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第4話 偽物のランウェイ

第4話 偽物のランウェイ


 会場へ近づくにつれ、空気の匂いが変わっていった。


 香水。


 磨かれた床のワックス。


 高級シャンパン。


 そして、新品の布地の匂い。


 巨大なガラス張りの展示ホールは、昼間だというのに眩しいほどの照明で照らされていた。入口にはブランドロゴが掲げられ、モデルや記者、関係者たちが絶えず出入りしている。


 白鷺グループ春季展示会。


 かつて父が立ち上げたブランド「SIRAGI」の新作発表会だった。


「緊張していますか」


 隣を歩く蓮司が低く訊いた。


 絃は小さく首を振る。


「……わかりません」


 本当は、心臓が痛いくらい鳴っていた。


 黒いパンツスーツ。


 シンプルな白シャツ。


 細いヒール。


 鏡の中の自分は、施設にいた少女とは別人みたいだった。


 蓮司が選んだ服だ。


「目立たないように」


 そう言われたが、この服は不思議と絃に勇気をくれた。


 布が違う。


 仕立てが違う。


 歩くだけで背筋が伸びる。


 父の会社の技術だった。


 入口で受付係が微笑む。


「ご招待状を確認いたします」


 蓮司が封筒を差し出した。


 係員の目の色が変わる。


「……九条法律事務所様」


「ええ」


「失礼いたしました。どうぞこちらへ」


 絃は息を呑む。


 昔、自分はこの場所を知っていた。


 幼い頃、父に連れられて来たことがある。


 職人たちが布を触り、ミシンの音が響き、誰もが真剣な顔で服を作っていた。


 あの頃の父は笑っていた。


『絃、服っていうのはな、人を綺麗にするだけじゃない』


 大きな手で布を撫でながら、父は言った。


『その人を守るんだ』


 懐かしい声が胸を刺す。


 今の会場は、あの頃と違っていた。


 巨大スクリーン。


 インフルエンサー。


 動画撮影。


 スマホを掲げる人々。


 まるで服そのものより、“映えること”の方が重要みたいだった。


「すごーい!」


「ルナちゃんまだ!?」


「今日の新作ヤバいらしい!」


 黄色い歓声が飛び交う。


 絃は視線を伏せた。


 会場奥に飾られたブランド写真。


 そこには香苗とルナが映っていた。


 香苗は女社長として気品ある笑みを浮かべ、ルナはスターみたいに笑っている。


 まるで、自分たちがこのブランドを築いた人間みたいに。


 絃の指先が小さく震えた。


「大丈夫ですか」


 蓮司が囁く。


「……はい」


 嘘だった。


 全然大丈夫じゃない。


 けれど、ここで崩れるわけにはいかなかった。


 突然、照明が落ちる。


 ざわめき。


 音楽が流れ始めた。


 低く重いビート。


 スクリーンにルナの顔が映る。


『SIRAGI New Collection』


 歓声が上がる。


 スポットライトの中、ルナがステージへ現れた。


 白いドレス。


 艶やかな髪。


 完璧な笑顔。


「みなさん、今日は来てくださってありがとうございます!」


 拍手。


 ルナは堂々としていた。


「今回のテーマは、“再生”です」


 絃の胸がざわつく。


「傷ついた人間でも、もう一度輝ける。そんな想いを込めました」


 その言葉に、会場は感動したような空気になる。


 だが絃は知っていた。


 ルナはそんなこと、一度も考えたことがない。


 傷ついた人間を踏みつけて笑う側だった。


「今回のメインドレス、私かなり苦しんだんですよね」


 ルナが笑う。


「この発想、天才すぎて」


 会場が笑う。


「ほんと、自分が怖くなっちゃって」


 スポットライトがランウェイ中央へ向く。


 そして。


 モデルが現れた瞬間。


 絃の呼吸が止まった。


 真紅のドレス。


 何枚もの布を重ねた繊細なグラデーション。


 裾へ流れるライン。


 肩から背中へ落ちるカッティング。


 忘れるはずがなかった。


 それは。


 母に見せたドレスだった。


『見て、お母さん』


 幼い自分。


 机いっぱいに広げたスケッチブック。


 色鉛筆で何度も描き直したデザイン。


『赤なのに、怖くないドレスにしたいの』


 母が笑う。


『綺麗ねぇ』


『強い女の人の服にしたい』


『絃らしいわ』


 その記憶が、一気に押し寄せる。


 絃の視界が揺れた。


 胸が苦しい。


 吐きそうだった。


「……っ」


 爪が掌に食い込む。


 ルナが得意げに語る。


「このドレス、“血を流しても立ち上がる女性”をイメージしてるんです」


 違う。


 違う。


 それは。


『泣いた女の子が、自分を好きになれる服』


 そう願って描いたものだった。


 なのに。


 どうして。


 どうしてあの人が。


 絃の目に涙が滲む。


 隣で蓮司が静かに言った。


「証拠映像、残っています」


 絃は顔を上げる。


「……え」


「あなたが描いていた当時のデータも、会長が保管していました」


 鼓動が跳ねる。


「すべて取り返せます」


 会場では拍手が鳴り響いていた。


 ルナはスターだった。


 誰も疑わない。


 誰も知らない。


 このドレスを描いた少女が、施設で古着を縫っていたことを。


 絃はステージを見つめた。


 真紅のドレスがライトを浴びて輝いている。


 綺麗だった。


 悔しいほど。


 自分が本気で描いたものだから。


 涙が頬を伝う。


 けれど、もう俯かなかった。


 絃は静かに唇を開く。


「……返してもらう」


 その声は小さかった。


 けれど確かに、怒りを孕んでいた。


 蓮司が視線を向ける。


 絃は涙を拭わない。


 まっすぐステージを見据えていた。


「私の人生も」


 震える声。


「お母さんの想いも」


 胸の奥で、何かが完全に変わった。


 これはもう、ただの復讐じゃない。


 奪われたものを取り戻す戦いだ。


 ルナが笑っている。


 香苗が拍手している。


 偽物の家族。


 偽物の成功。


 偽物のブランド。


 でも。


 全部、終わらせる。


 絃は静かに立ち上がった。


 黒いスーツの裾が揺れる。


 その姿はもう、泥だらけで泣いていた少女ではなかった。



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