冷笑の王子妃
フルーレザン王国の王宮に、王弟ダミアンが住まう王宮がある。
そこに輿入れしたルシンダであるが、嫁いだその日から心を壊される毎日が始まったのだった。
「ねえ、セシル子爵令息」
「マット!マットと呼んでくれ。俺はもう10年も前に貴族籍を捨てた身で平民なんだ。家名は無い」
「あらそうなのね、失礼しました。では、マット、貴方ご結婚されて」
「居ない。過去にも無い」
ルシンダの会話に会話を重ねて、マットは否定した。
「あらあら、重ね重ね不躾で失礼しましたわ。ふふ、ではマット、貴方の周りで『お前を愛する事はない!』って初夜に言い放った、若しくは言われたと言うお知り合いいらっしゃる?」
その無作法を咎めることもなく楽しそうに声をあげて笑うと、突然思いもしなかった質問がされた。
「なんだ、舞台の台詞のような安い言葉は。診療所のミーナが好んで読んでいる少女小説に出てくるような台詞だな」
「そうでしょう、そうでしょう。私、少女小説と言う物でしか知らなかったから、それを言われた時にはたいそう驚いてポカンと口を開けて呆けてしまったのよ。おほほ、幼かったから」
余りに相手に対し高圧的な物言いに、マットが眉間の皺を更に深くして返事をすると、ルシンダはウンウンと頷きながら当時を思い出して笑い出しながら話始めた。
ルシンダの婚姻は、生まれたその年に、アルビオン王国とフルーレザン王国の話し合いで決定された。
ルシンダの相手は決してダミアンだとは決まっていなかった。
『その婚姻契約書には、ルシンダ・フィッツロイとフルーレゾン王国のサンラザール王家の者と然るべき時に婚姻することとする』
そう言う一文でもって、決定されていたからだ。
そしてきっと、サンラザール王家内で話し合いが持たれた結果、アニエス王妃の同腹弟で当時のフルーレゾン王太子の寵妃の息子であるダミアンを選んだのである。
そこに、アルビオン王国の意思も無ければ、フィッツロイ公爵家の意見も、ましてやルシンダの意識などは何も折り込まれる余地など無い。
それなのに、婚約式をアルビオン王国の大聖堂で行った時も、結婚式をフルーレゾン王国の教会で行った時も不機嫌さを隠すこと無く、まるでルシンダの我が儘に付き合わされているような被害者面を各国に晒し、初夜の閨で『愛する事はない』などと宣言するなんて!
その夜の事は、光よりも早く王宮中、いやフルーレゾン王国の社交界中に伝わり、その瞬間からルシンダは『愛されない王子妃』と蔑まれるようになったのだった。
では、愛されないルシンダは白い結婚で3年後に母国へと帰して貰えるのかと言えば、そうではなく、ハネムーン期間に幼く青い身体を日夜汚されて、翌月には懐妊することになったのだった。
そして翌年、ルシンダは王子ウィリアムを産み落としたのだった。
産褥期に母のように儚くなってしまわぬようにと、フィッツロイ公爵家の当主に就いていた戸籍上の父トーマスが、リチャード国王から託されたアルビオン王国王宮医師団を率いて床上げまでの期間を付き添ったのだった。
王子が生まれこれにて義務は終えたとばかりに、ダミアンはルシンダの住まう王子宮から出て、王宮の外に屋敷を構え多くの愛人と戯れの日々を過ごすようになった。
遊び人王子とは言え、王子の責務である社交や慰問などには、お気に入りの愛人を伴って堂々と出席した。
それ故、フルーレゾン王国の社交界では不義の子愛されない王子妃は、王子宮に閉じ込められて贖罪の日々を送っているのだ、そんな噂をしてはルシンダとその母国アルビオン王国をバカにして嘲笑った。
ルシンダは王子宮の奥に王子ウィリアムと共にひっそりと隠されるように過ごした。出掛けることも無く訪ねて来るものも滅多に居ない。
王宮の奥でルシンダは、噂通りひっそりと日々を過ごすのだった。
そして、人々に忘れ去られて15年、息子のウィリアムが優秀故にフルーレゾン王国の貴族学園への進学ではなく飛び級で帝国の大学へと進学したことが、自国を出立して入学を果たした後に新聞で明らかにされると、ルシンダ王子妃、そんな人も確かに居たなと久しぶりに名前を思い出されたのだった。
「お前、何を勝手なことをしている!ウィリアムを他国へ出すなどと私の許可も取らず何をしているんだ」
突然王子宮に恰幅の良くなった体を跳ねさせるようにやって来たダミアンが、挨拶もしないまま怒鳴り散らした。
「まあ、どなたかと思えばお久しぶりです。まあまあ、お変わりになったのですね。その、随分お寂しくなったようで、ほほほ」
ルシンダは王子宮の入口の扉の前に立って、縦横の比率が等しく変わり、自慢の輝く金髪がふわふわと頭頂部で揺れて底が覗けそうな様子に、隠すこと無く視線をやって嗤った。
「ま、な!」
まさか玄関口で会うとも、自分の容姿を嘲笑うとも思って居なかったダミアンは、言葉に詰まって赤くなった。
「ウィリアムが帝国大学で医学を学ぶ為、飛び級で進学することは国王陛下より許可を戴いております。しっかり励むようにとのお言葉と共に。さて、ご用事がそれだけならどうぞお引き取りを。私今から出掛ける用事がありますの」
応接室へも通されずに帰宅を即されて、ダミアンは目を見張り、そして一転して怒鳴り出した。
「な、な!お前勝手にどこに行くつもりだ!この王子宮から出ることなぞ許されて居ないだろう!」
すると、ダミアンとルシンダの間に大きな影がスッと入って来て、ルシンダを背中に庇った。
「何を仰いますやら、ダミアン殿下。ルシンダ殿下は、フルーレゾン王国での人質ではございませんよ。王子妃としての全ての権利を有しております。今の発言の真意を伺っても?」
黒の仕立ての良い背広に勲章を胸に着けたアルビオン王国の大使が、慇懃無礼にダミアンへと問いかけた。
「な、大使。どうしてここに?」
突然のアルビオン大使の出現に、ダミアンは慌てて聞き返した。




