようとして、思考停止してしまうことだ」




