デリーの炎
一三九八年十二月。デリーの北西、ジュムナー川のほとり。
ティムールの陣営には、十万の捕虜がいた。
数は正確ではない。捕らえた者の中には、戦闘で得た兵士もいれば、村から連行された農民もいた。商人、職人、巡礼者もいた。
捕虜は諸将の部隊に分けて拘束され、夜になると、縄を解こうとする者の悲鳴や、見張りに殴られる音が聞こえた。
夕刻、諸将が本営に召集された。
冬の空気は冷たかった。天幕の外では馬の鼻息が白くなっていた。
ティムールは敷物の上に座り、右脚を伸ばしていた。
六十二歳。右手の指にも古傷があり、立ち上がるときには杖を使うことがあった。
だが、彼の前でその脚に視線を落とす者はいなかった。
ジャハーンシャー・バルラスが捕虜の報告を終えると、ティムールは尋ねた。
「敵は」
「デリーの軍勢は、市の北方に集結しております。スルタンの軍には戦象がございます」
「数は」
「百を下らぬと」
「象ではない。敵の数だ」
ジャハーンシャーが兵数を答えると、ティムールはしばらく黙っていた。
外で馬がいなないた。
「捕虜を殺せ」
誰も動かなかった。
ジャハーンシャーは顔を上げた。
「全員でございますか」
「そう言った」
「十万に近い数でございます」
ティムールは彼を見た。
ジャハーンシャーは口を閉じた。
「明日、余が敵と戦っている間に、あの者どもが縄を解いたらどうなる」
「後方を襲われます」
「何人の兵を残す」
「二万もあれば――」
「二万」
ティムールはその数字を繰り返した。
「敵の前に二万を置くのと、後ろに二万を置くのと、どちらがよい」
ジャハーンシャーは答えなかった。
「日が暮れるまでに済ませよ」
命令はそれで終わった。
諸将が立ち上がると、一人の若いアミールが足をもつれさせた。敷物の端に膝をつき、慌てて立ち直ったが、ティムールは見向きもしなかった。
外へ出たジャハーンシャーは、しばらく天幕の前に立っていた。
彼の部隊には五千人ほどの捕虜がいた。
その中には、昨日まで道案内をしていた老人もいた。川の浅瀬を教えた礼として命を助けられると信じていた男だった。
ジャハーンシャーは馬を呼んだ。
「各千人隊長を集めろ」
声が少し掠れた。
「日没までだ」
その夜、陣営の各所で処刑が始まった。
初めは捕虜たちも何が起きるのか分からなかった。数人ずつ連れ出される者を見て、別の場所へ移されるのだと思っていた者もいた。
やがて、戻ってくる者が一人もいないことに気づいた。
叫び声が上がった。縄を引きちぎろうとする者がいた。見張りの足にすがりつく者がいた。ある男は、自分がムスリムであることを繰り返し訴えた。
剣を持つ兵の中にも、手が震える者がいた。
それでも処刑は続いた。
本営では、ティムールが翌日の戦場の地形を聞いていた。
川の位置、敵陣までの距離、地面の乾き具合、象の通れる道。
報告を聞きながら、彼は時折、右脚をさすった。
夜半、処刑の終了を知らせる使者が来た。
「終わったか」
「はい」
「逃げた者は」
「なお調べております」
「夜明けまでに調べよ」
ティムールは使者を下がらせた。
それから、翌朝の出陣時刻を命じた。
******
翌朝、霧が晴れると、デリーの軍勢が見えた。
平原の向こうに、巨大な動物が並んでいた。
象である。
背には櫓が組まれ、武装した兵士が乗っていた。額には金属の防具が取りつけられ、長い牙には刃物が結びつけられているものもあった。
その姿を見たティムール軍の前列から、低いざわめきが起こった。
馬が耳を伏せた。
中央軍のアミールの一人が、象の列を指した。
「あれが突進してまいれば、騎兵では支えきれませぬ」
ティムールは馬上から敵陣を眺めていた。
「誰が支えろと言った」
アミールは黙った。
彼は側近を呼んだ。
「昨日掘らせた溝は」
「完成しております」
「杭は」
「打ち終えました」
「牛を前へ」
牛や水牛の群れが、軍の前方へ引き出された。荷車や木材も運ばれた。
ティムールはそれらを配置させた。
中央正面には障害物を置き、象の突進を妨げる。騎兵は左右に展開させ、敵の側面を狙わせる。
敵の象を見て動揺していた兵たちは、命令に従って持ち場を移った。
一人のアミールが進み出た。
「陛下。占星術師たちが、お目通りを願っております」
ティムールは顔を向けた。
「何用だ」
「本日の星回りについて」
「呼べ」
ほどなく、三人の占星術師が連れてこられた。
最年長の男は白い髭を胸まで垂らしていた。彼は地面に膝をつき、挨拶を述べた。
ティムールは黙って聞いていた。
男は慎重に話し始めた。
「偉大なるアミールよ。今朝の天象を調べましたところ、火星と土星の位置に、まことに憂慮すべき徴が――」
「何が起こる」
男は言葉を詰まらせた。
「戦いをお始めになるには、吉兆とは申せませぬ」
「敗れると言うのか」
「そのように断じるものではございません。ただ、サーヒブ・キラーンたる御身におかれましても、星々の結合を慎重に――」
ティムールの表情が変わった。
「星だと」
男は頭を下げた。
「はい」
「サーヒブ・キラーンだと」
その声を聞いて、近くにいた将兵が振り向いた。
「星が余に命じるのか!」
占星術師は地面に額をつけた。
「決して、そのような――」
「余の勝ちも負けも、喜びも悲しみも、星が決めると言うのか!」
ティムールは馬を進めた。
三人の占星術師は身を縮めた。
「余が信じるのはアッラーのみだ。天の星を数えたところで、明日の命が保証されるものか!」
彼は右手を上げた。
周囲の者たちが一斉に静まった。
「クルアーンを持て」
書物が運ばれてきた。
ティムールはそれを開かせ、現れた章句を読ませた。
朗誦が終わるまで、誰も口を開かなかった。
ティムールは占星術師たちを見下ろした。
「下がれ」
三人は這うようにして退いた。
ティムールは馬首を返した。
「太鼓を打て」
軍太鼓が鳴り始めた。
最初は中央軍の太鼓だった。続いて左右の翼から応じる音が起こり、平原全体が低く震えた。
敵陣でも太鼓が鳴った。
そして、象の群れが動き始めた。
******
デリー軍の中央が前進した。
象はゆっくりと歩き始め、やがて速度を増した。地面が震え、櫓の上から矢が降ってきた。
ティムール軍の前列で、馬が暴れた。
象の一頭が鼻を振り上げ、金属の飾りを鳴らした。兵士が落馬した。
「退くな!」
千人隊長が叫んだ。
しかし、中央の騎兵は後退を始めていた。
敵陣から歓声が上がった。
デリーの将兵には、ティムールの中央が崩れかけているように見えた。
象はさらに前へ出た。
そのとき、先頭の一頭が溝の前で足を止めた。
後続の象が押し寄せ、列が乱れた。
木材と荷車が行く手を塞いでいた。象使いが鉤棒を振るい、前進させようとしたが、象は横へ向きを変えた。
そこへ矢が飛んできた。
櫓の上の兵士が倒れ、別の象が悲鳴を上げた。
象使いが背から落ち、巨大な動物がその場で旋回した。
ティムールは高所から戦場を見ていた。彼のそばには、伝令が数人控えていた。
「右翼を進めよ」
一人が駆け出した。
「左翼はまだ動かすな」
二人目の伝令が待った。
中央では、象の群れが障害物の前で混乱していた。デリーの歩兵が、その後方から押し寄せてくる。
ティムールは、敵の右翼に視線を移した。
そこでは騎兵が前進を始めていた。
彼は手を上げた。
「今だ」
左翼への伝令が走り、ティムールの騎兵が一斉に動いた。
砂埃が天を覆うように舞い上がった。
敵の側面へ回り込んだ騎兵が矢を浴びせ、デリーの隊列が乱れた。後方の兵は前へ進もうとし、前列の兵は象を避けようとして押し戻された。
一頭の象が突然向きを変え、続いて別の象が走り出した。
象使いが叫んだが、巨体は止まらなかった。
櫓が傾き、兵士が地面に投げ出される。
逃げる象が味方の歩兵を踏み潰した。
ティムールはそれを見ていた。
「中央を進めよ」
「しかし、象がまだ――」
伝令の一人が言いかけた。
ティムールが無言で顔を向けると、男は言葉を呑み込んだ。
「中央を進めよ!」
伝令は馬を走らせ、軍太鼓の調子が変わった。
中央軍が前進を始めた。
デリーの歩兵は、左右から迫る騎兵と、正面から進むティムール軍の間に押し込められた。
スルタンの旗が大きく揺れた。
敵の指揮官たちは、象を立て直そうとした。しかし、逃げる兵と暴れる象が道を塞ぎ、命令は届かなかった。
ティムールは右手を伸ばした。
「敵の旗を見失うな」
近くにいたアミールが答えた。
「御意」
「逃げ道を塞げ」
騎兵がさらに進んだ。
デリーの戦列は完全に崩壊した。
敗走する兵士が川へ向かった。武器を捨てる者がいた。鎧を脱ぎ捨てる者もいた。
象の一頭が、櫓を載せたまま戦場を横切って逃げた。ティムールはその姿を見送った。
「追え」
彼は短く命じた。
「スルタンを逃がすな」
******
戦いが終わると、ティムールは馬を下りた。
従者が差し出した杖を受け取り、右脚を引きずりながら天幕へ入る。
諸将が集まり、戦果が報告された。
捕らえた象の数。奪った旗。敵の死者。戦利品。
ティムールはそれらを一つずつ聞いた。
やがて、ジャハーンシャーが進み出た。
「デリーのスルタンは逃走いたしました」
ティムールは彼を見た。
「どこへ」
「市内へ戻ったのち、さらに逃れたと」
「追手は」
「出しております」
「遅い」
ジャハーンシャーは深く頭を下げた。
ティムールはしばらく黙った。
「象は」
「多数を捕らえました」
「サマルカンドへ送れ」
ジャハーンシャーが顔を上げた。
「象を、でございますか」
「そうだ」
「長い道のりになります」
「歩かせよ」
ティムールは水を飲んだ。
「石を運ばせる」
誰もすぐには意味を理解しなかった。
ティムールは続けた。
「サマルカンドに、大きなモスクを建てる」
その声には、先ほど占星術師に向けた怒りの痕跡はなかった。
「インドの石工も連れていけ」
諸将は命令を受けた。
ティムールは外を見た。
夕日がデリーの方角へ沈みかけていた。
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デリーは降伏した。
市内には、なお多くの住民が残っていた。
ティムールの軍が入城しても、はじめは秩序が保たれていた。住民は家に閉じこもり、商人は店の扉を閉ざした。
しかし、やがて徴発と略奪が始まった。
兵士たちは金銀を求めて家々に押し入り、抵抗した者を殺した。住民が反撃し、各所で戦闘が起きた。
火が放たれ、乾いた木材と布が燃え、炎は家から家へ広がった。
逃げる人々が通りにあふれた。
子を抱えた女が倒れた。老人が門の前で踏みつけられた。寺院や邸宅から煙が上がった。
兵士たちは財宝を奪い、捕虜を連れ出した。
ティムールは報告を受けた。
「市内で騒乱が起きております」
「誰が始めた」
「兵が財を求め、住民が抵抗したと」
「将は何をしている」
「鎮圧に向かっております」
ティムールは窓の外を見た。
遠くに煙が上がっていた。
「財を集めよ」
彼は言った。
「職人を殺すな」
使者が去った。
別の使者が来た。
「市の南部でも火災が広がっております」
ティムールは答えなかった。
「住民が多数、殺されております」
沈黙が続き、使者は顔を伏せた。
ティムールはようやく口を開いた。
「逃げたスルタンは見つかったか」
「いまだ」
「追え」
使者は退いた。
デリーの火は、それから幾日も燃え続けた。
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一四〇四年、秋。
サマルカンド。
ビービー・ハーヌム・モスクの巨大な門が、青空の下にそびえていた。
石工たちは足場に登り、壁面の装飾を直していた。釉薬をかけた煉瓦が陽光を受け、青く光っていた。
広場には、各地から集められた職人たちがいた。
ペルシア人、アゼルバイジャン人、シリア人、インド人。
言葉も服装も異なる彼らが、同じ建物のために働いていた。
門の前に、一人の老人が立っていた。
背は高く、肩幅が広かった。右脚をかばうように立ち、杖を持っていた。
ティムールである。
彼は門を見上げていた。
石工の親方が、少し離れたところに控えていた。
「まだ終わらぬのか」
ティムールが尋ねた。
親方は頭を下げた。
「装飾の一部が、冬の寒さで傷みました」
「直せ」
「御意」
「来年までに」
親方は顔を上げた。引きつっていた。
「来年でございますか」
ティムールは彼を見た。
親方は慌てて頭を下げた。
「必ずや」
ティムールはそれ以上何も言わなかった。
彼は杖をつき、ゆっくりと歩き始めた。
近くにいた職人たちが慌てて作業の手を止め、道を開けた。
その中に、デリーから連れてこられた石工がいた。
男は四十歳ほどだった。六年前、デリーで妻と二人の子を失っていた。
ティムールが近づくと、男は顔を伏せた。
彼は、目の前の老人が誰なのか知っていた。デリーで何が起きたのかも知っていた。
ティムールは彼の前で足を止めた。
「おまえはインドの者か」
男は答えた。
「はい」
「名は」
男が名乗った。
ティムールは、男の手に持たれた石を見た。
「何を作っている」
「花の文様でございます」
「見せよ」
男は石を差し出した。
ティムールはそれを受け取り、しばらく眺めた。
細かな花弁が彫られていた。
「よい」
それだけ言って、石を返した。
男は深く頭を下げた。
ティムールは歩き去った。
男はそれから長い間、顔を上げなかった。
******
その日の午後、シャー・ルフが父のもとを訪れた。
ヘラートから来た彼は、三十代の半ばに差しかかっていた。父に似て背が高く、顔立ちは穏やかだったが、眼差しには慎重さがあった。
彼は広間に通された。
ティムールは低い座に腰を下ろしていた。
シャー・ルフが挨拶を述べると、父は短く頷いた。
「座れ」
シャー・ルフは向かいに座った。
しばらく沈黙があった。
父の前に置かれた卓には、東方の地図が広げられていた。
シャー・ルフはそれを見た。
「遠征の御準備でございますか」
「そうだ」
「どちらへ」
ティムールは答えなかった。
代わりに、地図を指した。
サマルカンドから東へ。
モグーリスタンを越え、さらに遠くへ。
シャー・ルフは父の指先を追った。
「ヒターイでございますか」
「そうだ」
シャー・ルフは顔を上げた。
「父上。ヒターイは、これまでの敵とは違います」
ティムールは黙っていた。
「人口も、軍勢も、都市の数も。デリーやアナトリアとは比べものになりませぬ」
「知っている」
「距離もございます。軍を進めるだけで、幾月もかかりましょう」
「知っている」
シャー・ルフは言葉を選んだ。
「では、なぜ」
ティムールは地図から目を離した。
「余は昔、東へ向かおうとしたことがある」
シャー・ルフは黙って聞いた。
「ピール・ムハンマドがインドで苦戦した。余は軍を南へ向けた」
「存じております」
「デリーを取った」
「はい」
「西へ行った。バヤズィトを捕らえた」
ティムールは杖を手に取った。
「今度は東だ」
シャー・ルフは父を見つめた。
「父上は、何をお求めなのですか」
ティムールは答えなかった。
広間の外から、庭園の水音が聞こえていた。
シャー・ルフは続けた。
「父上が築かれたものは、あまりに大きい。これ以上広げれば、誰が治めるのです」
「おまえたちだ」
「私どもに、それだけの力があるとお考えですか」
ティムールは息子を見た。
「ないのか」
シャー・ルフは答えなかった。
父の目は動かなかった。
「父上」
彼はようやく口を開いた。
「御身に万一のことがあれば、帝国は――」
「万一とは」
「お年のこともございます」
ティムールはしばらく息子を見ていた。
シャー・ルフは視線を逸らさなかった。
やがて父は言った。
「余が死ぬと」
「そのようなことを願っているのではございませぬ」
「分かっている」
ティムールは杖を床に置いた。
「おまえは、余が死んだ後のことを考えている」
「はい」
「ならば考えよ」
シャー・ルフは眉を寄せた。
「父上」
「余は生きている」
それだけだった。
長い沈黙が続いた。
シャー・ルフは、父の顔に何かを探した。しかし、そこには何も現れなかった。
やがてティムールは立ち上がった。
右脚に体重をかけると、わずかに顔をしかめた。シャー・ルフが立ち上がろうとすると、父は手で制した。
「座っておれ」
ティムールは窓の方へ歩いた。
庭園には水路が走り、秋の陽光が木々の葉を照らしていた。遠くに、モスクの巨大な門も見えた。
ティムールはそれを眺めた。
「余がいない間、サマルカンドを頼む」
シャー・ルフは父の背を見た。
「御意」
ティムールは振り向かなかった。
「モスクを完成させよ」
「はい」
「庭園の水を絶やすな」
「はい」
しばらくして、ティムールは言った。
「ウルグ・ベグは元気か」
シャー・ルフは少し驚いた。
「はい。書物ばかり読んでおります」
「馬には乗るか」
「乗りますが、書物の方を好みます」
ティムールは小さく鼻を鳴らした。
それが笑いだったのか、軽蔑だったのか、怒りだったのか、シャー・ルフには分からなかった。
「連れてこい」
「ウルグ・ベグを、でございますか」
「出陣前に会う」
シャー・ルフは頷いた。
ティムールは再び庭を見た。
「下がれ」
シャー・ルフは立ち上がって、父に礼をした。
広間を出る前に、一度だけ振り返った。
ティムールは窓辺に立って庭の方を見ているままだった。
******
夜、サマルカンドの街に灯がともった。
市場の店が閉まり、モスクから祈りの声が聞こえた。
シャー・ルフは宿舎で書簡を書いていた。
父が東へ向かう。
その知らせを、各地へ伝えなければならなかった。
彼は筆を止めた。
父の言葉が耳に残っていた。
――余は生きている。
シャー・ルフは窓の外を見た。
サマルカンドの夜空には、無数の星が輝いていた。
六年前、デリーの戦場で占星術師が不吉を告げたことを、彼も聞いていた。
そのとき父は激怒したという。
星の運行など、余の運命には関わりがない。
そう言い放った男が、翌日、デリーの軍を破った。
シャー・ルフは筆を取り直した。
書簡の冒頭に、父の名を書いた。
アミール・ティムール。
彼はしばらく、その文字を見つめていた。
******
同じ頃、ティムールは本営で東方からの報告を聞いていた。
ヒターイの皇帝は、甥から帝位を奪った男だった。
その名は朱棣。
北方で長く軍を率い、戦争によって皇帝となったという。
ティムールは使者に尋ねた。
「ヒターイの皇帝はどこにいる」
「南京にございます」
「カンバリクは」
「明では北京と呼んでおります」
ティムールは地図を見た。
「そこには誰がいる」
「燕王であった朱棣の旧領にございます。現在も北方の重要な拠点となっております」
「道は」
使者が地図の上に指を置いた。
ティムールはそれを眺めた。
しばらくして、彼は指を伸ばした。
「ここに山がある」
「はい」
「越えられるか」
「道はございますが、冬は雪に閉ざされます」
「春は」
「雪解けの水が出ます」
ティムールは頷いた。
「では、冬に越える」
使者は顔を上げた。
「冬でございますか」
ティムールは彼を見た。
「雪があるのだろう」
「はい」
「水もある」
使者は黙った。
ティムールは地図を閉じさせた。
「準備を進めよ」
使者が下がると、ティムールは一人になった。
外では夜風が吹いていた。
彼は右脚を伸ばし、しばらく動かなかった。
やがて、机の上に置かれた小さな石を手に取った。
昼間、インドの石工が彫っていた花の文様だった。
ティムールはそれを眺めた。
細かな花弁が、石の表面に刻まれていた。
彼は石を置き、東方の地図を再び開いた。
その先には、明の国があった。




