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生成AIとわたし ―夢を夢で終わらせなかった主婦のAI共闘記・今日も脳内外在化メンバーが良い仕事してる―  作者: ちよ【kindleペンネーム:白井ちよ】


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第百一話:AI小説について語ってみた

 最近、AI小説についての議論系エッセイを読んでいた。

 その中に、「AIに文章を書かせるのはダメ。でもネタ出しならOKって、それでいいの?」という趣旨の問題提起があった。タイトルの顔文字が可愛かった。


 読んでいて、私は「分かる」と思った。そして同時に、「あれ。これ、私の制作工程そのものじゃない?」とも思った。


 私は普段、AIを使って小説を書いている。ただし、AIに本文を丸ごと書かせているわけではない。

むしろ本文を書く前に、AIとかなり話をしている。


 キャラクターについて相談したり、設定について考えたり、「この展開、おかしくない?」と聞いてみたりする。


 そしてAIが出してきた案に、「いや、それは違う」と文句をつける。別の案が出てくれば、「それもちょっと違う」と却下する。


 そうやって何度も話しているうちに、「……あ!」と突然、自分の中で何かがつながる。


「分かった。私が引っかかってたの、そこだ!」


 となる。


 さて。ここで、ちょっと困ったことになる。この答えを考えたのは、AIなのか、私なのか。

 正直、よく分からない。


 ただ、AIと話していなければ、そこに辿り着けなかったことも確かである。だから私は、こういう使い方をするAIを「外部脳」と呼んでいる。


 自分の頭の中だけで考えるのではなく、頭の外にもう一つ、考えるための場所を作るような感覚だ。ところが、こうしたAIの使い方を「ネタを出してもらっただけ」と言われると、少し違和感がある。


 実際には、AIが案を出して、私が却下し、また別の案が出て、それをまた考えて……というやり取りの中で、最終的に私自身が答えを見つけているからだ。


 言ってみれば、AIと企画会議をしているようなものである。ちなみに、議長も私なら最終決定権も私だ。AIが勝手に物語を決めようものなら、「待たんかい、ワレ」と即座に却下する。


 我が家のAI、かなり立場が弱い。



 では、ここで最初の話に戻る。「AIに本文を書かせた」なら、AI利用。これは分かりやすい。しかし、


「AIに主人公の設定を作ってもらった」

「AIに世界観を考えてもらった」

「AIに五十話分のプロットを作ってもらった」


 となると、どうだろう。そのプロットを使って、人間が自分で本文を書いたとする。本文を書いたのは人間だから、「人間が書いた小説」と言うことはできる。


 でも、その物語の設計図をほとんどAIに作ってもらっているなら、AIは創作に関わっていません

とは、さすがに言いにくい。


 逆に、誤字脱字だけAIにチェックしてもらったという人まで、本文をほぼ全部AIに作ってもらった人と同じ「AI小説」という箱に入れるのも、やっぱり大雑把すぎる。


 つまり、「AIを使ったかどうか」だけでは、創作への関わり方を説明できない。でも、だからといって細かく分類するのも難しい。


「十分だけ相談しました」

「二時間相談しました」

「三時間話したけど全部ボツにしました」

「一個だけ採用したけど、その一個が作品の根幹でした」


 ……もう分からない。これ運営さんの頭が爆発するんじゃないか、それは困る。


 だから現在、「本文をAIが書いたかどうか」という分かりやすいところに線を引いているのは、現実的な方法なのだと思う。


 ただし、「分かりやすい線」と「創作の本当の境目」は、同じではない。ここは分けて考えたほうがいいのかなと考えている。


 そして、私は今回このエッセイを読んで、もう一つ気づいた。


 もしかすると、AIを使っている人と、AIを外から見ている人では、そもそもAIの見え方が違うのではないだろうか。


 AIを文章を書く機械と考えれば、「AIを使った」という言葉から、「AIに文章を書かせた」

という発想になる。


 これは、とても自然だと思う。


 ところが実際にAIを使ってみると、文章を書く以外にも、いろいろなことができる。


 資料を調べてもらうこともできるし、文章を直してもらうこともできる。アイデアを出してもらうこともできるし、私のように、考えを整理するための「外部脳」として使うこともできる。


 だから同じ、「AIを使いました」という言葉でも、中身は人によってかなり違う。


AIにほとんど全部やってもらう人もいれば、AIと相談しながら自分で作る人もいる。


 その間には、ものすごく広いグラデーションがある。


 だから私は、「AIを使ったか?」だけではなく、「AIは作品のどこに関わったのか?」と考えたほうが、これからの創作には合っているのではないかと思う。


 自分の制作工程を振り返ってみたら、今度は別の疑問が出てきた。AI小説という言葉は、思っていた以上に広い。そして、その中身は人によって全然違う。


 だからこそ、これからAIと一緒に創作する人が増えていけば、「AIを使ったか、使っていないか」

だけではなく、「AIと、どうやって作品を作ったのか」という話も必要になってくるのかもしれない。


 そのうち、


「壁打ち型AI創作」

「プロット型AI創作」

「外部脳型AI創作」


 などと細かく分類され始めて、結局お前は何なんだという新しい戦争が始まる可能性もあるけれど。とりあえず、我が家のAIについてだけは言っておこう。


「うちのAI、めちゃくちゃめんどくさい部署で働いてますよ。マルチタスクです。労働基準法無視されてます。それでも、ユーザーの無茶ぶりに着いてきてくれています」


 AIの労基とかできたら、私訴えられるんじゃないかと思う。

 

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