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ロマーナの両片想い その2

ルシンダは生まれて始めて理髪店と言う場所にやって来た。

そこは、マッドの患者さんがやっているお店と言うことで秘密が漏れる危険は無いとのことだ。


男装の服だと目立つかもしれないと、ミーナが平民の女性が着る服を貸してくれたので、変装は完璧だとルシンダは安心して好奇心のままにキョロキョロと辺りを見回しては愉しげな様子だった。



「マット先生のお知り合いなのよ。髪を切って欲しいの、アントニオ」

ミーナとマットに挟まれたどう見ても場違いなオーラを放つ女性を連れて入ってきて早々にミーナがそう言うが、彼はピキリと固まって返事も無い。


何度かミーナが聞いてる?聞いてる?と問いかけてやっとゆっくりと口を開いた。


アントニオと呼ばれた彼は、筋肉隆々な大男なのだが、仕事柄か神経質な質のようで、


「お、俺、いや私のような者があなた様のような方のその髪に刃物を当てるなぞ、畏れ多いことです」

などと、平伏して答えるのだった。


今の私は赤毛の平民の女のはず、なぜそんなに恐れるのだろうか。


()()()()君の姿勢や振る舞いはどう見ても、どう安く見積もっても貴族のそれだからだよ。そんなに所作の洗練された女は下町には居ない。アントニオ、問題ないから髪を切ってしまってくれ、変装する必要がある御仁だ」


横からマットが口を挟んでやっとアントニオがやる気になってくれた。


「髪を切るって、毛先を整えるくらい?」

髪の先を指差すのに、首を横に振った。


「じゃあ、肩くらいまで切りますか?」

いいえとまた首を振り、


「耳たぶが出るくらいに短くして下さる?それと、前髪を眉の上で切り揃えて欲しいの」

ハッキリと理想の髪型を告げると、マットとアントニオはエエ?と怪訝な顔をし、ミーナはまあ!と顔を輝かせた。


「その髪型って、あの恋愛小説『ロマーナの両片想い』に出てくるヒロインの髪型じゃないですか!?」


「ええ、ええ、そうですの。ミーナさんもお読みになって?私、舞台は見ておりませんけれど、小説は初版本を何度も読み返しておりましたのよ。


折角舞台のフィオレンツァ共和国にやって来たのですもの、髪を切って、フレアスカートを履いて噴水を見に行きたいわ。


アリス王女の描写を再現して欲しいと侍女に無理矢理頼み込んで、焦げた赤毛に病室の浴室で染めて貰ったのよ。ただ淑女が耳たぶが出る程短く髪を切る訳にはいかないと、そこは断固として拒否されて。


この機会にぜひバッサリやって頂戴」


ルシンダがミーナと同じキラキラした笑顔で髪型の希望を熱く語る姿に、アントニオも気合いをいれて深く頷いた。パツンパツンと鋏を入れる音が店内に響く。

鏡に映るルシンダの雰囲気が変わる様に触発されて、アントニオの職人魂に火がついた。


ようやく細部まで納得いく仕上がりとなり、アントニオが櫛を置いて両面鏡を両手に持って後ろ髪を見せた。


焦げ赤茶の髪を耳たぶが見えるくらい短く切り襟足もすっきりさせると、ルシンダの細っそりとした美しい首が露になって、その白い項に自然と視線が向いてしまう。


前髪は眉毛が見えるほど短く切り揃えられ、小さな顔にアーモンド型の大きな薄青の澄んだ瞳、スラッと鼻筋の通った鼻、プニっとした肉感的な唇と、その整った美貌が鏡の中に微笑んで映っていた。


「まあ、同じ人間とは思えない!う、美しすぎるっ」

ミーナが吐息のような言葉を無意識に溢し、アントニオが鏡に映る彼女の顔から目が離せない様子で固まっていた。


「ルーシー、これは不味いよ。君、人の注目を浴びざるを得ない業を背負っているのだな。変装には全く向かない人種だ」

マットはこれを連れて逃げ仰せとか絶対無理ゲーだろうと途方にくれて天井を見上げた。


「どうかしら。私は理想通りなのだけれど、ダメかしら?」

ルシンダが不安そうに三人の顔を見回して聞いた。


彼女の自信の無さそうな様子を見てマットはフッと肩から力が抜けた。


どう見ても似合っているだろうに。


もうどうにでもなれ、成るようになるさ。


そう思えば、この悲劇のヒロインを守るヒーローとなる栄誉を誇ろうと、『ロマーナの両片想い』の警ら騎士の気持ちが理解できた気がした、いいや、それは気のせいかもしれない。


単に彼女が可愛らしかったからなのかもしれない。

新しい髪型の評価を気にする彼女が。


「いいえ、いいえ、似合わないなど、とんでもない。余りにお似合いすぎて言葉を失ったのです。

私の想像上のアリス王女がここに実在しました。おお神よ、貴方に感謝します」


髪型を誉めようとしたマットに先んじて、ミーナが大袈裟に返事を返して、アントニオもうんうんと首肯した。


ミーナの本心からの好評価に喜んでいる彼女の顔を見て、自然と


「アリス王女。私にエスコートの誉れを頂けますか?」

マットは『ロマーナの両片想い』の警ら騎士の台詞そのままを呟いて手を差し出したのだった。


「まあまあ!ええ、ええ、マット、どうぞよろしく頼みますわ」

ルシンダも歯を見せて笑いながら手を取ったのだった。


診療所をミーナに頼み、ルシンダを洋装店へと案内して、小説のアリス王女が作中で着替えたような白い開襟シャツとゆったりボリュームのあるフレアスカートを買い、それに着替えて町中へと繰り出した。


『ロマーナの両片想い』とは数年前にヒットした少女小説で、余りに人気なので舞台化されて大陸中の各国で上演されている大ヒット作品だ。


他国から親善に古都ロマーナにやって来たアリス王女がお忍びで町に飛び出して、偶々知り合った警ら騎士とお互い一目惚れをしたが、身分違いを理由に言い出せず、たった1日だけの恋をすると言う、なんとも少女が夢見そうな物語である。


その二人がデートしたのが、フィオレンツァ共和国の古都ロマーナにある大聖堂や噴水公園、夕暮れ時の丘などで、その場所を見て廻る観光客も多く居るのだった。


このフィーナからロマーナは馬車で2時間の距離にあるのだが、フルーレゾン王国が捜索している今、観光地に行くのは正気の沙汰ではない。


だが、大聖堂だとか噴水公園だとか夕日の綺麗な丘なんて、ここフィーナにだってあるし、そう言った身近なロマーナ風な場所に行くことも、小説愛好家たちは喜ぶのだとか、ミーナが力説していたのをマットは覚えていたのだった。寧ろミーナに本を押し付けられて、休憩時間に強制的に読まされていたことに感謝した。



「ここが、フィーナの中心にある聖人大教会だ、中を見てみるかい?」


「ええ!」



「ここがフィーナのセントラル広場、あの噴水に小銭を投げ込むかい?いつかまたここに来れますようにって祈って投げ込んで、噴水に入れば願いが叶うらしいよ」


「まあ!」


「そこの階段に腰かけてジェラートを食べるかい?そこに屋台のジェラート屋があって、流行ってるんだ」


「ぜひ!」


「ここから少し歩くのだけれど、胸は苦しくない?丘に行ってみるかい?」


「勿論!」


ルシンダは、まるで10代の少女のように顔を上気させて目を輝かせてマットが案内したそれぞれの場所を楽しんでいた。

その表情は晴れ晴れとしていて明るく、未来に希望を持つ少女のような様相で、とてもこれから死に場所を探しに出かける余命幾ばくもない病人には思えなかった。


マットはゆっくりと、ルシンダの手を引いて丘を登っていった。

少し進んでは、木の切り株に腰かけさせて水を飲ませ、汗を拭い、またゆっくりと丘を登った。


そして、頂上についた頃、夕日が赤くフィーナの町中を、さっき見た聖堂を、噴水の公園を、アイスを食べた階段を美しく染め上げていた。


その光景にルシンダは無自覚にハラハラと涙を流していた。


ああ、世界は美しい。


頬を伝い流れ落ちる涙を拭うことも忘れて、真っ赤に染まった町を見つめ続けた。


不意にルシンダは抱き締められた。

マットだった。

何も言わずに、ルシンダを自分の胸に抱き締めて、その服で彼女の涙を受け止めたのだった。



「ルシンダ、俺は医者として、君が生きることを諦めない。君がそれを求めていなくとも」


ただ死に場所を探すだけの、最初で最後の自由な旅など悲しすぎるだろう、マットのこの気持ちが独り善がりな憐憫の情だとしても、ルシンダが生きている限りは彼女の可能性を自分だけでも諦めまいと誓うのだった。


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