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アニエス王妃 その3

「君が彼女を差し出すとは思わなかった」

離宮への呼び出しに答えて現れた夫が珍しく真剣な声で語り出した。


「当然でしょう、彼女はサンラザールのセシル家の者。王族を庇護するのが使命なのですから」

淑女然とした表情で鷹揚に話し出せば、珍しく眉を寄せて感情を見せた。


「トーマスも私を非難するんだ。貸しを返せって」


「当然でしょう、ヘレン様と同じ毒をルシンダに与えるなど公爵の怒りは最もです」


愛情では無い感情をお互いの視線に乗せて静かに向かい合って座った。


彼から悪役王妃の役を告げられた日から絶望の中で離宮で日常を過ごせば、傲慢な我が儘王女の花の咲いた頭の中でさえ、黒い思惑の行方と絶望の未来を理解せざるを得なかった。


自分の身の上を嘆き悲しむのに飽きた頃、傍らで成長していく息子の将来が気になった。

夫は、決してこの子に愛を与えない。

私に向ける過去の因縁が、その後この子に引き継がれ、アルビオン王国の恨みを一身に背負わされることになるエドワードのことが不憫でならない、そう思うようになった。


エドワードに親愛を見せない夫だが、ヘレンの遺児ルシンダにはどうか、公妾に据えようとした傾国の美女と呼ばれるほどの美貌の彼女の娘には親の愛をむけているのだろうか。



そんな不安な気持ちを察して、フィッツロイ公爵から赦され離宮へと戻されたディアーナが諭すように言った。


「殿下は、ヘレン様を特段愛してはおりませんでしたし、ルシンダ様のことにも興味を持っておられません。ヘレン様を慈しみ愛しておられたのは、トーマス公子だと思います。酷な言い方を致しますれば、アニエス様とヘレン様へ向ける感情に、策謀以上のものはお持ちになっておられない、そう推察致します」


言われた言葉を理解するのにかなりの時間を要した。

返事も出来ずに黙り込み、何度も反芻して、ある時愕然となった。


彼は誰も愛したりすることが無いのだ、誰も彼も親世代の確執の犠牲として次世代へとその罪を繰り返し送っているのだ、そう気がついて、横でむずかって泣き出したエドワードを抱き締めた。


彼はヘレンを愛していたから子を為した訳では無いしフルーレザンへの牽制としてそうしただけであり、ヘレンもまたその駒としての役割を粛々とこなしただけだったと。


その根深い闇は祖父である太陽王からもたらされた因縁であるのだ、と。


そう思って、彼を思えば、彼の白金の髪、薄青の瞳は、ペンデルトン王家の色、祖父である国王とも義父母とは違う色であり、姿絵で見たヘレンと同じ特徴であった。

夫の子、ヘレンの子ルシンダ、自分が生んだエドワード、トーマスの後妻の生んだジョージ共に、みな夫と同じ色味で生まれ落ちていた。彼らに引き継がれた血は、ヘレンの母方の血だと知り、自分の血と同じ出自であることを知った。


つまり、夫は、ペンデルトン王家の遠縁の父と国王の娘の子とされていたが、実はフルーレザンの血を引く子であるのだろうと、思いに至った。


時折、ふらりと離宮へとやって来る夫を捕まえて、恐ろしい想像を告げた。

「あなたとヘレンは兄弟の交わりをしたのでは無いですか」


すると、心の底から心外だと、酷く歪んだ怒りの表情を見せて、

「さすがに、種馬を期待されて生まれてきた私にも最低限の倫理観はある。あれは、従姉妹だ。

王女の母は一度ヘレンの母方のラドクリフ侯爵家から婿を取っていた、その時の子が私だ。


ラドクリフ侯爵家はお前の父愚鈍王太子が追い出した妊婦の侍女を後妻に向かえ、生まれた子を養子とした。その養子が婿に来た私の実の父だ。彼はヘレンの母の兄つまり叔父だ、ヘレンの母は双子の妹で、お前とは共に異母兄妹であるのは間違いないがな。


むしろその血故に、我が王家にサンラザールの血を取り入れて、王位継承問題に口を出そうと目論んで婿に取ったのだから。


フルーレザンの策謀で、兄の王太子が急死し、仕方なく血の正当性の工作に、離縁して遠縁の父と偽りの婚姻を結んだ、父にも先に家庭があったから、その後の放蕩にも思うところはある。


だがまあ、国王になるには覚悟が足らん。結局は疎まれて、その身を亡ぼされたのは自業自得だ」


夫が語る話は、長い時間をかけたフルーレザンへの復讐計画で、私が夫に恋をすることすら、計算されていたことだったとも知らされて、初恋まで貶されたことで、名ばかりの悪役王妃とさせられる罠にむざむざと掛かりに行った迂闊さに、自分の愚かさ、愚鈍王太子の父から受け継がれたサンラザールの血を恨むことになったのである。


「ヘレンは言ったよ、親の因果を子に引き継ぐのは自分たちで最後にしましょう、と。


お前との初夜の晩に呼ばれた席でそう言われた私はね、ヘレンが私に惚れていたのかと自惚れたんだが、そんなことでは無いと素気なくされて、これから生まれてくる腹の子が自分と同じ政争の駒になるなど許せないと言って、自分がサンラザールの毒を身に受ける囮となるから、このつまらない因縁を終わらせてくれと頼まれたんだ。


さあ、お前にはその覚悟はあるか。エドワードの未来のためにお前は何をする」


薄青の瞳は流氷を思わせて、心臓を凍らせるほど冷ややかなものだった。

アニエスはその眼差しも、話の内容も、忘れられない思い出となったのである。



「陛下、サンラザール王家の血は遠からずフルーレザンからは消え去ります。内乱が革命へと突き進むのはもう、時間の問題。その先にどんな混乱が起ころうとも、それはあちらの国のお話」


あの日のリチャードを彷彿させる冷たい眼差しでアニエスが言葉を紡いだ。


「お前の母国が革命に蹂躙されるのを良しとするのか」


「おかしなことを。それを突き進めたのは陛下、貴方ではありませんか。


その革命の火がアルビオンに飛び火する前に、貴方は責任を取って退位をされることです。

フィッツロイ公爵が主導して、もうすぐ議会に権利の要求を致します。貴方はそれを拒否して、捕縛幽閉される役割が与えられますわ。


貴方の命を嘆願して、その権利を承認して、無血革命を受け入れるのが、エドワードの役割です。今後、ペンデルトン王家はアルビオン王国の象徴としてのみ存在し、政治からは一切身を引くことになるのです。


どうぞ粛々とその役割を演じて下さい」


悪役王妃を30年以上も演じてきたベテラン女優の風格で、優雅に冷たい台詞を夫に吐いて目を細めた微笑を向けた。


「なるほど、それが君からの答えか。侍女とたった二人でフルーレザンの王宮へと乗り込むくらいの気概はある。お前の後ろにはトーマスがいたのか、あいつ完全に私を蚊帳の外に追い出して。


まあいい、その情けない国王の役を引き受けてやろう、ルシンダの献身に報いる為にも」


小さくため息を一つ溢して立ち去ろうと身を翻した、その後ろ姿に

「ええ、幽閉された貴方の側にはわたくしが生涯寄り添いますわ、貴方の最後はわたくしが」

そんな言葉を投げ掛けたので、

「へえ、お前はこれでやっと自由になれるのに」

と、振り返って不思議そうな顔をして見せた。


「ええ、わたくし幽閉生活には自信がございますの。貴方に教えて差し上げますわ」

ツンと澄まして返事をすれば、ははっと歯を見せた笑い顔を初めてみせて、それはお願いしようと言って後ろ手を振って立ち去ったのだった。






船医のラボでは、マットが冷や汗をかきながら、無味無臭の毒薬にトリカブトの毒を慎重に垂らしていた。


完成した液体を前に、叔母であるディアーナに問いかけた。


「なぜ、貴女がルシンダ様の為に」


「サンラザールが行った青年貴族への毒殺事件、それにセシル家が何も関与してない訳では無いの。


当然その毒は王宮で作られていて、セシル家が主導していたのは間違いないし、その毒で起こした事件が半世紀も遺恨を残したのも事実。その為に、父ジャンが贖罪のつもりで作られた解毒薬も、太陽王によってその作成は制限されて、持ち出せたのはヘレン様に投与した小瓶の分だけ。


その作成のレシピは取り上げられて、セシル家でさえ詳細を知ることはできない。

祖父も年老いて記憶だけでは再現できる自信は無いと、諦めていたけれど、孫の貴方に天賦の才を見出だして、もしもこの因縁が終わる時がきたらと期待を賭けたのよ。


勝手なことね、幼い貴方には酷い仕打ちだと思ったわ。

だからもし貴方が父の解毒薬に関わることになったなら、私が貴方の毒味役をしようと、そう願ってきたのよ。トーマス様にもアニエス様にも、リチャード国王陛下にもね。了承を得ているのだから、気兼ね無く毒を投与して頂戴、ルシンダ様に残された時間は本当に僅かよ」


ルシンダの名を聞かされて、やっと決心して、ディアーナの腕に毒針を突き刺した。

自分が試した毒の十数倍の濃い毒に、その腕は一気に黒く変色してディアーナが胸を押さえて苦しい表情を見せた。


「すぐに、飲んでくれ」

船医が持って待ち構えていた茶色い小瓶の液体をその口に突っ込んで、顎を持ち上げて嚥下を即した。


そして、その身をベッドへと横たえ、様子を観察する。

苦しそうに上下していた胸は、徐々に呼吸が落ち着いてきて、驚くほど早く打っていた脈もそれに伴って通常に戻っていった。


寝ずに様子を確認して、1日半が経過した。


変色した腕も元通りに戻り、意識の混濁も見られない。

脈も血圧も常人と変わらない様子に、解毒薬の完成をみた。


「やっと、やっとルシンダに完璧な解毒薬を届けることができる」

マットは、ディアーナに投与したのと同じ解毒薬を急いで作成して、アーチーに伴われてアルビオンの王宮へと馳せ参じたのだった。




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