第7話 真紅のオートクチュール
第7話 真紅のオートクチュール
雪が降りそうな夜だった。
ホテル「グランフォート東京」は、まるで別世界みたいに光り輝いていた。
巨大なシャンデリア。
赤い絨毯。
磨き抜かれた大理石。
入口には報道陣が並び、フラッシュが絶え間なく瞬いている。
『白鷺グループ慈善記念パーティー』
巨大ブランド同士の合併発表。
そして。
白鷺ルナと、大手財閥御曹司との婚約発表。
今夜は業界中の視線が集まっていた。
「香苗さん!」
「こちら向いてください!」
「ルナさん、婚約おめでとうございます!」
歓声の中、香苗は完璧な笑顔を浮かべていた。
白銀のドレス。
首元のダイヤモンド。
慈愛に満ちた微笑み。
「ありがとうございます」
柔らかな声。
まるで本当に幸福な人生を歩いてきた人間みたいだった。
ルナも嬉しそうに笑う。
「今日のドレス、ルナさんのデザインですか!?」
「はい」
ルナは髪をかき上げた。
「“再生”がテーマなんです」
拍手が起きる。
香苗は満足そうに娘を見た。
全部、手に入れた。
そんな顔だった。
会場内では生演奏が流れ、シャンパンの甘い香りが漂っている。
招待客たちは笑い合い、グラスを傾けていた。
「白鷺グループ、完全復活だな」
「ルナさん、本当に才能あるよ」
「香苗社長もすごい手腕だ」
誰も疑わない。
誰も知らない。
その時だった。
入口付近がざわめいた。
「……え?」
「誰……?」
空気が変わる。
フラッシュが止まる。
視線が一斉に入口へ集まった。
ヒールの音が静かに響く。
カツ、カツ、とゆっくり。
そして。
女が現れた。
真紅。
最初に見えたのは、深い赤だった。
燃えるみたいな赤。
けれど下品じゃない。
夜の薔薇みたいに静かで、冷たい美しさ。
ドレスの裾が床を滑る。
シルクの生地が照明を受け、艶やかに揺れていた。
肩から背中へ流れる曲線。
腰を締める繊細なライン。
歩くたび、何層にも重なった布が波のように揺れる。
その場の誰もが息を呑んだ。
「……綺麗」
誰かが呟く。
女はゆっくり顔を上げた。
短く切った黒髪。
真紅の口紅。
そして、凍るほど静かな目。
絃だった。
香苗の手からグラスが滑り落ちる。
甲高い音。
赤ワインが床へ飛び散った。
「……っ」
香苗の顔色が変わる。
ルナも硬直したまま動けない。
「な……」
唇が震えている。
「なんで……」
絃は何も言わない。
ただ静かに歩く。
会場の中心へ。
視線を浴びながら。
昔の絃なら耐えられなかった。
人前が怖かった。
視線が怖かった。
否定されるのが怖かった。
けれど今は違う。
このドレスが、自分を守ってくれている。
母が残した布だった。
昔、母が舞台衣装として使っていた真紅のシルク。
捨てられたと思っていた形見。
父が密かに保管していた。
絃はそれをほどき、縫い直した。
何日も眠らず。
何度も指を刺しながら。
まるで、自分自身を縫い直すみたいに。
そのドレスを纏った瞬間、もう誰にも壊されないと思えた。
「どちらの方……?」
「モデル?」
「海外デザイナー?」
ざわめきが広がる。
絃は香苗たちの前で止まった。
近くで見ると、二人の顔は引き攣っていた。
ルナが掠れた声を出す。
「……絃?」
その名前に周囲がざわつく。
「え?」
「絃って……」
香苗が顔を青くした。
「な、なんで……生きて……」
その瞬間。
絃の中で何かが静かに切れた。
生きていてはいけなかったのか。
施設で消えていくと思っていたのか。
寒い部屋で。
誰にも知られず。
壊れて死ぬと思っていたのか。
絃は微笑んだ。
ゆっくり。
冷たく。
「残念でしたね」
香苗の肩が震える。
「な、なにしに来たの……!」
声が裏返っていた。
周囲の招待客たちが異変に気付き始める。
ルナが慌てて笑顔を作った。
「あ、あはは! びっくりしたぁ! 絃ちゃん元気だったんだ!」
嘘臭い声。
絃は黙ってルナを見る。
ルナのドレスは白だった。
高価なビジュー。
完璧なヘアメイク。
でも。
空っぽに見えた。
絃は静かに言う。
「似合わないね」
「……え?」
「そのドレス」
ルナの顔が強張る。
「なに……」
「服って、着る人間が透けるから」
空気が張り詰める。
絃はゆっくり会場を見渡した。
眩しい照明。
笑顔の人々。
偽物の拍手。
全部、薄っぺらく見える。
昔は憧れていた。
この世界に。
でも今は違う。
こんなもの、壊れてしまえばいいと思った。
司会者が困惑した顔で近づいてくる。
「えっと……こちらは?」
香苗が慌てて叫ぶ。
「関係ない子よ!」
絃は香苗を見る。
「関係なくありません」
その声は静かだった。
けれど会場中に響くほど冷たかった。
「私は白鷺絃」
沈黙。
「白鷺グループ創業者、白鷺恒一の実娘です」
空気が凍った。
ざわめき。
「え……?」
「娘いたの?」
「施設って噂の……?」
香苗の顔から血の気が引いていく。
ルナが絃を睨む。
「なんなのよ……っ」
絃は真っ直ぐ見返した。
逃げない。
もう絶対に。
真紅のドレスが照明の下で燃えるように揺れる。
それは喪服じゃない。
敗者の色でもない。
これは戦うための赤だった。




