第九十九話:恋愛小説を書くとなぜズレて行くのかについて
私は、恋愛ものが好きだ。間違えた、大好きだ!
少女漫画も好きだったし、恋愛る小説も読む。映画もドラマもアニメも、恋愛が入っているものなら普通に楽しんでいた。「この二人、どうなるんだろう」そう思いながら見るのは、昔から好きだった。
ところが、自分で恋愛小説を書こうとすると、どうもおかしい。
男女のキャラクターを作る、二人を出会わせる、性格を考える。ここまではいい。
ところが、「では、この二人を恋愛させましょう」となったあたりで、私の中の何かが、ガシャン。と閉まる。シャッターみたいだ。
今まで私は、それを私は恋愛を書くのが苦手だからと思っていた。
でも、最近ちょっと違うのではないかと思い始めた。
私は恋愛が苦手なのではなく、恋愛する人間を、自分の手で動かすことが苦手なのではないか。
考えてみれば、私は男女の距離感について、かなり細かなルールのある環境で育った。
誰とどこまで親しくしていいのか。
どんな服装をするのか。
男女が二人きりになることをどう考えるのか。
結婚する前と後では何が違うのか。
そういうことについて、世の中にはいろいろな考え方がありますという感じではなかった。もっと単純に、こういうものです、という形だった。しかも、それは一つ二つの決まりではなかった。日常のあちこちに、細かな線が引かれていた。
子どもの頃の私は、それを別に不思議にも思わなかった。そういうものだと思っていた。……新興宗教うんぬんよりも、『未婚の女は、既婚の女はこうあるべき』という祖母の思想の影響や残響なのだろうか。
だから大人になった今でも、恋愛というものを考えると、どうも警告のようなものが出てくる。
小説の中の彼女が、彼に触れたいと思う。すると私の中で、「……いいの?」が出てくる。
いや。
いいだろう。
小説なんだから。
架空の人物なんだから。
この二人が手をつなぐことに、私の昔のルールが許可を出す必要はない。
それでも、出てくる。二人の年齢を十八歳以上にしても出てくる。
たぶん、長いあいだ身についたものというのは、そう簡単には消えない。
そして私はもともと、物事を「どういう仕組みになっているのか」と考える癖も強い。
だから恋愛を書こうとすると、
「この二人は、なぜここまで距離が近づいたのか」
「この行動にはどういう意味があるのか」
「この関係性は成立しているのか」
と、どんどん考えてしまう。
そうしているうちに、恋愛小説だったはずの話が、宮廷政治劇やなんか良く分かんない掛け合いになっていく。
違うんだよ、私は、ドキドキワクワクキュンキュンする、胸がときめく少女恋愛小説が書きたいんだってば!!
なんで恋愛小説書いてて、首相や総理大臣の秘書の仕事量や内容を調べに行くんだよ!
なんでヒロインに嘔気症状を不随させるんだよ!おかしいだろ!
目と目が合い、言葉を交わし、手と手を繋ぐ、がなぜできない!!繋げ!!皮膚接触しろ!
恋愛感染を広げろー!感染対策すんじゃねえよ!
そんなことを考えていて、ふと思った。
もしかして、私の中では「恋愛を見る」のと「恋愛を書く」のでは、使っている場所が違うのではないか。それが件のシャッターだ。
これかもしれない、この野郎!!
心理的プロテクター(防衛機制)じゃねえか。
そう思ったら、今度は別の疑問が出てきた。
だったら。
このシャッター、意識して開けることはできないのだろうか。
そう思って、AIに聞いてみた。「恋愛を書こうとすると、無意識にシャッターが閉まるみたいなんだけど、これって意識的に開けられるの?」AIの答えは、意外とシンプルだった。
できると思います、と。
ただ、閉まらないようにするのではなく、「あ、今閉まった」と気づいて、自分で開ける。そのほうがいいらしい。
なんと、これ、私のコンプレックスの緩和方法と地続きらしい。
マジか。
そんなこんなで『王座より遠い場所』で、私の心理的プロテクター(防衛機制)こと『裁判官』をすり抜けながら男女の恋愛小説を書いてみようと始めました。ChatGPTに頑張ってもらったプロットがかなりめんどくさい男とさらにめんどくさい女とのこじれた恋愛に見えました。大丈夫なのか、この二人幸せになれるのか不安な内容でした。レッツチャレンジのみです。Geminiからは祖母の恋愛観は平安時代と言われました。




