第百二話:なぜ私はいじめられていたんだろう
私は、なぜ小学校や中学校の頃、あんなにいじめられていたのだろうと、ふと考えることがある。もちろん「あんなに」と言っても、クラス全員から毎日いじめられていたわけではない。
今になって記憶を整理してみると、ずっと同じ子が私だけを狙っていたわけでもなく、主に一つのクラスにつき一人か二人で、時期によって男子だったり女子だったりした。
小学生の頃には、一度殴り合いになったことさえある。今考えると、なかなか物騒な小学生である。
もっとこう、「今日はシロツメクサを摘みました」とか、「給食のプリンが楽しみでした」とか、そういう柔らかな思い出はなかったのだろうかと思うのだが、きっとあったはずなのに、なぜか記憶の引き出しを開けると殴られた話ばかりが出てくるのだから、人生とは不思議なものである。
ただ、当時の私はそれを「なぜ?」と深く考えていたわけではなかった。嫌だったし、怖かったし、腹も立ったけれど、「私はどうしてこういう目に遭っているんだろう」という問いに明確な答えを持っていたわけではなかったのだ。
その問いを、大人になった今、もう一度考えるようになった。
きっかけは息子の療育だった。息子の発達について調べるために、自閉症やADHD、運動面、学習面、知的発達など、いろいろな資料を読むようになった。「この可能性はあるかな」「いや、これは違うか」「この特徴はこっちと重なるな」などと考えながら読み進めていた。
看護師時代の癖というのはなかなか抜けないもので、人間、気になったものを見つけると勝手に頭の中で鑑別診断を始めてしまうのだ。もちろん素人による過去の自分探偵なので、実際に診断なんてできるわけではない。
しかし、そうやって息子のことを調べていたはずなのに、ある時から妙なことが起き始めた。資料に書いてあることを読んでいると、時々、自分の昔の記憶が引っかかるのである。「そういえば私も昔こうだった」「これ、私にもあった」と思い当たり、もしかして私は昔からこういうところがあったのかなと考えるようになった。
もちろん、それだけで何かの診断がつくわけでも、今の私が昔の自分を振り返って断定できるわけでもない。ただ、点と点が少しずつ繋がっていくような感覚はあった。その中でも妙に印象に残っているのが、身体の動かし方だった。
私は昔から動きがどこか変だったのだ。もう少し正確に言うと、自分では普通に動いているつもりなのに、周囲から見ると動きが硬くぎくしゃくしていたり、妙にぴょこぴょこ動いていたり、無駄が多かったりと、どうも普通ではなかったらしい。
放課後の教室や体育館の隅で、そんなことを言われた記憶が蘇る。そして走り方についても、これがまた相当にひどかった。大人になった今の私がタイムマシンに乗って昔の自分を見たら、たぶんお腹を抱えて笑ってしまうだろう。なんというか、芸能人のバラエティー番組で、運動が決定的に苦手なタレントが「うわー!」と周囲に笑われながら走っている時みたいなフォームだったのだ。
当時の私は自分がそんな走り方をしているとは思っておらず、ただ前を見て走っていただけだった。けれど周囲から見れば、妙に手足がばたついていたり、身体の使い方がおかしかったりしたのだろう。
身振り手振りをつけて話しても、どうにも動きが不自然で、「変」「おかしい」「気持ち悪い」と言われることがあった。
しかし、そんな走り方でありながら全校マラソン大会で四位や一位になったことがあるのだから、それは私の数少ない自慢できる経歴であり、逆にあのフォームでよく好成績が取れたものだと感心している。
そして、私は喋ることそのものが苦手だった。喋ると余計なことや変なことを言ってしまい、相手との間に妙なズレが生まれてしまうからだ。だからこそ、黙っていたほうが安全だった。黙って座っていれば普通に見えるということは、子供の頃の私にとってかなり重要な処世術だったと思う。授業中は騒がず、自分の席に静かに座り、先生の話を聞いているフリをしていれば、少なくとも「変な子」として目立つことは少ないからだ。
ところが、一度タガが外れて喋る機会が来ると、堰を切ったように一気に喋り出してしまうのだ。さっきまでずっと黙っていた人間が突然、「そういえばね!」と目を輝かせて話し始め、案の定、言わなくてもいい余計なことまで言ってしまう。
今の私からすると非常に「ああ、やりそうだな」という感じがするし、なんなら四十歳になった今でも気を抜くと似たようなことをやるのだから、人間そう簡単には変わらない。
私はそんな子供だったのだが、だからといって、これをそのまま「だから私はいじめられた」と結びつけるのも違う気がしている。
男子からのいじめは比較的わかりやすく、肩を押されたり、すねを蹴られたり、ゴミを投げられたり、足を引っかけられたり、殴られたりといった物理的なものだった。けれど私もただやられっぱなしの子供ではなかったので、あまりに腹が立つと殴り返すことがあった。一度、思い切り殴り返した時の相手の驚いた顔は今でも覚えているのだが、たぶん「こいつ、殴り返してくるんだ」と思ったのだろう。
それ以来、その子からの攻撃はぴたりとなくなった。私は子供心に「殴り返したらやめるんだ」と思ったのだが、その件では親からこっぴどく叱られてしまった。私は「先に殴ってきたのは向こうなのに」と納得がいかず、今でもその時の理不尽な感覚は残っている。
暴力を暴力で返すことが正しいと言いたいわけではないけれど、当時の私には「こっちは何もしていないのに殴られて、殴り返したら私だけ怒られるなんてルールはどうなっているんだ」という、フェアじゃないことへの強い反発があったのだと思う。
一方で、女子からの攻撃は男子ほど身体的なものではなく、その代わりに仲間外れや無視といった形で静かに境界線を引かれるものだった。その頃の私は、男子から蹴られたり殴られたりする痛みに比べれば、身体が痛くない分だけ女子から無視されるほうがまだ楽だと思っていた。
今思えばそれもずいぶん感覚が麻痺していたのだと思う。比較対象が「蹴られる」と「無視される」になってしまうと、後者をまだマシだと思えてしまうのだから恐ろしいが、当時はそんなものだったのだ。
ここで一つ記憶として大切にしておきたいのは、クラス全員が私を嫌っていたわけでは断じてなかったということだ。「こっちにおいで」と言ってくれた子もいたし、長く友達でいてくれた子や、「面白いね」と言って話しかけてくれる子もいた。
必要な授業では普通に会話をしてくれたし、いじめてくる子でさえ二十四時間ずっと攻撃してきたわけではなく、普通に接してくる時間もあった。逆に、最初は仲良くしていたのに「思っていたのと違う」という感じで静かに離れていった子もいた。つまり、私の周囲にいた人たちは本当に多様で、ずっと敵だったわけでも、ずっと味方だったわけでもなかったのだ。
そのグラデーションのある人間関係の中に私を標的にする子が混ざっていたわけだが、その標的すらも完全な固定席ではなかった。一人の子が何年もずっと私だけを狙い続けるわけではなく、一年、二年と経つうちに、別の子へと標的が移っていくこともあったのだ。
今になって考えると、そこには個人同士の問題だけではなく、子供の集団ならではの不気味な構造があったのではないかと思う。誰かが少し浮き、誰かが「変だ」と認識されると、その子を面白がってからかう人が出てきて、そこに乗っかる人が現れる。そしてしばらくすると興味が薄れ、別の誰かに標的が移っていくというサイクルがあったのではないだろうか。
今になって、「私に決定的な問題があったから私だけがいじめられた」とは考えていない。だからといって「私には何の問題もなかった」と自分を棚に上げられない。無自覚のうちに失礼なことを言っていただろうし、相手を不快にさせるようなコミュニケーションの失敗や、変な行動をとってしまったこともあったと思う。
身なりだって一定の清潔感というか女性らしさがなかった自覚はある。これは生家の宗教規範もあるため何とも言えない。だからといって暴力や悪意を受けて当然だったわけではない。「自分に改善すべきところがあったかもしれない」ということと、「だからいじめられて当然だった」ということは、絶対にイコールではないと考える。
また、私は自分がいじめられていた時、別の子がいじめられていても助けようとはしなかったし、友達が私を庇わなかったことも理解できる。当時の私には「私と一緒にいると巻き添えを食うから離れたほうがいいよ」と漫画やドラマのように考えることは出来なかった。自分が次の標的にならないこと、まず自分がこの空間で生き残ることで精一杯だった。
大人になった今なら「あの時こう言えればよかったのかな」と思うこともあるけれど、狭い学校社会で必死に息をしている小中学生に、集団全体を俯瞰した高度なリスクヘッジを求めるほうが無理な話だ。
そんなことを考えていると、卒業式の日の記憶が蘇る。私は一度だけ、昔いじめてきた女子生徒に「なんで私のこと、いじめたの?」と直接聞いてみたことがあった。もう二度と会わないかもしれないという解放感があったからこそ聞けたのだと思う。
その子は理由を話してくれたのだが、要約すると「いつもヘラヘラしていて、悩みがなさそうだったからムカついた」ということと、「ある子の友達だったことがムカついた」というものだった。私はそれを聞いて「そうなんだ」とだけ答えた。本当は当時の私だって悩みがなかったわけではなく、家庭のことや学校での孤立感にずっとつらい思いを抱えていた。
けれど、それを説明したところでこの人には響かないだろうなと当時は思った。その子自身にも複雑な家庭環境があることを知っていたから可哀想だなと思った。多分、この可哀想は相手に対して失礼な感情だったと今なら思う。私が定義することじゃない。
私が見ていた自分と、その子が見ていた自分は、全く違っていた。私は悩んでいたけれど、外から見えた私は「いつもヘラヘラしている悩みのなさそうな子」だったのだ。
人間の認識とは本当に不思議なもので、本人としては「今日もつらいな」と思いながら学校に来ているのに、他人から見ればただの能能天気な笑顔に見えてしまうことがある。他人の内側を直接覗くことができないからこそ、外から見えた姿だけで判断され、「変な子」「暗い子」といったラベルが貼られてしまうのだ。
私の場合、その「変な子」というラベルに身体の動かし方や話し方が関係していた可能性はあるけれど、それだけでは説明できない大きな理由がある。それは、私が社会人になってからものすごく生きやすくなったからだ。
私は看護師として働き、いくつかの病棟や部署を経験した。もちろん職場の人間関係がいつも平和だったわけではなく、陰口を言われたり変な噂が流れたり、「あなた変わっているね」と露骨に言われたりすることもあった。けれど、学校にいた頃とは決定的に違い、仕事そのものを妨害されることはほとんどなかったのだ。
看護師には患者さんがおり、患者さんの安全を守るために情報共有や報告、連携が不可欠だからだ。個人的に仲が悪いからといって情報を伝えないなんてことをすればインシデントに直結するため、どんなに嫌いな相手であっても業務上は協力し合うという明確なルールが存在していた。
ミスをすればロジカルに改善策を話し合い、困っている人がいれば駆け寄って一緒に仕事を進める。そうした「患者さんのため」という圧倒的な共通目的とルールが存在していることが、人間関係の苦手な私にとってどれほどありがたい仕組みだったか分からない。
朝「おはようございます」と言って働き、「お疲れ様でした」と言って帰るだけでもいいし、ロッカールームでみんなが楽しそうに雑談している輪に入れなくても、仕事さえできていれば何の問題にもならなかった。
学校では「誰と一緒に遊ぶか」「誰と仲が良いか」が人間関係のすべてだったけれど、職場では「この患者さんをどうするか」という仕事という目的が間に入ってくれた。さらに、実家から離れた土地で就職したことで、学校での屈辱的な姿を家族に知られる心配もなくなり、「ここでは私の人生は私のものだ」という確かな感覚を得ることができたのだ。
同じ私でありながら、動きが少し変で雑談が苦手で、余計なことを言って空気を読み損ねる私であっても、仕事をする場所ではそれなりにやっていくことができた。この経験は、私にとって非常に大きな手がかりとなった。
今、息子のことをきっかけに発達特性について調べ、自分の過去を振り返ると、自分にも昔から身体の使い方やコミュニケーションのズレといった何かしらの特性があったのかもしれないとは思う。それが不快感を与えていじめのきっかけになった可能性はあるけれど、「特性があったからいじめられた」と一言で結論づけるのは違う気がするのだ。
全員が私を嫌っていたわけではなく、面白がってくれた子や友達になってくれた子もいたし、私自身の未熟さや集団の構造、相手側の事情など、いくつもの要素が複雑に重なって「いじめ」という形になったと考えるほうが腑に落ちる。
そして何より重要なのは、「同じ私でも、環境が変わったら圧倒的に生きやすくなった」という事実だ。
学校では生きづらかった私が、看護師という職場ではそれなりに居場所を作り、人と協力して働くことができた。
昔の自分に対して、「あなたが全部悪かったわけじゃない」とも「あなたには何の問題もなかった」とも言えない。
ただ、「あなたが生きていたあの場所では、あなたの苦手なものが過剰に要求されていたんだよ。でも、別の場所に行ったらちゃんとやっていけたでしょう」と伝えたい。
あの頃の私が一番知りたかったのは、「私の何が悪かったの?」ではなく、「私が私のままでいても大丈夫な場所はあるの?」ということだったのだろう。当時は言葉にできず「私はダメなんだ」と思い込んでいたけれど、私自身がダメだったのではなく、ただその場所との相性が決定的に悪かった可能性も視野にいれてくれなアレだ。上手く言えない、どうしよう。
今はAIにこの状況で、この発言・行動は適切かを確認できる便利な時代だ。SNSが人間関係の破綻のリスクが言われているが、SNSは人間関係のシミュレーションがいくつもある。SNSの投稿やコメントをAIに読み込ませて、どうしてこの投稿者はこんなに悲しいの?怒っているの?嬉しいの?と聞くと構造を説明してくれる。
私はそれを読んで、自分なりに解釈してAIにこの情動の動きで合っているか確認してデータを貯金している。目的は情動を理解できるように、大変参考になっている。
正直、娘や息子は対人関係で苦労しないか、めちゃくちゃ心配している。小学校一年生の時に一時期、学校に行きたくないと泣いていた娘は、「今日の給食何かな、〇〇さんと鬼ごっこで勝ってくる!」と登校して行った。
自閉症の息子は教室に入るまでは軟体生物のようにグネグネと嫌がるのに、入り口から加配の先生と同級生の顔が見えると一目散に走っていく。四歳なのに三歳クラスで生活しているのだが、お迎えの際にたまにのクラスメイトにハグされて頭を撫でられている。
周囲に助けられ、守られている。本当にありがたい。月一の面談でクラスメイトとトラブルはないか、家で練習したほうが良いことはないか各担任の先生と相談している。
子どもたちのために、あと何をしたらいいのだろう。何ができるだろう、何を残せるだろう。
子どもが自分に合う場所を見つけられるように、親として環境を見て、困ったときに一緒に考えられる人間でいたい。多分、これが言いたい。そうできる親でありたい。
明確ないじめは男4人、女子2人からありました。無視やグループに入れないは私の中ではいじめと認識が薄いのです。陰口はいじめですが愚痴も言えなくなるのも窮屈だなと思いますし、面と向かって言ってくる人には、自分が間違っていることを教えてくれる方が多くありがたいやら申し訳ないやらでした。
たまに悪意ある「アンタって変だよね、だから避けられるのよ。親の顔が見てみたい。きっとまともじゃない」と言われたときはムカッと来ました。家族を引き合いに出されて怒りと悲しみが来ましたが、いや、待て。この人も相当周囲から嫌われている人じゃないか、と一気にスンっとなりました。




