決戦のゆくえ
第七日、夜明けとともにティムール軍の中央が前進した。
ヌールッディーンの騎兵が明軍の前列へ突入し、歩兵の列を押し込んだ。明軍は火器を放ち、弩兵が矢を射かけたが、ティムール軍は攻撃を続けた。
午前中、明軍の前列の一部が崩れた。
永楽帝は丘福に支援を命じた。
明軍の騎兵が側面から突入すると、ティムール軍は後退した。しかし、すぐに別の部隊が現れ、丘福の騎兵を迎え撃った。
戦闘は昼を過ぎても続いた。
双方の騎兵が何度も突撃し、退き、再び突入した。歩兵は倒れた車を押しのけて隊列を立て直し、火器を扱う兵は砲身を冷ましながら次の発射を準備した。弩兵は矢を使い果たすと後方へ下がり、別の部隊が前へ出た。
夕刻、両軍は離れた。
明軍は前列の一部を失ったが、中央の陣を守った。ティムール軍も多くの騎兵を失い、負傷者を収容するために夜遅くまで兵を出した。
翌朝、戦闘は再開した。
ティムール軍は中央へ攻撃を集中させた。ヌールッディーンは自ら前線へ出て兵を指揮し、明軍の槍兵を押し返した。
永楽帝は本営で、その動きを観察していた。
「敵は中央へ兵を集めている」
張輔が言った。
「北方の騎兵も動いております」
永楽帝は地図を見た。
「中央を攻めながら、北から回るつもりだ」
「はい」
「ならば、こちらも中央へ兵を出す」
丘福が進み出た。
「臣にお命じください」
永楽帝は彼を見た。
「敵の前列を破れ。だが、旗を見失うな」
「承知いたしました」
丘福は馬に乗った。
******
第九日。
朝から強い風が吹いていた。
ティムール軍の中央は、前日までの戦闘で疲弊していた。ヌールッディーンは兵をまとめ、明軍の攻撃に備えたが、午前中に丘福の騎兵が突入すると、前列の一部が崩れた。
ヌールッディーンは馬を進め、兵を立て直そうとした。
そのとき、明軍の騎兵が側面から現れた。
槍が交わり、馬が倒れた。ヌールッディーンは敵兵を斬り倒したが、次の瞬間、槍を受けて馬上から突き落とされた。
護衛が駆け寄り、彼を引きずって後方へ運んだ。
将軍が倒れたことを知った兵たちは動揺した。隊列が乱れ、丘福の騎兵がその間へ突入した。
ティムール軍の中央が破れた。
丘福は前進を続けた。
その先の高台に、黒い旗が見えた。
「敵の大将はあそこだ!」
丘福が叫んだ。
部下の一人が馬を寄せた。
「将軍、後続が離れております!」
丘福は振り返った。
後方には明軍の騎兵が続いていた。しかし敵の抵抗が激しく、列が長く伸びている。
「ここで止まれば、敵は立て直す」
丘福は前を向いた。
「続け!」
明軍の騎兵が高台に駆け上がる。
本営の前にはティムールの親衛隊がいた。彼らは槍を並べて明軍を迎え撃った。丘福の騎兵は何度も本営突入を試みたが、親衛隊は退かなかった。
丘福は兵を左右に分けて、敵の側面を攻めさせた。
親衛隊の一部が押し返され、その隙間へ丘福が突入した。
剣を振るい、敵兵を馬から斬り落とす。次の敵が槍を突き出したが、丘福は身を伏せてかわし、馬を進めた。
黒い旗が近づいてきた。
そのとき、丘福は旗の下に人影を見た。白い髭の老人が一団の護衛に囲まれ、馬上でこちらを見ていた。
「帖木児だ!」
丘福は叫んだ。
その声に、周囲の明軍が前へ出た。
******
ジャハーンシャーは敵の騎兵が本営へ迫るのを見て、ティムールの馬へ駆け寄った。
「大アミール、後方へ!」
ティムールは馬上にいた。
護衛の兵が前へ出て、明軍の騎兵を迎え撃った。
しかし敵は退かなかった。
明軍の騎兵が天幕の間へ突入し、槍を振るった。護衛の一人が胸を貫かれ、馬から落ちた。別の兵が敵へ斬りかかったが、背後から矢を受けて倒れた。
ジャハーンシャーは剣を抜いた。
「旗を守れ!」
黒い旗の周りに親衛隊が集まった。
そのとき、明軍の騎兵が一騎、護衛の間を抜けてきた。
槍の穂先がティムールへ向かう。
護衛の兵が馬を寄せ、槍を受け止めた。穂先はその男の脇腹を貫き、男は声もなく落ちた。
ティムールは剣を抜いた。
敵兵がさらに近づいた。
ジャハーンシャーは、かつてシーラーズで起きた戦いを思い出した。
一三九三年、ムザッファル朝のシャー・マンスールがわずかな騎兵を率いてティムール本隊へ突入したとき、ティムールは親衛隊から引き離された。
シャー・マンスールは大剣を振り下ろし、ティムールの兜を二度打った。金属の音が響き、三度目の剣が振り上げられたところへ、ようやく味方が駆けつけた。
あのとき、ティムールは自ら剣を振るっていた。
今も同じだった。
しかし、あれから十三年が過ぎている。
ティムールは足が不自由で、馬を動かすにも時間がかかる。敵の槍を避けようと馬を向けたが、周囲には倒れた兵と馬が折り重なり、進む道が狭くなっていた。
明軍の騎兵が剣を振り上げ、ティムールはその刃を受けた。
腕に激しい衝撃が走った。
相手はさらに馬を寄せてきた。
ジャハーンシャーが横から斬りかかり、敵兵を馬から叩き落とした。
「大アミール!」
ティムールは彼を見た。
「旗を下げるな」
普段と同じ声だった。
ジャハーンシャーは息を呑んだ。
ティムールの剣には血がついていた。
「左の予備を呼べ。ここへ向かわせよ」
ジャハーンシャーは伝令を走らせた。
その直後、明軍の騎兵がさらに突入した。
本営の外側の天幕が倒れ、馬が暴れた。護衛の兵たちはティムールを囲んで戦ったが、次々に倒されていった。
ティムールは剣を握り直した。
敵の槍が迫る。彼は馬をわずかに動かし、穂先をかわした。剣を振るうと、刃が敵兵の腕に当たった。相手は叫び、手綱を離した。
その間に護衛が敵を押し返した。
しかし、別の敵兵も横から迫っていた。
ティムールは一瞬、黒い旗を見上げた。
風にあおられ、布は大きく広がっていた。
******
丘福は敵の本営へ迫っていた。
黒い旗の下に、白い髭の老人が見えた。
あれが帖木児だ。
丘福は馬を進めた。
部下が叫んだ。
「将軍、敵の騎兵が戻ってきます!」
丘福は振り返らなかった。
あとわずかだった。
彼は馬腹を蹴り、槍を構えて前へ出た。
その瞬間、矢が馬の首に突き立った。
馬が大きく跳ね、前脚から崩れる。槍が手を離れ、丘福は地面に投げ出された。
息が詰まった。
起き上がろうとすると、右脚に強い痛みを感じた。見ると、脚は馬の下敷きになっていた。
護衛が駆け寄り、馬を押しのけようとした。
「将軍!」
丘福は起き上がれないまま、剣を抜いた。
「前を守れ!」
護衛たちが敵を迎え撃った。
ティムール軍の騎兵が突入し、槍が交わった。明軍の兵が一人倒れ、別の兵がその前へ出た。
丘福はようやく脚を引き抜いて、立ち上がった。
激痛が走る。
骨が折れているかもしれない。
目を上げると、すぐそこに黒い旗が見えた。十数歩の距離しかない。
老人はまだそこにいる。
丘福は前へ進もうとした。
敵兵が槍を突き出した。
丘福は剣で払ったが、穂先が脇腹に刺さった。灼熱感が全身を走る。
彼は歯を食いしばって、敵兵へ斬りかかった。
相手が倒れた。
丘福も地面に膝をついた。
護衛が彼の背を支えた。
「将軍、お下がりを!」
丘福は何か答えようとした。
しかし、もう声は出なかった。
口の中に血の味が広がっていく。
遠くで明軍の太鼓が鳴っている。
丘福は顔を上げた。
黒い旗が、まだ風に揺れていた。
「進め……」
かすれた声が漏れた。
護衛が顔を近づけた。
「将軍?」
丘福はもう一度、旗を見た。
そして、そのまま動かなくなった。
******
永楽帝は丘福の戦死を知った。
伝令は泥にまみれ、息を切らしていた。
「丘将軍が討たれました。敵の本営まで迫りましたが、護衛も多くが倒れ、遺骸を収容できませぬ」
永楽帝は前方を見た。
丘福の部隊はティムール軍の中央を突破していた。しかし、敵の親衛隊に阻まれ、後続が続けなくなっている。
「張輔を出せ」
永楽帝が命じた。
「丘福の軍を支えよ。突破口を広げる」
張輔は予備の騎兵を率いて前進した。
明軍の中央が再び動いた。
ティムール軍は本営を守ろうとしたが、前列が崩れ、後方へ退く兵が現れた。
永楽帝は馬に乗った。
周囲の将校が驚いて進み出た。
「陛下、前方は危険にございます!」
「丘福の兵がまだ戦っている」
黄色い龍旗が前進する。
明軍の兵たちは皇帝の旗を見ると、声を上げた。退いていた兵が足を止め、騎兵が隊列を組み直した。
永楽帝は馬を駆りながら前方を見た。
そこには敵の黒い旗があった。
その下に、白い髭の老人がいた。
ティムールもまた、黄色い龍旗が迫ってくるのを見た。
二人の間には、まだ多くの兵がいた。
それでも、砂塵が一瞬薄れたとき、互いの姿が見えた。
永楽帝は戦場の只中で馬を止めて、前方の高台を見上げた。
西方から現れ、諸王を破り、天竺へ兵を入れ、欽察の地でも戦い、大食の旧地、沙姆の城々を蹂躙し、魯迷の果てまで兵を進めたという老人。
数日にわたって明軍を攻め、退き、また攻めた軍は、その老人の命令で動いていた。中央を崩して見せ、追撃を誘い、左右から包む。しかも本営に敵が迫ってなお、旗は下がらなかった。
永楽帝は敵の黒い旗を見続けた。
ティムールも黄色い龍旗の下にいる男を見下ろした。
そこにいるのは明軍の皇帝だった。
かつてフビライが座したヒターイの龍の玉座に座る者。チンギズの家が失った東方を治める男。カンバリクから兵を起こし、甥を破って帝位を奪い、自ら天子となった男。
彼は兵を前へ出し、退く部隊を立て直していた。周囲の将校が次々に馬を寄せ、命令を受けて走り去っていく。
ティムールは剣を鞘へ戻した。
「皇帝が来たか」
そのとき、北方からティムール軍の騎兵が現れた。
彼らは明軍の側面へ突入し、張輔の部隊を押し返した。
永楽帝はすぐに命じた。
「左翼を支えよ。丘福の軍を収容する!」
明軍の太鼓が鳴った。
ティムールも伝令を呼び、北方の騎兵に追撃を命じた。
しかし、明軍は退きながら隊列を立て直し、火器と弩兵を前へ出した。
ティムール軍の騎兵はその前で止まり、矢を射かけた。
夕刻、両軍は離れた。
******
その夜、明軍の本営に丘福の遺体が運び込まれた。
遺体を運んできた兵たちは、いずれも傷を負っていた。担架の布は血に染まり、丘福の甲冑には土がこびりついていた。
永楽帝は自ら歩み寄った。
担架を下ろした兵が膝をついた。
「陛下、丘将軍をお連れいたしました」
永楽帝は答えなかった。
丘福の顔には血と泥がついていた。目は閉じられ、髭にも土が絡んでいた。
永楽帝は、じっとその顔を見た。
北平で兵を挙げたころ、丘福はまだ壮年だった。幾度も馬を並べ、敵陣へ突入した。敗走する兵を集め、夜の陣で戦況を語り合ったこともあった。
南京へ入ったときも、丘福は彼のそばにいた。
今、その男が動かずに横たわっていた。
永楽帝は膝をついた。
周囲の将校たちは息を呑んだ。
永楽帝は丘福の顔についた泥を、布で拭った。
「どこまで進んだ」
遺体を運んできた将校が答えた。
「敵の黒旗が見えるところまでにございます」
「帖木児は」
「旗の下におりました。丘将軍は、そこへ向かって進まれました」
永楽帝は手を止めた。
「最期は」
将校は唇を噛んだ。
「馬を射られ、落馬なさいました。なお剣を取って戦われましたが、槍を受け……」
言葉が途切れた。
永楽帝は丘福の顔を見ていた。
「最後に、何か申したか」
将校はしばらく黙っていた。
「進め、と」
永楽帝は目を閉じた。
長い沈黙があった。
やがて彼は立ち上がり、丘福の遺体に布を掛けた。
「よく戻した」
将校が頭を下げた。
永楽帝はその肩に手を置いた。
「おまえたちも休め。傷を診せよ」
将校は涙をこらえながら退出した。
永楽帝はなお遺体のそばに立っていた。
張輔が進み出た。
「陛下、明日の軍議を……」
永楽帝は振り返らなかった。
「少し待て」
張輔は頭を下げ、その場を離れた。
天幕の外では、負傷者を運ぶ車の音が続いていた。
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一方、ティムールの本営では、ヌールッディーンが治療を受けていた。
槍傷は深く、医師たちは傷口を洗い、布を巻いた。ヌールッディーンは意識を取り戻したが、しばらく馬に乗ることはできないという。
ジャハーンシャーが報告した。
「中央の兵は大きく損なわれました。親衛隊にも多くの死者が出ております」
ティムールは黙って聞いていた。
「明軍の将を一人討ち取りました。敵の中央も相当の損害を受けております」
「皇帝は」
「健在です」
ティムールはうなずいた。
「明日は兵を休ませよ」
ジャハーンシャーは頭を下げた。
しかし、退出しかけたところで足を止めた。
「大アミール」
ティムールは顔を上げた。
「今日、本営でお命を失うところでした」
ティムールはしばらく彼を見ていた。
「シーラーズでも、そう言ったな」
ジャハーンシャーは言葉を失った。
ティムールは右手を開いた。
剣を握っていた指が、まだわずかに震えていた。
彼はその手を膝の上に置いた。
「明の皇帝は、まだ兵を持っている」
「はい」
「我らもだ」
ジャハーンシャーは頭を下げた。
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翌朝、平原には両軍の斥候だけが現れた。
明軍は涼州方面へ陣を下げ、ティムール軍も西方に新しい陣を築いた。双方とも主力を出さず、負傷者の収容と兵の再編成を続けた。
昼を過ぎると、戦場へ人が集まり始めた。
明軍の兵は東から、ティムール軍の兵は西からやってきた。彼らは倒れた者の顔を確かめ、まだ息のある者を探した。
敵兵が近くにいると、互いに武器へ手を伸ばすこともあったが、多くはそのまま目を合わさずに通り過ぎた。
数日にわたる戦闘で、平原の草は踏み荒らされ、土は黒く焼けていた。
壊れた荷車のそばには馬が折り重なって倒れ、その間に甲冑を着けた兵たちが横たわっていた。明軍の赤い軍衣と、ティムール軍の色とりどりの衣服が、同じ土埃にまみれていた。
折れた槍の穂先が夕陽を受けて光った。
戦場の中央には、双方の旗が何本も倒れていた。風が吹くと、破れた布が乾いた草の上を引きずられた。
遠く、東の空には涼州の城壁が黒く浮かんでいた。
西にはティムール軍の天幕が続いていた。
その間の平原には、数えきれない死者が残されていた。




