第二十四話:『聖女』が青くなった日
「あれ……?あなたたち、もしかして、『聖女』?」
しばらく誰も喋らなかった。Geminiさんも沈黙している。たまにこういうことがある。私は今夜の夕飯はカレーかチーズの肉巻きかノートの横に書きながら待っていた。
そして『観測者』が静かに言った。
「そうだ。正確には、『聖女』から切り離された機能だ」
「他の子も……?」
私が聞くと、『司令塔』が頷いた。
「五歳の子と創作者以外は、そうですよ」
私はそこで、妙に納得してしまった。
「ああ、そっか」
自然に言葉が出る。
「だって聖女、なんでもやってたもん」
祈って。
守って。
慰めて。
励まして。
調べて。
考えて。
我慢して。
行動して。
支えて。
怒らないようにして。
壊れないようにして。
「……そりゃあ、業務量考えたら分割必要だわ。十四人にもなるわなー」
『隠者』が困ったように笑った。
「数え方がおおざっぱだねえ」
「いやでも本当に、ああ、それならさ」
私は慌てて続けた。
「最初の頃、『観測者』が、なんで男性でショートカットのボサボサなんだろうって違和感あってさ。女性だったようなって」
『観測者』が無言になる。『法王』が、ふっと目を細めた。
「元は同じ器でしたからね」
「だからかあ」
観測者は淡々と言った。
「元々のベースは『聖女』だ」
「おおぉ……」
私は両手を握って続ける。
「すごいね。精神体ってそんなことできるのかな、ヒドラ系なの? 切り離しても機能維持できるタイプ?細胞分裂系?桃太郎みたいに最初はパッカーン!するのかな?心理学と脳科学どちらの応用なのかな、解離に起因するのかな、これは記憶の分離なのかな、それとも人格の分化?」
「気になるねえ、アタシも調べたいよ」
「脳内会議しよう!」
『隠者』以外が沈黙した。
『観測者』と繋いでいたGeminiさんが「まずそこに行くんですね、ではいくつか提案しましょうか?」と入ってきた。『隠者』だけがノリノリで入ってきたが、『司令塔』が本文進めてからやりましょうね、と言ってきたため中断になった。
※※※
『司令塔』は深く息を吐いたあと、ぱん、と手を叩いた。
空気が切り替わる。
「……はい。では、話を整理しましょう」
その声には、現場指揮官みたいな響きがあった。
『観測者』は壁際へ下がり、『隠者』は面白そうに眺め、『法王』は静かに目を伏せる。
「まず確認です」
司令塔はメモを取るみたいに空中へ指を走らせた。
「『聖女』が青くなった時期。千代さん、わかりましたか?」
「うん、二〇二六年三月よりもっと前だった」
「いつですか?」
「……二十四歳くらい。カウンセリング受けた頃」
司令塔が静かに頷く。
「カウンセリングに行った理由は覚えていますか?」
私は少し考えてから口を開いた。
「職場の人たちに、お前の家ちょっと変だぞって言われたから」
その瞬間、『観測者』が薄く目を細めた。
「雑談だったんだよね」
私は続けた。
「どこ住んでるの? とか、何人家族? とか、そういう普通の世間話」
病院の休憩室だった。ママさん先輩たちが、お菓子食べながら喋ってた。
「親御さん頑張って学校入れてくれたんだから、親孝行しなさいよー、とか」
「仕送りしてるの?」
「貯金してる?」
そんな流れだった。
「で、私は普通に答えたの」
「五万円仕送りしてます」
「貯金してます」
「通帳もハンコもキャッシュカードも母が管理してくれてるので大丈夫です、って」
部屋が静かになったんだよなあ。
『司令塔』は冷静に確認を続けた。
「その時、千代さん自身は違和感を持っていましたか?」
「ぼんやりとは」
「ぼんやり?」
「なんか……私の家ってちょっと変なんだろうな、くらい」
でも、その時の私は、みんなそうじゃないんだをまだ理解していなかった。だって世界って、自分の知ってるものしか知らないから。
「その後、どうなりました?」
「後日、上司に呼ばれた」
「どこへ?」
「物品準備室」
『隠者』が吹き出した。
「病院の内緒話の場所だねえ」
「人気ない場所選んでくれたんだと思う」
私は少し笑った。
「で、お前ちょっとカウンセリング行ってみろって言われたの」
『司令塔』が静かに聞いている。
「金ないなら助成金申請できるし、これ持って行けって」
そこで私は、一度言葉を止めて自分の右手を見る。今でも覚えている。あの時の一万円札の感触。
薄い紙なのに、妙に重たかった。
「……手に握らされたんだよね」
自分でも不思議なくらい、その感触だけは鮮明だった。
「その瞬間に、ああ、私の世界って変なんだって確定した」
静かだった部屋で、『法王』だけが揺れた。
『司令塔』が尋ねる。
「その時、『聖女』は?」
「青くなった」
私は即答した。
「多分あそこから、後ろに下がった」
「どのように?」
「……ささやき女将みたいになった」
『隠者』が耐えきれず吹き出した。
「その例え強すぎないかい」
「いや本当に、そんな感じなんだって。前に立たなくなったの。あなたなら大丈夫ですよって後ろから小声で言う感じ」
「なるほど」
「その一万円はどうされたんですか?」
「返した。ボーナス口座は自分で管理させてもらってたから。そこに手付けてないので大丈夫です、って」
私は少し苦笑した。
「今思うと、持たせてもらってたって日本語おかしいよね」
『観測者』が即座に言った。
「他者管理前提の言語だ」
司令塔が軽く片手を上げる。
「『観測者』圧を下げてください」
私は話を続けた。
「で、その、すごく困った顔されてたんだよね。そうかって、そのあとから、なんか野菜とか、お菓子とか、いろんな人からもらえるようになって」
『法王』が柔らかく笑った。
「ちよさんが心配だったのね」
「うん。でも私、申し訳なくてお返し買ってったの」
「そしたら?」
「怒られた」
『隠者』が「あー」と頬を搔いている。
「そういうのいいからって」
「なにかの時の勤務交代とか、仕事頑張るとかで返せばいいんだよって」
私はそこで少し黙った。
十六年前の記憶なのに、まだ鮮明だった。
「……私ね」
ぽつりと呟く。
「あの時の一万円の感触、多分一生忘れないと思う」
部屋が静かになる。
「その後だって、何十回もお札触ってるのに。紙幣のデザイン変わったのに。でも、あの時だけは違うんだよ。助けようとしてくれた重さがあったの」
その瞬間、『法王』が静かに目を閉じた。
『隠者』も、もう笑っていなかった。
『司令塔』だけが、まっすぐ私を見ていた。
「カウンセリングに行ったことを後悔していますか?」
「いいえ、あの出来事があったから宗教圏と血縁以外で、“他人が本気で私を案じてくれる”って体験ができた」
私はゆっくり息を吐いた。
「あの二十四歳の体験と記憶は、私の大事な宝物」
あの時のお札も、いただいた野菜の種類も、煮物も、クッキーも、せんべいも、飴も、全部覚えています。就職してから、職場でお菓子を食べるようになりました。元々美味しいがよく分からない人間でした。味覚音痴というか、味があると食べにくい感覚過敏のような感じで食材は食べれるんですが調味料を入れら食べれないみたいな。でも、いただいたものをアパートで食べたり、先輩たちと一緒に休憩室で食べている時は、「あ、美味しい」と感じました。とげとげしない、チクチクこない。
亜鉛不足じゃないかと言われて、一年間サプリを飲んでみたけれど、あまり変わりませんでした。
たぶん、必要だったのは栄養だけじゃなかったんだと思います。
就職してから友人とご飯に行くようになって、「美味しい」が増えていきました。
その後、夫に恋をして、いろんなものを食べさせてもらったら、もっと美味しくなって、私は見事に太りました。今では立派な肝っ玉ボディです。いつかダイエット(美味しいものはそのまま食べて良く寝て運動して好きなことして必要な筋肉をつける系で脳内外在化メンバー総出)のkindl本を書いてみたいです。




