10四葉のクローバーに優しく光は当たる。魔法は多くの若者たちに受け継がれ美の概念をこれからも塗り替えていくのだろう
ミストは王宮の庭園に咲く花を使い、朝露のように爽やかな香りがするものにした。新しいコスメをエラース王国の王女と、仕える女性たちに試してもらった。すると、目は驚きとうっとりとした恍惚な顔色に。
「これは。肌が太陽の光を浴びたように輝いているわ」
「香りは日常をとても豊かにしてくれるみたいね」
文化を理解し、美しさを尊重したからこそ成果を得ることができたのだろう。コスメによってより自分らしく輝けるようになると、ナシームという男が工房を訪ねてきた。
「すみません」
「はーい」
聞けば彼は太陽の翼という紹介を営んでいるという。
「卸してもらい、さらに開発も共同でお願いしたい」
ナシームとの協業はメヌエットと太陽の翼商会の両方に、大きな成功をもたらした。
「肌艶をさらに輝かせたい」
ペイントを意識したメイク道具を生み出したのだ。文化を尊重した新しいコスメを次々と生み出し、評判は王都だけでなく遠く離れた村々にまで届くように。
そんなある日、ナシームは年に一度開催される太陽の祭りに誘ってくれた。祭りは太陽の恵みに感謝し、夜通し歌い踊る大切な行事。国の伝統的な衣装を身につけ、祭りの会場へと向かうと会場は熱気と活気に満ち溢れていた。
顔にカラフルなペイントを施し、楽しそうに踊っていた。コスメが使われている。彼らの姿を見て胸が熱くなっていく。
笑顔に少しでも貢献できているのだ、と。
夜、ナシームに国に来てからずっと聞きたかったことを尋ねてみた。
「ナシーム様。あなたにとって商売とは何ですか?」
ナシームは少し驚いた顔をして穏やかな笑顔で答える。優しい空気だ。
「私にとって商売は、皆を幸せにすることです。良い製品を作り、それを必要としている人に届ける。それによって生活が少しでも豊かになれば、それが私の喜びです」
ジィンと深く響いた。故郷の貴族たちは商売を利益を貪るためのものだと思っていたが、ナシームは同じように商売を心を豊かにするためのものだと思っている。
同じ志を持ったかけがえのない友人。祭りの終盤、ナシームは街を一望できる丘の上に連れて行ってくれた。そこから見る街は夜空に打ち上げられた花火と、人の熱気で宝石のようにキラキラしている。
光景を眺めながら、ナシームに故郷での出来事を、ぽつぽつと話す。婚約破棄、無関心な両親、蔑んだ者たち。話を聞き終えたナシームは何も言わずに静かに肩を抱き寄せた。
「ミュラージュ様。あなたはもう一人ではありません。ここにはあなたを信じ、作るコスメを愛してくれる人がたくさんいます。私もその一人です」
心の奥底に眠っていた孤独を優しく溶かしてくれ、異国の地で新しい友情と心の安らぎを見つけられて笑みもふわりと溢れ落ちた。
ナシームとの出会いはエラース王国でのビジネスを成功へと導いてくれただけでなく、心を孤独から解放してくれた。
話しているとありのままの自分でいられる。
それは故郷では、決して得られなかった心の安らぎなのかもしれない。
そんなナシームに何か特別なものを贈りたいと考えて、そして、彼の商会が掲げる太陽の翼という名前にちなんで太陽の光を閉じ込めたようなコスメを作ろうと思い立つ。目をつけたのは古くから貴重な宝物とされてきた金箔だ。
ドゥラン商会の当主を通じて最高品質の金箔を手に入れる。金箔を国の植物から抽出したオイルに丁寧に混ぜ込んでいくと小さな金色の光が、オイルの中で星のようにきらめく。
太陽の光を閉じ込めたような神秘的な輝きを放つ。特別なオイルをサンライズ・グロウ、と名付け、完成したオイルをナシームに渡す。
「ナシーム様。これはあなたへの感謝の気持ちです。商会の名前にちなんで太陽の光を閉じ込めたオイルを作ってみました」
オイルが入った小さな瓶をナシームに差し出す。オイルを受け取ると驚きと感動が入り混じった表情で、輝きを見つめてそうっと尋ねてきた。
「ミュラージュ様。これは売るためのものではないのですね?」
ふふ、と微笑んで答えた。
「はい。これは、あなたのためだけに作った、特別なものです」
ナシームは少し照れたように、心から嬉しそうに笑う。少年のように。
「ありがとう、ミュラージュ様。あなたの友情はオイルの輝きよりも、ずっと素晴らしいものです。かけがえのない贈り物です」
友情の証となることができる。そう気づいた。
*
部屋に満ちるのは、摘みたてのラベンダーと使い慣れたオイルの柔らかな香り。ミュラージュは蒸留器から立ち上る湯気を眺めながらふと、視線を仕事机に向けた。
机の上はいつもなら開発中のノートや、様々なハーブで埋め尽くされている。だが、今日だけは違っていた。真ん中に置かれた一枚の封筒。
筆跡は見覚えのないものだったが、差出人の名前ははっきりと読めた。ルフィルル。
名前を見ただけで胸は静かに波立った。手紙が届くなんて想像もしていなかったから。月光のアイシャドウを贈ってから、もう何ヶ月が経っただろうか。
封筒に手を伸ばし、中身を取り出した。便箋は白い無地のもの。そこにはたった一文だけが書かれていた。
「ありがとう」
それだけ。簡潔な言葉に迷いや戸惑いが滲んでいる。文字は以前の彼女からは想像もできないほど真っ直ぐで、力強い。手紙の下にもう一つ小さな包みがあることに気づく。
何重にも折りたたまれた粗末な紙切れを開いてみると、中から少しだけ色あせた四つ葉のクローバーがこぼれ落ちた。小さな希望のよう。
こんなものを、大切に持っていたなんてと、クローバーを指先でそっと撫でた。瞬間、温かいじくりとした傷が響く。
あの頃は彼女をやり込めることしか考えていなかったが、今はほんのわずかに些細に、細やかな幸せを願うことが辛うじてできる。
クローバーはルフィルルが少しずつ、自分なりの幸せを見つけ始めている証拠だろうし。クローバーと手紙を再び丁寧に包み直し、小さな宝石箱にしまう。
コスメが小さな魔法をかけたのかもしれないと思うと胸の奥から、静かな喜びが湧き上がってきた。
それから、十年の月日が流れた。メヌエットは今となっては国内の小さなブランドではなくなる。エラース王国との貿易協定は成功を収め、名声は海を越え、さらに隣国へと広がっていった。
コスメは王族や貴族、市井の者達から愛され、美の概念を根底から変えていったのだ。
すでにビジネスの第一線から一歩引き、若き起業家たちの育成に力を注いでいてミュラージュの元には自らの力で人生を切り開きたいと願う、若者たちが集まってきた。
「す、み、ま、せーん!」
ある日、工房に一人の若い娘、トパーリズがやってきた。彼女は目を輝かせながら言い募る。
「ミュラージュ様!私はミュラージュ様のように、自分の力でコスメを作って周りを幸せにしたいのです!」
聞いて昔の自分を思い出した。婚約破棄をされ、孤独に未来を切り開こうとしていたあの日の己だ。苦笑しながらもトパーリズを工房へと招き入れた。
「コスメの作り方はいくらでも教えることができます。ですが、最も大切なのはコスメに込める想いです」
そう言って机の引き出しから、一冊の古びたノートを取り出した。初めてコスメの研究を始めた頃に、書き記したノート。
ノートを開くとページとページの間に、小さなものが挟まっていた。押し花になった四つ葉のクローバー。それをそっと指先で撫でる。
「これはある人からいただいた、大切なものです。私はこのクローバーを見るたびに、コスメ作りは商売ではなく、皆を幸せにするための魔法だと思い出します」
トパーリズはクローバーを不思議そうに見つめていた。彼女にノートに書かれたすべての知識と想いを余すことなく伝えようと決める。
「コスメは道具ではありません。心を癒し、幸せにするための魔法です。魔法を信じる心がなければどんなに素晴らしい技術を持っていても、誰も動かすことはできませんから」
真剣な眼差しで頷いた、弟子候補に教える。
魔法を若き弟子へと受け継がせていく。新しい世代へと永遠に続いていくのだから。
植物が持つ効能や、心に寄り添う香りの調合法を教えた。そして、彼女が試作品を作るたびに尋ねる。
「コスメは、誰を幸せにするために作ったのですか?誰の悩みを解決したいのですか?」
最初は戸惑っていたトパーリズもやがて、自分の作るコスメに、具体的な誰かを思い浮かべるようになった。夜遅くまで研究に没頭し、失敗を繰り返しながらも少しずつコスメに想いを込めることを学ぶ。
トパーリズは一冊のノートを見せてくれた。自分の家族や友人の肌の悩みを、一つ一つ丁寧に書き記したノートらしいと知る。
「このノートに書かれたすべての人を笑顔にしたいのです」
心の中で深く頷いた。コスメという魔法を使い、片隅で幸せにしてきた。魔法はこの子のような多くの若者たちに受け継がれ、美の概念をこれからも塗り替えていくのだろう。
彼女も大人になれば必ず自身の弟子に教えることになる。
次の世代さらに次の世代へと永遠に続いていくのだから。それが叶うのならいくら教えても足りないだろうなと笑った。




