コンパートメントにて
最近この大陸での輸送に使われ始めた汽車は圧倒的に移動時間を短縮させた。
特に夜行列車は、前方には各国の貴人が使う応接室と寝室、食堂車を設えた特別室が置かれ、その間に食堂車を挟んで完全個室の1等客室、他者と相部屋になる2等客室と、段々と室内を狭くしていき、商人などが利用する座席しかない一般席と貨物車となっていた。
現在の身分は平民であるマットは、本来ならば一般席でもその切符は高価で手にするのも躊躇するほどなのだが、今回の帰国は祖父からの依頼であったので、寝台が付き、個室となっている2等客室であった。
個室とはいえ本来相部屋であるその部屋は、片側には向い合わせで座るボックスシートが置かれ、その対面には二段ベッドが置かれていた。
使い方としては高位貴族の側使い、侍従と護衛が利用するのを想定しているのだろう。
そんな部屋に、マットは乗り合い馬車で同乗した少年と一緒にいた。
『この国の王子妃であるルシンダ殿下を無事母国のアルビオン王国へとお連れするように。
拒否権は無い。セシル家がフルーレザン王国で今だ存在しているのは、アルビオン王国国王陛下の恩情に寄るものなのだ。
お前が、お前の兄が、お前の両親が存在していることが即ち恩情によるのだ。
どうか、指示に従って己の使命を果たすように』
馬車の中で受け取った手紙にはそう記載されていた。
百歩譲って、これが母国であるフルーレザン王国のサンラザール王家の命であると言うのならまだわかる。
しかし、なぜ隣国の、しかも余り良好とは言えないアルビオン王国のペンデルトン王家の命令を他国の貴族であるセシル家が従わなければならないのか。
マットの眉間には先程から同じように深い皺が寄ったままであった。
そうして、手紙には王子妃を母国アルビオン王国へ連れていけと書いてあった。
であるのならば、この少年は、
深い思考の沼に嵌まっていたマットの視線を受けて、細身の半ズボンにタイツを履いて、肩パットの入ったジャケットにスカーフを首元に巻き、深くキャスケットを被った出で立ちの少年が顔を上げた。
「ふふふ、初めまして。これからの道中宜しくお願いしますね」
その澄んだ薄青の瞳を三日月のように細めて、柔らかく笑った顔を向けたのは、どう見ても10代のような艶やかな白肌の若者だった。ただその声は思いの外落ち着いたアルトであるので、少年姿にマッチしていた。
確か、王子妃殿下は30を越したはず、大体彼女の生んだ王子殿下がこの春先に成人し、それと同時に自分が学んだ帝国大学に飛び級で入学したと言うニュースを、フィオレンツァ共和国の新聞で読んだ記憶がある。
と言うことは、31か32と言ったところだ。
え、マジか。診療所の看護手伝いのミーナと同じか、それより若く見えるぞ。
それより、性別不明の美貌と言うか、確かに中性的な美少年にも見える。
なんだこれ、どうしたら、どういうことだ。
マットがまた沼に沈んでいっているのを無視して、
「私のことはルイージとでも呼んでください。あなたもこちらにお掛けになったら?」
ボックス席に座ると、キャスケットを外した。
白い肌に不似合いなごわごわした焦げた赤茶の髪をきっちりと三つ編みにして帽子の中に押し込んでいたようで、帽子を取ると麻紐のような髪束が飛び出してきた。
「あなた、えっとでは、ルイージ。どういうことか教えてもらえるかな?」
おおよそ、王族へは相応しくない言葉で問いかけた。
「ええ、お話しできることは勿論お話し致しますわ。時間はたっぷりあるんですもの、まあお掛けください」
その声に背を押されるように、マットはボックス席の前に腰かけるのだった。




