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帰国

食事の途中での出来事に、レストランのスタッフは気を遣って傍を離れていてくれたようで、着席した途端にデザートの皿が配膳されて、そこにはピンクのムースにチョコレートのソースでハートが描かれていて、またマットが両手で顔を覆った。


ただ、その時に、どうしても伝えなければならないこと、として、体内に1%残っている毒が時限爆弾のように、いつ悪さをするかわからない、完全な解毒剤を作っていること、何種類も出来るが正解の見極めが出来ない為にまだ投与出来ないことを詫びられた。


「マット!貴方、もう自分での治験なんてしてないでしょうね!そんなことを貴方に求めて、巻き込んだんじゃないの。どうかもう危ない橋は渡らないで」


先程までのふわふわした幸福な時間が一気に萎んで、マットを失うかもしれなかった恐怖を思い出して震えた。


「勿論、君と一緒にずっと居ると誓ったんだ、そんな真似はしない。君を願って、望みを叶えられたらもう一度ハポネへ行こう、そこでイオリの指導の下で完璧な解毒薬を作ってみせる。どうかな」


思いがけない申し出に、

「ええ、私ももう一度ハポネに行きたいと思っていたのよ。ぜひお願いしたいわ」

未来に明るい希望を持ったのも、生まれて初めてのことだった。


冷たい風の吹き付ける夜の真っ暗な海を、船のラウンジからマットと並んで見ていた。

蝋燭の火がゆらゆらと揺らいだ様が、室内の熱気で曇ったガラス窓に映っていた。


「寒くは無い?」

タキシードの上着を脱いでルシンダの肩へかけながらマットが顔を覗き込んだ。


「ふふふ、なんだかまだ慣れないわ、そう言えば何で髭を剃ったのかまだ聞いていないわ」

もう、と言って口許を隠し気恥ずかしそうにしながら、船医に相談しに行ったらそう言うことならと、バトラーを呼んで二人にあれこれレクチャーされ、船医が望みを叶えるのならば身だしなみを整えて望むことが大切だと、自身の前髪を指し示しながら伝えるので、彼を信用して髭を剃ったのだと言う。


場所や服装などはバトラーがこと細かく指定して手配も受け持ってくれたのだそう。


「まあ、皆にもお礼をしなければね」

恋情が筒抜けな状況に、ルシンダも赤くなってしまう。


「ルシンダ、君は独身に戻ったんだね。新聞を確認させてもらったんだ」

「ええ、今の私はルシンダ・フィッツロイ公爵令嬢ね。令嬢と言う年ではないけれど」

「いや、君こそ十代と言ってもおかしくないよ」

「おかしいわ、子供が成人しているのよ」

「まあ、そうだけど。見た目の話さ。随分髪が伸びたんだね」


横から項の辺りの髪をさわさわと触られるのが、こそばゆい。


暫く目を細めてルシンダの髪を撫でたりすいたりしていたマットが、唐突に懐からケースを取り出して、

「俺の指輪を指にはめてくれる?」

そう言って差し出したのは、ルシンダが今宵のアクセサリーに髪飾りに、イヤリングにと付けていたペリドットだった。


「ええ、喜んで。貴方の瞳の色の輝石だわ、嬉しい」

ルシンダの手を取り、薬指に指輪をはめると、サイズがぴったりで、


「スゴいわ、ぴったり。どうしてわかったの?」

嬉しくて、窓にその指先を映しみて、微笑みかけながら聞いた。


「ああ、俺は君に嘘をつかないと誓った身だ。正直に言うよ。


本当は毎日脈をとっている医者だから君のことは何でもわかるんだ、と言うことになっていたんだけど。


バトラーが知っていて、船内の宝石店に同行してくれて見てくれたんだ。


あ、いや指輪は俺が自分で選んだ!俺の瞳の色だと言ったらバトラーは重い男だって却下したんだ、最初は君の瞳の色の石を探していたんだけど。君には俺の色を身に付けていて欲しいって俺が決めたんだ!


サイズだけバトラーに聞いたんだ。バトラーは見る人見る人どの人のでも指輪のサイズをピタリと当てるんだよ。そんなのバトラーなら当然なんだって軽く言うんだけど。俺は指輪を買うのもそもそも初めてだし、サイズがあんなに細分化されていることも知らなくて」


あたふたと慌てながら説明してくるマットに、指輪を買うような女性が今まで居なかったのかと自分勝手な喜びも沸いてきたのを隠して、


「ありがとう、マット。とてもとても嬉しいわ。もう死ぬまで外さない、大切にす」


ギュッと指輪をはめた指を握って、お礼を言う言葉の終わらぬうちに、頭を大きな手で支えられ、唇に温かく柔らかな感触を受けた。


目を閉じるのも忘れてしまって、マットのグレーの瞳を見つめたまま、一度離れた口付けがもう一度、もう一度と繰り返し与えられて、そうして、やっと目を閉じたら、蕩けるような深いものへと変わったのだった。



残りの船旅は、それはそれは楽しく過ごした。

今までの軽薄な夫のふりは鳴りを潜めて、面倒見の良い侍女のようになにくれとなく世話をしたがった。


「確かに、食事の世話も、看病をしてくれる時も過保護ねとは思っていたのだけれど、貴方が何から何までしようとしてくれなくても良いのよ。ジュリアもメイドも居てくれるのだから」


朝の診察に普段より1時間も早くやって来て、着替えも手伝うなんて言って寝室に入ってこようとするマットをアーチーが蹴散らして、


「俺は、律儀な男だから、国王と公爵にルシンダを貰い受けると告げるまで手は出さない、今も客室に寝泊まりしている。彼女の身の回りの世話を俺ができるようになれば、周りの心配ごとが減り、より理解が得られやすくなるだろう。なに、診察でルシンダの肌なぞ捏ねくり回しているんだ、今更下着姿を目にしたところで問題なかろう」


「あんたはアホか。問題しかないだろう。客室に寝泊まりするのは当然だ、お前は現状専属医でしかないんだ。着替えの手伝いなどさせるものか。何のために護衛の俺が付き添っていると思ってるんだ、お前みたいな不埒な輩を成敗するためだ」


大の大人が真剣に喧嘩を始めたことに驚いて、簡易なワンピースに着替えて出ていくと、二人が睨みあっているところだった。


着替えは終わったからと、先に診察を受けて、それから再度身支度を整えようとジュリアに声をかけた所に俺がやろうとマットが買って出て、現在、髪をすかれサイドの編み込みをジュリアから教わっているところである。


「ねえ、マット。髪を結えなければ、また前みたく短く切ってしまえば良いでしょう。編み込みの練習は要らないわ。自分のことは自分でやるように、前から教わっていたし、これからは私が自分で自分のことをできるようにするから、もう本当に私の世話を焼かないで」


そんなちょっとしたトラブルすらも楽しくて、楽しい時間は早く過ぎると言う評判通り、残り時間はあっという間で、もう母国の港が身近に見えてきた。





着岸して、船員が忙しそうに動き回っていても、まだ乗客は降りることは出来ない。


この半年をとても世話になったバトラー、船医、護衛騎士、メイドたちなどにお礼を告げながら皆に品物を渡して、別れを惜しんだ。


やっと下船出来ることになり、身分的に一番始めに歩み出した。


港では、溢れんばかりの迎えに来ていた人々が皆平伏して頭を下げていた。

不思議に思いながら進んだ先には、王家の紋の入った大きく立派な馬車があり、そこから立派な衣装をきた、白金の美しい男が降りてルシンダにむかって歩いてきていた。


その人がチラリと見えた瞬間、ルシンダが、続いてジュリアが深い最上礼のカーテシーをし、アーチーとマットがボウ&スクレープをした。


「良い。長旅ご苦労だった、楽に」

そう言って国王リチャードが姿勢を直させた瞬間、ルシンダの体が糸の切れたマリオネットのように揺れて地面に倒れていった。


それを、ジュリアとアーチーの後ろから見ていたマットは、飛んで支えようとした所、左右から飛び出してきた近衛騎士に顔を打たれ羽交い締めにされて倒された。


倒れて、地面にぶつかりそうになったルシンダをすんでの所で目の前の国王が支え抱き抱えて、ルシンダ、ルシンダと名を何度も呼び掛けた。


あ、ルシンダ、ルシンダーと近衛に押さえつけられながらも大声で名を呼び意識が戻るのを期待して上目使いで地面から見上げていたが、ダラリと垂れた力の抜けた手足に、その身の重篤さを思い知って、


「どいてくれ、俺はルシンダの医者だ。専属医だ、ルシンダ、ルシンダを診せてくれ」


力の限り大声で叫んだけれど、黙れと地面に胸を強く押さえつけられただけだった。


ルシンダは王に抱えられたまま馬車へと乗せられて、スゴい早さで走り去ってしまった。

王とルシンダの去った後、アーチーが近衛に制止させてマットを解放させた時には、彼は窒息状態となり意識を失っていて、急遽、船の医務室へと運ばれ緊急措置が取られたのだった。



その日の夜中に、やっと目を覚ました彼が船医から告げられたのは、ルシンダは毒によって急に心臓の動きが悪くなって、王宮で救急対応をされているが、意識も無く危ない状態が続いているとのことであった。


「なんで、何でだ!やっと、やっとアルビオンに帰ってきたのに、こんな時に1%の毒が作用するなんて」

話を聞いたマットは枕を叩き、悔し涙にギリギリと歯軋りをしたのだった。


一頻り神を呪う言葉を吐き続けると、起き上がって船医に頭を下げた。


「ドクターミュラー。ドクターイオリから貰ったトリカブトの毒を使った完璧な解毒薬を至急作りたいんだ、ラボを貸してくれ」


「そう言うと思っておったわ。お前のバッグはそこに置いてある。時間は無いぞ、さっさと取りかかるか」

部屋の隅に置かれた往診鞄を持って、船医のラボへと向かうのだった。




一方、フィッツロイ公爵家へと戻っていたアーチーは、父と兄と共に向き合って吠えていた。


「こんな横暴、許されることでは無い。なぜ公爵令嬢に戻った姉上を国王が迎えにきた上に王宮へと連れ去ってしまったのか。面会謝絶を理由に、家族の我らにも会わせないなど何の権利があって!


姉上の身を第一に考えるのならば、ドクターマットに診察と治療を任せるべきだと王宮でも伝えたのに取り合っても貰えない。姉上を悲劇の御輿として死の生け贄にするつもりか!」


「お前の軸足はどこにある」

渋い顔で黙って、アーチーを眺めていた父がアーチーに問うた。


「当然、姉上の幸福に。正直、国だ仇討ちだ興味など無い。姉上が初めて手に入れたいと願った幸せがそこにあるんだ、もう幸せにしてあげても良いだろう」

アーチーの慟哭が公爵の執務室に響いた。


「ふん、青臭いな。青臭いが、まあ、あいつには幾つも貸しがあるし、そもそもこのやり方は気に入らない。

良かろう交渉してこよう。但し、条件はルシンダが完全に治る解毒薬が完成することだ。それが先かルシンダの命が尽きることが先か、時間は愈々少ないぞ」


公爵はそう言うと王宮へと向かった。


何も言葉を挟まずにそこに居ただけの兄が、へえと珍しくアーチーに話しかけてきた。


「俺はお前が姉上をフルーレザンから連れ帰って来て娶るつもりで、護衛騎士を志願したと思っていた。

15年の献身を盾に取って穏やかな余生を願ってな、お前が手を上げれば陛下も父上も頷くつもりだったろう。

従属爵位から侯爵位でも与えてさ。元々そのつもりだったからお前には婚約者もつけなかったし。


こんな絶好のチャンスを棒に振って良いのか、お前の大好きな姉様はどこかの鳶に拐われて行ってしまうというのに」


「兄上、どんなに好きでも相手を助けるために毒を飲めるか。

毒だと知らずにじゃなくて、自分が作った毒を解毒薬を試すために飲むんだ。何度も飲んで死にかけて。

もし自分が死んでもデーターが取れる、データがあれば別の医師が姉様を助けるのに役に立つって。

自分が死んでも助けたいほどの気持ちってどんな思いなんだろうな。

俺には考えつきもしないし、正直出来ないよ。勝てないって思ったんだ」


俺の話をふーん、へえと聞いていた兄は、

「そうかお前がそう言う考えであれば、では私も姉上の為に一肌脱がねばならないな」

先程の父と同じような顔つきになって、侍従を呼んで机に向かうと何やら忙しげに書き出して、思い出したようにアーチーに指示を出した。


「お前は、することが無いならその医者の手伝いにでも向かえ。お前たちの必要な者を貸してやろう、その者を連れて急げ」


アーチーは兄の従者に案内された馬車に乗せられて、マットの元へ夜中の王都を走るのだった。






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