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ティムール死せず  作者: 灰神楽ねこ


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2/9

オトラルの冬

一四〇五年二月。

シル川のほとり、オトラル。


ティムールが病に倒れたとき、シャイフ・ヌールッディーンは、まず軍の糧秣を調べさせた。

城外には何万もの馬がいた。

サマルカンドから運ばれた麦や乾草は倉に積まれ、さらに西から荷車が到着していた。

だが、冬の道は悪かった。車輪が雪に埋まり、凍った轍で車軸が折れた。シル川を越えた先には、もっと長い道が待っている。


ティムールは前年の暮れ、明を征服するためにサマルカンドを出発した。

冬にこれほどの大軍を動かすことには、出発前から反対があった。それでも誰も止められなかった。

そして今、遠征を命じた本人が寝台から起き上がれなくなっていた。


ヌールッディーンは兵糧の帳簿を閉じた。

「シャー・マリクを呼んでくれ」

従者が出ていった。

窓の外では雪が降っていた。


しばらくしてシャー・マリクが入ってきた。毛皮の外套に雪がついていた。

「容体は」

ヌールッディーンが尋ねた。

「変わらん。熱が高い。医師たちも困っている」

「話はできるのか」

「できる。今朝は飼葉の不足を聞いて、担当の将を叱りつけたそうだ」

ヌールッディーンはわずかに笑った。

「それなら、まだ大丈夫だろう」

シャー・マリクは笑わなかった。

「医師はどう言っている」

「今夜を越せるか分からんそうだ」


二人は黙った。

城外から馬のいななきが聞こえた。


「先鋒には予定どおり進ませるのか」

シャー・マリクが尋ねた。

「命令は変わっていない」

「陛下が亡くなられたら?」

ヌールッディーンは帳簿を開き直した。

「まだ生きておられる」

「だから今のうちに聞いている」


ヌールッディーンは顔を上げた。

「軍を引き返させるにしても、誰が命じる。ヒターイへ進むにしても、誰が率いる。陛下の名で出した命令は、陛下が亡くなればどうなる」

「ピール・ムハンマド殿下がおられる」

「カンダハールにな」

シャー・マリクは椅子に腰を下ろした。

「ここにおられるわけではない。サマルカンドにもおられぬ。ヘラートにはシャー・ルフ殿下がいる。タシュケントにはハリール・スルタン殿下がいる。西にはミーラーン・シャー殿下もいる」

「皆、陛下の御子や御孫だ」

「だから厄介なのだ」

ヌールッディーンは返事をしなかった。


シャー・マリクは声を落とした。

「誰がサマルカンドを押さえるか。それを考えている者は、もういるはずだ」


******


ティムールは寝台の上で目を開けた。

天井が見えた。

ここはオトラルの城だった。寝かされているのは、城主が明け渡した一室である。


六十八歳。


右脚には若いころの傷が残り、右手の指にも古傷があった。だが、身体がここまで言うことを聞かなくなったのは久しぶりだった。


「水を」

侍医が杯を差し出した。

ティムールは二口飲んだ。

「ヌールッディーンは」

「外におります」

「呼べ」

侍医はためらった。

「陛下、今はお休みを」

「余はヌールッディーンを呼べと言った」

侍医は頭を下げた。


ほどなくしてヌールッディーンが入ってきた。

「陛下」

「軍はどうしている」

「各隊、命令を待っております」

「先鋒は」

「出発の準備を整えております」

「いつ出す」

「雪がやめば、すぐにでも」

ティムールは顔をしかめた。

「雪がやむのを待っていたら、春になるぞ」

「馬が弱っております。飼葉の輸送も遅れております」

「馬が弱るのは知っている。だから何だ」

「軍を失うわけにはまいりません」

ティムールはヌールッディーンを見た。

「余は何のために、この冬に出陣した」

「明を討つためです」

「明は余の軍が来るのを知っている。春になれば、奴らは兵を集め、道を塞ぐ。雪の中を進む我らを、奴らは予想しておるまい」

「しかし、明に至るまでの道も長うございます」

「長いからこそ、早く出たのだ」


ティムールは咳き込んだ。

侍医が背を支えた。


「余の身体を案じているのか」

「はい」

「ならば早く明を討たせろ」

ヌールッディーンは頭を下げた。

「御意」

「シャー・マリクにも伝えよ。先鋒を動かせ。余は後から行く」

「承知いたしました」

ヌールッディーンは退出した。


廊下に出ると、シャー・マリクが待っていた。

「どうだった」

「先鋒を動かせと」

「それだけか」

「明を討たせろと仰せだ」

シャー・マリクは扉を見た。

「まだ、明を討つつもりでおられるのだな」

「そのために来られた」

「分かっている」

シャー・マリクは外套の襟を直した。

「だが、医師の話では、今夜を越せるかどうかだ」


******


その夜、ティムールの熱はさらに上がった。

侍医たちは交代で脈を取り、額に濡れた布を当てた。

時折、ティムールは目を開けた。何かを言いかけ、また目を閉じた。



夜半を過ぎたころ、突然、はっきりした声が出た。


「ソユルガトミシュ」


侍医は顔を上げた。

「陛下」

「ソユルガトミシュ・ハンを呼べ」

侍医は隣の男を見た。


ソユルガトミシュは十七年前に死んでいた。

かつてティムールは、チンギズ家の血を引くその男をハンとして擁立した。自らはアミールとして軍を率い、ハンの名のもとに命令を出した。


「陛下、ソユルガトミシュ・ハンは……」

「余が話す。連れてこい」

「承知いたしました」


侍医はそれ以上言わなかった。

ティムールは目を閉じた。



しばらくすると、今度は別の名を呼んだ。


「ジハーンギール」


侍医の手が止まった。

「ジハーンギールはどこだ」

長男ジハーンギールは二十九年前に死んでいた。

「陛下」

「馬を用意させろ。あれを先に行かせるな。余が話す」

侍医は寝台のそばに膝をついた。

「陛下、どうかお休みください」

「ジハーンギール」

声が弱くなった。

「余の馬を使わせろ」

それきり、ティムールは黙った。


侍医はしばらく待ち、隣の男に囁いた。

「ヌールッディーン殿を呼べ」


******


夜明け前、シャー・マリクはヌールッディーンとともに城内の小部屋にいた。

侍医から容体を聞き終えると、シャー・マリクは深く息を吐いた。

「亡くなったハンと御子息の名を呼ばれたのか」

「そうだ」

「意識は」

「戻ったり、混濁したりしている」

ヌールッディーンは窓際に立った。

「シャー・ルフ殿下には使者を送った」

「間に合うまい」

「分かっている」

「ピール・ムハンマド殿下にも?」

「送った」


シャー・マリクはしばらく黙っていた。


「ハリール・スルタン殿下はどうする」

「タシュケントにおられる」

「軍を持っておられる。サマルカンドにも近い」

「それがどうした」

「陛下が亡くなれば、ハリール殿下が最初に動ける」

ヌールッディーンは振り返った。

「陛下はまだ生きておられる」

「分かっている。だが、我らは軍を預かっている。陛下が亡くなってから考え始めたのでは遅い」

「お前はハリール殿下を推すのか」

「そうは言っていない」

「では誰だ」

シャー・マリクは答えなかった。


外で足音がした。

二人は口を閉じた。


衛兵が入ってきた。

「陛下がお呼びです」


******


そのころ、タシュケントではハリール・スルタンが軍の報告を受けていた。


二十一歳。

ミーラーン・シャーの息子で、ティムールの孫だった。

インド遠征にも従軍し、祖父の軍がどのように動くかを知っていた。若いが、兵を率いた経験もあった。


報告を終えた将が、もう一通の書状を差し出した。

「オトラルからです」

ハリール・スルタンは封を切った。

祖父が病に倒れたこと、熱が下がらないこと、先鋒にはなお進軍の命令が出ていることが記されていた。

ハリールは読み終えると、書状を折った。

「いつの報告だ」

「三日前でございます」

「その後は」

「まだ届いておりません」


ハリールは窓の外を見た。

雪の積もった中庭に、馬が二頭つながれていた。

「サマルカンドへの道は」

「通れます。ただし、荷車は遅れております」

「騎兵なら」

「問題ありません」

ハリールは頷いた。

「オトラルに使者を出せ。祖父上のご容体を確かめよ。どんな小さな変化でも知らせるように」

「御意」

「それから、軍を動かせるようにしておけ」

将は顔を上げた。

「オトラルへ向かわれますか」

「まだ決めていない」

「サマルカンドへは?」

ハリールは将を見た。

「余がサマルカンドへ行くと言ったか」

「いいえ」

「ならば、聞かれたことだけをせよ」

将は頭を下げた。


退出しかけたところで、ハリールが呼び止めた。

「待て」

「はっ」

「祖父上が亡くなられたという報せが来ても、すぐに兵に広めるな。まず余に知らせよ」

「承知いたしました」


将が出ていくと、ハリールはもう一度書状を開いた。

祖父は、これまで幾度も病や傷から立ち直ってきた。

今回もそうなるかもしれない。

だが、もし死んだら。

ハリールは書状を畳み、卓上に置いた。


******


オトラルでは、ティムールの容体が悪化していた。

シャー・マリクが寝台のそばに立つと、ティムールは目を開けた。

「シャー・ルフは」

「ヘラートにおられます」

「使者は」

「すでに送りました」

「もう一人出せ」

「御意」

「ピール・ムハンマドにも」

「承知しております」

ティムールは目を閉じた。

「ジハーンギールは」

シャー・マリクの顔がこわばった。

「陛下」

ティムールはしばらく黙っていた。

「……死んだな」

「はい」

「いつだった」

「二十九年前でございます」

ティムールは返事をしなかった。


シャー・マリクは寝台のそばに立ったまま、次の言葉を待った。


やがてティムールが言った。

「下がれ」

「御意」

シャー・マリクは退出した。



ティムールは目を閉じた。


馬の蹄の音がした。

目を開けると、アンカラの平原だった。

乾いた夏草が踏み荒らされ、遠くで土煙が上がっていた。オスマンの兵が逃げていた。バヤズィトの軍旗が倒れ、騎兵がその上を駆け抜けていった。

バヤズィトが連れてこられた。

かつてアナトリアに君臨したスルタンは、疲れ切った顔でティムールを見た。

ティムールは何か言おうとした。

だが、言葉が出なかった。


バヤズィトの顔が変わった。

トクタミシュだった。

かつて自分が助け、ジョチのウルスのハンに据えた男。のちに敵となり、幾度も軍を率いて戦った男だった。

「トクタミシュ」

ティムールは呼んだ。

男は振り返らなかった。

馬の蹄の音が遠ざかった。


今度は煙が見えた。

デリーだった。

城壁の向こうで家々が燃えていた。通りには死体が横たわり、兵たちが荷を運び出していた。

熱風が吹いた。

ティムールは馬上からその光景を見ていた。

煙の向こうに、ジハーンギールが立っていた。

「ジハーンギール」

息子は若かった。

ティムールが最後に見たときの姿だった。

「そこにいたのか」

ジハーンギールは答えなかった。

ティムールは馬を進めようとした。

だが、馬が動かなかった。

足元を見ると、馬はいなかった。



ティムールは寝台に横たわっていた。

身体が熱かった。

誰かが水を飲ませようとしていた。

「陛下」

ティムールは目を閉じた。



今度は薪のはぜる音がした。

乾いた木が燃える匂いがした。

その向こうに父、タラガイが座っていた。

ティムールは五歳だった。


******


一三四一年ごろ。ケシュの近郊。

夜の草原には風があった。

馬が数頭、暗がりで草を食んでいた。


ティムールは父の隣に座り、火を見ていた。

タラガイは薪を一本、焚き火にくべた。

「昔、チンギズ・ハンが世界を取ったころは、東にも西にも、まだ知らぬ土地があったそうだ」

ティムールは黙っていた。

「チンギズ・ハンは軍を四方に送った。山を越え、砂漠を越え、大きな川を渡った。遠くの王たちは金銀を差し出し、城の門を開けた。逆らった王は滅ぼされた」


父は火に手をかざした。


「やがてチンギズ・ハンは、四人の息子に世界を分けた。ジュチには日の沈む方の草原を、チャアダイにはこの土地を、ウゲデイには東の土地を、末のトルイには父祖の土地を残した」

「世界は四つになったのですか」

「そうだ。だが、大ハーンは一人だった。ウゲデイが継いだ」

「ほかの三人は従ったのですか」

「従った。チンギズ・ハンが決めたことだからな」


ティムールは頷いた。


「ウゲデイの時代には、遠くの国からも使者が来たという。西の果てからも、東の果てからもだ。馬を何度も替え、幾月もかけて来る者もいた。金や銀、絹や宝石を持ってな」

「皆、大ハーンの命令を聞いたのですか」

「そうだ。どの土地にもチンギズ・ハンの子孫がいて、大ハーンの命令が伝えられた」

「今は?」

「今は違う」

「なぜですか」

「長い年月が過ぎたからだ。チンギズ・ハンも息子たちも死んだ。その子供たちが大きくなり、また子供が生まれた。誰もが自分の土地を欲しがり、誰もが自分の兵を持った」


父は薪を動かした。


「兄弟が兄弟と戦い、叔父が甥と戦った。大ハーンが二人立ったこともあった。東の草原でも西の草原でも、チンギズ・ハンの子孫たちが争った」

「大ハーンが二人いたら、誰の命令を聞くのですか」

「自分が従うと決めた方だろう」

「二人とも大ハーンなのに?」

「二人ともそう名乗ったのだ」


ティムールは少し考えた。

父は続けた。


「そのころ、東にはフビライ・ハーンという男がいた。ヒターイへ行き、そこに座った。大きな都を持ち、数え切れぬほどの人間を治めたそうだ」

「ヒターイ?」

「東の果てにある国だ」

「どのくらい東ですか」

「ずっとだ。山を越え、砂漠を越え、まだその先だという」

「どのくらい馬を走らせれば着くのですか」

父は首を傾げた。

「さあな。行ったことがない」

「父上も知らないのですか」

「ヒターイまで行った者の話なら聞いたことがある。大きな川があり、畑がどこまでも続いているそうだ。町には人があふれ、絹を織る者が大勢いる」


ティムールは父を見た。


「フビライ・ハーンは、そこに座ったのですか」

「そうだ」

「どうして座ったのですか」

「大きな国を治めるためだろう」

「馬には乗らなかったのですか」

「乗ったとも。軍も率いたし、狩りにも出た。だが、都はヒターイに置いた。そこから諸国に命令を出したのだ」


ティムールは火を見た。


「遠くにいても、命令を聞いたのですか」

「聞いた者もいた。聞かぬ者もいた。カイドゥという男はフビライに従わず、長く戦った。こちらのチャアダイの子孫たちも争った」

「フビライ・ハーンは帰ってこなかったのですか」

「どこへだ」

「草原へ」

「北の草原へは行ったそうだ。だが、都は移さなかった」


ティムールは黙っていた。

父は話を続けた。


「西ではジュチの子孫たちが争い、こちらではチャアダイの子孫たちが争った。昔は一つだった世界が、今ではいくつにも分かれている」

「大ハーンはいないのですか」

「いる。ヒターイには今もフビライの子孫がいる。だが、こちらのハンたちが皆、その命令を聞くわけではない」


薪が崩れ、火の粉が舞った。


「父上」

「何だ」

「チンギズ・ハンが死んだとき、軍はどうなったのですか」

「息子たちが引き継いだ」

「それで、四つになったのですか」

「軍も土地も、それぞれの家に分かれた。だが、大ハーンのもとで一緒に戦うこともあった」

「大ハーンが死んだら?」

「次の大ハーンを立てる」

「皆が従わなかったら?」

「戦になる」

ティムールは何も言わなかった。


父は立ち上がった。

「もう寝るぞ」

ティムールも立った。

天幕へ向かいかけて、父を振り返った。

「父上」

「まだ何かあるのか」

「フビライ・ハーンは、ヒターイにずっと座っていたのですか」

「そういう話だ」

「大ハーンなのに?」

父は少し笑った。

「大ハーンだからこそ、座っていたのかもしれんな」


ティムールはそれ以上尋ねなかった。

父とともに天幕へ向かった。


******


「陛下」

誰かが呼んでいた。

ティムールは目を開けた。

最初に天井が見えた。

また、薪のはぜる音がした。だが、父の焚き火ではなかった。部屋の隅で侍医が火鉢に炭を足していた。


「陛下、お分かりになりますか」

ティムールは侍医を見た。

「ここは」

「オトラルでございます」

ティムールは目を閉じた。

しばらくして、口を開いた。

「何日だ」

「二月の十七日でございます」

「軍は」

「動いておりません」

ティムールは目を開けた。

「諸将を呼べ」


******


ヌールッディーンとシャー・マリクが呼ばれた。

ティムールは寝台に横たわったまま、二人を見た。

「ピール・ムハンマドは」

ヌールッディーンが答えた。

「カンダハールにおります」

「使者は」

「送りました」

「シャー・ルフは」

「ヘラートにおります」

「ハリールは」

「タシュケントにおります」


ティムールは目を閉じた。

「余の後は、ピール・ムハンマドに継がせる」

二人は膝をついた。

「ジハーンギールの子だ。余が決めた」

「御意」

「諸将にも伝えよ。ピール・ムハンマドを主として仰げ。余が死んでも、争ってはならぬ」


ヌールッディーンは頭を下げた。

「誓います」


シャー・マリクも頭を下げた。

「誓います」


ティムールは二人を見た。

「余の前で誓ったことを忘れるな」

「決して」

「ハリールにも伝えよ。余の命令だ」

「御意」


ティムールは咳き込んだ。

侍医が近づいたが、ティムールは手で制した。


「軍は」

「陛下」

「余は後継者の話をした。軍の話はまだ終わっておらぬ」

ヌールッディーンは顔を上げた。

「先鋒は出発の準備を整えております」

「いつ出す」

「陛下のご命令があれば、すぐに」

「ならば出せ」


シャー・マリクが言った。

「陛下、まずはお身体をお治しください」


ティムールはその男を見た。

「余が死ぬと思っているのか」


シャー・マリクは答えなかった。


「答えよ」

「医師たちは、危険な状態だと申しております」

「医師が明を討つのか」

「いいえ」

「ならば、余の命令を聞け」

シャー・マリクは頭を下げた。

「御意」

「先鋒を出せ。川を越えろ。余は後から行く」


******


二人が部屋を出ると、ヌールッディーンは廊下の壁に手をついた。

「どう思う」

シャー・マリクが尋ねた。

「後継者のことか」

「それもある」

ヌールッディーンは答えなかった。

「ピール・ムハンマド殿下を主と仰ぐ。誓いは立てた。だが、殿下は遠い。ハリール・スルタン殿下はタシュケントにいる。シャー・ルフ殿下はヘラートにいる」

「陛下の命令だ」

「分かっている」

シャー・マリクは声を落とした。

「我らが誓いを守っても、ほかの者が守るとは限らん」


ヌールッディーンは窓の外を見た。

雪がやんでいた。

「先鋒を出そう」

「陛下は」

「まだ生きておられる」

シャー・マリクは頷いた。

二人は階段を下りた。


******


翌朝、先鋒がオトラルを出発した。

兵たちは馬を引き、凍った道を進んだ。荷車が軋み、飼葉を積んだ駱駝が列を作った。


城内では、ティムールの熱が少し下がっていた。

侍医は脈を取り、もう一度確かめた。

「陛下」

ティムールは目を開けた。

「何だ」

「熱が下がっております」

「知っている」

「脈も昨日より強うございます」


ティムールは寝台の縁に手をついた。

「杖を」

侍医は驚いた。

「陛下、まだお立ちになるのは」

「余は立つ」

侍医が杖を差し出した。

ティムールはそれを握り、身体を起こした。


右脚に力が入らなかった。

一度、膝が折れた。

侍医が支えようとすると、ティムールは手で制した。

しばらく息を整え、もう一度立ち上がった。

今度は立てた。


「馬を」


侍医は頭を下げた。


******


シャー・マリクが城の中庭に入ったとき、ティムールはすでに外に出ていた。

毛皮の外套をまとい、杖をついていた。

顔は痩せ、頬はこけていた。歩くたびに右脚を引きずっていた。

それでも、自分の足で歩いていた。


シャー・マリクは馬から飛び降りた。

「陛下!」

ティムールは振り返った。

「先鋒は」

「川を越えました」

「兵糧は」

「後続の荷車が到着しております」

「道案内は」

「さらに三人、見つかりました」

ティムールは頷いた。

「馬を連れてこい」


黒い馬が引かれてきた。

ティムールは杖を従者に渡した。

鐙に足をかけようとしたが、右脚が上がらなかった。

従者が膝をついた。ティムールはその肩に手を置き、身体を持ち上げた。

鞍に腰を下ろすと、馬が一歩動いた。

ティムールは手綱を引いた。


ヌールッディーンも中庭に入ってきた。

「陛下、お身体は」

「余の身体なら、ここにある」

ティムールは馬上から二人を見た。

「軍を進めるぞ」


ヌールッディーンは頭を下げた。

「御意」


シャー・マリクも頭を下げた。

「御意」


ティムールは馬をゆっくりと歩かせた。

城門の外では、兵たちが道を開けた。


最初は誰も声を出さなかった。


やがて一人が叫んだ。

「大アミール万歳!」


別の兵が叫んだ。

「大アミール万歳!」


声は次々に広がった。

シャー・マリクはその声を聞きながら、馬に乗った。

数日前まで、軍の誰もが主君の死を覚悟していた。

ピール・ムハンマドの名が挙がり、ハリール・スルタンの動向が話題になり、シャー・ルフへの使者が走った。


だが、ティムールは生きていた。


シャー・マリクは前を行く老人の背中を見た。

右脚を引きずり、馬に乗るにも人の助けが必要な男だった。

その男が馬を進めると、数万の兵が動き始めた。


ティムールは振り返らなかった。

シル川の向こうには、まだ雪の残る草原が続いていた。

その先にモグーリスタンがあり、さらに東にヒターイがあった。


ティムールは馬の腹を蹴った。

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