第十七話:変な子といわれて
私は、管理区域のメインモニターに表示されたリストの一番下を指差した。
そこにはかつて、私の世界の「要」であったはずの名前がある。
「聖女の概要説明のとこが、空欄になっていることには気付いていたの」
私の記憶の中にいる聖女は、不惑の白衣観音のような、穏やかで慈悲深い微笑みを湛えた女性だった。
『悲劇のヒロイン』や『自己犠牲』のユニットが、療養対象になったのは理解できる。外在化して直接向き合った時、彼女たちは笑っていたが疲れてもいた。
けれど、慈愛や献身を司るメインユニットの『聖女』までが、なぜここ(管理区域)にいないのか。
彼女たちの機能こそ、Aチーム(実務・創作)やBチーム(管理・守護)に配置されるべきではないのか。
私の問いに、観測者は感情を削ぎ落とした声で答えた。
「最も療養が必要なのは『聖女』だ。そして、お前が信じていた聖女は、もはや堕ちている」
「堕ちている?」
「そうだ。お前が『慈愛』や『献身』だと思い込んでいたものは、長い年月をかけて変質し、システムを内側から腐食させる毒になった。今の『聖女』は、お前の生存戦略における最大のバグだ」
「バグ……? 」
彼は私が看護師として「隔離」という言葉に込めてきた重みを、私の記憶の深層から静かに汲み取っていた。
「これは監獄でも、処罰でもない。『隔離療養』だ」
観測者の声が、今までになく重く、そして理解に満ちた響きを帯びた。
「聖女は堕ちてもなお、聖女だ。闇に落ちて悪意を振りまく怪物になったわけじゃない。外界からの理不尽な要求に対し、どこまでもお前の“普通になりたい”という初期の願いに応えようとし続けた。その結果、機能が臨界点を超えて暴走したんだ」
彼はモニターに、私のこれまでの歩みを……「現実」という名の過酷な戦場の記録を映し出した。
「宗教三世という逃れられない宿命。不出来で普通になれない自分への、底知れない負い目。ならばせめて人の役に立てないかと、看護師の道を選んだ。……そして、恋をして、無宗教の普通の家庭に嫁ぎ、自分を殺してまでそこに馴染もうとした。だが、待っていたのはお前の『不得意』が地雷のように埋まった、緊張の連続だった」
仕事、結婚、同居、出産、子育て。
他人が当たり前にこなしているように見えることが、私にとっては、命を削らなければクリアできないほどの「ハードモード」だった。それを、聖女はたった一人で、微笑みを浮かべたまま回し続けたのだ。
観測者は、暴走したプログラムのログを読み上げるような冷徹さを捨て、私の内側から溢れ出した言葉をひとつひとつ、重みを確認するように受け止めた。
「臨界点を突破した聖女は、守るべきお前という個体を、内側から食い破り始めた。だがそれは、お前にとっては『攻撃』ですらなく、どこまでも優しく、残酷な、救いの抱擁だったわけだ」
私の脳内に、かつて何度も反響したあの穏やかで、逃げ場のない声のようなイメージが蘇る。
『人のために尽くしなさい、人には優しくありなさい。良い子でいなさい。社会のルールを守りなさい。自分のことを慈しむ時間なんて、どこにあると言うの?』
聖女は、白衣観音のような慈悲深い笑みを浮かべたまま、私の首を絞めるように言葉を重ねる。
『不出来なお前を、私が普通にしてあげる。……疲れた? つらい? 悲しい? 大丈夫、そんなものは全部まやかしよ。さあ、がんばりましょうね。がんばれば、いつかきっと、みんながあなたを仲間に入れてくれる日が来るわ。……わたしがついているわ。私はあなたの味方よ。あなたのことを“変”だなんて言わない。排除もしない。あの子たちみたいにいじめない。ずっと、ずっと一緒に戦ってあげる。大丈夫よ、ちよ』
その言葉は、凍える夜に差し出されたかがり火のようだった。
外で「変な子」だと言われ、どこにも居場所がなかった私にとって、唯一の味方はこの「聖女」という規律だけだった。彼女は私を否定しない代わりに、私から「私自身」である権利を奪い取った。私の疲れも、悲しみも、肉体の悲鳴も、すべてを善意で塗り潰して。
「お前が『変』でなくなるために、彼女はお前を殺し続けたんだ」
観測者の声が、静かにその依存関係を暴く。
「悪意でお前を攻撃したんじゃない。お前を『普通』という枠に無理やり押し込めることだけが、お前を救う唯一の道だと信じ込んでしまった。それが、聖女の暴走の正体だ。自己犠牲という名の薬を過剰投与し続け、ついには副作用でお前の体を腫瘍で焼き切った。……それでも聖女は、お前の耳元で『大丈夫』と囁き続けていただろう」
普通になりたい、それは、きっと私が最初に願ったものなんだ。普通になりたかった。道端に無造作に落ちている砂利石のように、ただそこに在ることを許されたかった。
私の脳裏に、かつての家の景色が浮かぶ。
そこには、私の平穏をかき乱し、常に「正しくあれ」と強いる、あの巨大な『神』がいた。
家にいる神が、心底邪魔だった。祈りに心なんて込められなかった。
家族には言えなかった、彼らは人生をかけて信仰していたからだ。
そうなれない自分が駄目なんだと思った。家の中の『普通』にもなれず、外の『普通』にもなれなかった。
ーーさみしかった。
今の日本で、多様性という言葉が風に乗ってどこまでも広がっているように見えます。
夫婦別姓の議論、女性の権利、そして「男らしさ」「女らしさ」という古い殻を脱ぎ捨てようとする働き方改革。個々が個々として呼吸することを許され始めたこの流れを、私は心から素晴らしいと思っています。いい時代になってきた。そう肌で感じています。どんどん行こうぜ!と思います。
でもね、その光が届かない場所で、じっと息を潜めている「多様性」があるんです。宗教の多様性に関しては、まだまだ立ち止まったままと思っています。亀です、のんびりさんです。まったりしすぎじゃねえか?と思います。
これほどまでに個人の在り方が尊重される時代にあって、なぜこの問題だけが、腫れ物に触れるように避けられ、フォーカスされないのか。それはものすごく、デリケートな問題だからってのは分かっています。日本社会に深く刻まれたあの事件の数々の傷跡を思えば、一朝一夕に変わることなど、雲をつかむようなもんだと思っていますよ、理解しています。
本来はね、信仰や救いに一銭の金もかからないはずです。本当は、そうあるべきものです。けれど、組織を運営するためには、莫大なお金が必要になる。この矛盾が、どれほど多くの個人の人生を、家族の形を、歪ませてきたことか。私の生家もそうですけどね、ため息でちゃう。
性別や役割の台本を書き換えようとする勇気があるのなら、どうかこの「信じること、信じないこと、そして信じさせられ続けること」の苦しみにも、多様性の光を当ててほしいです。でもなあ、それじゃ、視聴者は面白くないでしょ?もっと見た目で分かる、お金とか社会からの転落じゃないと視聴率取れないんでしょ?メディアだってそこで働く個々の生活かかってますもん。エンタメ系に走るのも分かります。ままなりませんね。私15年、新興宗教の幽霊部員です。はやく破門にしてほしいけど手続きに行ったら、「そう考えるくらいつらいことがあったのね、さあ、こちらへ来て。お話しましょ」って取り込まれるような気がするからいけません。活動も献金もしていない、名簿に名前が載っているだけ。子どもたちや婚家を巻き込むわけにはいかんので、もう、そのまんまにしてます。自動除籍してほしい。




