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リプレイ・ミュージック ―35歳、もう一度だけ夢を見る―  作者: にゅん


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夜明けの途中

 佐倉紗月から返信が届いた翌日、隼人は昼休みになると校舎の端にある空き教室へ向かった。普段なら拓海たちと教室で昼食を取るところだが、今日は紗月に『夜明けの途中』を聞かせる約束をしているため、人の出入りが少ない場所を選んでいた。


 数分ほど待っていると、紗月が弁当箱とスマートフォンを抱えてやってきた。肩より少し長い髪を揺らしながら教室へ入るなり、隼人の向かいへ座る。


「昨日のメッセージ、本気だったんだ。私、最初は何かの冗談かと思ったんだけど」


「曲作ったから絵を描いてくれって、あんまり冗談で送らないだろ」


「だって隼人、絵を頼むどころか、自分で曲作ってるなんて今まで一度も言わなかったじゃん。ギター弾けるのは知ってたけど」


 それは当然だった。高校へ入学してから約2年間、隼人は自分が歌やDTMを練習していることを積極的には話していない。拓海でさえ、いつか1人でネットへ曲を出したいらしいという程度しか知らなかった。


「まだ誰にも聞かせられる状態じゃなかったからな。作ったって言っても、練習用の曲ばっかりだったし」


「じゃあ、昨日言ってた曲が初めて出すやつ?」


「その予定。まだ完成じゃないけど、かなり近いところまではできてる」


「それなら早く聞かせて。昨日から普通に気になってたんだから」


 紗月は弁当箱を机へ置き、期待するように身を乗り出した。隼人は少しだけ迷ってから、持ってきたスマートフォンへイヤホンを接続する。


 本来ならヘッドホンで聞かせたいところだが、学校へ持ってくるには少々大きい。今日の目的は音質の細かな確認ではなく、曲からどんな景色を感じるか聞くことなので、イヤホンでも十分だった。


「一応言っとくけど、まだ公開前だから他のやつには聞かせないでくれよ」


「分かってる。というか、そんな大事な曲を私が最初に聞いていいの?」


「絵を頼む相手が聞かないでどうするんだよ」


「それはそうだけど……何か急に緊張してきた」


「作った俺より緊張するなよ」


 イヤホンを渡し、再生ボタンを押す。


 静かなギターから曲が始まった。


 紗月の表情が少し変わる。


 隼人は何も言わず、その反応を見ていた。


 自分以外の誰かが『夜明けの途中』を最初から最後まで聞くのは、これが初めてだった。


 約2年間、誰にも聞かせなかった。


 拓海にも、両親にも聞かせていない。


 再生数どころか、他人の感想すら存在しなかった曲が、初めて自分以外の耳へ届いている。


 思ったより緊張する。


「……こういう感じなのか」


 小さく呟いたが、イヤホンをしている紗月には聞こえていない。


 ライブへ出た経験なら前世にいくらでもある。


 自分の曲を人前で演奏したこともある。


 客席がほとんど埋まらなかったライブも、逆にそれなりに盛り上がったライブも経験した。


 それなのに今は、たった1人に聞かせているだけで妙に落ち着かなかった。


 理由は分かっている。


 今回は、昔のバンドの曲ではない。


 自分が歌っている。


 自分で演奏し、自分で組み立て、自分の声で完成させようとしている。


 誰かの後ろに立つギタリストではなく、曲の中心に自分がいる。


 その違いは思った以上に大きかった。


 曲が終わる。


 紗月はすぐにイヤホンを外さなかった。


 数秒ほどそのまま黙り、画面へ視線を落としている。


「……どうだった?」


 さすがに隼人から聞いた。


 紗月はようやくイヤホンを外すと、最初に出てきたのは感想ではなく質問だった。


「これ、本当に隼人が歌ってるの?」


「そこから?」


「だって普段の声と全然違うんだけど」


「歌ってる時まで教室と同じ喋り方だったら、それはそれで嫌だろ」


「そういう意味じゃないって。何て言えばいいんだろ……思ってたより、ちゃんとしてた」


「褒め方下手だな」


「違う、かなり褒めてる!」


 紗月が慌てて言い直すので、隼人は笑ってしまった。


「じゃあ音楽の感想はそれでいいとして、絵を描く側として何が見えた?」


「切り替え早くない?」


「昼休み終わるからな」


「急に現実的……」


 紗月は少し考え、もう一度スマートフォンの画面へ視線を落とした。


「夜かな。でも真夜中じゃない。空が少し青くなってきてるくらい」


 隼人は黙って続きを待った。


「朝日はまだ見えない方がいいと思う。太陽が出てると、もう夜明けちゃった感じがするから。この曲って、まだ何も解決してないんでしょ?」


 その言葉に、隼人は少し驚いた。


「そう聞こえた?」


「うん。頑張れば絶対大丈夫とか、明日は全部良くなるとか、そういう歌じゃない気がする。でも止まってもない。だから……夜と朝の間くらい」


「いいな。それ」


 頼む相手を間違えなかったらしい。


 紗月は絵を描けるだけではなく、曲から受け取ったものを自分の言葉へ変えることができる。


「道とかあってもいいかも。真ん中に人が立ってるんじゃなくて、遠くに小さくいるくらい。誰なのか分からない方が、この曲には合いそう」


「顔は描かない?」


「描かない。というか、顔を見せたらその人の歌になっちゃう気がする」


 それも隼人の考えと合っていた。


 自分の顔を出すつもりはない。


 ならば映像の中に、自分の代わりとなる人物を大きく配置する必要もない。


「それでお願いしていい?」


「描きたい。普通に描きたい」


「じゃあ5,000円で」


「だから高いって。私まだ高校生だし、仕事で絵描いたことないよ?」


「俺だって仕事で曲出したことないぞ。条件同じだろ」


「でも友達から5,000円もらうの変な感じする」


「無料で何時間も作業してもらう方が、俺は変な感じするんだよ」


 紗月はしばらく納得していない顔をしていたが、最終的には隼人が押し切った。


「分かった。でも、その代わりちゃんと注文して。友達だから何でもいいとか言ったら怒るから」


「それは助かる。俺、絵については本当に分からないから、変なこと言ったら止めてくれ」


「そこは任せて」


 こうして『夜明けの途中』のイラスト制作が始まった。


 放課後になると、隼人はいつも通り授業を終え、アルバイトのない日は自宅へ戻った。紗月へ絵を頼んだからといって、音源が完成したわけではない。


 数ヶ月前に作ったデモを聞き直し、気になる部分を1つずつ修正していく。


 最初に手を入れたのはギターだった。


 以前の演奏でも大きな問題はない。


 しかし高校3年になった今なら、同じフレーズをもう少し自然に弾ける。必要以上に音を揃えようとせず、ほんの僅かな揺れを残した方が曲全体の雰囲気に合っていた。


 ベースは逆に、以前より動きを減らした。


「ここ、弾けるから動かしてるだけだな」


 自分で作ったデータへ容赦なく判断を下し、音を削る。


 前世ではベースも弾けることを見せたくなり、必要以上に動かしてしまうことがあった。今は曲を聞く側にとって必要かどうかを先に考えられる。


 鍵盤も同じだった。


 足すより、減らす。


 その結果、最初のデモより音数は少なくなったのに、曲そのものは広く感じられるようになった。


「余白って大事だな。昔の俺に聞かせたら、絶対この隙間に何か入れるだろうけど」


 自分で想像して笑う。


 そして最も時間が掛かったのは、やはり歌だった。


 高校1年から2年間続けてきた発声練習によって、技術だけならかなり安定している。


 音程を外すことは少ない。


 息も以前より長く使える。


 強弱も細かく調整できる。


 それでも、上手く歌えば完成するわけではなかった。


 最初のAメロを何度も録る。


 聞き返す。


 削除する。


 もう一度録る。


「綺麗すぎるな」


 また録る。


「今度は狙いすぎ」


 削除する。


「……面倒くせえ」


 思わず本音が漏れた。


 しかし嫌ではない。


 面倒ではある。


 それでも、もう一度マイクの前へ立つ。


 そんな作業を何日か繰り返しているうちに、隼人は自分が何を間違えているのか少しずつ理解した。


 曲の主人公を演じようとしすぎている。


 夜の中を歩いている誰かを想像し、その人物になろうとしていた。


 しかし、それでは少し遠い。


「別に俺が歌えばいいのか」


 35歳で夢を諦めた。


 音楽から離れた。


 それでも完全には嫌いになれなかった。


 神様に出会い、15歳へ戻った。


 そして2年間、誰にも知られないまま準備してきた。


 まだ成功していない。


 何も始まっていない。


 それでも、少しずつ前へ進んでいる。


 それなら無理に別の誰かを演じる必要はなかった。


 自分の経験をそのまま声へ置けばいい。


「もう1回だけやるか」


 録音を開始する。


 今度は、上手く歌おうとしなかった。


 声を綺麗に聞かせようとも考えない。


 歌詞の意味だけを追う。


 必要な場所で息を吸い、必要な言葉だけ少し前へ出す。


 最後まで歌い終わる。


 録音を止め、聞き返した。


「……これだな」


 技術だけなら、それまでの録音の方が綺麗だった場所もある。


 僅かに息が混じっている。


 語尾も完全には揃っていない。


 だが、その方が曲に合っていた。


 隼人はそのテイクを残した。


 完璧な100点を探して何十回も録り続けるつもりはない。


 自分の中で80点を超え、曲として伝えたいものが伝わるなら、そこで前へ進む。


 最初の人生では、100点を求めて止まってしまうことが何度もあった。


 今度は違う。


 完成させる。


 そして次へ行く。


 数日後、紗月から最初のラフが届いた。


 スマートフォンへ表示された絵を見て、隼人は思わず姿勢を正した。


 画面の大部分を占めるのは、夜明け前の空だった。


 上部にはまだ夜の濃い色が残り、地平線へ近づくほど僅かに明るくなっている。


 道路が奥へ伸びている。


 その先に、小さな人影が1つだけある。


 顔は見えない。


 性別も分からない。


 どこへ向かっているのかも分からない。


 ただ、立ち止まってはいなかった。


「……いいな」


 思っていた以上だった。


 隼人はすぐに返信する。


【かなり好き。方向性これでお願いしたい。人物は今くらい小さい方がいい。あと朝日は見せないでほしい。】


 数分後、紗月から返信が来た。


【私も朝日は出さないつもり。まだ夜明けの途中だから。】


「分かってるなあ」


 隼人は笑った。


 その日の夕食中、美智子から「何か最近楽しそうね」と言われた。


「そう?」


「前から音楽やってたけど、最近は特に。部屋から同じところ何回も歌ってるの聞こえるし」


「聞こえてたの?」


「そりゃ聞こえるわよ。防音室じゃないんだから」


 隼人は少し気まずくなった。


「うるさかった?」


「夜遅くにはやってないから大丈夫。でも、同じ歌ばっかりね」


「今作ってる曲だから」


「自分で作ったの?」


「まあ、そんな感じ」


 運命のダイスについて説明するわけにはいかない。


 ただ、現在の音源を自分で制作していることに嘘はなかった。


「完成したら聞かせてよ」


 美智子が何気なく言った。


 隼人は一瞬だけ箸を止める。


 最初の人生でも、母は自分の音楽を応援していた。


 バンドを始めた頃も。


 大学へ行かず音楽を続けると決めた時も。


 心配はしていたはずなのに、最後まで強く止めることはなかった。


 その結果、自分は何も返せなかった。


 そう考えかけて、隼人は止めた。


 今は違う。


 過去の借りを返すために音楽をするわけではない。


「公開する時になったら聞かせるよ」


「公開するの?」


「ネットに出してみようと思ってる。顔とか名前は出さないけど」


「へえ。高校生でもそういうことできるのね」


「むしろ高校生の方が多いんじゃない?」


「母さん、その辺全然分からないから」


 美智子はそう言って笑った。


 父も話を聞いていたらしく、「学校の成績落とすなよ」とだけ言った。


「分かってる。大学も行くつもりだし」


「なら好きにやればいい」


 それ以上、父は何も言わなかった。


 隼人にとっては、それくらいがありがたかった。


 音楽を特別なものにしすぎない。


 夕食の話題の1つとして出て、その後は学校の話へ移る。


 それでいい。


 高校3年になったからといって、生活の中心を突然音楽へ変えるつもりはなかった。


 4月の終わりが近づく頃には、『夜明けの途中』の音源もかなり完成へ近づいていた。


 紗月のイラストも、ラフから線画、着彩へ進んでいる。


 隼人は曲を聞きながら、動画としてどう見せるか考え始めた。


 派手な映像はいらない。


 紗月の絵を中心にする。


 歌詞を表示し、必要な場所だけ僅かに動きを加える程度で十分だろう。


 自分が前へ出る必要はない。


 曲を聞いてもらえればいい。


 その考えは、最初から変わっていなかった。


 そして、もう1つ決めていることがある。


 高校在学中に公開する曲は、3曲まで。


 1曲目を出したあと、すぐ次を作るつもりはない。


 反応を見る。


 数字を見る。


 自分の生活がどう変わるのかも確認する。


 そのうえで2曲目へ進む。


 高校生である以上、受験もある。


 大学へ行く。


 そこは変えない。


「1曲出して100万回とか行ったら、さすがに考えるけどな」


 冗談半分で呟いてから、隼人は少し黙った。


 〈12〉の基準は1,200万人規模。


 もちろん保証ではない。


 だが、可能性としては存在する。


「……いや、100万でも予定は変えない方がいいな」


 数字が出た瞬間に生活を変える。


 それこそ最初の人生と同じだった。


 1曲伸びただけでは何も分からない。


 偶然かもしれない。


 次が全く聞かれない可能性もある。


 だから3曲。


 最初から決めた通りにする。


 隼人はノートへ新しい一文を書き加えた。


【1曲目の数字だけで人生を変えない。高校在学中は3曲まで。それから先を考える。】


 書き終えると、スマートフォンが震えた。


 紗月からだった。


【完成した! 一応大きいサイズのデータも送る。直したいところあったら言って。】


 添付された画像を開く。


「……おお」


 ラフの時より、遥かに良くなっていた。


 夜の濃い色が残る空。


 遠くへ伸びる道。


 地平線の向こうから、僅かに近づいている朝。


 そして道の途中を歩く、小さな人影。


 朝日はない。


 ゴールも見えない。


 それでも、夜だけではない。


 隼人はしばらく画像を眺めたあと、短く返信した。


【これで完成でお願い。めちゃくちゃいい。ありがとう。】


 すぐに返事が来る。


【よかった! じゃあ5,000円は今度ジュース奢ってくれたらそれでいいよ。】


「まだ抵抗するのかよ」


 翌日、隼人は約束通り5,000円を渡した。


「本当に受け取るの?」


「受け取ってくれ。次また頼みたくなった時、毎回無料で頼む方が嫌なんだよ」


「次も頼むつもりなの?」


「今回の結果次第だけどな」


「じゃあ、次はもっと上手くなっとく」


「俺もそうする」


 そのやり取りが、隼人には妙に心地よかった。


 友人だから無料で助けてもらうのではない。


 自分は音楽を作る。


 紗月は絵を描く。


 必要な時に頼み、対価を払う。


 まだ高校生同士の小さなやり取りでしかないが、最初の人生で何度も曖昧にしてきた部分だからこそ、今回は最初から大切にしたかった。


 5月へ入る頃、音源とイラストの両方が揃った。


 隼人は簡単な動画編集を覚え、歌詞を配置していく。


 文字を派手に動かすことはしない。


 絵を邪魔しない。


 曲を邪魔しない。


 必要なものだけ置く。


 何度か修正を繰り返し、ようやく1本の動画が完成した。


 再生する。


 紗月の描いた夜明け前の景色が映る。


 イントロが始まる。


 歌詞が現れる。


 自分の声が流れる。


 最後まで再生する。


 映像が静かに終わる。


「……できたな」


 高校へ入学した朝から、2年以上。


 ようやく最初の1曲が完成した。


 〈12〉。


 題名は『夜明けの途中』。


 歌唱も演奏も制作も、自分で行った。


 イラストだけは紗月へ頼んだ。


 ここまで来れば、あとは投稿するだけだった。


 だが、隼人はすぐにアカウントを作らなかった。


 もう一晩だけ置くことにした。


 翌日、学校へ行く。


 授業を受ける。


 拓海と昼飯を食べる。


 放課後にはアルバイトへ行く。


 帰宅して風呂へ入り、夕食を食べる。


 それからもう一度、完成した動画を見る。


 それでも出したいと思えたなら、次へ進む。


 翌日の夜。


 隼人は再びパソコンの前へ座っていた。


 完成した『夜明けの途中』を最初から最後まで再生する。


 昨日と同じだった。


 直したい場所はいくつかある。


 もっと良くできる気もする。


 あと1ヶ月あれば、さらに上手く歌えるかもしれない。


 半年待てば、ミックスも上達するだろう。


 でも、それを言い始めれば終わらない。


「80点なら出す。それで次に行く」


 自分へ言い聞かせる。


 100点になるまで待つのではない。


 今の自分が納得できるところまで作ったなら、一度外へ出す。


 評価されなければ、その結果から学べばいい。


 隼人はブラウザを開いた。


 動画を投稿するためのサービスへアクセスする。


 アカウント作成。


 メールアドレス。


 必要な情報を入力していく。


 そして、1つの入力欄で指が止まった。


【チャンネル名】


「……そういや、これ決めてなかったな」


 高校へ入学してから2年以上。


 活動名を決める機会はいくらでもあった。


 それでも隼人は、必要になるまで決めなかった。


 そして今、ようやく必要になった。


 自分の本名は使わない。


 年齢も出さない。


 学校名も出さない。


 顔も出さない。


 なら、この名前だけが、これから曲を聞く人間にとって自分を示すものになる。


「さて……何にするか」


 隼人は椅子へ深く座り直した。


 成功を願う名前はいらない。


 頂点や夢や未来を大げさに掲げる名前も、自分には合わない。


 今度の人生で大切にしたいものは、もう決まっている。


 止まらない。


 けれど、急がない。


 音楽の中には、その感覚に近い言葉があった。


 隼人は入力欄を見つめながら、昔から知っている1つの音楽用語を思い出していた。

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