アニエス王妃 その2
夫であるリチャードと始めて会ったのは、彼が成人して最初の外遊で帝国の神事に招待されて列席した時であった。
白金の髪に、薄青色の瞳の、線の細い王女と言っても信じてしまいそうな、美しい王子であった。
その時、祖父の国王と祖母の王妃に連れられて行った先での、運命の邂逅、そう思って思わず
「彼のお嫁さんになりたい」
絶対的な権力者である祖父へそう願ったのは、願えば叶えて貰えると心底思っていた傲慢さ故であった。
願いが叶い、18になるとすぐにアルビオンへと嫁いだのだが、歓迎とはほど遠い、冷え冷えとした雰囲気での挙式であった。
落ち込む気持ちを、リチャードの妻になったのだからと、無理に上げて初夜へ向き合った。
アニエスが部屋のベッドでリチャードを待ってから、かなりの時間が過ぎた。
彼は、来ないつもりだろうかと不安にかられてて待ち尽くしていた時に、ドアが開き、やっと彼に会えた。
嬉しさに顔を綻ばすアニエスに向かって、彼は明日の天気でも言うような口調で、
「もうすぐ第一子となる僕の子が生まれるんだよ。今、子を生む令嬢と話して居たんだけど」
そんなことを言うのだった。
「子、子を生むとは、どういうことですか。貴方の子を生むのは妻の私では無いのですか」
あまりのショックに、声が震えてしまった。
「ああ、君も生むさ。でもヘレンが先に生む。君は一人子供を生めば良い。そして、君とその子はフルーレザンの人質として罪人として日陰で暮らしてもらう、君の国が仕掛けた毒殺の責任をとってね」
あの美しい顔を向けて、優しい微笑みを見せながら、絶望の底へと突き落とすような言葉をかけて、それでも初夜は為され、時を置かずに子を授かったのだった。
ヘレンが子を生んだと、知らせを受けた。
幽閉されていた北の離宮にわざわざ夫がやって来て、女の子だったよと軽く話し始めた。
その話の最中に、そっと一人のメイドが部屋を辞したことを私も侍女のディアーナも気がついて、彼女が後を追って行った。
「ヘレンは死ぬ。あのメイドが毒をヘレンに盛るんだ。きっとヘレンを殺したのは君の指示だと思うだろうね。後を追ったセシル家の侍女も、彼女がどういった働き云々に限らず、君の状況は悪くなるよ」
「私を悪役にするために、業とヘレンの名を出したのですか」
「僕はヘレンを公妾にしたいから、そんなつもりは無かったんだけど彼女がね、この国に入り込んだダニ、シラミを一掃しましょうって言うんだ。彼女はここで命を賭けるんだって言って聞かないんだ。
自分が死ねばフルーレザンへの口実になるし、助かったらアルビオンに巣くうダニ、シラミを一網打尽に出来るしで、この勝負負けが無いんだってさ。
君は、この国に嫁いで来た時点で負けが確定してるんだよ。
恨むなら愚かなフルーレザンの王族を恨むんだな。多くの息子を毒殺された貴族家がフルーレザンの王女である君を認めない。
フィッツロイ公爵家のトーマスもヘレンを永遠に失うんだ、我が国はフルーレザンを絶対に許すことはないんだよ」
結局、メイドの知らせを聞いたモノー家の暗殺者が、メイドとして紛れ込んだ公爵家で、産後のヘレンの体を拭う布に毒を染み込ませて拭うことで、身体中に毒が回りその後亡くなってしまった。
駆けつけたディアーナがその事実を公爵家に伝えても当然信用されず、捕縛されてしまい間に合わなかったのだ。
体調の異変に公爵家側が気がついた時には、もう手遅れであった。
「お前、解毒薬があると申したな、それを俺の目の前で使え」
地下牢に閉じ込められていたディアーナの前に、トーマスが現れて有無を言わさぬ口調で命じて、重篤な状態のヘレンの寝台脇へと自ら連れていった。
脈を取り、心音を聞く。
毒を受けた上半身の数箇所がどす黒く変色していて、もう手遅れなのは見て取れた。
医者としての矜持、真実を述べない訳にはいかない。
「もう、手遅れです」
首を振りそう伝えたディアーナの腕が強く、強く握られ、恐ろしい形相をしたトーマスが頭上で怒鳴った。
「サンラザール王家秘匿の毒を、無毒化出来る薬があるんだろう!?その実験場に我が国を使った、違うか」
「違います、無毒化するのに使ったのは、太陽王その人の御身。治験をする間も無く毒に侵された状況での投与でした、偶々効いたそれだけです。ヘレン様にも、最初の段階で投与していれば或いは無毒化出来たかもしれません。しかしここまで毒が回ってしまっては、もう誰であれ助かりません」
腕を捻られ、揺さぶられても、患者の状態は真実を伝えねばならない。
ディアーナの信念の籠った瞳からヘレンの死を確信したトーマスは、掴んでいた彼女の手を乱暴に放した。
「少しでもお別れの話を出来るように致しましょう。今、私に出来ることはそれくらいでございます」
ディアーナが深々と頭を下げたカーテシーをして、言葉を絞り出した。
「っく、直ぐに」
トーマスが頭を掻きむしりながら短く答えると、ベッドの横に膝をつき静かに寝ているヘレンの手を握った。
ディアーナはポケットから取り出した小瓶の液体を、スプーンで掬って口許へと運び顎を上げて嚥下させた。
数分をおいて、耳元でヘレン様、ヘレン様と呼び掛けると、その薄青色の瞳をうっすらと開けたのだった。
それから席を外して、最期の夫婦の時を過ごしたヘレンの臨終を告げたのも彼女であった。
長い長い、国を揺るがす騒動の顛末を書いた手紙を読み終えて、マットが叔母を見た。
「貴女は、セシル家は、人殺しの医者の家では無いのですか」
長く自分の中にあった生家への不信感、出来なかった疑惑の問いを初めて口にした。
「当然です、我ら医者の矜持をなんだと心得ているのですか。患者を救ってこそ我らが存在し得る価値があるのです」
「なぜ、俺にそれを教えてくれなかったんだ。親父もじいさんも誰も彼も、王家の毒によって成り上がったエセ医者の家系だと言われていたのに、反論もせず」
マットがフルーレザンの王宮医の中で冷飯を喰わされてきた時を思い出して、眉を寄り顔が歪んだ。
「それが、アルビオン王国との、いやペンデルトン王家と交わした契約だったからです。
ヘレン様の死を不問にする代わりに、毒に絡む一切の他言無用、その中にセシル家についても入っていました。
それ以前にセシル家の解毒薬の存在は一切秘匿とするように太陽王が厳命されていました。解毒薬ではなく無味無臭の最強の毒を扱うセシル家と嘘の噂まで流して」
ディアーナが語ったことを、マットは目を固く閉じて咀嚼した。
ヘレンの死をきっかけに、その彼女に毒を盛った女、指示を出したメイド、その後見人になっていた貴族家、それに繋がりがあった貴族家を次々と捕縛して、その全貌を暴いていった。
これには、フィッツロイ公爵家のみならず、アルビオンの暗部を取り仕切っていた生家のシャバン伯爵家、軍部を担っていたリンネット伯爵家が陣頭指揮を取り、裏表と両面を根こそぎ暴いたのだった。
その結果、太陽王の手足として暗躍していたモノー家とそれの中に潜んでいた太陽王の妾を輩出した家門の者、王や王太子から追放処分にされてアルビオンへと逃げてきたフルーレザンの元貴族の者たちが、アルビオンでの手柄を持って自国へ凱旋を果たそうと、アルビオン王国内で活動していたことを突き止めたのだった。
完全な全容解明には数年を要し、アニエス王妃が第一王子エドワードを生み、その翌年に、トーマスが後妻に娶ったジェーンが王太子リチャードの二人目の庶子となるジョージを生んだ頃であった。
アルビオン王国内の間謀を手中に治めたリチャードは、モノー家の実質アルビオン側の当主に当たる男をウェルシュ男爵家に迎えフルーレザンとのやり取りをさせる手駒、逆間謀にして、交渉に当たらせた。
交渉相手は、太陽王が幽閉していた王妃の息子が王宮内の侍女に手を出して出来た子、現在のフルーレザン国王であった。
密かに侍女の家に匿われて過ごしていた不遇な彼に接触して、太陽王とその息子の愚かな王太子の暗殺を耳元で囁いた。
当然、それに飛び付いた彼は、アルビオンのペンデルトン王家と密約を交わした。
『次の国王は、ペンデルトン王家の血を引く者にする』
そして、太陽王と王太子は、自らの蒔いた種によって、サンラザール王家の毒によって無様に殺され、現在の国王がその頭に王冠を戴いたのだった。
しかし、約束事を反古することを何とも思わないサンラザール王家は、結局、ルシンダを王太子の妃にはしなかったし、その子ウィリアムへも次代の王位継承権を認めなかった。
それも計算の内として、アルビオン側は幽閉されていると見られていたルシンダの住まう王子宮に堂々と手の者を送り込み、15年の時を経てサンラザール王家の滅亡を謀ったのだ、と冷たい声でディアーナが告げた。
「どういうことだ」
マットが恐ろしい者をみるような顔で問いかけた。
「今、フルーレザン王国内では各地で暴動が頻発しているの。元々王家が長く重税を課し国民を蔑ろにしていたのだから不満はマグマのように溜まっていた、それは知っていたでしょ。
そこに、友好の証しとして嫁いだ王子妃がサンラザール王家の毒によって殺されるのよ、夫の第二王子の醜聞は予てより知られていたし。
王家に嫌悪を抱いた国民に、大手貴族の公爵家、冤罪で娘を修道院に送られたかの家を筆頭に、辛酸を舐めさせられた各家門がそれに乗じて挙兵して、退位を迫っているのよ、今まさに」
淡々と話すディアーナにマットが掠れた声で、
「フルーレザン王家がどうなろうと最早俺には関係ない。しかし、その話じゃ、ルシンダに毒を盛ったのはアルビオン側と言うことになってしまう」
目を見開き、吐息のように溢れ落ちた自分の言葉に絶望の色を濃くした。
「なんだと!」
黙って成り行きを見守っていた、アーチーが大きな声を上げた。
「そうよ、ルシンダ様は自身でサンラザールの毒を体に取り込んだのです。少しずつ長い時間をかけて、肌に毒の症状が出ないように細心の注意を払って」
ディアーナの話す言葉が理解できない。
なぜ、態々、そんな非情なことを娘に、ルシンダにさせるのか、させたのか。
「長い時間をかけて症状が出るように毒をコントロールするなんて、素人には無理だ。半年後にきちんと死ぬなどそんな微調整が出来る訳が無い」
マットが頭を振ってディアーナの言葉を否定する。
「彼女には幼い時より王家が毒と医療の知識を植え付けました。きちんと役割を果たすようにと言い含めて。毒の知識だけならフルーレザンのどの医者よりも持っているでしょうね」
「姉上に国の為に死ぬように躾たと言うのか!バカにするな、そんなことフィッツロイ公爵家が許す筈がない」
その言葉にアーチーが食って掛かって、殴りつけようとした。
「それを望んだのは、ルシンダ様本人です。ヘレン様と同じ、自分の命を賭けて半世紀に渡る両国の因縁を終えようと決められて、サンラザール王家へと嫁いだのですから」
大きな体で腕を上げ殴りかからんばかりで迫ってくるアーチーに動じもせず、衝撃的な言葉を告げた。
「そんな、『籠から抜け出して自由になる』と言って嫁いだあの言葉は、死して自由になると言うことだったのか」
アーチーが愕然として項垂れた。
その様子を目にして、半年の旅路のルシンダの姿を思い出して、マットの目に火が点った。
「まだ、終わりじゃない。俺が解毒薬を完成させて、彼女に届ける」
「ええ、もう最後の治験だけでしょう。その検体に私がなりましょう。
私には解毒薬を作る材料は与えられなかった。その許可を出して貰えなかった。
解毒薬を作れる人間はセシル家のごく限られた人で、今なら父と私と、自力でここまで作った貴方だけ。
マット、もう時間は無いのよ、すぐに用意をしなさい。毒は致死量で構わないわ、肌から吸収するのだし。解毒薬も最大値の物を打ちなさい、それで解毒出来たならそれが正解よ」
叔母ディアーナは、そのグレーの瞳を真っ直ぐに向けて良く通る声で指示をだしたのだった。




