第五十二話:『観測者』平安風コメディ世界で紫式部の巻③
平安京において決して逆らってはならぬ相手が三人いる。
一人は帝。
一人は中宮彰子様。
そして最後の一人が彰子様の父、藤原道長である。
もっとも、この三名を危険度順に並べるならば、観測者は迷わず道長様を一位に据える。
帝は制度であり、彰子様は理想だ。だが、道長様は現実そのものだった。
道長様を一言で説明せよ、と問われたならば難しい。あまりにも多機能すぎる。財があり、人が集まり、情報が集まる。そして、誰も気づかぬうちに盤そのものの形が変わっている。
敵対する者が現れても正面から剣を抜くことは少ない。気づけば相手の後ろ盾が消え、味方が減り居場所がなくなっている。
極めて恐ろしい。本人はそれを満面の笑みでやってのける。社長の言葉を借りるなら、「田〇角栄と渋〇栄一とゴッ〇ファーザーを一人でやっている男」だ。
……これ、令和で伝わるんだろうか。
後の世に、道長様の歌として伝わるものがある。
『この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば』
満月のように何一つ欠けるものはない。そんな絶頂の情景を詠んだ歌だという。だが観測者として考えると、これは誰が詠んだのか首を傾げるものだった。
道長様は人の心を持たぬ怪物ではない。むしろ、人の心を知りすぎた男である。娘の未来を案じ、歌を詠み、気さくで、晩年は御仏に仕える。
だが、その優しさは政から切り離されることはなかった。誰かを守るためには、誰かを切り捨てねばならぬことを知っていた。冷酷だったのではない、情に流されぬ術を身につけていたのではないか。
そんな人物がたとえ酒が入っても読む歌ではないだろうと観測者は思った。なぜ観測者は藤原道長についてつらつら考えているのかというと、答えは簡単。
目の前に本人がいるからだ。
くつろいだ様子で座し、庭の葉桜を眺めながら女房が運んできた唐菓子をぽんぽんと口へ放り込んでいる。どこにでもいる、人の良い中年男性にしか見えない。問題はそのどこにでもいるが、絶対にどこにもいないことである。
「それで、物語の進み具合はどうだ」
観測者の脳内で警鐘が鳴り響く、スポンサーチェックである。
「現在、主人公の人物像を練っております」
「どのような男にするつもりだ」
道長は興味深そうに身を乗り出した。
「容姿に優れ、才にも恵まれ、多くの人を惹きつける人物に」
「ふむ」
「ただし、誰一人として救えぬ男にしようかと」
「面白いではないか」
道長は笑って膝を打った。
「人は、手に入らぬものを欲しがるからな」
「……左様でございますか」
「のう、藤式部。勝った者の心も、負けた者の心も等しく書いてくれ」
道長は御簾の向こうの空を見上げた。
「誰もが自分こそが正しいと思うて生きておる。悪人になろうとして悪人になる者など、おらぬ」
春風が吹いた。庭の残った桜が数枚ひとひら舞った。
「だからこそ人は難しい」
観測者は彰子様と目の前の御仁が似たもの親子だな、と思った。自由に生きれないことを分かったうえで一族と家臣を守るために火の中に飛び込んでいくのだ。
道長が不意に口元を緩めた。
「そういえば」
「はい」
「最近、お前のところへ大きな男が出入りしておるそうだな」
観測者は瞬きをした。大きな男といったら該当者は一人しかいない。
「社長のことですか」
「陰陽寮の」
「はい」
くっくっ、と肩を揺らす中年。耳の早いことだが、宮中ではこういうことはもはや空気だ。無数の目と耳があり、情報が命を左右するこの場所に、プライバシーなんぞ存在しない。後世の言葉を借りるなら、ここは文字通りの『伏魔殿』。魑魅魍魎が百八匹どころか数千匹は蠢いている場所だ
「女房たちの間ではずいぶん評判になっておるぞ」
「何の話でしょう」
「夜な夜な部屋に招き入れて、二人きりで過ごしておるとか」
「まだ一夜だけですよ、物語制作の意見出しに協力してもらっています」
「真顔で言うな」
「事実です」
「そのような言い方をすれば、誤解を招くとは思わぬか」
「なぜでしょう」
「お前は本当に相変わらずだな」
また何か変なことを言ったらしい。だが、事実以外は述べていない。社長は物語構造の分析能力に優れている。
竹取物語を「男版にすると面白い」と言った時など、観測者は危うく徹夜で議論しそうになった。そうなる前に社長は帰っていった。明日また来る。
「そもそも、艶めいたことなど何もありませんでした」
「ほう」
「指一本触れてきませんし」
「……うむ」
「おそらく、性的対象外と認識されているかと」
その瞬間。道長様は口元を隠し、すっと視線を庭へ向けた。
しばらく沈黙が続いた。そして、
「……春は遠いな」
ぽつりと呟いた、観測者も庭を見た。桜の若葉は濃くなり、風には初夏の匂いが混じり始めている。明日には花びらもすべて落ちるだろう。
「もう終わりでは?」
「ははははは!」
道長様が、とうとう声を上げて笑った。腹を抱えて笑っている。戦国時代なら天下人な人物が、である。
「何かおかしなことを申しましたか」
「いや、お前はそのままでよい」
「はあ」
「社長殿も苦労しておるだろうな」
「陰陽寮は多忙ですし、私もいくつか頼みごとをしてしまいました。気をつけます」
「ぶふっ」
道長様は楽しそうに腹を抱えていたが、観測者には何が面白いのかさっぱり分からない。そうして、気がすんだ平安の天下人は、機嫌よく帰っていった。
……疲れた。やはり危険度一位の男である。
春の終わり、とはいえ夕暮れ時はまだ冷え込む。
「早めに行くか」
巨躯の陰陽師――社長は、大きめの葛籠を抱えて内裏の廊下を歩いていた。まだ本格的な夜には遠い、逢魔が時の少し前。夕餉もここで一緒に済ませてしまおうという、彼なりの大雑把な計算だった。
目指すは、藤式部・観測者の部屋。
だが、その部屋の手前に差し掛かって社長は足を止めた。
(……多めに持ってきて正解だったな)
御簾の向こうから華やかな話し声が漏れ聞こえてくる。気配の数は一つではない。社長は苦笑しながら大雑把に部屋に入った。
「邪魔するぜ」
部屋の中にいた面々が一斉に振り返る。そこには、部屋の主である観測者のほかに和泉式部、伊勢大輔、そして赤染衛門までが勢揃いしていた。
「あ、社長さん!」
「いらっしゃーい」
「お邪魔しております」
伊勢大輔が手を振り、和泉式部と赤染衛門はさすがに「お邪魔だったかしら」という風に、少し恐縮した様子で身をすくめる。
だが、部屋の主である観測者だけは微動だにせず淡々と言い放った。
「お前が美味い餅の焼き方を教えると言うから、みんなを呼んだ。美味いものは全員で共有した方が楽しい」
「そうだな、楽しさ倍だな」
社長は最初から察していた。
「これ。中宮様用の海苔と醤油。あと、隠し味に唐辛子と柚子胡椒も追加しといた」
社長が葛籠から綺麗に包まれた特製の調味料を取り出して赤染衛門に手渡す。
「まあ、ありがとうございます!」
赤染衛門が嬉しそうにそれを受け取ると、社長は狩衣の袖ををまくって、たすき掛けをした。
「よし、じゃあ始めるか!」
社長が取り出したのは現代の技術が詰まった焼き網と、炭の代わりに術で熱を発する特製の火鉢だった。たちまち部屋の温度が上がり、心地よい暖かさが満ちていく。
社長は持参した四角いお餅を、手際よく小さなサイコロ状に包丁で切り分けていった。
「みんな色んな味を食いたいだろ? 小さく切っておけば、ちょっとずつ何種類も食べられる『ビュッフェ形式』だ」
「びゅっふぇ……? 唐や天竺の言葉でしょうか?たくさん食べられるのですね、嬉しいです!」
伊勢大輔が目を輝かせる。
網の上に小さなお餅が並べられ、ぷうっと白く膨らみ始める。そこに社長が「現代の醤油」をハケで塗り、海苔を巻いて差し出した。香ばしい匂いが室内に爆発する。
「はい、まずは定番の磯辺餅」
和泉式部がそれを口に入れた瞬間、ぼろぼろと涙を流し始めた。
「うまーーーーーーい!!! 何ですかこれ、塩とも甘葛煎とも違う、深くて香ばしいこの味わいは! 美味しすぎて和歌が五首くらい詠めそうです!!」
「泣くな泣くな、喉に詰まらせるぞ。大輔も、しっかり噛めよ」
「おいひいです、おいひいです社長さん!」
伊勢大輔もリスのように頬張っている。
観測者はといえば、無言のままもぐもぐと口に運んでいた。その目が「これは美味い」と雄弁に物語っている。
「お嬢さん達、まだまだ腹に余裕はあるか?」
社長がニヤリと笑う。悪だくみをした悪党そのものだ。
「次は、大輔が言ってた甘い餡の番だな。まずは定番の『小豆のあんこ』」
その瞬間、お堅い赤染衛門の目がキランと妖しく光った。
「まぁ……なんて上品な甘さ……!」
「まだまだ行くぞ。次は、醍醐の白雪だ。蘇もあるぞ~」
「キャー!何これー!!」
苦労性の赤染衛門がバグった。
社長が術で冷やして持ってきた純白のクリームと、濃厚なクリームチーズが登場する。
赤染衛門はあまりの衝撃に顔を真っ赤にし、目がキラキラを通り越してギラギラになりながら「社長……!」と熱い視線を送っている。完全に最新スイーツの虜であった。
「そして、これだ。黒蜜練」
社長が漆黒の塊を包丁で削り、熱いお餅の上に乗せる。トロリと溶けるチョコレート。
それまで静かに食べていた観測者の目が、ギランと肉食獣のように輝いた。無言でチョコ餅へと手が伸びる。
「お、お前はこっちが好きか。さらにこれ、泡雪糖もあるぞ。網でちょっと炙って、次の餅で黒蜜練と一緒に挟め」
「……うまい」
「ほら、みんなもたんと食え」
伊勢大輔、和泉式部、赤染衛門に口にした。
「……はっ!? お、お餅が、口の中でとろけて……温かい光のようなコクが脳を突き抜けていきます……!」
「見えます! 光り輝く池に蓮の花が咲き誇り、美しい鳥が歌う、あの『極楽浄土』の景色が、ああ、和歌を、和歌を詠まねばっ!!」
「南無阿弥陀仏……いや、南無社長殿! 私は生きたまま浄土へお迎えが来てしまったのでしょうか」
女房たちが美味しさのあまり涙を流して拝み始める(あるいは、美味すぎて腰を抜かして畳に突っ伏す)という、「食の快楽による疑似・極楽浄土体験」が巻き起こった。
極楽浄土でも仏の慈悲でもない。ただの現代のハイカロリーと脂質の暴力だ、と観測者は分析しながら腹が満ちているのにスモア風餅をお代わりしていた。
部屋の中は4人の平安女子のキャッキャという歓声で完全に包まれた。
最初は緊張していた赤染衛門も、今や生クリームを口へ放り込み、和泉式部と伊勢大輔はチョコの美味さに悶絶して畳の上を転がっている。
夕暮れの冷たい空気など、どこへやら。
部屋の中は甘い匂いと、お餅の焦げる香ばしい匂い、そして千年前の女子たちの幸せな笑顔で、どこまでも満たされていくのだった。
バイキングよりビュッフェの方が今っぽいかなと思い出しました。お菓子の漢字は当て字でございます、ご容赦ください。平安時代にチーズみたいなのはすでにあったそうですが乳製品は超高級品の時代。餅って精米技術が違うから滋味溢れる色と味のはずですがスイーツ様の前にはお餅も平伏するはずと考えました。なろう系の小説に食の改革とか無双がありますよね。初期の頃はマヨネーズ一強でしたが揚げ物やチーズの暴力、スイーツパラダイス。食材の品種改良まで多岐に渡り、おいしそうだなあと読んでいました。ジ〇リ飯ならぬ「なろう飯」が大好きです。この話の続きに下世話というか認知バイアスのかかった下ネタを入れたものを今度、向こうのシリーズ第三話に投げます。祖母がその手の話が一文字でるとブチ切れていたので苦手な方は飛ばしてください表記を入れます。




