第五十三話:ママはプリンセスになる(真面目に)
我が家では毎日午後四時になると定例会議が開かれる。議題はただひとつ。
【娘の本日の宿題をいかにして平和的に完了させるか】
参加者は私。なお、会議時間は一分。実行時間は約四十~二時間。
想定外(息子の妨害)のトラブル発生率は九十八パーセントである。
* * *
世の中には、ひとりでランドセルを開け、宿題を確認し、鉛筆を削り、自主的に机へ向かう子どもが存在するらしい。私は都市伝説だと思っている、たまにInstagramで流れてくるがあれは子供に出演料を出しているに違いないと決めつけている。
うちの娘に必要なのは、宿題へのやる気ではない。『安心』である。
義母がよく「孫娘ちゃんはやればできるだ」と言う。うん、宿題ができないわけではない。
やり始められないのだ。
これは私にも覚えがある。私は小学校の頃、高学年になるまで宿題をひとりで進められなかった。夜八時、仕事から帰って家事や家族の世話を済ませ母が宿題を見てくれる頃にはもう眠い。頭は働かない。
結局、翌朝先生に「忘れましたorやってません」と言って放課後に前日の宿題をやって帰っていた。よく考えたらその時に当日分の宿題もしておけばよかった、アホだった。
私に娘を責める資格はない。そして、令和は学校の先生方から家庭学習の重要性と保護者の宿題・自学サポートをミッションと厳命されている。専業主婦の私には避けては通れない、インポッシブル(不可能)とは避けられない。
そこで私は娘を観察した。一年生の頃からずっと。すると、ある法則が見えてきた。娘は宿題そのものが嫌いなのではない。「始めるまで」が、とてつもなく重たいのだ。母もです。
心理学では、行動を始める最初の一歩を「行動開始」と呼ぶ。そして脳科学では、前頭前野という部分が、この始めるを担当していると考えられている。
ただし、疲労、不安、見通しのなさがあると、前頭前野は簡単に機能低下を起こす。
つまり、娘の脳内では、
「宿題かぁ……」
「どれくらい時間がかかるんだろう」
「難しかったらどうしよう」
「失敗したら嫌だな」
「めんどくさい」
「はやくゲームしたい、遊びたい」
「やだー、やりたくないー」
という予測が積み重なり、ブレーキがかかっている状態なのだ。多分、母の仮説だ。
そこで私は、環境調整を始めた。
ランドセルを開ける
宿題を並べる
鉛筆を準備する
娘の隣に座る
この四つを私がやる
すぐに始められなかったらおやつや水分摂取、体を動かす軽い遊びとスキンシップ
すると娘はしぶしぶ鉛筆を持つ。
始めてしまえばそのまま流れに乗れる。つまり娘には、やる気が足りないのではない。「始めるまでの負荷」が高すぎるだけだった。
これは発達支援でいう「足場かけ(スキャフォールディング)」にも近い。できない部分だけを支援し、できる部分は本人に任せる。
大人が全部やるわけでも、最初から全部ひとりでやらせるわけでもない。ちょうどいい支援の量を探す。義父母には私が甘やかしてると言われるが無視している、目標は娘一人で宿題をすることではないからだ。
看護計画でいうなら、継続的アセスメントである。あと、息子にかかりきりのママを独占できる一つが宿題時間というのも娘に申し訳ないような……私だって娘といたいしという母心もある。
二年生後半には、娘は元気な時は自分で宿題の環境を作れていた。しかし、学校でエキサイトしてくる娘のため帰宅後にはかなり体力ゲージは減っていることが多い。HSPで外では頑張るタイプのため家では基本のんびりしたいタイプだ。
ところが、子育てに永遠の正解はない。低学年の頃は効果抜群だった「スキンシップ作戦」が、最近効かなくなってきた。
娘が言う。
「もう、ハグする年じゃないから」
そうか、報酬系が変化したのか。
脳内会議緊急招集である、ママ超寂しい。娘が成長してるのは嬉しい。私の情緒がジェットコースターである。
愛着理論担当の『女王』
行動分析担当の『観測者』
計画修正担当の『司令塔』
安心基地担当の『社長』
……いやもう全員集合!!
議題は「娘専用宿題支援プログラムのアップデートについて」。結論は安心は必要。だが、表現方法を変更する。
しかし、私にも家事・育児のタスクがある。娘と息子が帰宅まで掃除と洗濯と夕飯の準備は終わっているが、仕上げや入浴がある。しかも、今月から息子が私が娘と二人でいると焼きもちを焼くようになってきた。息子の情緒が育ってきて何よりだが五秒も待てないのは、ママどうかと思う。
ママは今が一番のモテ期だと自覚している。なのに、娘の宿題が進まないと私がイライラしてくる。話し方が早口の巻き舌や腹に力が入ってヤクザになってくる。義父にヤクザと言われた、なんでじゃい。
「ママ、かわいい声で言って。怒っちゃダメ、やる気でなくなる」
かわいい声、なんだそれ。まずい、抽象的すぎる。
「具体的にどんな風にしゃべればいいの?」
「こんな感じ♡」
「……こう♡?」
「そう♡」
隣室にいた義父母が大福を誤飲しかけたのをよく覚えている。
なるほど、海外のパペット教育番組の『エ〇モ』の声真似をすればいいんだな。それから、私は娘の宿題サポート時はに『エ〇モ』なった。娘は私がすぐに理解できる具体的なプロンプトを提示してくれるため大変ありがたい。
しかし、『エ〇モ』を演じると私は宿題なんてやめて一緒に遊ぼうよ、とかおやつ食べなーい?みたいな気分によくなってしまう。なぜかはわからない。娘にキャラクター変更を依頼したところ「次は、プリンセスになって。ママはもともとプリンセスだからできるよね?」と言われた。
……ママって、プリンセスだったの?知らなかった。
どんなプリンセスがいいか娘と相談しつつ、大人で教え導く要素を取り入れた感じに仕上げた。声のトーン、抑揚、表情の使い方、身振り手振りも入れた。気分は小劇場で観客は娘、というか娘のためのショータイムだ。
娘は笑いながら、時にリラックスしながら宿題ができるようになった。もうちょっと精度を上げたいなとぼんやり考えていたら、Instagramで某プリンセス映画の声真似をする方の動画がヒットした。いろんなプリンセスの「まあ」や「ありがとう」など参考資料がたくさんあって大変ありがたかった。
今の自分は1950年公開の吹き替え版シンデレラに近いなと思った。その日から私は、日本語吹き替え版シンデレラ音声システムを正式導入した。
「さあ私のプリンセス。本日の宿題を始めましょう」
「こちらが難しいんですね。では、お母様がお手伝いいたします」
すると娘も応じる。
「はい、お母様。あのね、ランドセルを開けてくださいな」
「ええ、もちろんよ。こちらでよろしくて?」
「ありがとう」
なんだ、この茶番と義父母は見ているがこれが驚くほど宿題が進む。娘もおっとり系のプリンセスになる。
そして、私が怒らない。これが最大の発見だった。
人間は怒りながらシンデレラを演じられない。脳の構造上、おそらく無理である。優しい声を出すと自分の感情も引っ張られる。行動が感情を変える。
これは認知行動療法の基本的な考え方のひとつだ。笑顔を作ると気分が少し明るくなる。背筋を伸ばすと自信が出る。優しい声を出すと、優しい気持ちになる。
脳は案外、単純である。……いや、私の脳が一般より単純にできている。
* * *
しかし、問題はまだ残っていた。娘は途中で止まる。
「休憩したい」
私は早く終わらせたい、娘は今は休みたい。利害が一致しない。
そこで導入したのが娘専用ポモドーロ・テクニックだ。
一般的なポモドーロ法は、「二十五分作業、五分休憩」だ。だが、娘にそんなルールは通用しない。五分で疲れる日もある。二十分集中できる日もある。
つまり重要なのは時間そのものではない。その日のコンディションに合わせて調整することだ。
「何分休憩する?」
「十分」
「長い!」
「じゃあ、五分!」
「採用!水時計が落ち切るまで休憩」
「上の水が無くなったらまた始めるね、今日はこの水時計にする」
交渉成立。これもまた、自己決定感を支える方法のひとつだと思う。人は、自分で選んだことのほうが続けやすい。強制されるより、納得して決めたほうが脳の報酬系が働きやすい。
だから私は最近、「どうやって宿題をやらせるか」 ではなく、「どうやったら安心して始められるか」を考えるようになった。
娘専用の取扱説明書を更新し続ける。私は今日も娘が学校から帰ってきたら、脳内会議を開く。
議題はもちろん、ひとつだけ。
・本日の宿題を、いかに平和的に終わらせるか
なお、毎回息子の乱入によって計画が崩壊する。
「プリンセスっ、ここはお母さまに任せてミッション(宿題)を倒して!!」
「うん、今集中してるから静かにして」
「すんません」
こうなると、娘はオートモードで宿題が終わる。「ママこっちに戻って来て」と言う時は
「○○(息子の名前)さん、お放しになって。私はプリンセスのもとに行かなければっ」
「お母様~」
「ああ、私のプリンセス。私の明けの明星、今しばらくお待ちになってらして。必ずあなたのもとに参りましてよ!」
育児という宇宙は今日も予測不能である。
毎日寸劇をしています。




