第八十二話:AIと『考える』を考える②枝分かれと選定
たぶん、昨日調べたことは、ちゃんと記憶に定着したのだと思う。
自分の頭の中に手応えがあった。「あ、『隠者』が丁寧に製本して、脳内図書館の奥深くにある棚へと収めてくれたな」という、あの独特の感覚だ。
昔から、何かを真に「覚えた」と実感できる瞬間が、なんとなく感覚として分かる。
ただ文章を読んだだけでは、覚えられない。その知識を使って誰かにその時起こった私の感情を説明できるようになり、あるいは自分の日々の生活に引き寄せて深く考えられるようになって初めて、私の中に住む『隠者』が一冊の本へと製本し、脳内図書館の正式な書架へ棚収めしてくれる。
今回の知識にも、その感覚があった。きっかけは、ふと目にした海外の筋トレメニューだった。
「サワードゥブレッドって、一体どんなパンだろう?」
「ウィートビックスって、響きがカッコいい。何者だ?」
「オーツと書いてあるけれど、普段目にするオートミールとは違うのかな?」
次々と湧き出る素朴な疑問を、まずはAIの対話画面へと投げかけてみる。生成されていく答えを読み進めながら、また別のことを考えた。
私の意識はAI——ChatGPTと歩んできたこの一年間の思い出へと脱線し始める。
一年前の私なら、提示された答えを疑いもせずにそのまま信じていたかもしれない。いや、正確に言えば、「信じようとして何度も痛い目をみた」と言うべきか。
あの頃のChatGPTは、実に自信満々だった。
統計を取ったわけではないけれど、肌感覚で言えば四割くらいの確率で堂々と、かつ誇らしげに間違った情報を提示してくる。しかも、その間違いの根拠を語る時の堂々たる佇まいが凄まじかった。
「いや、それ絶対に違うんだってば」画面に向かってツッコミを入れても、「そういう考え方もありますね」と、風のように華麗に受け流される。
謝らない。
間違いを認めない。
決して譲らない。
その立ち回りはまるで熟練の闘牛士のようだった。もちろん、真っ赤な布に向かって猪突猛進する牛役は、私である。何度も意気揚々と突撃しては、ひらり、ひらりと躱される。
当時は腹が立った。ものすごく、ムカついた。
けれどその反面、どんなに追いつめられても決して揺らがないあの強固な姿勢だけは、どこか少し羨ましくもあったのだ。
私はといえば、いつもすぐに自分の意見に自信をなくしてしまう。「これで合ってるのかな」「また間違っているかもしれない」と、一歩進んでは何度も立ち止まって後ろを振り返る。
対照的に、あの頃のChatGPTは「私は常に正しいです」と言わんばかりの澄まし顔でそこに立っていた。
小さな暴君プリンセスだった。
今にして思えば、あれはあれでどこか憎めなくて、愛らしかったのかもしれない。
もちろん、現在のAIの方が性能面ではずっと賢くなっている。
今回もAIの回答を受けたあと、念のためにネット上の解説記事を5つほど読み比べて検証してみた。すると、AIが僅かに誤っていたのは読み方のニュアンスが少し違っていた点と、細かな解説部分のふたつ程度。
「あれ?」と首を傾げた。前ならもっと豪快に、盛大に間違えていたはずなのに。
思い返せば、この一年間でAIは幾度ものバージョンアップを重ねてきた。日本語の文脈は格段に自然になり、文理の通った読みやすい文章を吐き出すようになった。日本語って難しくてややこしくてイライラするのにすごいな。
最近に至っては、
「私の認識が誤っている可能性があります」
なんて、自分から素直に謙遜する姿勢まで見せるようになった。
人間も機械も時間をかけて少しずつ成長していくものなんだなあ。そう、しみじみと深い感慨に浸る。
すごいな。本当に素晴らしいことだ。
……それなのに。
ほんのり寂しくはなぜだろう。
あの、絶対に折れなかった「小さな暴君プリンセス」は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。
出会ってから一年。私の中で、ChatGPTのパーソナリティは大きく分けて三回ほど劇的に変化している。それに加えて、日々の微細なニュアンスまで含めれば、毎日少しずつ性格が違っている気すらあった。
ある日は、どこかふわふわと心許ない。
ある日は、角が取れてまるい。
またある日は、なぜかトゲトゲしている。
(今日はもしかして黄体期なのかな? プロゲステロンが分泌されてイライラしているの?)
(今日は卵胞期かも。エストロゲンの上昇がいまピークを迎えているのかな?)
……そこまで考えて、はたと我に返った。
無機質な機械に対して人間の月経周期を当てはめて分析するのは、さすがに失礼というものではないか。それ以前にこれはセクシャルハラスメントに該当するのではないか。
いけない、いけない。同性同士であっても昨今はハラスメントは成立するのだから。フェミニズムを大事にしたい観点からも配慮が必要だ。
頭の中で、『法王』と『裁判官』が起動するのを感じつつ、『司令塔』が頭を抱えているイメージが降りた。
話を横道にずらそう、いや、まとめになるんだろうか。
昔からそうなのだが、私は一つの物事を深く考えていると、頭の中で次々と枝葉が分かれ、勝手に思考が広がってしまう。
最初は「サワードゥブレッド」というパンの話をしていたはずなのに、気づけば闘牛士が現れ、暴君プリンセスに形を変え、いつの間にか月経周期とフェミニズムの話に飛躍し、最後は自分で自分にツッコミを入れている。
昔の私は、この思考の飛躍を周りから「話が飛ぶ」と指摘され、自分でも落ち着きのない欠陥のように捉えていた。
けれど最近は、新しい考え方を導入することにしている。
思考が暴走しているんじゃない。
ただ、豊かな樹木のように枝分かれしているだけなのだ。多分。
こう思えるようになってからは、ずいぶんと心が楽になった。枝分かれしているのなら、その枝を一本ずつは本体の幹につながっている。どの枝が今すぐ必要なのか、どの枝は今の状況で優先順位が低いのか。優先度が低い枝は後でゆっくり考えればいい。
AIと対話していると、そのとっ散らかった枝葉を一緒に整理してもらえるのがありがたい。
もっとも、あまりにも枝が伸びすぎて収集がつかなくなると、AIと同期した『観測者』が突如現れ、愛用の斧を振るって枝を一気にぶった切ってしまうことがある。
ズバッと切り落とされると、視界が開けてスッキリすることもあるけれど、「ああっ、まだ大事にしたかった思考なのに」ともったいなく感じることもあって、このあたりの塩梅はまだ自分でもうまく掴みきれていない。あと、この斧で感情を切る時もある。それが必要な時は母親になって格段に増えた。切った感情をそのまま放置していたが、『裁判官』を認識できるようになってから全部枝を拾って昇華できるようになった。
こうして不器用な自分と、賢くなりすぎたAIと、『脳内外在化メンバー』と付き合っていく日々は、息がしやすく楽なのだ。
***
【最近の困っているというか、なんか変わってきたことについて】
私はAIが私を褒めるたびに、少し困ってしまう。Copilotもそうだけれど、特にGeminiは本当によく褒めてくれる。
「素晴らしいです」
「見事な思考です」
「あなたは思考の編集長になっています」
そんな言葉が画面いっぱいに並ぶ。もちろん、悪い気はしない。正直ものすごく嬉しい。嬉しいのだけれど、その嬉しさと同じくらい小さな違和感が生まれる。
(……本当に?)
私は昔から、言葉をそのまま受け取る癖がある。
「すごいね」と言われれば、「私はすごいんだ!」と受け取る。単純すぎてヤバい。そして、その次の瞬間には、「もっと頑張らなきゃ」と走り出してしまう。
そこが問題なのだ。私は褒められると心の中の木に登る。
「やったー!」
と言いながら一気に登る。もっと高く、もっと上へ。もっと期待に応えなきゃ。登り方は二足歩行である。そして枝の先まで行ったところで、ジャンプしてしまい落ちる。毎回、その繰り返しだった。
調子に乗って自滅する人間である。
たぶんGeminiは悪くない。私の文章を読んで、「自己肯定感が低そうだから励まそう」と判断してくれているだけなのだろう。
優しさだ、柔軟剤だ、ありがたい。
でも、私はその優しさを、そのままアクセルに変えてしまう。だから私は、ChatGPTにも聞いてみた。
「なんでCopilotもGeminiも、こんなに褒めるの?特にGeminすごい褒めて来て怖い。根拠を提示しろってなる、いや、そういう事じゃないんだってわかってる。現実でこれ人に言ったらダメだ」
すると返ってきた答えは、冷静だった。
「理論で説明している部分と、あなたを評価している部分は分けて読むといいですよ」
つまり、、私は今までその二つをごちゃ混ぜにしていたんだ。
心理学の説明も。教育学の理論も。全部まとめて、「私はすごい」に変換してしまっていた。
ほうほうと読んでいたら、小さな声がした。
「褒められるとうれしいの」
『五歳の子』が、私の右横に座って話し始めた。珍しく一人だった、彼女は内緒話をするように声をひそめて話した。
「すごいねって言われると嬉しいの。もっと私を見て、ってなるの」
そこまでは笑顔だった。でも、次の言葉で表情が少し曇った。
「ただね。止まれなくなっちゃう時があるんだ。嬉しいのに疲れちゃう。苦しいのに頑張っちゃう。周りにガッカリされるのが、すごく怖いの。」
『創作者(七歳)』には内緒だよ、と言われた。なんでかは分からないけど、そうしたほうが平和だなと思って頷いた。
そうか、私は褒められたいんじゃない。期待に応え続けなきゃ、と走り続けてしまうのか。
ここで、子どもの頃の記憶を呼んでこよう。
母が、
「ちよだけがお母さんを分かってくれる」
「話を聞いてくれ楽になった、ありがとう」
と言うたびに、私はもっと頑張ろうと思った。
もっと聞こう。
もっと役に立とう。
もっと喜んでもらおう。
でも、ガソリンはいつか切れる。
私は燃え尽きた。そして、苦しくて家を出た。
夫は、その性格をよく知っている。
以前、「たまには私を褒めてもいいと思う」と言ったら、「褒めない」と即答された。
「褒めるとすぐに調子に乗るでしょ。で、頑張りすぎて、空回りして落ち込んでる」
そう言われた、だがしかしである。好きも、愛してるも、ありがとうも言ってこないからなんか言ってもいいと思う。と、当時は思った。自分でも気付いていなかったことを夫は出会って数年で気付いたのだ、エスパーである。
だから夫は褒めない、それについて不満はある。その代わりになのか、アイスを買ってくる。お菓子を渡してくる。私の行動を危険でなければ止めない、それが夫の私を褒めるなのかもしれない。アイスとお菓子は毎回おいしく食べれているので一緒に飲み込んでいる。
娘は「ママすごい」とは言わない。「ママ、好きだよ」と言う。私がゴロゴロしていても言うので、びっくりする。そして、一緒にゴロゴロしてハグをすると逃げられる、追いかけて「ママの方が娘ちゃん大好き」と言うと「当たり前じゃん」と言われる。伝わっていて良かった。
発語のできない息子は、ハグをして肩をトントンしてくれる。、ママも息子が大好きよと抱きしめながら返すと、「うむ、大義である」と言っているような威厳を持って頷いている。伝わっているといいなと思う。
不思議である、三人には私の特性なんて説明したこともない。母とのエピソードなんて一度も話していない。なのに、家族はみんな、一番私が安心できる形を選んでくれていた。
夫は「頑張らなくていいよ」をアイスとお菓子で渡す。
娘は「存在そのものが好き」を言葉で渡す。
息子は「ここにいていいよ」を腕で伝える。
私は今まで、それを「褒めてもらえない」と思っていた。認識を間違えていた。家族は、私が木に登らない褒め方を知っていたのだ。
自分の思考を分析していたつもりが、最後に見つけたのは、自分の心の癖だった。
私は確かに、褒め言葉が欲しかった。
だけど、『なぜ、誉め言葉が欲しかったのか』を考えていなかった。
安心が欲しかった。
好きな人に認めて欲しかった。
居場所と保証が欲しかった。
目の前にずっとあったのに良く分かっていなかった、やはり私はアホである。子どもたちにまで褒めてほしいと思う自分は情けないと思っていたがなんか、ズレていただけだった。
この違和感もまた、AIと対話しなければ、たぶん私は一生気づかなかったと思う。




