ルシンダ
当時リチャード王太子の子を孕みながらフィッツロイ公爵家に嫁いだ母ヘレンは、娘を生んだ後、サンラザール王家の毒で死んだ。
その事を幼い時から公爵である祖父母から聞かされて育ったルシンダは、そう言うものなのかと童話のあらすじのような感覚で受け取っていた。
物心ついた時には、双子と言われる程似た顔の弟と一緒に育った。
弟は、ルシンダより余程理解力があったようで、大人の目を盗んではルシンダに自分たちが負わされている宿命について言って聞かせた。
「姉様、姉様は王女としてフルーレザン王家に嫁入りさせられて、たぶんに冷遇された生活を余儀なくさせられると思うんだ」
「まあ、冷遇と言うのは、陰口で『不貞の子、王の庶子がずいぶん偉そうに』『臭い臭いわ、ドブネズミが入り込んでいるようね』『これで少しはキレイになったでしょう、感謝おし』茶会の席で、そんなことを言われてバケツの汚水をかけられるのかしら、それとも王宮の侍女に叩かれるのかしら。朝からお仕着せを着て、冬の寒空の下、掃除に洗濯を押し付けられて赤切れで指先から血を流すのかしらね」
祖父母から大切に扱われてきたルシンダは、朗らかで気さく、公爵邸の使用人とも仲が良く、年若な侍女見習いから巷で流行っている少女小説を借りて夢中になって読み耽るようになっていて、その主人公の不遇に自身の存在を重ねているようであった。
「姉様、もっと真剣に考えてくれよ。きっと、長い時間、離宮に幽閉されて、ペンドルトン王家のアニエス王妃のような扱いになると思うんだ」
「ええ、それじゃあ私も王子を生まされるのね、愛されない子を。でもいいわ、私が生むんだもの私が愛してあげたら済む話よね、夫の愛を欲して縋り付くからみな悲しく嘆くのよ。始めから期待しなければ良いんじゃない?」
またしても少女小説に準えて答えてくる姉に、弟ジョージが憐れみのような目を向けて、
「私はきっと、王子のスペアと公爵の跡継ぎ、都合良い駒として使われる身だ。いや、王なぞ面倒なものになるものか、巧く躱して逃げてみせよう。姉様の身の安全も私がちゃんと考えるから」
そんなことを言われて、頭をポンポンと撫でられた。
「まあ、私が姉なのよ。私のことは気にしないで、大丈夫よ。成るように成るわ」
弟の手を振り払うと、やんわりと否定して遠い目をしたのだった。
それから数年後、時々、年の離れた弟アーチーが王都から公爵領にやって来るようになって、弟の可愛らしい姿に、ルシンダは喜んで、構ってかまって、構い倒した。
アーチーはとても懐いて、ルシンダの後をついて回って、遊んでやると子犬のようにはしゃいだ様子を見せた。
時々、寝物語の読み聞かせをと、とっておきの少女小説を読んでやると、眠い目を擦りながら睡魔と戦いながら、ルシンダの話を喜んで聞くのだった。
その様子を少し距離を取ってみていたジョージは、
「姉様、幼い子供に刷り込みはいけない。少女小説のヒーローにでもなる気で、アーチーが騎士を目指そうとしている。アイツは公爵家の跡取りになるかもしれないんだ、読み聞かせは止しなさい」
そんな父親のような口調で注意してきたのだったが、アーチーがルシンダの読み聞かせを王都へと転居してからもせがむのを見て、
「姉様を守るための居場所となるのなら、まあ無難ではある」
とか、なんとか言いに父の執務室へと行ったのは、ルシンダが嫁ぐ頃だった。
15でフルーレザンに嫁いだルシンダに、第二王子ダミアンは明らかに蔑んだ目を向けてきて、
「お前を愛することは無い、せいぜい俺の子種を貰えることに感謝して尽くせ」
と、初夜で言い放った程には愚か者であった。
嫁ぐ前、初めて国王リチャードと二人だけの会話をする場が与えられた。
表面上は、準王族として嫁ぐ公爵令嬢を労う為の場、実際は初めての親子としての対面であった。
国王からは特別な興味を持たれていないことは、その視線から明らかで、血の繋がらない父公爵トーマスからの方が余程敵国に送るのを心配する心情を見て取れた。
とは言え、最愛の前妻ヘレンとの約束の為に、敵を討つために嫁いでくれと言う赤裸々な告白に、鼻白んで『ソウデスカ』と片言になってしまったのは、しょうがない。
国王は、淡々とサンラザール王家と交わした契約書を見せて説明をした。
『アニエス王妃と同じ待遇をすること、その身の安全と生命を担保すること、もし契約を破棄すればその瞬間に王家の醜聞が大陸中へと伝達されること』
そんな条件だった。
だが、年の近い王太子との婚姻でなく、20近くも離れた王弟ダミアンとの婚姻である、その子の王位継承権は当然低く、契約自体が不平等な物であるのは明白だった。
「不平等な契約をわざと結んだのは、当時はまだあの国の方が権勢が強かったから。
もう一つは君が幽閉される王子宮に我が国の間謀を入れる。
王宮よりよっぽど警備の薄い王子宮の方が彼らが動きやすいからね、まあ君の不遇には何かと目を瞑らねばならない」
寧ろ清々と政略の駒だと言い切る姿に、小説の冷たい父親そのものだわ、そんな感想が脳裏に過った。
だから、どうせならそんな親を捨てるヒロインよろしく、自分の都合を口にした。
「では、生涯ただ一つの願いをお聞き下さい。私が生んだ子が成人したら、私を解放してください」
「どうやって」
つまらない願いだと、失望を宿して見つめられた薄青の瞳をじっとりと見ながら、
「母が殺されたサンラザールの毒を下さい。それで病気になったのを切っ掛けに、契約を破棄して戦争でも暗殺でも何でも仕掛けて下さい。私は病気を理由に帰国しますわ」
同じ色の目を半分にして、投げ槍に言い捨てれば、初めて私に興味を示して、
「帰国してどうする、生きて戻れる保障は無いぞ」
少し愉しげに口角を上げて問い返してきた。
「死んでしまえば、それはそれ、魂は自由になれますわ。万が一戻れたならば、それはその時考えますわ、どっちに転んでも勝つ勝負。賭けない理由は無いでしょう」
そうして、リチャードとルシンダだけの、唯一の秘密抱えることになったのだ。
ルシンダが理解したよりは、ずいぶん浅い考えでダミアンと、フルーレザン王国の貴族たちはルシンダとアルビオン王国を蔑んで、公然と馬鹿にした。
ダミアンは、初夜の晩から年若なルシンダに対して娼婦にするような雑な扱いで閨で嬲っては、己の地位に服従するように躾て、それにルシンダの心身は抉られて衰弱していった。
そんな激しい衰弱に陥った頃、身籠ったのである。
随伴した使用人たちから、ダミアンが行った非情な扱いを聞いて知っていた公爵であるトーマスが、公爵家の騎士と共にアルビオン王家の兵を多数率いてフルーレザン王国へと軍艦でやって来て、国王に対して、ルシンダが受けた暴行暴言と呼べる数々の事柄を、声高にあげつらって、契約違反を訴えた。
そして、もしこのままルシンダを離宮へ置いておけば、子を生む前に殺される、母親のヘレンのようにサンラザールの毒によってと、双方の貴族文官居並ぶ前で重々しく口にすれば、後ろ暗いことから王位についた国王は、公爵の言い分を全て飲み込んで、夫ダミアンの離宮への立ち入りを禁じ、護衛や使用人の全てを公爵の指定した者に変えることになったのだ。
始めは、出産までの予定であったのが、なし崩し的に期間が延長されて、その時生まれたウィリアムが成人してルシンダがフルーレザンを脱出するその時まで、この約束事は続いたのだった。
ウィリアムが帝国へと旅立ったその日から、ルシンダは自身の左胸に保湿用に使っていた蜜蝋で薄く希釈した毒を塗るようになった。
少しずつ健康が害されていくのがわかった。
食欲を失い、胸の痛みに眠れない夜を過ごして、これで終わるのならば本望と暗闇を見ながら思うのだった。
本日19時半に本編完結致します。どうぞお付き合い下さいませ。




