帰路 その1
「まあ、馬ではなく人が車を引くの?そんな非情なことさせられないわ」
「ルシンダ様、この国の男はたいそう力持ち故、心配ご無用。帝国語も離せる者が車を引きますから、向かう道中の説明もしてくれますし会話も楽しめますよ。文化の違いと思って楽しんでみなさい」
ルシンダの批判に、ドクターイオリがまあまあと取りなした。
ハポネ皇国での最終日のこの日、本草療養所から山の手へと向かった先で、地元の秋祭りがあるから見に行ってみたらどうかと提案があり、ルシンダとマット、ジュリア、アーチーの四人で向かおうと言うことになった。
ハポネは治安の非常に良い国であるから護衛はマットとアーチーが居れば事足りるし、黒髪黒目な人達の中で、髪の色も多用な、所謂、異人が徒党を組んでいる方が現地の人との要らぬ摩擦が起きると指摘されれば、身辺警護に神経質になっているアーチーでさえ、納得せざるを得なかった。
この国の民族衣裳、マスタードカラーにカラフルなモミジと言う葉が全体に描かれた着物を、ジョチュウメイドが手早く着させ、腰巻きベルトを複雑な飾り折りにして、ルシンダの少し伸びた髪を器用に纏めてカンザシと言うアクセサリーを髪に挿して、ハポネ夫人のようにしてもらった。
ジュリアも同様に着付けされ、お互いのいつもと違う姿を見やって、その装いの美しさに感嘆の声を上げてしまった。
マットとアーチーは、護衛も兼ねるので動きやすいいつもの背広姿だったので、わかってはいるが少し残念な気がして口が尖ってしまう。それを目敏く見つけたマットが、
「なに、ルシンダは俺が船医のように前髪を剃り上げれば良かったと言うのかい?」
悪戯っこのように瞳をキョロキョロさせながら、離れた所でドクターイオリと歓談している船医をちょっと見てニヤリと笑ってそう言った。
今日は船医も同行する予定で、ドクターイオリと同じハカマ姿にチョンマゲを綺麗に結ってハポネ人と言うかドクターイオリを真似た装いに、再会するこの日の為に長いこと前髪を剃って過ごしていたのかと驚いたのだった。
ルシンダとマット、ジュリアとアーチーがペアになり二台の人力車にそれぞれ乗り込んで、隣り合って座った。
「重いでしょうけど、お願いしますね」
見るからに年若い車夫と呼ばれる青年に、申し訳無さそうに声をかければ、
「とんでもない、今日は張り切って姫様をご案内勤めます佐吉と申します。ハポネの秋を車上から楽しんで下さい」
と、完璧な発音の帝国語で礼をしながら挨拶をした。
「この国は礼を以て礼を尽くすと言う国柄なんだ、彼らの流儀で楽しませてもらおう」
マットが訳知り顔でそう言うので、突然額を床につけて助力を頼んだマットの土下座はハポネでも滅多にやらない仕草だと笑っていたドクターイオリの内緒話を思い出して、グフっと淑女らしからぬ笑い声を上げてしまい、それを誤魔化すように、
「そうね。サキチさん、お願いします」
と、澄まして返事をした。
療養所から舗装されていない道を人力車がひた走る。
その道は打ち水がされていて埃が立つのを防ぎ、道端にはごみも落ちていない清潔さがあった。
「この右手に見えるのが海運祈願で有名な神社です」
「ここが、今この町で評判の日傘の店です」
「ここが、この町の異人さんが贔屓にしている洋食を出すレストランです」
過ぎ行く景色に合わせた説明を車夫が流暢に話して、その全てに行ってみたくなる。
「ああ、時間が無いのが悔しいわ。もっと早くに見て歩きたかった」
結局ルシンダもマットも、あの後も療養所で入院治療を施され、回復とドクターイオリの判断が下ったのが、昨日の午後であった。
この国には、見たこともない景色も美味しい料理もあると船医が言っていたのに、どこにも行けなかったと悲しんだルシンダを気の毒に思ったジョチュウメイドが、今年最後の秋祭りをドクターイオリに進言してくれて、今回の見学が急遽予定されたのだ。
「先に見えるのが、この地の神様を奉る神社です。この秋祭りは豊作を神様に感謝する祭事です」
車夫がスピードを落としてゆっくりと車を引きながら、終点のお祭り会場の説明をした。
目の前には、見送りに手を振っていた船医とドクターイオリが既に到着していたので、ええなんで、どうして、と驚くと、その意を汲んで車夫が直ぐ様説明をした。
「人力車は大通りをグルっと回って来ましたからね、伊織先生たちは真っ直ぐ裏道を歩いて来たんで、向こうの方が先に着いてるんですよ」
人力車から降りて、マットにエスコートされながら神社の参道を歩いた。
左右には出店が所狭しと並んでいて、ハポネ語での客引きの声や参拝者の楽しげな話し声が至る所から聞こえて、異国情緒を感じさせた。
真っ赤な姫リンゴに飴をかけたアップルキャンディがどうしても食べてみたくて、それを食べてニコリと微笑む幼子をじっと見つめ続けていたら、マットが
「先に毒味で俺が食べるからな」
と言って買ってくれた。
一口が大きいのよ、もうほとんど無くなっちゃったじゃない!と言いながら、渡された食べかけのりんご飴をちびちびと噛る。
パリパリとした飴にリンゴの酸味、美味しいわとマットを見上げると、マットの口の周りが真っ赤に染まっていて口紅をさしたよう。
「まあ、マットったら赤い紅をさした貴婦人みたいよ」
と、笑い声を上げて笑った。
え、え、と焦ってポケットチーフで口を拭って、チーフが赤く染まったのを見て、裏返してまた拭っていた。
「もう取れたわよ、私はどうかしら」
同じものを自分も今食べているのだと気づいて、気にしていたら、マットが横から口の端を親指で拭ってそれをペロリと舐めた。
「まあ、な、何をしているのよ!もう」
りんご飴より余程赤くなって怒ってマットの腕から手を離して先へと行こうとするのを、腰を抱いて側に引き寄せて、
「こんな人混みで夫の側を離れてはいけないよ」
なんてことを言うので、
「こんな人混みでハレンチな、破廉恥だわ」
と顔を背けた。
秋の実りに感謝した奉納の舞い、神楽と言う神を楽しませる為の独自の舞踏を桟敷席と言う席で見た。
晩秋の夕暮れ時は気温が下がって、一際寒さを感じられた。
ショールを肩に掛け、マットに身を寄せて暖を取りながら、不思議な節の太鼓と笛の音を聞いた。
赤い着物を着て、鬼の面を着けた踊り手が、独特なハポネ語で吟いゆったりとしたスピードで舞った。
舞台は篝火に照らされ月光を受けて輝き、笛と太鼓の調べに一糸乱れぬ舞いが舞われ、幻想的な美しさに魂が震える思いがして、はらはらと涙が溢れ落ちた。
何も言わずにマットがもっと身体を自分に寄せて、静かにルシンダを胸に抱いて涙をその身で受け止めた。
彼から香る柑橘の香りと与えられる体温、早打ちしている心音に、今ここで共に生きていることを実感し、マットへと向けられた沸き上がる感情が恋だとはっきりと意識して、火が尽きそうなほど身体の芯に熱を持った。
「このまま時が止まればいいのに」
ルシンダの小さな呟きは、太鼓の音に掻き消されて、秋の夜に紛れて消えた。
少し時間が巻き戻り、ルシンダが豪華客船に乗船した頃、フルーレザン王国の王宮の奥深くで、国王夫妻と王太子、そして王弟ダミアンが、この国の元王女でありアルビオン王国の王妃であるアニエスと、その侍女ディアーヌ・セシルと共に対峙していた。
「ルシンダは死にます」
アニエスが全く感情の見えない声で、淡々と告げた。
「なぜ、そんなことに」
国王であるユーグ・シャルル4世が頭を抱えていたが、暫くすると頭を上げグアっと目を見開いてダミアンを睨み付けて、
「お前が、お前がちゃんとしていないから。お前のせいだぞ、お前が、お前が!お前にはルシンダをちゃんと扱うようにと婚姻前から伝えていたな!契約書も読んで説明してみせて、お前はそれを理解したと言ってサインをしたんだ。それなのに、それなのに、この低落。お前にほとほと愛想が尽きた。この責任はお前にきっちりと取っ手もらうからな、わかっているな」
そう悲愴な顔で絶叫したのだった。




