ルシンダの出自
マットが席に着いたその時、少しずつ汽車が進み始め、大きな汽笛が鳴り響いた。
取り合えずマットは汽車が無事出発したことを感じて、少しばかり安堵した。
もし、出発前にフルーレザンの王家がこの事を知ったら、自分は王子妃の誘拐犯として処刑されてしまう。
いや、なぜこんな危険な目に合わなければならないのか。
平民に落ちた孫を使い捨ての駒にしたとしか思えない祖父の態度に久しぶりに傷ついたマットだった。
そんなマットの気持ちを知ってか知らずか、何の感情も見えない視線を向けて彼女は話し始めた。
「先生は元々この国の貴族のご子息でしたから、私の出自はご存じでしょう?」
話し始めから彼女は答え難いことを平然と問いかけてきた。
ルシンダ・サンラザール王子妃殿下。
第二王子のダミアン・サンラザールの正妃である彼女は、フルーレザン王国の北辺から北海を挟んだ島国であるアルビオン王国の公爵家の出身で、リチャード国王陛下とフルーレゾン王国の王女であったアニエス王妃の間には王子が一人いるだけなので、准王族として両国の友好の象徴としてこの国へ嫁いできたのだった。
出自はご存じと本人が言うように、この表向きな出自だけでなく彼女の評判は大陸中のどこの国の社交界でもみな知っていることで、実は彼女はアルビオン王国のリチャード国王の庶子であった。
フルーレゾン王国の王女であったアニエスが、帝国の友好式典で同席した若き日のリチャード王太子の麗しの顔に懸想した。一目惚れであったと言う。
飛ぶ鳥を落とす勢いで大陸中の国の頂点に君臨していたフルーレザン王国の、当時の国王の孫娘にして王太子の寵妃の娘であるアニエスの我が儘を止める者は居なかった。
反対にアルビオン王国はリチャードの祖父の時代に王権が揺らぐほど国内が乱れ、その結果王族の数が極端に少なくなってしまった。
大陸のどの王家でも女子に相続権は認めて居なかったが、当時の王家にはリチャードの母しか直系の子が残っておらず、遠縁の伯爵家から養子を得て仮初めの王とし、とは言え実質はリチャードの母が女王として政務に当たっていて、それ故に他国からは国力を低く見られ侮られていた。
その苦労を知ってか知らずか、アルビオンの王、リチャードの父は女狂いと渾名されるほど王宮の侍女から貴族の夫人、はたまた下級メイドにまで手当たり次第に手を出しては、
「少ない王族を増やすために、国王としての義務に当たっているのだ」
などと嘯いていた。
そんなであるから、元国王も娘の実質女王の補佐として王宮に残り、娘の生んだ一粒種のリチャードに早くから帝王学を施して、自分が生きているうちに即位させたいと期待をかけていたのだった。
15で成人すると直ぐ様王太子となり、程無くして国内の有力貴族と婚姻を結ばせようとしていた頃であった。
大陸全土で信心されている神聖教の皇帝が治める帝国で、10年に一度の神事が執り行われ、立太子したばかりのリチャードが外交デビューとして赴いた先で、何の因果か、アルビオンの海を挟んだ隣国の王女に惚れられて、早急に婚約の打診が為された。
まだ国力が戻りきらないアルビオン王国で、フルーレザン王国と仲違いするのは問題だと、唯唯諾諾と了承するより他無かったのだ。
婚約した数年後、リチャードは伯爵令嬢のヘレンと王宮の夜会で邂逅し、その傾国の美貌に心を奪われて強引にその純潔を散らしてしまった。
ヘレンはその一夜で王太子の子を孕んでしまうのだが、身重の彼女をアルビオン王国の筆頭公爵家であるフィッツロイ公爵家が受け入れて、嫡男トーマスが腹の子共々引き受けたのだった。
この醜聞は隠されること無く広く大陸中の社交界に広まって、誇り高きフルーレザン王国の王女であるアニエスの心に醜い嫉妬と嫌悪の染みを付けたのだった。
大々的な結婚式をアルビオンの大聖堂で挙げたアニエス。
この麗しの王太子の寵愛は他人には渡さない、そう決意しての嫁入りであった。
王太子の婚姻から程無くして、ヘレンはフィッツロイ公爵家で娘を産み落としたが、産褥期に体力が戻らず呆気なくその生を終えたのだった。
ルシンダと名付けられたこの娘は、白金の髪に薄青色の瞳と言う、リチャードの色をそのまま引き継ぎ、また傾国の美女ヘレンと美貌の王太子の顔の良いとこ取りをした、美しい赤子であったと言う。
そんなであるから、大陸中の注目を浴びて育ったルシンダ公爵令嬢は、デビュタントの翌月に、アニエス王妃の弟である第二王子の元へと嫁いで行ったのだった。
「てまあ、知っているのはこのくらいだが」
大陸中の貴族が知っている話をかい摘まんで話して、それがどう繋がるのかと訝しがったマットに、
「そうよ。王の庶子で、一滴も公爵と血の繋がらない娘の私はね。物心付いた時から不義の子、不貞の子と呼ばれて、母の罪の贖罪を強制されて、こんな敵陣へと嫁がされたのですよ」
そう、楽しそうに答えたのだった。




