↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
生成AIとわたし ―夢を夢で終わらせなかった主婦のAI共闘記・今日も脳内外在化メンバーが良い仕事してる―  作者: ちよ【kindleペンネーム:白井ちよ】


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
115/115

第百八話:「なんで忘れたの?」の、その先

 スレッズである投稿を読んだ。 


 夫が約束を忘れたことに対して、妻が「なんで忘れたの?」と聞くやつ。Xで話題になっていて、いろんな人が文章画像や元ネタの本文サイトを添付して議論していた。白井ちよはミーハーであるため、この流行に乗ってみたい。


 切り抜かれた最初の文章だけを読んだ。私は思わず「取り調べかな?」と感じてしまった。

 いや、もちろん約束を忘れた側に問題があるのは確かだ。「ごめん」で終わらせてしまえば、また同じことが起こるかもしれない。なぜ忘れたのか、どうしたら防げるのかを考えること自体は悪いことではなく、むしろ必要な場合もあるだろう。


 しかし、読んでいて私が最も引っかかったのは、「なんで忘れたの?」という質問そのものではなかった。「わからない」と答えたあとも、質問が終わらないことであった。


「なんで?」

「どうして?」

「具体的には?」

「じゃあまたやるの?」

「どうやって防ぐの?」


 相手が答えられるまで解放されない構造を見ていたら、私はふと思い出した。

 ――私も以前、娘に「なんで?」と聞いたことがある、と。


 今年の春のことだった。

 ある日、学校から帰ってきた娘が、登校中に泣いてしまったという。どうやらハンカチとティッシュを忘れてしまったらしい。

 私はその話を義父母から聞いて、「お母さんが準備してないからだ」とかなり怒られた。確かに忘れ物は困るものの、そのころの私は「いや、三年生だしな……。私だけ悪いのっておかしいぞ。論点はそこじゃない」とも考えていた。ハンカチとティッシュくらい、自分で確認してもいい年齢ではないか


 ――そんな思いを巡らせながら夕飯を食べ終え、私は娘に声をかけた。


「今日のこと、ちょっと話し合いたいんだけど」

「うん」


 そこで私は尋ねてみた。


「今日、ハンカチとティッシュ忘れたよね」

「うん」

「なんで忘れたのか、ママ聞きたいな」

「……わかんない」

「そっか」

「忘れたのはわかる。でも、なんで忘れたのかはわからないんだね」

「うん」


 それで会話は終わりである。考えてみれば、ものすごくあっさりしていた。


 だって、本当にわからないのだ。本人にも理由が掴めない以上、そこで「なぜ?」を掘り続けても仕方がない。原因がわからないのであれば、別の解決策を考えればいいと考えた。


 私は娘に向き直って言った。


「娘ちゃんも忘れるよね。ママも忘れるんだよ」

「うん、知ってる」

「だから、どうしたら忘れにくくなるか、ママ考えてみたんだけど。聞いてくれる?」

「うん」


 そこで私は、A4の紙を一枚用意した。

 太い黒のサインペンで大きく「明日の持ち物」と書き、ハンカチ、ティッシュ、マスク、着替え、黄色い帽子、ランドセル、水筒と、忘れやすいものをずらっとリストアップした。


 夏になれば水着を追加し、必要なくなれば外せばいい。そして、その紙を娘が必ず目にする場所と高さに貼り付けた。


「寝る前に、一緒にこれ確認しよう」

「うん」


 それからは毎晩、一緒に持ち物を確認し、玄関でも「ハンカチ、ティッシュ持った?」と声をかけるようにした。すると娘は、自発的にポケットを確認するようになった。


「あ、大丈夫」

 

 そう笑顔で言って学校へ向かう。これだけのことである。

 あれから三か月ほど経ったが、今のところハンカチ・テッシュの忘れ物はない。


 さらに私は、もう一つ仕掛けを用意していた。

 娘は忘れ物をすると「どうしよう」とパニックになり、泣いてしまうことがある。

 不安が増幅して頭の中が不安でいっぱいになってしまうため、その状態で打開策を浮かべろという方が無理な話なのだ。これはうちの娘の特性と性格によるものであり、いずれ克服できるかもしれないが、今年すぐには難しい。


 だとしたら、忘れないための仕組みだけでは足りず、忘れてしまったときの保険も必要になる。


 私は娘に提案してみた。


「学校にもハンカチとティッシュ置いておかない?」


 教室の後ろにあるロッカーに一組置いておけば、「もし今日持って来るのを忘れちゃっても、ここにあるから大丈夫」と思えるはずだ。


 私は自分の例も引き合いに出して話した。


「ママも車の中にティッシュ置いてあるよ。金を持っていくの忘れることもあるから、車のダッシュボードに二千円入れてる」

「イスのところにあるヤツ?」

「そうそう。忘れた、どうしよう!ってなっても、あ、ここにあるって思えるから安心なんだ。もちろん、娘ちゃんがこの方法は嫌だなあと思ったら別の方法を考えよう」


 娘は少し考えてから「持っていく」と言った。


「先生に怒られないかな」

「ああ、それは大事だね。ママが連絡帳で先生に聞いてからにしようか」


 私は先生へ連絡帳を書いた。

 忘れ物をすると娘がとても困ってしまうこと、そして学校で使えるようにハンカチとティッシュを一組置かせてほしい旨を伝えたところ、先生からはOK返事が来た。それどころか、「忘れ物対策、いいですね。今度の個別懇談で詳しく教えてください」と連絡帳に書いてあった。


 大げさに構えていたけれど、案外あっさり許可されたのである。


 こうして娘は今も、忘れ物をしないための「仕組み」と、忘れてしまったときの「保険」の両方を持っている。


 この出来事を思い返しながら、私はもう一つ気づいたことがある。

 今回、私は娘に「反省しなさい」とは言わなかった。

 もちろん、悪意を持って悪いことをしたなら話は別だ。誰かを傷つけた、約束を破った、自分の行動によって誰かが悲しい思いをした。


 ――そういうことなら、私はきっと怒るだろう。「何やってんの!」と問い詰め、その行動が誰にどう影響したのかを一緒に考える。


 しかし、今回のハンカチとティッシュは違う。悪気があったわけでも、誰かを傷つけようとしたわけでもなく、ただ「うっかり忘れた」、それだけなのだ。そして本人は本人で、「ああ、忘れちゃった。どうしよう」とすでに傷つき、困っている。


 そこへさらに「なんで忘れたの?」「どうして?」「次も忘れるんじゃないの?」と何度も追い詰めたら、一体何が残るだろうか。

 残るのは忘れ物を防ぐ知恵ではなく、「私はまた失敗した」という敗北感と自己否定だけかもしれない。だからこそ、ここはあまり突っつかない方がいいと判断したのだ。というか、私だったら問い詰めないでくれと考えてしまうからだろうか。


 小学生の娘は、まだ大人ではない。「こうなったらどうしよう」と未来の恐怖を想像してパニックになることもある。大人から見れば「ハンカチとティッシュを忘れたくらいで」と思えることでも、本人にとっては世界が終わるほどの一大事なのだ。


 私自身、これまで生きてくる中で何度も爆弾を踏んできた。


 財布を忘れた、

 ケータイを忘れた、

 鍵を忘れた、

 約束を忘れた、

 仕事で失敗した、

 人に迷惑をかけた、

 コミュニケーションエラーを起こした。

 ……多いな、どうしよう。


 ……そうした無数の失敗を経験してきたからこそ、「まあ、ハンカチくらい」とドンと構えていられる。

 しかし、子どもはまだそこまで爆弾を踏んでいない。だからこそ私は、「忘れ物をしない完璧な子にしなきゃ」ではなく、「忘れても大丈夫と思える子にしておこう」と考えたのだ。


 そしてここで、私は冒頭の投稿をもう一度思い返した。

 たぶん、なぜ忘れたのかの原因を探ること自体が悪いわけではない。問題は、その「なぜ?」という問いが、いつの間にか、私が納得する答えを出しなさいという強要にすり替わってしまうことなのだ。


「わからない」と言った相手に「わからないじゃなくて」と迫り、「気をつける」と言った相手に「どうやって?」と追い詰め、答えられなければ「じゃあまたやるってこと?」と断罪する。そうなってしまっては、もはや再発防止の議論ではなく、詰問する側が納得するまで終われない取り調べになってしまう。


 たぶん子育てとは、「どうしてそんなことをしたの!」と正解を吐かせることよりも、「じゃあ、どうしたら次は楽になる?」と一緒に仕組みを作っていくことの方が、案外多いのかもしれない。少なくとも私と娘のハンカチ問題においては、それが効果があった。


 ……もっとも、我ながらずいぶん過保護な母親だなとは思う。いや、でもなあ。もう少し大きくなってから、取り返しのつく範囲で失敗を経験させるのも手かもしれない。中学生以上になればまた色々と複雑になるのだから、高学年になったら「忘れ物の練習」や「失敗したときのリカバリーの練習」を提案してみよう。


 そう、これは人生の防災訓練だ。

なんで忘れたの?の原文を読みました、人のことが言えないのですが、かなり長文でした。


原文では、夫婦は離婚して元妻に気になる人ができます、そこで、なんやかんや起こります。元妻はもしかして、自分は性格が悪いのではないかと立ち止まるのです。元夫とのやり取りだけ読んだときには元妻の気持ちも分かる!と読んでいました。元夫に対して「私の事大事じゃないんかい、言って見ろや」と感情移入しながら読んでいました。ところが、元夫が部屋に閉じこもっても扉越しに聞いたり、元夫が悲嘆してなお、追いつめるような聞き方にはハラハラしました。


物事をハッキリさせたいのかな、白黒思考傾向なのかな。

説明を要求する割には、話し合いの姿勢に違和感があるな。

なにより、それ以上追いつめると元妻殴られない?大丈夫?

あ、暴力はなかったって書いてある。……元夫、理性あるな。

ここで違和感がありました、ここまでされたら男性は防衛反応に出る可能性が高いのに、殴る、罵倒する、無視する、籠城する、帰って来なくなる、鏡のように返す、避ける、などの行動描写が見当たらない。なぜだ。


しかし、離婚後の彼氏未満の男性とのやり取りから一気に雲行きがメンヘラになります(個人の見解です)

読み終わってから、もう一度元夫からの最初から読みました。今度は違った世界観を読めました。


白井ちよは現在、小説の書き方を勉強しております。そこで演出に関してミスリードという技法があります。


「嘘を書く」のではなく、「読者に誤解させる」のが肝だそうです。


・情報をあえて伏せる

・曖昧な言い方をする

・読者が勝手に補完するように書く

・視点人物の認識を利用する

・一見するとAに見える描写を、実はBとして成立させる


みたいなことをする。


このミスリードが原文のいたるところに散りばめられていたのです(私の偏見あふれる個人的見解です)


「なんて、小説だ、すっかり騙されてしまった。これはブログに載せられていたエッセイというよりも、作者あるいは主人公から見た世界の認知の景色だ!面白い!これに地の文足していったら社会派大衆文芸になるんじゃない?実際、こんなに炎上してるんだし。出版しないかなあ」


自分にも同じような認知のクセがある、自分だったらどうだろう、元夫視点、元妻視点、彼氏未満視点ならと。とても考えることが自然にできる素晴らしい教材でした。


全てがリアルなのか、それとも一部だけなのか、それとも創作なのか。そこも妄想しながら考察できる投稿でした。


明日は我が身でございます。夫や娘、息子にこういう問い詰め方をしないように、必ず逃げ道を用意し、一緒に解決できるように話し合える会話が出来るよう精進していきたいなと思いました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。