第五十四話:『観測者』平安風コメディ世界で紫式部の巻【完】あとがきのまえがき
普段は私の脳内シェアハウスで好き勝手やっているメンバーだが、今回はその中から『観測者』と『社長』を引っ張り出して、平安パロディ恋愛小説を書いてみた。
……と、書くと最初から全部計画的だったみたいに聞こえるのだが、実際はそうでもない。
きっかけは、もっと個人的な出来事だ。以前、本編の第四十四話:『迎えに行く』を書いていた時のこと。『五歳の子』と『創作者』を抱きしめた後。
私はしばらく考えていた。考えていたというより、困っていた。とても大事なことに気付いてしまったのである。
「……あれ?」
私は首を傾げた。
「私、他の人たち抱きしめられなくない?」
静かな森に声が響く。『五歳の子』がきょとんとする。『創作者』はお絵描き帳を開いて〈?〉マークを書いた。
「いや、だってさ」
言いながら思い返す。今まで何度も会ってきた。『司令塔』『観測者』『女王』『社長』他脳内外在化メンバーに何度も会って話し助けられた。でも、
「触ったことなくない?」
脳内外在化メンバーを作ったばかりの頃。確か一度、挨拶をした。握手もした。したはずなのだが、
「感触なかったんだよな」
手を見つめる。握手の形はしたのに触った感じがしなかった。温度も質量もなく手の大きさも分からなかった。ただ、握手というイベントだけが存在した。そんな感じだった。
それなのに、私は確かに『五歳の子』と『創作者』を抱きしめていた。
掌に伝わるぬくもりは本物で、腕のなかに収まる身体は小さかった。衣服のざらついた感触も、髪から微かに漂う子ども特有の匂いも、すべてが五感に訴えかけてくる。『創作者』も同じだった。少し細いその肩を抱きよせると確かな体温と質量がそこに在った。あ、小鬼(元・被害妄想)もそうだった。
「なんで……?」
本気で困惑していた。だって、これはすべて私の脳内で行われている精神の対話に過ぎないはずなのだ。それなのに、触れられる者と、触れられない者がいる。そこには明確なルールが存在しているようだったが、私自身そんな規則を作った覚えない。
「どういうこと?」
非常に困る。私は基本的に、現実でも大切な存在を肌で感じたい「抱きしめる派」なのだ。娘を、息子を、嫌がられるまでぎゅうぎゅうと抱きしめる。子どもたちがきゃらきゃら笑うとき、私は満たされる。おそらく脳内でオキシトシンか何かの幸福物質が大量に分泌されているのだろう。詳しい理屈は知らないが、とにかく私は幸せになるのだ。きっとドバっと出ている。
だからこそ、「癒やしって抱きしめることじゃないの?」というのは、私の中でかなり重要な問題だった。
それなのに、なぜか『女王』には触れられない。『観測者』も『司令塔』も『社長』も同様だ。
「困ったなあ」
せっかく『五歳の子』や『創作者』を抱きしめることができたのだ。だったら他の人達にも、日頃の感謝や「お疲れ様」の気持ちを込めて同じように接したい。なのに、それができない。
「どうすればいいんだろ」
私がそう呟きながら途方に暮れていると、森の入り口から軽やかな足音が聞こえた。
振り返ると、そこに立っていたのは、相変わらずこの深い緑に全く馴染んでいない、見覚えのある派手な人影だった。ピンクとグレーのキルト柄をあしらったダブルのスーツに、お揃いのパンツ。金色の短髪を覆うのは、紳士が被るようなクラシカルな帽子。本人はにこにこと笑っている。『エンタメ』だった。
「お困りのようですね」
「うん、困った。なんで来てくれたの?」
「お呼びいただきましたので」
首を傾げる私の隣で、『五歳の子』が元気よく手を挙げ、反対側では『創作者』が、お絵描き帳に大きく『呼んだ』と書いて掲げていた。
「おお、二人とも、ありがとう」
『エンタメ』は少し帽子を持ち上げて、私たちに会釈した。
「なんとかなるかな?」
「はい。皆さんを抱きしめたいのでしょう? ですが触れられない。でしたら、発想を変えましょう」
エンタメは楽しそうだった。新しい漫画や小説を薦める時や、面白い映画を見つけた時、あるいは歴史の逸話を語り始める時、彼女はだいたいこんな顔をしている。いつも芝居がかったような大げさな立ち回りに見えるが、これこそが私が考えるエンターテイメントなのだろう。
『役割のペルソナ』は私に役割の仮面を何重にも着けていくが、『エンタメ』は役の実演もしてくれる。エンターテイメントの運び屋と演者。私のプリンセス監修・指導も彼女だ。そこに『役割のペルソナ』が固定・強化魔法みたいなのをかけてくれる。
「わかった!」
『五歳の子』が勢いよく立ち上がった。
「だったらね、 みんなのお話を作ればいいんだよ。お礼の物語」
「お話?」
「うん! みんな主人公!」
隣では『創作者』が猛烈な勢いでお絵描き帳に何かを書き殴り、ページをぱたぱたとめくりながら次々と掲げていく。
『なにになりたい?』
『どんな役がいい?』
『ヒーロー? お姫様? 王様? 冒険者? 魔法使い?』
『国を作る人? 友達を作る人? 恋をする人? 結婚する人? 子どもを育てる人?』
『時代劇? 異世界? 宇宙? 現代? 近未来科学?ファンタジー?なんでもいい』
その横で、『エンタメ』が楽しそうに笑った。
「素晴らしい提案ですね」
「でしょ!」
「演目は多い方がよろしいです」
「そうそう!」
「悲劇も喜劇も恋愛も冒険も」
「全部やる!」
「全部やりましょう」
息の合った二人の様子を呆れながら見ていた私は、ふと、ある事実に気付いて声を漏らした。
「あ……私、もうやってた」
動きを止めた三人がこちらを振り返る。「どうしました?」とエンタメが首を傾げるなかで、私は言いながら思い出していた。
「『女王』と『法王』で……『ハジャル(ハジャルの祈り)』で」
その名前を出した瞬間だった。いつの間にか『女王』が姿を現した。『司令塔』『観測者』『社長』もいる。
「気付いたか」
「気付いた。私、あれ『女王』と相談しながら書いてた。彼女はこうする、こう言う、ここで怒る、ここで許さないって。『法王』も混ぜていたはずなのにいつの間にか『女王』単体になってた」
『女王』は少しだけ口元を緩めた。
「うむ。楽しかったぞ。余が望むことをさせてもらった。だから最近お前は、以前ほど怒っておらぬのだろう」
思わず黙り込んだ。言われてみればそうだった。怒りの感情が消えたわけではない。けれど、かつてのように内側で暴れることはなく、どこか落ち着いている。満足そうに腕を組む『女王』は「十分である」と言った。
私は頷き次の疑問を口にした。
「じゃあ、『司令塔』は?」
司令塔は少し考えた。珍しく即答せず、少し苦い顔を浮かべる。
「そうですね……私は元々運営担当ですので、全体が円滑に回っていると嬉しいです。ですので、悔しいですが、現在進行中のハーレム案件は適合しております」
ものすごく不本意そうに答えるので、私は笑ってしまった。なるほど『司令塔』もちゃんと楽しんでいたらしい。
じゃあ、『観測者』はどうだろうと振り返る。
「『観測者』は、まだ主人公してないよね、どんな物語を編んでみたい?」
『観測者』は黙り込み長く考えてから、本当に小さな声でぽつりと言った。
「……友人と食事をしてみたい。色々な人と話してみたい。変だと言われない場所で。あるいは、変だと思われても、まあ、お前だからなと言われる場所で生きてみたい。……恋も、してみたい」
その瞬間、「いいね!!」と『五歳の子』が飛び上がり、創作者が『恋愛編決定』の文字を掲げた『観測者』は眉をひそめて「決定していない」と抗議したが、「決定した!」と言い張る五歳の子の方が強かった。大人メンバーは子どもには勝てないのだ。見た目年齢二十歳代の大人が五歳児に振り回されているのはいつもの風景だった。
その時だった。
「俺もいいか?」
私は振り返る。そこに立っていたのは『社長』だった。
「俺は、」
場が静まり返った。『観測者』が固まり、『五歳の子』が動きを止め、『創作者』の鉛筆の音が途絶えた。『女王』は明後日の方を見て、『司令塔』は『観測者』に向けて合掌していた。
『エンタメ』は輝く満面の笑みを浮かべた。
「面白そうですね、やりましょう!!」
その一言が合図だった。劇場の開演を告げる、あの低く空気を震わせる地鳴りのようなブザーの音が聞こえた気がした。
ちなみに、ここまだ森の入り口よ?
***
そんなわけで、『観測者』を主人公に据えた恋愛小説を書いてみることになった。なったのだが、問題は「じゃあ一体何を書けばいいのか」ということである。
私は脳内図書館をうろうろした。正確には私と『隠者』そうして時代劇コーナーの前で立ち止まった瞬間ストンと落ちた。
平安だった。平安パロディである。
私は昔、一時期本気で平安時代に狂っていたことがあった。平安装束、陰陽師、御簾の向こうからチラ見する文化、権力とゴシップの陰湿さ、全部が好きだった。あと、単純に十二単が好きで、正確には自分でも着てみたかったのだ。しかし現実問題として、四十歳の主婦が突然十二単を着て似合うかと言われると、私の中の美意識が静かに首を横に振る。肝っ玉系女将さん衣装系なら着こなせる自信はあるが、十二単は解釈違いである。
だが、『観測者』なら着られる。色白で造形も若いし平安美人枠に放り込むことだってできる。たぶんこの時点で、ストーリーより先に衣装が決まっていた気がするが、まあよくあることである。
そんなこんなで書き始めた。ギャグであり、コメディであり、恋愛である。私が過去に調べた平安時代の雑学や小ネタも混ぜながら、第一話、第二話までは、わりと楽しく順調に書いていた。
ちなみにこの段階で、私は何度もAIに原稿を提出している。Geminiは「ラブコメになってますよ!」と言い、Copilotも「恋愛コメディで大丈夫でしょう」と言ってくれた。よし、最後の監査人ChatGPTの前に原稿を差し出したところ、返ってきた答えは「これはコメディ枠のヒューマンドラマです」というものだった。
厳しかった。私は書き直し、また提出したが、「まだヒューマンドラマです」と返される。書き直して提出すれば「恋愛未満すら立ってないですね」、さらに書き直せば「恋愛要素が弱いです」と言われ、そこから書き直しては提出することを七回くらい繰り返した。途中からは完全に意地になっていた、ほんならこれでどうじゃい!!と『社長』に肉食動物感を入れた構成案でようやく「コメディジャンルで恋愛タグをつけてよいでしょう」という許可が下りたとき、私はガッツポーズをした。勝ったのだ。何に勝ったのかは知らないが、とにかく勝った。
そんなわけで、いよいよ第三話を書き始めた。ここまでは本当に良かったし、『観測者』も『社長』も普通に動いていた。セリフも情景も勝手に出てくるので、私はいつも通り、それを音声入力で追いかけていただけだった。
ところが、社長が「……最っ高」と言った瞬間、『観測者』が止まった。完全停止である。
『観測者』は、「吐きそう」と言った。え、ちょっと待ってほしい。主人公が恋愛イベントの真っ最中に吐きそうになっているのだ。なんで、と私は混乱したが、それ以上に私を混乱させたのは『社長』だった。
『社長』は、森の守護者であり、男性性担当であり、安心基地であり、どっしりした昭和の大スター、そういう枠で作ったはずだった。なのに「キャーッ!!」と言いながら飛んできたかと思えば、途中から「ほらほら『観測者』ちゃん大丈夫よ〜」みたいな感じになってしまった。お前は一体誰なんだと本当に思ったが、『社長』は止まらなかった。
洗面器を出し、水を出し、換気をして、制吐剤(元職場で使ったことがある内服薬、注射薬、坐剤と全種類)を持ってきては檜扇で扇ぎ始めた。その動きは昭和のスナックのママだった。なぜそうなったのかは今も分からないが、あの時の『社長』は間違いなくオネエサマだった。私は目の前で起きている出来事をそのまま文章にした。それは創作というより、ただの実況中継だった。そして、第三話はそこで終わった。
本当は続きも考えたし、実際に考えてみた。『観測者』自身が「一度AIと繋いで続きを見てみたい」と言ったので、ChatGPT経由のバージョンも作ってみた。そちらの観測者は嘔気もなかったし、もっと冷静で、物語も綺麗に続いて第四話へ繋げられそうだった。
でも、読んだ瞬間に【なんか違う】と思ってしまったのだ。面白くないわけじゃないし、出来が悪いわけでもない、綺麗になってる。ただ、『観測者』が吐きそうになって社長がオネエ化した方が私が面白かったし、そっちの方が『観測者』であり、そっちの方が社長だった。なので、私判断としてそちらを採用した。
『観測者』には「修正しなくていいのか?」と聞かれたが、私はこっちがいいと答えた。すると『観測者』は少し考えて、「そうか」とだけ言った。
そして、物語は三話で終わった。たぶん、あの時の『観測者』にはそこまでが限界だったのだと思う。嘔気事案後『社長』は『観測者』に「無理すんな」と三度言っていた。私はその言葉を聞きながら、三話完結のボタンを押した。
結果として、平安恋愛コメディは完成した。
色々あったが、『観測者』も恋愛できると実証できた。
ならば、『ハジャルの祈り』がなぜ筆が進まないのかをこのエッセイ小説と『観測者』平安風コメディ世界で紫式部の巻【完】①②③と共に、AI編集者と『隠者』と『法王』たちと、脳内会議にかけてくる。
なんか見落としている部分があるから続きが書けないんだろう。最終回ができてるのに中間が書けない。スッキリしない。
『社長』が言ったセリフが人道的ではなかったのでカットしました。




