草原の諸王
一四〇六年十月、ケルレン川上流。
ブンヤシュリーの天幕の前には、朝から馬が繋がれていた。使者たちの馬である。
栗毛が三頭、青毛が二頭、ほかに荷を運ぶ駄馬が数頭。鞍にはそれぞれの部族の印があり、馬を世話する従者たちも、互いに少し距離を置いていた。
天幕の中では、アルクタイの使者が膝をついていた。
「グイリチ・カアンは、まだ我らの主でございます」
使者はそう言った。
「それなら、なぜ余のところへ来た」
ブンヤシュリーが訊くと、使者は少し顔を上げた。
「アルクタイ・タイシは、殿下のお考えを知りたがっております」
「余が何を考えているか、分からぬのか」
「チンギス・カンの御子孫が、再びカアンの位に就かれる。それは承知しております。ですが、そのために誰が兵を出し、誰が牧地を失うのか、まだ分かりませぬ」
使者の言葉に、ブンヤシュリーの側近が眉をひそめた。
かつてクビライ・カアンが築いた元朝は、七十年近く中国を支配した。
しかし一三六八年、明軍によってカンバリクを追われ、カアンは草原へ帰った。
それから二十年後、クビライの子孫であるウスハル・カアンは、明軍の追撃を受けて逃走する途中、アリクブケ系のイェスデルに殺された。
クビライの家によるカアン位の継承はそこで断絶し、草原では諸王が互いに争うようになった。
現在、東モンゴルではグイリチがカアンを称していた。しかし、その血統を疑う者は多く、チンギス家の王族たちも容易には彼を認めなかった。
グイリチがその地位を保っているのは、アスド部を率いるアルクタイの軍事力によるところが大きかった。
そのアルクタイが、今、ブンヤシュリーのもとへ使者を寄越している。
「グイリチは、誰の血を引く」
ブンヤシュリーが訊いた。
「カアンの血を引くと申しております」
「どのカアンだ」
使者は答えなかった。
「ウスハル・カアンが殺されて、まだ十八年だ。その間に何人がカアンを称した」
「草原が乱れておりますゆえ」
「乱したのは誰だ」
「殿下。アルクタイ・タイシは、今度こそ諸部族を一つにするため、殿下にお仕えしたいと申しております」
ブンヤシュリーは使者を見た。
「アルクタイは、何を望む」
「オノン川からケルレン川にかけての牧地でございます」
「そこには別の部族がいる」
「承知しております」
「そなたたちが追い払うのか」
「必要ならば」
ブンヤシュリーは使者を見た。男は視線を下げたまま、答えを待っていた。
「余がカアンになれば、最初にそなたたちの争いを裁くことになるな」
「それがカアンのお役目でございましょう」
天幕の中にいた者の一人が小さく息を吐いた。
ブンヤシュリーはしばらく黙っていたが、やがて言った。
「アルクタイが兵を率いて来るならば、牧地の件は認めよう。ただし、グイリチを連れて来るな」
「グイリチ・カアンを殺せとおっしゃるのでしょうか」
「殺せとは言っておらぬ。カアンを二人も置くつもりがないだけだ」
使者は頭を下げた。
「そのお言葉、アルクタイ・タイシに伝えます」
使者が退出すると、側近の一人が言った。
「アルクタイは、グイリチを裏切るでしょうか」
「裏切るつもりがなければ、あの男を寄越すまい」
「ですが、あの者たちはまだ殿下をカアンと呼びませぬ」
ブンヤシュリーは答えなかった。
天幕の外へ出ると、冷たい風が川の方から吹いてきた。草は黄ばみ、遠くの斜面には羊の群れが広がっている。
各部族の天幕は少しずつ離れて張られ、旗もそれぞれ異なっていた。
ブンヤシュリーのもとに集まった首長たちは、彼に敬意を払っていたが、兵を出すとなれば牧地や戦利品の取り分を求めた。
「今、何騎いる」
「確実に数えられる者は八千ほどです。ほかに三千が来ると申しております」
「三千は数えるな。まだ来ておらぬ」
「はい」
ブンヤシュリーは川向こうの丘を見た。騎兵たちが弓の稽古をしている。射終えた者が馬を止め、次の者に場所を譲っていた。
昨年、ティムールは彼に自分の兵を集めよと命じた。東方へ帰り、チンギス家の名によって諸部族を従えるのだと。
サマルカンドで見た軍勢を思い出した。
バルラスの騎兵、チャガタイ家の王族、ペルシアやホラーサーンから集められた兵士たち。
言葉も習俗も違う男たちが、ティムールの命令で何千里も進んだ。遠征のために馬と兵糧が集められ、将軍たちは割り当てられた部隊を率いて出発した。
あの男には、チンギス・カンの血が一滴も流れていない。それなのに、どうしてあれほどの兵を集め、動かせるのか。
ブンヤシュリーはチンギス家の王族だった。父祖の名を聞けば頭を下げる者は多い。
だが、その者たちに兵を出させるには、まだ手に入れてもいない牧地を約束しなければならなかった。
「オイラトからは」
「返事がございませぬ」
「来るつもりがないのだ」
ブンヤシュリーは振り返った。
「アルクタイには、返事を急がせよ。グイリチが先に動けば、約束は変わると伝えろ」
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モンゴル高原西部。
マフムードの天幕には、明から贈られた絹が積まれていた。青、紅、黄色の反物が木箱に収められ、その脇には銀の器が並んでいる。
明の使者は数日前に帰ったが、贈り物の分配をめぐって首長たちの話し合いが続いていた。
マフムードは西方オイラトの有力首長だった。
東モンゴルのカアンに従うつもりはなく、周囲の諸部族を束ねながら、明との交易も利用していた。
絹や茶、鉄器は草原で高く売れた。馬を持つ者は多いが、絹を織る者はいなかった。
「アルクタイが、ブンヤシュリーに使者を出したそうです」
東方から戻った男が言った。
「グイリチは知っているのか」
「おそらく」
「それなら、アルクタイも急がねばならぬな」
マフムードは絹を箱に戻した。
「ブンヤシュリーは何を約束した」
「オノン川とケルレン川の牧地を与えると」
居合わせた首長の一人が笑った。
「まだ自分のものでもない土地を分けているのか」
「カアンになる者は、そうする」
マフムードは答えた。
「それで、サマルカンドのアミールはどうしている」
「涼州で明国皇帝と戦ったそうです」
「勝ったのか」
「勝負はつかなかったと申しております」
マフムードは顔を上げた。
「どれほど死んだ」
「噂では、双方とも五万を失ったとも、十万を失ったとも」
「十万?」
「そのように申す者もおります。数えた者はおりませぬ」
マフムードは少し考えた。
「それほど死んで、まだ戦っているのか」
使者は答えられなかった。
ティムールの軍が西方で数々の国を滅ぼしたことは、オイラトにも伝わっていた。
デリーの略奪、ルームのスルタンの敗北、ジョチ・ウルスの荒廃。その男が今度はヒターイへ攻め込み、ダイミン・ハーンの軍と戦った。
「ティムールの軍は、まだ河西におります」
「退いていないのだな」
「はい」
マフムードは首長たちを見た。
「ブンヤシュリーは急ぐだろう。ティムールが勝てば、その威を借りてカアンになれる。負ければ、あの男に従う者は減る」
「我らはどうします」
「兵を集めよ」
「ブンヤシュリーと戦うのですか」
「まだだ。アルクタイがどう動くか見てからでも遅くはない」
そこへ従者が入ってきた。
「明の使者から、また書状が届いております」
マフムードは受け取り、読み上げさせた。
永楽帝はオイラトに官職と賞賜を与え、北辺の安寧に尽くすよう求めていた。ブンヤシュリーやグイリチの動向についても、知らせるようにと記されていた。
「ダイミン・ハーンは、我らを自分の兵だと思っているらしい」
首長の一人が言った。
マフムードは笑った。
「馬を売れば絹をくれる。兵を出せば、もっとくれるかもしれぬ」
「では、兵を出しますか」
「誰に向けて出す」
男は黙った。
マフムードは書状を畳んだ。
「馬を贈れ。絹も受け取れ。だが、まだ誰とも戦うな」
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十月、寧夏方面。
永楽帝は軍営で河西からの報告を読んでいた。
涼州の戦いから一月余りが過ぎていた。
明軍は大きな損害を受けたが、各地の衛所から補充兵が到着し、兵糧を積んだ車が街道を東西に往来していた。
負傷兵の多くは後方へ送られ、軍医たちはなお治療に追われていた。
帖木児の軍は涼州の西方に留まっていた。城を攻める構えを見せる一方、騎兵を北へ送り、亦集乃方面の水場を調べているという。
永楽帝は諸将を集めた。
「帖木児は、何を狙っている」
「涼州を奪い、河西を東へ進むつもりでしょう」
「寧夏へ向かう恐れもございます」
「いや、北へ進んで蒙古の諸部族と合流するのでは」
意見は分かれた。
永楽帝は地図を見た。河西回廊から東へ進めば、寧夏、陝西を経て中原に通じる。
南へ進む道もあり、北には砂漠が広がっている。その向こうには蒙古の諸部族がいた。
「南京を狙うこともあり得る」
諸将は顔を上げた。
「陛下、南京まではあまりに遠くございます」
「遠いから来ぬという男ではない」
永楽帝は指を地図の西方へ動かした。
「帖木児は底里まで行き、魯迷の君主を捕らえた。その後、また東へ戻った。あの男にとって、千里の道は戦をやめる理由にならぬ」
張輔が言った。
「では、軍を分けて備えるべきでしょうか」
「分ければ、各個に破られる」
永楽帝はしばらく考えた。
「河西の城を守れ。敵が北へ進んでも、軽々しく追うな。寧夏と陝西には兵を集め、北京にも備えを命じよ」
「北京にも、でございますか」
「本雅失里が兵を集めている。帖木児と呼応すれば、北辺が乱れる」
永楽帝は別の報告を手に取った。
瓦剌は本雅失里に従っていない。鬼力赤はなおカアンを称し、阿魯台の動向は定かでなかった。
蒙古の諸部族は互いに争い、明の賞賜を求めながら、機会があれば国境を越えて略奪した。
「瓦剌への賞賜を続けよ。本雅失里にも使者を出せ」
「帰順を勧めるのでございますか」
「まず、帖木児が何を約束したか聞いてこい」
永楽帝は地図を閉じた。
「敵がどこへ来るか分からぬなら、どこへ来ても戦えるようにしておくほかない」
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十一月、河西回廊。
ティムールの軍営では、翌春の北方進軍に向けた準備が進んでいた。
涼州の戦いで失われた馬を補うため、後方から新たな馬が集められ、各部隊の騎乗可能な兵が数え直されていた。
負傷兵のうち、歩ける者は後方へ送られ、戦列に戻れる者は所属の部隊へ帰された。
ティムールは天幕の中で、シャー・マリクとジャハーンシャー・バルラスの報告を聞いていた。
エチナ方面へ送られた斥候は、水場の位置と深さを調べていた。
北へ進むには軍を幾つかに分け、数日ずつ間隔を置いて進ませる必要がある。数万の騎兵が一度に井戸へ押し寄せれば、水はたちまち尽きる。
「先行部隊がエチナに達するまで十日余り。その先は水場の状況によります」
シャー・マリクが説明した。
「リャンチュの明軍は」
「なお城を守っております」
「二万を残せ」
「承知いたしました」
ジャハーンシャーが言った。
「明軍は、我らが北へ進めば背後を突くかもしれませぬ」
「見張らせよ」
ティムールは地図を見た。
シャー・マリクは別の報告を取り出した。
「ヒターイの捕虜から、軍制について聞き取りました」
明の兵士の多くは各地の衛所に属し、戸籍と軍籍によって管理されていた。
兵の家族は指定された土地に住み、耕作や軍務に従事する。兵糧は地方の倉から集められ、輸送を担う役人が数量を記録していた。
ティムールは報告を聞いた。
「兵は何人いる」
「ヒターイの全土では、百五十万を越えるとも申しております」
ジャハーンシャーが顔を上げた。
「百五十万?」
「軍籍に載る者の総数でございます。すべてが一度に戦場へ出るわけではありませぬ」
「それでも百五十万か」
ジャハーンシャーはシャー・マリクを見た。
「我らが西方で戦った国々の兵を、全て合わせても到底及ぶまい」
「捕虜の言葉です。誇張があるかもしれませぬ」
「半分でも七十五万だ」
ティムールは地図から目を離さなかった。
「城は」
「府、州、県ごとに城があり、軍の衛所も各地に置かれております。数は容易に分かりませぬ」
「ナンキンまで何日だ」
「街道を進むとしても、数か月はかかりましょう。途中には幾つもの大河がございます」
「人は」
「戸籍に載る者だけでも数千万と申しております」
ジャハーンシャーは小さく息を吐いた。
ティムールは地図の東を見た。
「フビライは」
シャー・マリクが顔を上げた。
「何でございましょう」
「南宋を滅ぼすまで、何年かかった」
「フビライが大ハーンとなってから、およそ二十年でございます。ただし、マンジとの戦はそれ以前から続いておりました」
「そのあと、どうした」
「カンバリクに留まり、ヒターイを治めました」
「何年だ」
「三十年近くでございましょう」
ティムールは黙った。
やがて訊いた。
「なぜ帰らなかった」
シャー・マリクは答えられなかった。
ティムールはしばらく地図を見ていたが、やがて立ち上がった。
「水場を調べよ。春までに道を確かめておけ」
軍議は終わった。
******
数日後、キプチャク草原からの使者が到着した。
エディゲの軍が、トクタミシュを討ったという。
ティムールは使者の報告を聞いていた。
「誰が見た」
「エディゲの配下の者が、遺体を確認したと申しております」
「首は」
「まだ届けられておりませぬ」
「誰が殺した」
「エディゲの将の一人と聞いております」
「どこで」
「イビル・シビルのチュメニ近くでございます」
「どうやって見つけた」
「エディゲは一度トクタミシュに敗れ、死んだという噂が流れたそうでございます。トクタミシュはそれを信じ、警戒を緩めたと」
「それで」
「エディゲの者が居所を突き止め、夜襲したと申しております。トクタミシュは馬で逃れようとしましたが、討たれました」
ティムールは黙った。
使者はさらに報告を続けようとしたが、ティムールは手を上げて制した。
「下がれ」
使者が退出すると、天幕にはシャー・マリクだけが残った。
ティムールはしばらく動かなかった。
やがて訊いた。
「エディゲは、ホラズムに兵を出したか」
「そのような報告はございませぬ」
「ならばよい」
ティムールは立ち上がった。
シャー・マリクはその顔を見たが、何も言わなかった。
天幕の外では、馬の蹄を削る音がしていた。誰かが鉄を打ち、槌の音が短く響いた。
トクタミシュ。
若い頃の顔が浮かんだ。サマルカンドへ逃れてきたとき、まだ自分の軍を持たず、父の仇を討つために兵を求めていた男だった。
ティムールは彼に馬を与え、兵を与えた。敗れて戻ってくるたびに、また兵を与えた。やがてトクタミシュはジョチ・ウルスを統一し、サライの主となった。
その男が、タブリーズを襲い、ホラズムを脅かした。
ティムールは天幕の柱に手を掛けた。
馬の蹄を削る音が、まだ聞こえていた。
あの年も、馬の音が絶えなかった。
雪の残る草原を北へ進み、春になってもトクタミシュの姿は見えなかった。斥候が戻るたび、敵はさらに北へ退いたと告げた。
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一三九一年、キプチャク草原。
軍は前年の冬から進み続けていた。
シル川を渡り、雪の残る草原を北へ進んだ。春になっても行軍は続き、幾つもの川を越え、さらに北へ向かった。
トクタミシュは決戦を避け、ティムールの大軍を草原の奥へ誘い込んでいた。
斥候が敵の野営地を見つけても、そこへ到着する頃には既に去っていた。放棄された焚火の跡、馬の蹄跡、捨てられた荷車が、敵の通った道を示していた。
軍の食糧は減り、馬も痩せ始めた。
ティムールは大規模な巻狩りを命じ、騎兵たちを広く散開させて獣を追い立てた。捕らえた鹿や野兎はその場で解体され、肉は各部隊に分配された。
将軍たちは行軍の継続を危ぶんだ。
「大アミール、敵は我らを草原の奥へ誘い込んでおります」
ティムールは地図を見た。
「知っている」
「兵糧が尽きます」
「獣がいる」
「馬が痩せております」
ティムールは顔を上げた。
「トクタミシュの馬も痩せている」
それ以上、誰も言わなかった。
やがて軍は、草原の中に突き出した岩山に達した。
ティムールは側近を伴って高所へ登った。
眼下には、果てしない草原が広がっていた。遠くの丘陵は青く霞み、その間を小さな川が流れている。南方には軍の隊列が続き、荷を積んだ駱駝と馬がゆっくり進んでいた。
ティムールはしばらく黙って周囲を見渡した。
やがて、傍らの将軍に命じた。
「石を集めよ」
兵士たちが呼ばれ、山の斜面から石を運び始めた。
大きな石には縄を掛け、数人がかりで引いた。小さな石は籠に入れて運ばれ、平らな場所に積み上げられた。
軍が行軍を続ける間、選ばれた兵士たちは石を運び、職人たちは岩面を整えた。
それから、ティムールは書記官を呼んだ。
「刻め」
書記官は文言を整え、職人たちに伝えた。
石には、まずアラビア語で神への賛美が刻まれた。
慈悲あまねく、慈愛深きアッラーの御名において。
万有の主、至聖なる御方、真理なる御方、守護し給う御方、すべてを見守る御方、威力ある御方、全能なる御方、叡智ある御方、死を与え給う御方、生命を与え給う御方。
続いて、ウイグル文字でテュルク語の言葉が刻まれた。
ヒジュラ暦七百九十三年、羊の年、春の中月。
トゥラーンのスルタン、ティムール・ベグは、三十万の軍勢を率い、イスラームのために、ボルガルのハン、トクタミシュ・ハンに向けて進軍した。
この地に至り、後世への印とするため、この石塚を築いた。
神の御心ならば、神が正義を行われんことを。
神がこの国の人々に慈悲を垂れ給わんことを。
そして、人々が祈りとともに我らを思い起こさんことを。
職人たちは石を削り続けた。
乾いた岩肌に、一文字ずつ線が刻まれていった。槌の音は風に乗って遠くまで響き、兵士たちは石を運びながらその作業を眺めていた。
数日後、石積みと碑文が完成した。
ティムールは再び高所へ登った。岩面には文字が並んでいた。
彼は碑を見たあと、眼下の草原に目を向けた。そこには、まだトクタミシュの姿はなかった。
ティムールは馬に乗った。
「進め」
軍は再び北へ動き始めた。
六月、ティムールの軍はヴォルガ川の東方でトクタミシュの大軍を捕捉した。
両軍は広大な草原に展開した。
トクタミシュの軍は左右に長く広がり、騎兵たちは弓を構えていた。ティムールは中央に陣取り、諸将に命令を下した。
数か月にわたって追い続けた敵が、ようやく目の前にいた。
戦いは朝から始まった。
まず両軍の前衛が衝突した。騎兵たちは馬を走らせながら矢を射かけ、接近すると槍と剣で戦った。
トクタミシュの軍は激しく抵抗し、ティムール軍の一角を押し戻した。
ティムールは予備の騎兵を投入した。
戦線は幾度も動いた。草原には砂塵が立ちこめ、離れた部隊の動きは見えなくなった。伝令が馬を走らせ、将軍たちは旗を掲げて兵を集め直した。
トクタミシュは自ら騎兵を率いて攻撃を続けた。
その軍はかつてティムールの援助によって再建されたものだった。今、その兵たちがティムールの軍に矢を射かけていた。
午後になっても戦いは続いた。
ティムールは敵の中央が前進し、左右の部隊との間に隙間が生じたのを見た。彼は近くにいた将軍を呼び、騎兵をその隙間へ向かわせた。
敵の一角が崩れた。
そこへ別の部隊が突入し、トクタミシュ軍の隊列が乱れ始めた。
ティムールは追撃を命じた。
ジョチ・ウルスの騎兵たちはなお抵抗したが、やがて各所で退却が始まった。逃げる兵を追って、ティムール軍の騎兵が草原を駆けた。
夕暮れには、戦場の広い範囲が死体と倒れた馬で覆われていた。兵士たちは負傷者を探し、戦利品を集め、捕虜を連れて戻ってきた。
トクタミシュは逃れた。
ティムールは馬上から戦場を見渡した。
彼が王にした男は、また逃げた。
その後も、トクタミシュは生き延びた。
テレク川で敗れ、サライを失い、かつて従えた諸王にも見放された。それでも逃げ続けた。
ティムールは、トクタミシュの最後の姿を見ていなかった。
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「大アミール」
シャー・マリクの声で、ティムールは顔を上げた。
「エディゲへの返書はいかがいたしましょう」
ティムールはしばらく答えなかった。
「首を送らせよ」
「トクタミシュの、でございますか」
「ほかに誰がいる」
シャー・マリクは頭を下げた。
ティムールは手元の地図を見た。ヴォルガ川の東方、かつて大軍を率いて進んだ草原が、その先に広がっていた。
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一四〇七年二月、モンゴル高原東部。
ブンヤシュリーのもとに、アルクタイからの使者が到着した。
使者は以前と同じ男だったが、今度は従者を多く連れ、数十頭の馬を贈り物として持参していた。
「アルクタイは、グイリチから離れる決意をいたしました」
ブンヤシュリーは男を見た。
「グイリチは」
「なお兵を集めております。しかし、アルクタイの軍は既に離れております」
「アルクタイ自身は」
「数日のうちに参ります」
ブンヤシュリーはうなずいた。
「牧地の件は」
「お約束いただけますか」
「認めよう」
使者は頭を下げた。
その日の夕方、ブンヤシュリーは諸部族の首長たちを集めた。天幕には、ケルレン方面の諸部族やアスド部の使者たちが集まっていた。
「東へ進む」
ブンヤシュリーが告げると、一人の首長が訊いた。
「ダイミン・ハーンの軍と戦うのですか」
「必要ならば」
「ティムールの軍は」
「春にはゴビを越える」
「カンバリクを奪ったあと、誰が治めるのでしょう」
ブンヤシュリーはしばらく黙った。
一昨年、彼はティムールに同じことを尋ねた。
かつてクビライ・カアンが治めた土地は、どうなるのか。
ティムールは答えた。
まず、取り戻してみよ。
ブンヤシュリーは首長たちを見た。
「カンバリクは、クビライ・カアンの都だ」
天幕の中が静かになった。
「我らの祖先が治めた土地を、取り戻す」
首長たちは互いに顔を見合わせた。
その夜、軍営では出発の準備が始まった。馬が集められ、矢が配られ、家畜の群れが移動を始めた。
翌朝、ブンヤシュリーの軍は東へ進み始めた。
一方、オイラトのマフムードは西方の諸部族を集め、東方の動きを見守っていた。
河西では、ティムールが春の北方進撃を準備していた。
寧夏方面では、永楽帝が諸将に命令を下し、河西と北辺の守りを固めさせていた。
北京は、なお明の支配下にあった。




