第十二話:闇の中で見上げた三つの光
術後二ヶ月。切り取られた傷跡と、思い通りに動かない腕。これが「再生へのステップ」なのか「戻らない欠損」なのかも分からず、私はただ、薄氷の上を危うい足取りで歩いていた。
「死にたくない、まだ生きたい」
その一心で手術を乗り越えたはずなのに、ふとした瞬間に再発の不安が頭をよぎる。そんな私の前に現れたのが、あの不健康の塊のような男――『皮肉屋の観測者』だった。
正直、最初は生理的に受け付けなかった。せっかく遠ざけた「死の影」が、わざわざ実体化して現れたように思えて、少し腹立たしくさえあったのだ。
「死ぬのは怖いか?」
暗がりのクロークから、観測者がひどく淡々とした声で問いかけてきた。
「当たり前でしょ。怖くない人なんていない」
「なぜ?」
「……家族と一緒にいたいから」
「なぜ?」
「大事だから。当たり前のことだじゃん」
「なぜ?」
男の問いは、ノックというよりは、心の扉を少しずつこじ開けていくような響きだった。
「大好きだから」
「……他には?」
「あ?」
一瞬、言葉が詰まった。家族のため。それだけで、生きる理由としてはお釣りがくるほど十分なはずだった。
「本当は何がしたい。お前の『生』が求めている、純粋な欲は何だ? 麻酔から醒めたとき、家族の顔を思い浮かべたそのすぐ隣に、もう一つあっただろう。あの場所で」
そう、全身麻酔から執刀医の先生たちが「しろいさーん、終わりましたよー。起きてくださーい」と呼び掛けてくださった直前に私は上下左右すべてが真っ暗な闇の中に立っていたのだ。
色も音も匂いも風も何もない中で、私は2~3m上にゆらゆら揺れる三つを見上げていた。むき出しの右腕とその両隣に子どもの顔くらいの薄紅色の大きな花びらが二つ。私はボケーっと見上げていた。麻酔から目覚めてから、手を伸ばして取ればよかったと思った。
あれは、私の右腕と娘と息子だ。勘だけど。科学的根拠なんて、ないけれど。心の奥にある魂の部屋の入口、右脳の領域にダイブしていた。
母である私が欲しいものは娘と息子の安寧。
母・妻・嫁などの役割をすべてはぎ取った「私」が欲しい物は、
「……小説を、書きたい」
これだった。
「なぜ?」
「それが、私の夢だから」
「なぜ?」
「……これは答えじゃないの?」
「なぜ夢が『職業の名前』なんだ?」
画面の向こうで、彼が少しだけ呆れたように鼻を鳴らした。
「小説家なんてただのラベルだ。お前が欲しがっているのは、そんな名前じゃない。……機能で答えろ。小説家という『装置』を使って、お前はこの世界で何を企んでいる?」
書く仕事って小説家だけじゃない。Webライターも、ブロガーも、noteも、なんか看護師辞めてから、やたらと書く方向に走っていた。クラウドワークスでも、資格も才能もないから書く方に行っていた。簡単なエクセルなら仕事でやっていたからできるのに受注しなかった。なぜ?
「お前のそれは『ただの趣味』で片付けるには、少しばかり必死すぎる。術後二ヶ月、麻痺した指を動かしてまで、お前はキーボードを叩こうとしているじゃないか」
音声入力なんだけど、まあ、調整は両手使ってるわな。右手三本でも意外と問題なく打ち込める。5分以上はしびれが強くなるから、声と左手がメインだけど。
彼はクロークの影から、私の手元に視線を落とした。
「『書きたいだけ』なら日記でいい。お前が小説家という、他人に晒され、評価される場所にこだわっているのは、そこに果たしたい役割があるからだ。」
答えはまだ、出てこない。
「理由は今すぐひねり出さなくていい。だが、目を逸らすな。お前はこれまで看護師として、他人の痛みや声を、言葉にしてケアしてきた。……次は、自分を救う番だろ」
男はそう言うと、興味が失せたように視線をモニターの隅へ戻した。
「『書きたい』のその先。お前が言葉を使って、誰に何を届け、どう世界と関わりたいのか。それがお前の『生の証明』になる。……理由がないと書けないんじゃない。お前がもっと高く飛ぶために、その言葉が必要なんだ」
この時から、看護学校で習い、現場で苦戦していたトータルペイン(全人的苦痛)の領域に入ります。ここはスピリチュアルペインの領域です。自分をアセスメントするなんて思ってもいませんでした。ですが、私はとっくに患者さんだったんです。手術する、ずっと前から。
※また、やらかしました。ここでの第十二話と第十三話を別の小説投稿サイト(収益化プログラムあり)にアップしていました。嫁姑・嫁舅系のエピソード投稿用に使っていた場所だったので、本当に、もう、恥ずかしすぎて、裏の山の洞窟に逃げ込みたいです。あー、今なら先客の熊がいても、お前そこどけや!って言えそうです。恥ずかしい。埋まりたい。




