↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ティムール死せず  作者: 灰神楽ねこ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/9

決戦のゆくえ

第七日、夜明けとともにティムール軍の中央が前進した。

ヌールッディーンの騎兵が明軍の前列へ突入し、歩兵の列を押し込んだ。明軍は火器を放ち、弩兵が矢を射かけたが、ティムール軍は攻撃を続けた。


午前中、明軍の前列の一部が崩れた。

永楽帝は丘福に支援を命じた。

明軍の騎兵が側面から突入すると、ティムール軍は後退した。しかし、すぐに別の部隊が現れ、丘福の騎兵を迎え撃った。


戦闘は昼を過ぎても続いた。

双方の騎兵が何度も突撃し、退き、再び突入した。歩兵は倒れた車を押しのけて隊列を立て直し、火器を扱う兵は砲身を冷ましながら次の発射を準備した。弩兵は矢を使い果たすと後方へ下がり、別の部隊が前へ出た。


夕刻、両軍は離れた。

明軍は前列の一部を失ったが、中央の陣を守った。ティムール軍も多くの騎兵を失い、負傷者を収容するために夜遅くまで兵を出した。



翌朝、戦闘は再開した。

ティムール軍は中央へ攻撃を集中させた。ヌールッディーンは自ら前線へ出て兵を指揮し、明軍の槍兵を押し返した。


永楽帝は本営で、その動きを観察していた。

「敵は中央へ兵を集めている」

張輔が言った。

「北方の騎兵も動いております」

永楽帝は地図を見た。

「中央を攻めながら、北から回るつもりだ」

「はい」

「ならば、こちらも中央へ兵を出す」


丘福が進み出た。

「臣にお命じください」

永楽帝は彼を見た。

「敵の前列を破れ。だが、旗を見失うな」

「承知いたしました」

丘福は馬に乗った。


******


第九日。

朝から強い風が吹いていた。

ティムール軍の中央は、前日までの戦闘で疲弊していた。ヌールッディーンは兵をまとめ、明軍の攻撃に備えたが、午前中に丘福の騎兵が突入すると、前列の一部が崩れた。


ヌールッディーンは馬を進め、兵を立て直そうとした。

そのとき、明軍の騎兵が側面から現れた。

槍が交わり、馬が倒れた。ヌールッディーンは敵兵を斬り倒したが、次の瞬間、槍を受けて馬上から突き落とされた。

護衛が駆け寄り、彼を引きずって後方へ運んだ。

将軍が倒れたことを知った兵たちは動揺した。隊列が乱れ、丘福の騎兵がその間へ突入した。


ティムール軍の中央が破れた。


丘福は前進を続けた。

その先の高台に、黒い旗が見えた。


「敵の大将はあそこだ!」

丘福が叫んだ。

部下の一人が馬を寄せた。

「将軍、後続が離れております!」

丘福は振り返った。

後方には明軍の騎兵が続いていた。しかし敵の抵抗が激しく、列が長く伸びている。

「ここで止まれば、敵は立て直す」

丘福は前を向いた。

「続け!」


明軍の騎兵が高台に駆け上がる。

本営の前にはティムールの親衛隊がいた。彼らは槍を並べて明軍を迎え撃った。丘福の騎兵は何度も本営突入を試みたが、親衛隊は退かなかった。

丘福は兵を左右に分けて、敵の側面を攻めさせた。

親衛隊の一部が押し返され、その隙間へ丘福が突入した。

剣を振るい、敵兵を馬から斬り落とす。次の敵が槍を突き出したが、丘福は身を伏せてかわし、馬を進めた。


黒い旗が近づいてきた。

そのとき、丘福は旗の下に人影を見た。白い髭の老人が一団の護衛に囲まれ、馬上でこちらを見ていた。


「帖木児《ティムール》だ!」

丘福は叫んだ。

その声に、周囲の明軍が前へ出た。


******


ジャハーンシャーは敵の騎兵が本営へ迫るのを見て、ティムールの馬へ駆け寄った。

「大アミール、後方へ!」


ティムールは馬上にいた。

護衛の兵が前へ出て、明軍の騎兵を迎え撃った。

しかし敵は退かなかった。

明軍の騎兵が天幕の間へ突入し、槍を振るった。護衛の一人が胸を貫かれ、馬から落ちた。別の兵が敵へ斬りかかったが、背後から矢を受けて倒れた。


ジャハーンシャーは剣を抜いた。

「旗を守れ!」


黒い旗の周りに親衛隊が集まった。

そのとき、明軍の騎兵が一騎、護衛の間を抜けてきた。

槍の穂先がティムールへ向かう。

護衛の兵が馬を寄せ、槍を受け止めた。穂先はその男の脇腹を貫き、男は声もなく落ちた。

ティムールは剣を抜いた。

敵兵がさらに近づいた。


ジャハーンシャーは、かつてシーラーズで起きた戦いを思い出した。

一三九三年、ムザッファル朝のシャー・マンスールがわずかな騎兵を率いてティムール本隊へ突入したとき、ティムールは親衛隊から引き離された。

シャー・マンスールは大剣を振り下ろし、ティムールの兜を二度打った。金属の音が響き、三度目の剣が振り上げられたところへ、ようやく味方が駆けつけた。

あのとき、ティムールは自ら剣を振るっていた。

今も同じだった。

しかし、あれから十三年が過ぎている。

ティムールは足が不自由で、馬を動かすにも時間がかかる。敵の槍を避けようと馬を向けたが、周囲には倒れた兵と馬が折り重なり、進む道が狭くなっていた。


明軍の騎兵が剣を振り上げ、ティムールはその刃を受けた。

腕に激しい衝撃が走った。

相手はさらに馬を寄せてきた。

ジャハーンシャーが横から斬りかかり、敵兵を馬から叩き落とした。


「大アミール!」

ティムールは彼を見た。

「旗を下げるな」

普段と同じ声だった。

ジャハーンシャーは息を呑んだ。

ティムールの剣には血がついていた。


「左の予備を呼べ。ここへ向かわせよ」

ジャハーンシャーは伝令を走らせた。

その直後、明軍の騎兵がさらに突入した。

本営の外側の天幕が倒れ、馬が暴れた。護衛の兵たちはティムールを囲んで戦ったが、次々に倒されていった。

ティムールは剣を握り直した。

敵の槍が迫る。彼は馬をわずかに動かし、穂先をかわした。剣を振るうと、刃が敵兵の腕に当たった。相手は叫び、手綱を離した。

その間に護衛が敵を押し返した。

しかし、別の敵兵も横から迫っていた。


ティムールは一瞬、黒い旗を見上げた。

風にあおられ、布は大きく広がっていた。


******


丘福は敵の本営へ迫っていた。

黒い旗の下に、白い髭の老人が見えた。

あれが帖木児だ。


丘福は馬を進めた。

部下が叫んだ。

「将軍、敵の騎兵が戻ってきます!」

丘福は振り返らなかった。


あとわずかだった。

彼は馬腹を蹴り、槍を構えて前へ出た。

その瞬間、矢が馬の首に突き立った。

馬が大きく跳ね、前脚から崩れる。槍が手を離れ、丘福は地面に投げ出された。


息が詰まった。

起き上がろうとすると、右脚に強い痛みを感じた。見ると、脚は馬の下敷きになっていた。


護衛が駆け寄り、馬を押しのけようとした。

「将軍!」


丘福は起き上がれないまま、剣を抜いた。

「前を守れ!」


護衛たちが敵を迎え撃った。

ティムール軍の騎兵が突入し、槍が交わった。明軍の兵が一人倒れ、別の兵がその前へ出た。

丘福はようやく脚を引き抜いて、立ち上がった。

激痛が走る。

骨が折れているかもしれない。


目を上げると、すぐそこに黒い旗が見えた。十数歩の距離しかない。

老人はまだそこにいる。


丘福は前へ進もうとした。


敵兵が槍を突き出した。

丘福は剣で払ったが、穂先が脇腹に刺さった。灼熱感が全身を走る。

彼は歯を食いしばって、敵兵へ斬りかかった。

相手が倒れた。

丘福も地面に膝をついた。


護衛が彼の背を支えた。

「将軍、お下がりを!」


丘福は何か答えようとした。

しかし、もう声は出なかった。


口の中に血の味が広がっていく。

遠くで明軍の太鼓が鳴っている。


丘福は顔を上げた。

黒い旗が、まだ風に揺れていた。


「進め……」

かすれた声が漏れた。


護衛が顔を近づけた。

「将軍?」


丘福はもう一度、旗を見た。


そして、そのまま動かなくなった。


******


永楽帝は丘福の戦死を知った。

伝令は泥にまみれ、息を切らしていた。

「丘将軍が討たれました。敵の本営まで迫りましたが、護衛も多くが倒れ、遺骸を収容できませぬ」


永楽帝は前方を見た。

丘福の部隊はティムール軍の中央を突破していた。しかし、敵の親衛隊に阻まれ、後続が続けなくなっている。


「張輔を出せ」

永楽帝が命じた。

「丘福の軍を支えよ。突破口を広げる」


張輔は予備の騎兵を率いて前進した。

明軍の中央が再び動いた。

ティムール軍は本営を守ろうとしたが、前列が崩れ、後方へ退く兵が現れた。


永楽帝は馬に乗った。

周囲の将校が驚いて進み出た。

「陛下、前方は危険にございます!」

「丘福の兵がまだ戦っている」


黄色い龍旗が前進する。

明軍の兵たちは皇帝の旗を見ると、声を上げた。退いていた兵が足を止め、騎兵が隊列を組み直した。


永楽帝は馬を駆りながら前方を見た。

そこには敵の黒い旗があった。

その下に、白い髭の老人がいた。

ティムールもまた、黄色い龍旗が迫ってくるのを見た。

二人の間には、まだ多くの兵がいた。

それでも、砂塵が一瞬薄れたとき、互いの姿が見えた。


永楽帝は戦場の只中で馬を止めて、前方の高台を見上げた。

西方から現れ、諸王を破り、天竺《インド》へ兵を入れ、欽察《キプチャク》の地でも戦い、大食《アッバース》の旧地、沙姆《シリア》の城々を蹂躙し、魯迷《ルーム》の果てまで兵を進めたという老人。

数日にわたって明軍を攻め、退き、また攻めた軍は、その老人の命令で動いていた。中央を崩して見せ、追撃を誘い、左右から包む。しかも本営に敵が迫ってなお、旗は下がらなかった。


永楽帝は敵の黒い旗を見続けた。

ティムールも黄色い龍旗の下にいる男を見下ろした。

そこにいるのは明軍の皇帝だった。

かつてフビライが座したヒターイの龍の玉座に座る者。チンギズの家が失った東方を治める男。カンバリクから兵を起こし、甥を破って帝位を奪い、自ら天子となった男。

彼は兵を前へ出し、退く部隊を立て直していた。周囲の将校が次々に馬を寄せ、命令を受けて走り去っていく。


ティムールは剣を鞘へ戻した。

「皇帝《ファグフール》が来たか」


そのとき、北方からティムール軍の騎兵が現れた。

彼らは明軍の側面へ突入し、張輔の部隊を押し返した。

永楽帝はすぐに命じた。

「左翼を支えよ。丘福の軍を収容する!」


明軍の太鼓が鳴った。

ティムールも伝令を呼び、北方の騎兵に追撃を命じた。

しかし、明軍は退きながら隊列を立て直し、火器と弩兵を前へ出した。

ティムール軍の騎兵はその前で止まり、矢を射かけた。


夕刻、両軍は離れた。


******


その夜、明軍の本営に丘福の遺体が運び込まれた。

遺体を運んできた兵たちは、いずれも傷を負っていた。担架の布は血に染まり、丘福の甲冑には土がこびりついていた。


永楽帝は自ら歩み寄った。

担架を下ろした兵が膝をついた。

「陛下、丘将軍をお連れいたしました」


永楽帝は答えなかった。

丘福の顔には血と泥がついていた。目は閉じられ、髭にも土が絡んでいた。


永楽帝は、じっとその顔を見た。

北平で兵を挙げたころ、丘福はまだ壮年だった。幾度も馬を並べ、敵陣へ突入した。敗走する兵を集め、夜の陣で戦況を語り合ったこともあった。

南京へ入ったときも、丘福は彼のそばにいた。

今、その男が動かずに横たわっていた。


永楽帝は膝をついた。

周囲の将校たちは息を呑んだ。

永楽帝は丘福の顔についた泥を、布で拭った。

「どこまで進んだ」

遺体を運んできた将校が答えた。

「敵の黒旗が見えるところまでにございます」

「帖木児《ティムール》は」

「旗の下におりました。丘将軍は、そこへ向かって進まれました」

永楽帝は手を止めた。

「最期は」

将校は唇を噛んだ。

「馬を射られ、落馬なさいました。なお剣を取って戦われましたが、槍を受け……」

言葉が途切れた。


永楽帝は丘福の顔を見ていた。

「最後に、何か申したか」


将校はしばらく黙っていた。

「進め、と」


永楽帝は目を閉じた。

長い沈黙があった。


やがて彼は立ち上がり、丘福の遺体に布を掛けた。

「よく戻した」

将校が頭を下げた。


永楽帝はその肩に手を置いた。

「おまえたちも休め。傷を診せよ」


将校は涙をこらえながら退出した。

永楽帝はなお遺体のそばに立っていた。


張輔が進み出た。

「陛下、明日の軍議を……」


永楽帝は振り返らなかった。

「少し待て」


張輔は頭を下げ、その場を離れた。

天幕の外では、負傷者を運ぶ車の音が続いていた。


******


一方、ティムールの本営では、ヌールッディーンが治療を受けていた。

槍傷は深く、医師たちは傷口を洗い、布を巻いた。ヌールッディーンは意識を取り戻したが、しばらく馬に乗ることはできないという。


ジャハーンシャーが報告した。

「中央の兵は大きく損なわれました。親衛隊にも多くの死者が出ております」

ティムールは黙って聞いていた。

「明軍の将を一人討ち取りました。敵の中央も相当の損害を受けております」

「皇帝は」

「健在です」

ティムールはうなずいた。

「明日は兵を休ませよ」

ジャハーンシャーは頭を下げた。

しかし、退出しかけたところで足を止めた。

「大アミール」

ティムールは顔を上げた。

「今日、本営でお命を失うところでした」

ティムールはしばらく彼を見ていた。

「シーラーズでも、そう言ったな」

ジャハーンシャーは言葉を失った。


ティムールは右手を開いた。

剣を握っていた指が、まだわずかに震えていた。

彼はその手を膝の上に置いた。


「明の皇帝は、まだ兵を持っている」

「はい」

「我らもだ」

ジャハーンシャーは頭を下げた。


******


翌朝、平原には両軍の斥候だけが現れた。

明軍は涼州方面へ陣を下げ、ティムール軍も西方に新しい陣を築いた。双方とも主力を出さず、負傷者の収容と兵の再編成を続けた。


昼を過ぎると、戦場へ人が集まり始めた。

明軍の兵は東から、ティムール軍の兵は西からやってきた。彼らは倒れた者の顔を確かめ、まだ息のある者を探した。

敵兵が近くにいると、互いに武器へ手を伸ばすこともあったが、多くはそのまま目を合わさずに通り過ぎた。


数日にわたる戦闘で、平原の草は踏み荒らされ、土は黒く焼けていた。

壊れた荷車のそばには馬が折り重なって倒れ、その間に甲冑を着けた兵たちが横たわっていた。明軍の赤い軍衣と、ティムール軍の色とりどりの衣服が、同じ土埃にまみれていた。

折れた槍の穂先が夕陽を受けて光った。

戦場の中央には、双方の旗が何本も倒れていた。風が吹くと、破れた布が乾いた草の上を引きずられた。


遠く、東の空には涼州の城壁が黒く浮かんでいた。

西にはティムール軍の天幕が続いていた。

その間の平原には、数えきれない死者が残されていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。