⑪
4人のことなど全く気にする様子もなく、目の前の三毛猫はさらに続けた。
「今日は何用じゃ。貢物でも持ってきたのか?」
そう言いながら、三毛猫は数歩、足音もなく彩花の方へ進んでいった。
足音の代わりに、
……りん。
と、あの鈴の音が風のざわめきと共に静かに響く。
近付く三毛猫、そして鈴の音……。
彩花の口から小さく悲鳴が漏れる。
「彩花さん……!」
黒崎が思わず小さく声を出し、動き出そうとしている姿が鳴海の目にも見えた。
鳴海は彩花をさらに後ろへ押しやるように腕を動かすと、三毛猫の進行方向を塞ぐように立った。
それを見た三毛猫がゆっくりと立ち止まった。
三毛猫の視線と鳴海の視線がぶつかる。
鳴海の視線の鋭さに、三毛猫からふっ、と鼻で笑うような息が漏れた。
そして、まるで揶揄うような声で鳴海に話しかけた。
「そんなに睨むな仏頂面。お主らを取って食うつもりなどないわ。」
「それをどう証明する。」
低い声で鳴海が言った。
いつもより低く、そして唸るような声だ。
「ふん。食う気ならお主らがここに踏み入れた時点で食ろうとると思わぬか?」
あまりにも軽い口調で、三毛猫はそう言った。
……誰も、口を開けなかった。
昨日から見ていたのであれば、そのような時間などいくらでもあったはずだ。
咄嗟に立花が近くにいた黒崎の手を引き、先程来た道の近くへとじりじり移動した。
彩花もまた、無意識に鳴海の袖を掴む力が強くなる。
しかし鳴海だけは、三毛猫から視線を逸らさない。
三毛猫を鋭く睨み据えたままだった。
彩花には、風がそよめき周りの草木を揺らす音だけが、やたらと大きく聞こえる気がした。
「まぁ、警戒心の強いことは悪いことではなかろう。」
目の前の人間の行動などさして興味がないような、なんとも緊張感のない声色で三毛猫は言った。
そして4人それぞれをまた観察すると、くぁ……っと大きな欠伸をした。
「ところで。見たところ貢物を持ってきたわけではなかろう。ならば何用か。」
今度は鳴海の方へ体を向けると、ただの世間話をするかのような雰囲気で、三毛猫は話しかけ始めた。
「この辺りを調べている。」
「ほう。それは殊勝なことじゃの。」
警戒心を解かないまま、鳴海は短く答えた。
そんな声にも、目の前の三毛猫は全く気にする様子はない。むしろ会話を楽しむかのように話を続けた。
「で、仏頂面。何か分かったのじゃろう?」
鳴海を見据えながら三毛猫は言った。
まるで不敵に、にやりと笑ったかのような表情に見えた。
「答え合わせをしているところだ。」
鳴海は三毛猫を見てそれだけ答える。
そんな会話を、立花は口を半開きにしたまま眺めていた。鳴海、三毛猫……と立花の視線が交互に動く。
口を挟もうとするが、声にならずそのまま消えた。
顔には「ありえない」と、文字が浮かんでいるようであった。
黒崎も困惑したまま目の前の光景を見ていた。
三毛猫と鳴海が会話しているこの光景。
日本語で交わされている言葉は理解できる。
それなのにその会話が成立しているこの状況が理解できていなかった。
「お主との会話で、すっかり所用を忘れてしもうていたわ。」
三毛猫がグッと背伸びをした。
鳴海相手で大した会話も交わされていないが、目の前の三毛猫は随分と楽しそうにそう言った。
「……商店街か?」
鳴海はそう聞く。
後ろで立花と黒崎が2人で僅かに息を飲んだ音がした。
「別に食わずとも良いのじゃが。いつからか恋しくなってな。」
「そうか。」
鳴海は1人考え込むように黙った。
しかし、その沈黙は長くは続かなかった。
「ちょっと待ってストップ!まじで意味分かんないけど!」
鳴海の後ろから、彩花がずいっと前に出てきた。
そして鳴海の前に立ち、鳴海と三毛猫を交互に見やる。
彩花は、それでこそ初めのうちは怖いと感じていた。
怪しさ満点の空き地に、喋る三毛猫。
食う気があればここに来た時点で食っている、と言われた時には、本当に震えるほど怖かった。
鳴海の袖を握っていなければ尻もちをついていたところだ。
だがしばらくして、三毛猫と会話している鳴海の警戒が僅かに解かれているのを、何となく肌で感じ取った。
だから、彩花も鳴海の後ろで三毛猫と鳴海の会話を聞く余裕も出てきた。
……しかし、まるで内容が理解できない。
商店街?答え合わせ?
全く理解が追いついていない。
そのうち、鳴海は1人で納得した顔をして違うことを考え始めていた。
後ろを振り返ると、立花と黒崎は顔を見合せていた。なにかに気付いたような、でもまだ半信半疑なような、そんな表情をしているようにも見えた。
「あたしまだ何にも分かってないのに、2人だけで話進めないでよ!」
置いてけぼりを食らっている彩花が騒ぐのも、当然と言えば当然だった。
目の前に出てきた彩花に、三毛猫は目を細めた。
そして彩花を見つめたまま少し高い声で、にゃあ……と鳴いた。
「お主……。随分と活きがいいのじゃな。」
三毛猫は笑うかような声で、彩花にそう言った。
鳴海の眉が僅かに上がり、口を開こうとしたがそれより先に彩花が話し出す。
「あたしにも分かるように、一から説明してよ!」
目の前の三毛猫からくく、っと笑い声が漏れた。
「だ、そうじゃ仏頂面。」
三毛猫は面白そうに彩花を眺めたあと、鳴海に向かって言った。
「そこの活きのいいのと、ほれ……後ろで惚けておる伊達男と優女にも説明してやればよかろう。」
三毛猫は鳴海から視線を外すと、きょとんとしている立花と困惑している黒崎、それぞれに視線を投げながらそう続けた。
鳴海は呆れたように彩花を見た。
そして愉快そうな声色で話していた三毛猫に視線だけ向ける。
小さなため息のあと、鳴海は口を開いた。
「この目の前の三毛猫が、商店街の商品が消えた件の犯人と見て間違いないだろう。……お前の甘酒もそうだ。」
鳴海の言葉を聞き、彩花は目を見開いて鳴海と三毛猫の顔を交互に見た。
三毛猫は彩花と視線が合うと、ニヤリと笑ったようにも見える。
そして、
「……な、ななな……。そうなのー!」
今日1番に大きい声が、静かな空き地いっぱいに響き渡った。
彩花は後ろを振り返り、立花と黒崎を見た。
黒崎は多少驚いた顔をしているが、自分ほど取り乱している様子はない。
立花に至ってはそういう事か、と言いたげな顔をしている。
彩花は全員の顔を忙しそうに眺めては、困惑した声を漏らした。
「ここからは推測になるが。」
そんな様子を無視しながら鳴海は続けた。
「ここまでの道のりを見ても、この空き地が長い時間放置されていたのは明らかだ。魚屋の主人の話とも一致する。」
鳴海が周りを見回し、来た道にも視線を向けながらそう言った。
「そして魚屋の主人はこうも話していた。『空き地の祠の近くに三毛猫がいた』『祠に供え物をしていた』と。」
そして鳴海は三毛猫を見据える。
「その猫は、お前だろう。」
鳴海の問いかけに三毛猫は目を細めると、甘えるような優しい声で、にゃあ……と鳴いた。
「魚屋のチビ助も、肉屋のイタズラ坊主も、酒屋の元気娘も……みな大きくなっておったな。人の世の流れというものは……妾には早すぎるものじゃ。」
三毛猫はどこか懐かしむような、それでいて切ない声でそう言った。
その声に、彩花はぐっと胸を掴まれたような感覚になった。
三毛猫ちゃんの時間の感覚は分かんないけど……。
でも今まで来ていた人たちが来ないのは、やっぱり辛いよね……。
彩花は眉を下げ、そっと目の前の三毛猫に聞いた。
「三毛猫ちゃんさ、寂しかった?」
その質問に三毛猫は、しばらく黙っていた。
風がそよぎ、草木を揺らす音が空き地を包む。
その音を、三毛猫が耳を済ませて聞いているような気がした。
三毛猫はそっと空を見上げ、そしてまた彩花の顔を見る。
三毛猫は彩花と目を合わせると、目を細めた。
「……どうなんじゃろうな。」
たった一言。
それだけ三毛猫が答えた。




