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リプレイ・ミュージック ―35歳、もう一度だけ夢を見る―  作者: にゅん


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急がないという選択

 高校へ入学してから最初の1週間は、隼人が想像していた以上に慌ただしく過ぎていった。授業はまだ本格的に進んでいないものの、校内施設の説明や委員決め、健康診断、部活動の見学期間などが続き、帰宅する頃には毎日のように新しいプリントが鞄の中へ増えていた。


 35歳まで会社員として働いていた経験があるから、高校生活くらい簡単にこなせるだろう。入学前には多少そんな考えもあったのだが、実際に始まってみれば別物だった。決められた時間割に従って何度も教室を移動し、体育では着替え、昼休みには友人と騒ぎ、放課後になれば部活動へ向かう生徒たちで廊下が混雑する。


「会社の方が自由だったかもしれないな……」


 昼休み、購買で買ったパンを食べながら思わず零すと、向かいに座っていた拓海が怪訝そうな顔をした。


「何でお前が会社と比較してんだよ。中学校と比較しろよ」


「将来働いた時のことを想像しただけだ」


「高校入ったばっかりなのに、もう卒業後の仕事考えてるの?」


「備えあれば憂いなしって言うだろ」


「お前、入学してから急におっさん臭くなったよな」


 その言葉には何も言い返せなかった。


「精神的に成長したってことで頼む」


「まだ1週間しか経ってねえぞ」


 拓海は呆れながらパンを齧り、隼人もそれ以上は余計なことを言わず昼食へ戻った。こうして話している限りでは、最初の人生と何も変わらない。ただ1つ大きく違うのは、拓海が既に自分とは別の相手とバンドを組むために動き始めていることだった。


 軽音楽部への入部を決めた拓海は、見学期間中から同じ新入生へ積極的に声を掛けていた。隼人を誘うことはもうなかったものの、「ベースやってるやつ知らない?」などと相談されることはあり、そのたびに隼人も知っている範囲で答えている。


 それを寂しいとは思わなかった。


 むしろ少し安心していた。


 自分がバンドへ入らなくても拓海は音楽を始める。自分がいなくても、拓海の高校生活はきちんと進んでいく。当たり前のことなのに、最初の人生ではどこかで、自分たちのバンドが全員にとって人生の中心なのだと思い込んでいた。


 それぞれに別の人生がある。


 高校生の頃からそれを理解できていたなら、最初の人生も少し違ったのかもしれない。


 もっとも、過ぎた人生について答え合わせを続けるつもりもなかった。神様がくれたのは過去を後悔するための20年ではなく、これからを選び直すための時間なのだろうと、隼人は考えている。


 そして現在、その時間を何へ使うかといえば、意外にも勉強がかなり大きな割合を占めていた。


「……全然覚えてねえ」


 その日の夜、自室の机で数学の教科書を開きながら、隼人は眉間を押さえた。


 35歳まで生きた知識があるのだから、高校の勉強など簡単だろう。そんな都合のいいことはなかった。仕事で使っていた文章作成や簡単な計算、表計算ソフトの扱いなどは問題ないが、高校で習う数学の公式や古文の文法となると、20年近く使っていなかったものが大量にある。


 授業を聞けば「ああ、こんなのあったな」と思い出す。しかし何も見ずに解けと言われれば、ところどころ怪しい。


「人生2周目だからって、テストまでニューゲームプラスにはならないのかよ」


 文句を言っても仕方がないので、隼人は普通にノートを開いた。


 幸い、理解力そのものは15歳だった頃より高い。分からない問題があっても、なぜ分からないのかを整理し、教科書を読み直せば大抵は理解できる。会社員時代に資格試験の勉強をした経験もあり、勉強の進め方については昔より遥かに上手くなっていた。


 大学へ進学する。


 それは2度目の人生を始めた時から決めている。


 どの大学へ行くかまでは決めていない。音楽系の学校へ進むつもりも、今のところなかった。大学で何を学びたいのかについては、これから高校生活を送りながら考えればいい。


 重要なのは、音楽が上手くいったから大学を捨てるという選択を最初からしないことだった。


 最初の人生では高校卒業と同時に音楽へすべてを賭けた。


 今回は賭けない。


 音楽が上手くいっても進学する。


 上手くいかなければ、なおさら進学する。


 その程度の余裕を持っていた方が、自分には合っている気がした。


 机の端には、もう1冊のノートが置かれていた。


 表紙には何も書いていない。


 中には、2度目の人生を始めてから考えたことが少しずつ記録されている。


【人生を音楽だけにしない。それでも音楽をやる時だけは、本気で向き合う。】


 隼人は新しいページを開き、これから2年間で何をするべきか考えることにした。


 最初に決めたのは、曲を公開する時期だった。


「高校3年からでいいな」


 少し考えたが、その結論は変わらなかった。


 高校1年の今から投稿を始める必要はない。


 むしろ、やらない方がいい。


 神様から【芸能の加護】を与えられ、【運命のダイス】によって〈12〉の楽曲も取得している。しかし現在の隼人には、それを十分に形へする技術も環境もない。


 歌唱はほとんど1から鍛え直す必要がある。


 ギターも知識と感覚こそ残っているが、15歳の身体を作り直さなければならない。ベースや鍵盤も同様で、DTMについては前世より新しい時代の環境へ合わせて学び直す必要がある。


 録音も必要だ。


 ミックスも必要になる。


 機材を揃えるための金もいる。


 何より、学校生活へ慣れる時間が欲しい。


 隼人はノートへ今後の方針を書き込んだ。


【高校1年・2年――準備期間。高校3年――活動開始予定。在学中の公開曲は最大3曲程度。顔、本名、年齢、学校名は公開しない。】


 最後の部分は特に重要だった。


 インターネットで音楽を始めるとしても、自分自身まで商品にするつもりはない。


 顔を出せば学校生活へ影響する可能性がある。本名を出せば家族や友人まで巻き込むかもしれない。年齢を公開すれば「高校生」という属性そのものが注目され、音楽とは別の部分が話題になる可能性もある。


 だから隠す。


 少なくとも最初は、それでいい。


 音楽だけを出して、どこまで届くのか試してみたい。


 活動名については、まだ決めなかった。


 投稿する場所についても、候補はいくつか頭にあるが確定させない。


 高校3年になる頃には、インターネット上の音楽事情も多少変化している可能性がある。その時に最も適した場所を選べばいい。


「2年もあるんだからな」


 その言葉を口にしてみる。


 最初の人生なら、2年を準備だけに使うなど考えられなかっただろう。


 1日でも早くライブへ出たい。


 1曲でも多く作りたい。


 誰かに見つけてもらいたい。


 周囲のバンドより先へ行きたい。


 常に急いでいた。


 しかし今の隼人には、急ぐ理由がない。


 運命のダイスで取得した曲は逃げない。


 〈12〉は頭の中に残っている。


 そして360日が経過すれば、次の抽選権まで手に入る。


 能力だけを考えるなら、時間が経つほど手札は増えることになる。


 だからこそ、焦らない。


「能力が強いから急ぐ必要がないって、考えてみれば随分贅沢な話だな」


 隼人は苦笑してノートを閉じた。


 その日から、少しずつ生活の形を作っていった。


 朝は家族と食事をする。


 学校へ行く。


 授業を受ける。


 昼休みは拓海やクラスメイトと過ごす。


 放課後はすぐ帰る日もあれば、軽音楽部へ顔を出す日もある。


 そして帰宅してから、勉強と音楽の時間を分ける。


 最初に力を入れたのは歌だった。


 神様から「本当に最も優れていたもの」と言われた以上、自分でも確かめてみたい。


 ただし、無茶はしなかった。


 発声について改めて調べ、身体の使い方から学び直す。呼吸、姿勢、口腔の使い方、声帯へ余計な負担を掛けない発声。知識として知っていたものでも、自分が歌う側として意識したことはほとんどなかった。


 そして【芸能の加護】は、練習を始めると想像以上に強力だった。


 何でもできるわけではない。


 声域が突然広がることもなければ、数日でプロのように歌えるようになることもない。


 ただ、自分の間違いが分かる。


 これが大きかった。


 録音した声を聞けば、どこで息が足りなくなったのか分かる。音程が僅かにずれれば、その瞬間を耳が拾う。声へ余計な力が入った場所も、言葉が聞き取りづらくなった部分も、自分で気づくことができる。


 そして修正した結果が、次の録音ですぐ分かる。


「これ、地味だけど相当強いな」


 派手ではない。


 歌った瞬間に誰もが振り返る美声を与えられたわけでもない。


 しかし練習の効率が明らかに違う。


 最初の人生で楽器を練習していた時、何時間弾いても自分の悪い癖に気づけず、後になって誰かから指摘されることが何度もあった。


 今はそれが少ない。


 自分で聞ける。


 自分で考えられる。


 自分で直せる。


 だから伸びる。


 ただし、その楽しさには危険もあった。


「……もう23時か」


 ある日の夜、録音を繰り返していた隼人は時計を見て手を止めた。


 あと少しだけやりたい。


 今の発声をもう1回試したい。


 さっきより良くなっている気がする。


 そんな感覚は昔から知っている。


 そして、そこから1時間、2時間と続けてしまうのも昔の自分だった。


「終わり。明日やればいい」


 自分へ言い聞かせ、機材代わりに使っていたスマートフォンを机へ置いた。


 明日がある。


 それを忘れない。


 音楽は今日しかできないものではない。


 翌日の放課後、隼人は拓海と駅前を歩いていた。


「そういや、お前バイトしないの?」


 拓海から聞かれ、隼人は少し考えてから答えた。


「するつもり。もう少し学校に慣れてからだけど」


「何か欲しいものあるの?」


「音楽用の機材」


「やっぱりそっちか」


「パソコンとインターフェースとマイク。あとヘッドホンも欲しいし、余裕があればMIDIキーボードとベースも欲しい」


「いくらかかるんだよ」


「最低10万。できれば15万くらい」


 拓海が露骨に嫌そうな顔をした。


「高校生の金額じゃねえだろ」


「だから働くんだよ」


「親に買ってもらえば?」


「一部くらいは頼むかもしれないけど、全部は嫌だな」


 前世でも機材には金を使った。


 ただし当時は、良い機材を買えば良い音楽が作れるとどこかで思っていた時期もある。


 今は違う。


 必要なものを必要なだけ揃える。


 高価だから買うのではない。


 使うから買う。


 それも35歳まで生きたことで身についた感覚だった。


「週3くらいで働けば、半年から1年で結構貯まるだろ。全部一気に買う必要もないし」


「何かお前、本当に高校生らしくなくなったな」


「金がない高校生だからこそ計画的なんだよ」


「その言い方がもう高校生じゃねえんだよ」


 拓海に笑われながら、隼人も笑った。


 それから数週間後、学校生活にも慣れてきた頃にアルバイトを探し始めた。


 条件は単純だった。


 週3日程度。


 1日4時間前後。


 学校から通いやすい。


 夜遅くなりすぎない。


 音楽のために生活を壊さない。


 最後の条件だけは求人票には書かれていないが、隼人にとって最も重要だった。


 いくつか候補を比べた結果、自宅と学校の間にあるファミリーレストランへ応募した。


 面接へ向かう時は少し不思議な気分だった。


 35歳の会社員として採用面接を受けた経験も、後輩の面倒を見た経験もある。それなのに履歴書へ書ける経歴は中学校卒業だけで、職歴欄には何もない。


「人生経験20年分が履歴書に1文字も書けないって、ちょっと面白いな」


 もちろん面接でそんなことを言うわけにはいかなかった。


 受け答えはなるべく15歳らしくする。


 しかし、そこでも問題が起きた。


「接客の経験はないんだよね?」


「はい。ただ、お客様によって求めている距離感は違うと思うので、必要以上に話しかけず、困っていそうならこちらから確認するように――」


 そこまで言ってから、隼人は止まった。


 面接担当の店長が少し驚いた顔をしている。


「……中学生の時、何か接客みたいなことしてた?」


「いえ。親からそういう話を聞いてまして」


 危ない。


 会社員時代の接待や営業経験が普通に出た。


「なるほど。しっかりしてるね」


「ありがとうございます」


 どうにか誤魔化した。


 数日後、採用の連絡が来た。


 最初は週3日。


 平日2日と休日1日。


 学校行事や試験前は相談可能。


 条件としては悪くない。


 初出勤の日、隼人は制服へ着替えながら少しだけ笑った。


 35歳まで働いて、15歳へ戻り、またアルバイトから始める。


「キャリアが豪快にリセットされたな」


 それでも嫌ではなかった。


 むしろ時給で働く感覚さえ懐かしい。


 もちろん、仕事そのものは最初から完璧にできたわけではない。店ごとのルールもあれば、料理の配置や端末操作も覚える必要がある。35歳までの社会人経験があっても、その店で働いた経験まであるわけではなかった。


 ただ、人と接することには困らなかった。


 年上の従業員へ教えてもらえば素直に礼を言い、分からないことは勝手に判断せず確認する。失敗すれば謝って覚える。会社員として当たり前だったことをしているだけなのに、店長からは随分しっかりした高校1年生だと思われたらしい。


 最初の給料が振り込まれた日、隼人はスマートフォンで残高を確認して少し笑った。


 35歳だった頃なら、飲みに行けば使ってしまう程度の金額だった。


 今は違う。


 この金でマイクが買える。


 もう少し貯めればオーディオインターフェースにも届く。


 だが、その日に機材を注文することはしなかった。


「先に貯めよう」


 欲しいからすぐ買うのではない。


 必要になった時に買えばいい。


 そして何より、機材を買うこと自体を目的にしたくなかった。


 高校生活も少しずつ変化していた。


 拓海は軽音楽部でメンバーを集め、本当にバンドを組んだ。まだ全員初心者に近く、放課後になると練習の愚痴やメンバー同士の話を隼人へ聞かせてくる。


「ドラムが走るんだよ。俺が歌ってても途中からどんどん速くなる」


「最初はメトロノーム使ってゆっくり合わせれば?」


「やってる。でも本番っぽくなると速くなる」


「なら全員でドラムに合わせようとするんじゃなくて、まずベースとドラムだけで合わせる時間作ればいい」


「……お前、入ってないのに顧問みたいになってない?」


「相談されたから答えただけだ」


「じゃあ今度練習見てくれよ」


「嫌だ。面倒くさい」


「そこだけ昔と変わらねえな」


 結局、何度か練習を見に行った。


 自分が演奏へ加わることはない。


 求められた時だけ意見を言う。


 それくらいの距離が心地よかった。


 夏が近づく頃には、クラス内にも友人が増えていた。


 最初は35歳の感覚と15歳の会話との違いに戸惑ったが、人間というものは意外と環境へ馴染む。くだらない話で笑い、昼休みに購買へ走り、テストの点数で一喜一憂する生活にも、少しずつ慣れていった。


 35歳の自分が消えたわけではない。


 ただ、15歳の生活も自分のものになり始めていた。


 ある金曜日の放課後、クラスメイト数人から駅前へ寄っていかないかと誘われた。


 その日はアルバイトもない。


 しかし帰宅すれば、歌の練習をする予定だった。


 一瞬だけ迷った。


 今日は発声を30分やって、ギターも触って、そのあとDTMについて調べようと思っていた。


 断れば予定通り進められる。


 最初の人生なら、迷わず断っていただろう。


「隼人、来る?」


 そう聞かれて、隼人は自分のノートへ書いた言葉を思い出した。


【人生を音楽だけにしない。】


「行く。腹減ったから何か食おうぜ」


 結局、その日は友人たちと駅前のファストフード店へ行った。


 特別なことは何も起きなかった。


 恋愛が始まったわけでもない。


 人生を変える出会いがあったわけでもない。


 ポテトを食べながら学校の話をして、教師の物真似で笑い、次のテストが面倒だと愚痴を言っただけだった。


 帰宅したのは予定より2時間ほど遅かった。


 そのため音楽の練習時間は短くなった。


 それでも隼人は後悔しなかった。


「こういうのでいいんだよな」


 自室でギターを軽く鳴らしながら呟く。


 練習を2時間減らしたからといって、夢が遠ざかるわけではない。


 友人と遊んだから、音楽へ本気ではないことにもならない。


 その当たり前のことを、最初の人生では理解できなかった。


 そして夏休みを迎える頃、隼人は高校卒業までの大まかな方針を改めてノートへまとめた。


【高校1年――学校生活へ慣れる。基礎的な歌唱訓練。楽器の感覚を戻す。アルバイトで制作資金を貯める。】


【高校2年――制作環境を整える。DTM、録音、ミックスを本格的に学ぶ。〈12〉を実際に形へして、公開できる水準まで仕上げる。】


【高校3年――準備が整っていれば音楽活動を開始する。在学中に公開する自分の曲は3曲までを目安とし、活動のために受験や学校生活を崩さない。】


 そこまで書いてから、最後にもう1つ付け足した。


【予定通りに進まなくても焦らない。】


 これが一番大切かもしれない。


 高校3年になっても準備不足なら、投稿を遅らせればいい。


 大学へ入ってから始めてもいい。


 運命のダイスがあるからといって、使わなければ損をするわけではない。


 取得した曲も、これから手に入る曲も、隼人の人生を急かしてはこない。


 急かしていたのは、いつだって自分自身だった。


「今回は、急がない」


 そう口にすると、不思議なくらい気持ちが軽くなった。


 机の横には、アルバイト代を貯めるために作った口座の残高を記録したメモがある。まだ制作環境を揃えるには足りない。


 歌も未完成。


 楽器も戻し切れていない。


 高校生活も始まったばかりだ。


 〈12〉の曲も、まだ頭の中にあるだけだった。


 それでも隼人は焦っていなかった。


 音楽を始めるための準備をしている時間も、自分の人生なのだから。


 窓の外では、夏を知らせるように蝉が鳴き始めていた。


 高校1年目の夏。


 最初の人生では、少しでも早く夢へ近づこうとしていた季節だった。


 2度目の人生では、友人と遊び、アルバイトをし、家族と飯を食い、勉強をしながら、その隙間で少しずつ歌を覚えている。


 遠回りに見える。


 けれど隼人には、今度はこちらの方が正しい速度に思えた。

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― 新着の感想 ―
「20年前の世界」で、高校一年生がスマホからバイトの振り込み金額を調べられてるという事は、元の世界は今(2026年)より、結構、未来だった感じなのかな。
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