神秘と独自文化の国 ハポネ皇国 その3
マットが目を覚ますと、青白い顔に涙をハラハラと溢して泣きながら、抱きついてくるルシンダがいた。
「バカバカ、マット。貴方大バカよ、医者の癖に患者より先に死にかけるなんて許されないわ」
寝ているマットの首にすがり付き、嗚咽を繰り返しながらの罵倒を続けた。
「毒の解析の為に、自分で毒を飲んで試すなんて!そんなことを頼んだ訳じゃないわ。どうしてそんな危険を侵したのよ。死んじゃったら意味ないじゃない」
軽快な軽口や淑女の仮面を厚く被った社交辞令でマットとの会話を楽しんでいたルシンダの、本当のルシンダに会えた気がして、マットはクククと笑ってしまった。
それに気分を害したようで、首もとから顔を上げて、目を三角に吊り上げながら
「笑い事じゃないわ、貴方!マット!私が貴方が倒れたって聞いた時にどんな気持ちだったかわかる?瞬間的に身体中の血が凍ってしまったような気がして、震えが止まらなかったわ!聞いてるの?」
最近は、囁き声しか出せなかった弱っていたあのルシンダが、こんな大声を出せるのだと、マジマジと顔を見つめてしまった。
「何、何よ。そんなに見つめても私、許さないわよ」
急に顔を真っ赤に染めたルシンダを不思議に思って首を傾げて見つめたら不意に、彼女が手を突っぱねて距離を取る仕草をみせたので、唇が触れてしまいそうな程の至近距離で抱き合っていたことに気がついて、もう一度彼女の赤い顔を見やって、きつく抱き締め返した。
「な、な、」
「ルシンダ、ドクターイオリの解毒薬が効いたんだね。良かった!」
沸き上がる歓喜に、彼女をきつく抱いてその首筋に顔を埋め、彼女の香りを吸い込んだ。
「ま、マット。何を、何するのよ、貴方、私が怒っているってわかってるの!?」
慌てて腕の中から逃げ出そうともがく彼女を、それでも離さないと背中に手を回して囲いこんだ。
「君が怒っていようとも、君の温もりから君が生きていることを感じていたいんだ」
思わず涙声になり吃りながらも伝えた本心に、彼女も暴れていた力を抜いて、
「マット、ありがとう」
そう言って抱き締め返してきたのだった。
船医にルシンダの診察を頼んで下船したマットが、夜になっても翌日になっても帰って来ないことにルシンダは不安に駆られた。
「大使を呼んで、マットの状況を調べてもらいましょう」
起き上がるのも辛い状況ながら、それを押して服を着替え、王子妃らしくきちんと正装して大使と面会すると言って、ジュリアやアーチーの制止を聞かずに船のメイドに指示を出した。
「お体に障ります」
「ドクターの捜索は俺が至急進めるから、安静にしていてくれ」
「私の指示に従えないのなら、あなた方、退出を命じます。至急私の仕度を手伝いなさい」
必死で止めるジュリアとアーチーを部屋から追い出して、壁際に控えていたメイドを指差して命令をした。
そんな騒動の最中、バトラーからドクターイオリが弟子を連れて船にやって来たので、船医が対応しているが診察を受けるかと問い合せがなされた。
「ドクターイオリ!マットは、マットは帰って来てないの?その件はなにか聞いていない?」
ルシンダの質問にバトラーは首を振り、詳しいことは直接聞いた方が良いのではと言われたので、即部屋へと呼ぶことにした。
「ルシンダ様、体調はお悪いでしょうな。随分お辛いと思います、診察しても?」
イオリが挨拶もそこそこに、ルシンダの脈をとり、聴診器で心音を聞く。
「すぐにでも、投薬を開始しましょう。点滴で直接解毒薬を体内に入れた方が良い。良いですかな」
ルシンダの横に侍るアーチーとジュリアにドクターイオリは確認を取った。
「ドクター、マットはどうしたのですか。貴方に会いに行った彼が戻らないのです」
イオリの問いに答える前に、マットの安否を問いかけた。
ふむふむと呟いて、
「貴女が彼の《《大切な人》》ですな。貴女の身体が何より心配な彼は、医者としてやってはいけない禁忌を侵したのです。その為、貴女の治療は私が代わって行います」
「どういうこと、禁忌とは何?彼は何をして今どこにいるの?」
禁忌と言う不穏な言葉に不安になって、ルシンダは矢継ぎ早に質問を重ねた。
「彼は医者でありながら、貴女が侵されている毒を再現できたかどうかの治験を自身で行ったのです。彼の身は貴女と同じ毒に侵され、私の療養所で意識を失って倒れました。今は絶対安静にして、治療を行っていますがまだ意識は戻っていません」
イオリの言葉に、え、え、とジュリアやアーチーから驚きの声が上がったが、ルシンダは一言も発することが出来なかった。
自分の治療のために、その身を犠牲にするなんて!
イオリの言葉にルシンダは目の前が真っ暗になって、気が遠くなってしまった。
私が死ぬより先に、マットが死んでしまうかもしれない。
もしもの時、病身の自分はマットの側にいることも敵わず、彼の最期に会えないかもしれない。
自分とアルビオン王国の出来事に、無関係なマットを巻き込み、先にマットが、無関係なマットが死んでしまうかもしれないなんて。
「なんて、なんてこと、あああ、」
やっと聞いた事柄に理解が追い付いて、絶望に染まり顔を覆った。
「毒を特定し、その解毒薬もほぼ出来た。投薬が終わればこちらに帰ってこられる。その前に貴女が元気になって彼を迎えに行きますか」
頭の上から、想像もつかなかった話が降ってきて、驚いて涙に暮れた顔を上げ、老医師の顔をマジマジと見やった。
「え、解毒薬って」
「療養所の薬場で出来た瞬間倒れたのでね、あいつも今は点滴をしている」
眉を片方あげた悪戯顔を見せてドクターが悪びれずに答えたので、
「私の方が早く良くなるかしら。迎えに行って叱り飛ばしたいわ」
涙も引っ込んで、ツンと澄まして答えたのだった。
ルシンダの方がより解毒薬の効果が出るのが早いとイオリが言ったのは、先行して投与されていたマットの作った解毒薬で半分程の毒は既に抜けていたから、そう説明があった。
アメンティアやムガルでの民間療法も全く効果が無かった訳ではなくて、解毒がしやすい体質へと変えられていたようで、点滴治療を開始した時から青白い顔に赤みが差して、身体の芯が冷えていたのが嘘のように消えて、体温が戻ってきたように感じた。
イオリと弟子と船医の三人が交代で、点滴を投与し続けた二日後には、ルシンダの身体は嘘のように軽くなり起き上がることも歩くことも苦じゃなくなった。
久しぶりに湯に浸かり、寝巻きじゃない服に着替えた。
「まだもう少し安静にした方が良いんだが」
そう言う船医の言葉を遮って、
「マットを叱りに向かいます」
しっかりした口ぶりでそう言って、下船し、馬車に乗って療養所へと向かった。
当然、ジュリアとアーチーも同乗していたが、この時にはもうルシンダを止めるようなことは言わず、静かに見守っているようだった。
療養所の奥、ザシキと言う草の絨毯の上に寝かされているマットを見つけて、思わず駆け寄り、固く閉じられた瞳を思わず手で触れた。
すると、眉間に皺を寄せてうぅと言う唸り声を上げたので、思わず肩に手を置き、その耳元に、
「マット、マット。起きて、目を覚まして。私、あなたを迎えに来たわ」
そう囁いた。
そしたら、ゆっくりと瞼が開いてあの円らなグレーの瞳が見えて、そこに情けない顔をした自分が映っているのが見えて、マットが生きていることに心の底から安心して、思わず抱きついてしまったのだった。
「お前、医者が倒れたら病人はどうする。医者足るもの自己管理が最大の勤めだ、忘れるなよ」
それと、とついでのように言われたのは、ルシンダの毒は99%は解毒出来たが、残り1%が時限爆弾のようにいつか悪さをするかもしれないと言う、無情なものであった。
その残り1%を除去する為に使うのは、トリカブトと言う植物で猛毒だと言う。
その取り扱いは微妙で、量が多くては死に直結し、少なくては解毒が出来ないと言う難しいものだった。
下手に使用してその場で死ぬようなことがあってはならないし、いつかくる死の瞬間、それが明日か来年か五十年後かわからないその時を恐れて日々を暮らすのか。
マットには、ドクターイオリから、完全な解毒に使用できるトリカブトと、究極の選択という二つの物を渡されたのだった。




