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生成AIとわたし ―夢を夢で終わらせなかった主婦のAI共闘記・今日も脳内外在化メンバーが良い仕事してる―  作者: ちよ【kindleペンネーム:白井ちよ】


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第百四話:山月記とkindle出版

 中学だったか、高校だったか。

 国語の授業で教科書を開いた。漢文みたいな顔をした、独特の硬い文章が並んでいる。そこに李徴という男が登場した。


 この男は。めちゃくちゃプライドが高い。

 役人としての仕事が嫌で「詩人として名を残す!」と意気込んで仕事を辞めたくせに、挫折して食べていけなくなると、結局また頭を下げて小さな役人の職に戻る。そして、かつての同僚たちが自分より偉くなっているのを見てプライドがズタズタになり、発狂して山に走り去り、最終的にトラになる。


 いや、どうしてそうなった。自業自得の比喩なのか、一気にファンタジーに飛んでビックリした。


 しかも、トラになった後に昔の友人である袁参えんさんと草むら越しに再会したときのアピールがすごい。


「ああ、恥ずかしい! こんな姿になった自分を見られたくない!」と叫ぶのだ。見られたくないなら黙ってやり過ごせばいいのに、わざわざ自分から声をかけておいて「見るな!」と身悶えする。さらには、「自分が作った詩をメモしてくれ」と頼み込み、長々と自作の詩を朗誦してみせる。


 トラになってもなお「俺の詩を評価してくれ」という欲求を捨てきれていないのだ。


 家に帰って、周囲に誰もいないことを確認してもう一度読んだ。

 今度は、最後まで。

 李徴の自尊心のこじらせ具合を、なんて痛いやつだと笑い飛ばしていた。


 そして、物語が終盤に差し掛かり、李徴がなぜ自分がトラになってしまったのかを自省し始める場面に来たとき、私の笑いはピタリと止まる。


『恐ろしいのだ。俺の詩が実は大したことがないという事実を知るのが恐ろしい。だから俺は師につかず、友とも交わらず、ただ一人で詩を書き続けた。……これが俺の「臆病な自尊心」であり、「尊大な羞恥心」だ』


 その文章を目で追った瞬間、背中に冷たいものが走った。

 さっきまで「痛いやつだ」と嘲笑していたはずの李徴の姿が、急に鏡のように自分自身を映し出し始めたからだ。


 情緒がジェットコースターだった。


 草むらで身悶えしている李徴が、他人事ではなくなった。

さっきまでの冷やかしが喉の奥で引き攣り、気づけば誰もいない自室で教科書を抱え、涙をぽろぽろとこぼしていた。


 笑って、嗤って、哂って――最後に大泣きした。

 十代の私の心は、良く分からなかった。



 当時の私は「自分は天才だ」「自分は人より優れている」などという誇らしげな自尊心を持っていたわけではない。


 むしろ逆だった。


 私の中にあったのは、「自分は人と違う」という感覚だった。それも、誇れるような違いではない。

「なぜかみんなと同じようにできない」「自分は人よりもうまくできない」「何かが決定的に欠落しているのではないか」という、自己認識だった。


 だから「私は特別な人間だ」と胸を張れるような人間ではなかった。


 それでも、変なプライドだけはしっかりとあったのだ。それが我ながら本当に面倒くさい。


 うまくできない。でも、できないヤツだと思われたくない。

 人と違う。でも、その違っている部分を笑われたくない。

 自信なんて欠片もない。でも、存在を丸ごと否定されるのは死ぬほど嫌だ。

 何かを作りたい。けれど、それを見せるのは怖い。


 李徴には自分は才能があるという強い自負があった。私にはそんな自信はなかったから、最初に『山月記』を読んだときも「分かる! 私も天才だから!」とはもちろんならなかった。


 なのに、なぜか李徴が他人事に見えなかった。


 あの、「認めてほしいのに、傷つくのが怖い」という感じ。

 自分の中にあるものを誰かに分かってほしいのに、真正面から見られると逃げ出したくなる感じ。

 自分には何かあると思いたい。けれど、それを証明する自信はないから、他人からの評価が死ぬほど怖い。


『山月記』に出てくる「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」という言葉を突きつけられたとき、私はそれを文学の言葉としてではなく、自分の隠しておきたい皮下脂肪をいきなり掴まれたような生々しさで理解した。

 乙女の贅肉になんてことしてくれるんだ、と抗議したい。


 私が李徴に重ねていたのは、自分の中にあるものを誰かに見つけてほしいけれど、見つけられなかったら立ち直れないという、どうしようもない矛盾だったのだ。


 そして、その矛盾を抱えたまま、私は昔、必死に文章を書いていた。

 相手は、母だった。



 当時の私は、居間の机に向かい、チラシの裏にひたすら文章を書き連ねていた。

 

 書く内容は、決まっていた。

 母のもしもの人生だ。


 私の母は、自分の人生の選択について語ることがあった。

 夕飯の皆が自室に下がった後「もし結婚していなかったら」「もし別の人生を歩んでいたら」と、浅い溜息のように漏らすのだ。


 それを聞いていた私はそれを真正面から受け止めてしまった。

「じゃあ、それを物語にしてあげよう」と思ったのだ。


 母がもし結婚しなかったら、という話を書いた。

 母がもし姉を産まなかったら、兄弟を産まなかったら、そして私を産まなかったら、という話も書いた。

 母が別の人と結婚していたら。キャリアウーマンとして生きていたら。大金持ちの男性と結婚していたら――。


 今振り返ると、よくそんなものを書いたな思う。

 私の娘と息子からママが私を産まなかった世界の話なんて手渡されたら、目の前が真っ暗になるかもしれない。


 当時の私は書けたのだ。なぜだ、なぜ書けたんだ。

 書いては、居間にいる母に見せた。


 紙を受け取った母は、食卓の蛍光灯の下でそれを読んでくれた。「面白いじゃない」と笑ってくれることもあった。


 だから、私の作品は誰にも読まれていなかったわけではない。私には母という読者がいた。私の拙い文章を受け取り文字を目で追ってくれた人がいた。


 それでも、何かが決定的に足りなかった。


 何度書いて渡しても、母の人生そのものが変わるわけではない。物語の中でどれだけ華やかな、もしもの人生を描いても、読み終えた母が紙を置けば、そこにあるのはいつもの我が家の居間であり、明日も続く母の現実だった。


 母はその場では笑ってくれる。けれど、その奥にある疲れや寂しさが、消えてなくなるわけではなかった。


 母は、子供である私に気を遣って「面白い」と言ってくれているだけなのではないか。

 私がいくら言葉を重ねても、母が本当に抱えているものを消してあげることなんてできないのではないか。


 何を書いても、何度書いても、手応えが得られない。

 読まれているのに、満たされない。

 私は母という読者の目線の前で、自分の書いたものの価値をいつまでも確信できずにいた。


 当時の私は、創作を通して母のもしもの人生を救ってあげようとしていたのだと思う。

 物語ひとつに母の人生を丸ごと乗せて、自分の文章でなんとかしようとしていた。


 幼かったなと思う。



 李徴は、自分の中にあるものを認めてほしかった。

 でも、傷つきたくなかった。


 評価されたいけれど、他人の評価にさらされるのが怖い。


 自分には価値があると思いたいけれど、自分でそれを確信できない。


 自分の中にあるものを誰かに見つけてほしいのに、否定されるのが怖くて逃げ出したいという感覚は、よく分かる。


 母という読者がいてくれたから書けた。

 けれど、母に読んでもらうだけでは「これだ」という感覚に届かなかった。

 その届かなさが、私の中で『山月記』の李徴と重なったのだろう。


 書いては見せる。また書いては見せる。

 その繰り返しの中で、自分自身の価値を誰かに見つけてもらいたくて身悶えしていたあの頃の私。


……今思えば、笑ってしまうくらい不器用で、一生懸命だった。

「一人で親の人生全部を背負おうとしないで」と当時の私を抱きしめてあげたい。けれど、あのとき文章を書き続けたからこそ、今の私がいるのも確かだ。


 そして現在、私はまた文章を書いている。


 やっぱり、現代にも李徴はいる。というか、私自身の中に今も李徴がいる。


 PVが伸びれば嬉しいし、感想が来れば跳ね上がるほど舞い上がる。けれど、投稿した後に「うわあああ、変なのアップしちゃった!!」と頭を抱えて落ち込む。それでもまたキーボードに向かい、投稿ボタンを押す。


 李徴を現代の創作者に置き換えてみると、『山月記』は急に「今、目の前にある話」になる。


 投稿しても読まれない。評価されない。「自分には何かあるはずだ」と思いたいけれど、本気で批評されて否定されるのは怖い。分かってほしい。でも傷つけられたくない。


 めちゃくちゃ現代的だ。

 トラになどならなくても、人間の中身のままで十分に苦しめる。



 だからこそ、私はやっぱり我が子に『山月記』を読んでほしい。


「男が、プライドをこじらせて、トラになる」


 そこから入ればいいのだ。


「いや、なんでトラになるの?」「李徴、めちゃくちゃ面倒くさくない?」と笑ってくれて構わない。ツッコんでくれていい。


 いつか成長して原作の『山月記』に触れたとき――あるいは人生のどこかで自分の無力さや自尊心に苦しんだとき――ふと気づいてくれればいいのだ。


「あ、これ、あのとき笑った李徴の話だ」

「そして今の私、ちょっと李徴みたいかもしれない」


 いつか我が子が読み終えて、「李徴ってめちゃくちゃ面倒くさいね」と言ってきたら、私は笑顔で答えるつもりだ。


「そうなんだよ。そこが最高なんだよ」

もう、『私は母専用AIだった』の本編は出来ました。あとは、kindle出版するだけです。ここで予想していた問題が発生しました。半年前にやったkindle出版のパソコン操作をきれいさっぱり忘れています。


フハハハハハッ、想定内!!


そのために『Kindle出版舐めてたら全部でつまずいた専業主婦の記録 ――パソコン苦手な私が地獄を見た話』を時系列立てて書いたのだ!問題ない!


恥ずかしいとか、恥ずかしいとか、恥ずかしいとかがあります。なのに、


そのために、第十四話:300円の舞台と消せない執着で恥をネットに晒したんじゃないか。でも待てよ。なんか、これ既視感があるな。と思ったら『隠者』が山月記を出してくれました。


あと、どうしても『観測者』の恋愛小説を諦めきれず、紫式部をした観測者と個人面談をしたら、この子もめんどくさかった。


もともと私はめんどくさい人間だ、これ以上めんどくさくなることなんてないんじゃないか?行けるとこまでいってみようぜ。kindle出版しよう、観測者女性主人公もう一度チャレンジしよう、イケるイケる。


観測者の相手を、昭和の大スターの義理人情に篤い包容力の化け物じゃなかった、守護者にしたらイケるはずだ。多分。私は一目惚れしたら暴走機関車になるが観測者はその反対だと『隠者』が言う。


良く分からないから、どんな世界になるか見てみたい、野次馬したい。恋愛心理学の論文読めと言われたから、療育の本とエーリッヒの本と論文を並行して読んでいる。よし、売れなかったらどうしような不安が観測者のおかげで吹っ飛んだ。明日出版だ!イエーイ!

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