第8話 暴かれる偽りのブランド
第8話 暴かれる偽りのブランド
会場の空気は、壊れる直前のガラスみたいだった。
誰も笑わない。
音楽だけが場違いに流れている。
シャンデリアの光がワイングラスへ反射し、白い壁に揺れていた。
絃は真紅のドレスの裾を静かに握る。
視線が刺さる。
ざわめき。
ひそひそ声。
「本当に娘なの……?」
「施設ってどういうこと?」
「聞いてないぞ……」
香苗は青ざめたまま立ち尽くしていた。
いつもの余裕ある笑顔は消えている。
ルナは絃を睨みつけた。
「なんなのよ……急に出てきて……!」
絃は答えない。
その時だった。
会場後方のスクリーンが突然暗転する。
ブツッ、と音が切れた。
「え?」
司会者が振り返る。
次の瞬間。
巨大スクリーンに、一枚の資料が映し出された。
【白鷺グループ資金流用記録】
会場がざわつく。
「なにこれ……」
香苗の顔色が変わった。
「ちょ、ちょっと待って!」
次々と数字が表示される。
寄付金。
施設支援金。
慈善事業費。
そして、その送金先。
高級ブランド。
海外口座。
宝飾品購入履歴。
会場が静まり返る。
「嘘だろ……」
「横領……?」
ルナが悲鳴を上げた。
「止めて!!」
だが止まらない。
次の瞬間、音声データが流れた。
『役立たず!!』
香苗の怒鳴り声。
『食べる価値もないくせに!』
会場の空気が凍る。
続けて、ルナの声。
『ほんっと邪魔なんだけど』
『死ねば?』
絃は静かに目を閉じた。
あの屋根裏部屋。
冷たい床。
痛む頬。
全部が蘇る。
けれど今は震えなかった。
会場ではどよめきが広がっている。
「これ本物……?」
「虐待……?」
「施設って……」
香苗が取り乱して叫ぶ。
「違うの!! 編集よ!!」
その瞬間。
スクリーンに新しい映像が映った。
幼い絃のデザイン画。
日付入り。
その横へ、ルナの発表したドレスデザイン。
完全一致だった。
会場が息を呑む。
「盗作……」
「え……」
「うそでしょ」
ルナの顔から血の気が消える。
「ち、違……!」
絃は静かにルナを見た。
泣きそうな顔。
震える肩。
でも絃は、もう同情できなかった。
その時。
スマホの通知音があちこちで鳴り始める。
ピコン。
ピコン。
ざわめきが広がる。
「配信されてる!」
「SNSで回ってるぞ!」
「待って、コメント数やばい!」
誰かがスマホ画面を読み上げた。
『え?』
『胸糞すぎ』
『施設支援って嘘だったの?』
『最低』
『子供の金盗むとか人間?』
『ルナ終わったな』
『今まで感動してた自分バカみたい』
炎上だった。
今まで賞賛していた人間たちが、一瞬で牙を剥く。
香苗の顔が引き攣る。
「やめなさい……!」
だが誰も止めない。
もう空気が変わっていた。
スポンサー席の男が険しい顔で立ち上がる。
「白鷺社長」
低い声。
「説明していただけますか」
「これは誤解で……!」
「寄付金横領が誤解?」
別のスポンサーも口を開く。
「うちのブランドは降ります」
「……!」
「児童虐待疑惑のある企業と組むつもりはない」
ざわめきが大きくなる。
「うちも契約見直しだな」
「イメージ最悪だ」
香苗の呼吸が荒くなる。
完璧だった世界が、音を立てて崩れていく。
ルナは泣きながら叫んだ。
「なんでよぉ!!」
涙でメイクが崩れる。
「私は悪くない!!」
誰も慰めない。
その時だった。
ルナの隣にいた男が、一歩離れた。
婚約相手だった。
大手財閥の御曹司。
彼は冷たい目でルナを見る。
「……全部、本当なんですか」
「ち、違うの!」
「あなた、自分のデザインじゃなかったんですね」
「違っ……!」
「俺、嘘つき嫌いなんですよ」
静かな声だった。
けれど残酷だった。
「婚約は白紙で」
ルナの顔が崩れる。
「やだ……!」
「失礼します」
男は去っていく。
ルナは崩れ落ちた。
白いドレスが床へ広がる。
絃はその姿を見下ろした。
昔、自分はこの人に憧れたことがあった。
綺麗で。
眩しくて。
自由そうで。
でも違った。
ルナはずっと空っぽだった。
だから他人のものを盗むしかなかった。
香苗が絃へ掴みかかろうとする。
「あんた……!」
だが警備員が止めた。
「おやめください!」
「離して!!」
香苗は完全に取り乱していた。
髪が乱れ、ドレスが崩れ、さっきまでの“聖母”の顔は消えている。
絃は静かに近づいた。
香苗が息を呑む。
真紅のドレスが目の前で揺れる。
絃は低く言った。
「綺麗ですね」
「……え」
「人って、落ちる時が一番本性出るんですね」
香苗の顔が歪む。
「……っ!」
その時。
会場入口が開く。
制服姿の警察官たちが入ってきた。
空気が凍る。
「白鷺香苗氏」
冷たい声。
「業務上横領、および児童虐待等の容疑で事情聴取を行います」
香苗が後退る。
「いや……」
「同行をお願いします」
「いやぁぁぁ!!」
絶叫が響いた。
ルナも泣き叫ぶ。
「お母さん!!」
その声を聞きながら、絃は静かに立っていた。
不思議だった。
もっとスッキリすると思っていた。
もっと笑えると思っていた。
でも実際は違う。
ただ、長かった悪夢が終わろうとしている。
そんな感覚だけだった。
会場の巨大スクリーンには、まだ燃え続けるコメント欄が映っている。
『最低』
『胸糞』
『許せない』
けれど絃は、もう画面を見なかった。
真紅のドレスの裾を翻し、ゆっくり歩き出す。
その背中へ、誰かが息を呑む声が聞こえた。
今夜、偽物のブランドは終わった。
そして。
踏みにじられていた少女は、自分の人生を取り戻した。




