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神秘と独自文化の国 ハポネ皇国 その1

ハポネ皇国に着いてからもマットはイオリ・アサダに会うことも儘ならなかった。


それは偏にルシンダの病状が悪化していた為で、彼女は一層重篤な状態へと移行していた。

心臓の悪い病人特有の空咳も頻発し、夜中などには喘息の発作のように激しく咳き込むようになった。


熱帯を進行していた船は、ハポネ皇国へ向かうため北上したことによって、季節は真夏から一気に晩秋か初冬のような寒さとなった。


急激な気温の変化に体調を崩す乗客も多く、感冒が広がっていた。


只でも病身のルシンダが、風邪から肺炎にでもなったらそれこそ一貫の終わりと、マットの神経はすり減っていた。それでなくても、弱って起き上がるのも辛そうな様子を見せるようになったルシンダに、彼女の残された時間が少ないことを意識しない訳にいかなかった。



バトラーを通してハポネ皇国の本草学医師イオリ・アサダを探して欲しいとリクエストを出しつつ、マットはムガルの治癒神官から役に立てば使って欲しいと渡された、キナという木の皮を乾燥させた物と、船医が毒の吸着して排出するのに本草学では用いていると言って渡してきた活性炭、それにホーソンと言うマットたちの大陸で気付け薬の原料として使われている薬草を煎じて、ルシンダへと投与を始めていた。


大使から、ドクターイオリが見つかったと連絡がきたのは、ハポネに着岸してから既に1週間が過ぎた頃だった。


船医の古い記憶の中のドクターイオリは、ハポネの南の端の離島の医師であったが、長い鎖国を解いて諸外国と付き合うようになりその国々の船医からドクターイオリの名が度々もたらされることで、彼の知識が諸外国に引けを取らないと知った時の政府によって、寄港地の港に程近い場所に本草療養所と言う病院を任されて、そこの院長となっていたのだった。



所在を掴んだマットは、船医から受け取った手紙を同封しつつ、ルシンダの病状、毒についてわかったこと、現在の治療について詳細に記載した手紙を、港から程近い場所にある異人居住地区の大使館へと赴き先触れも無い中面会を求めた。

大使と無理やり会った時すら挨拶もそこそこに、非礼を承知で、大使の力でイオリ·アサダに大至急で面会の約束を取って欲しいと、どうにか会って相談に乗ってくれるように頼んで欲しい、刻一刻を争うのだと懇願した。


アルビオン王国の高位貴族である大使であったが、ルシンダの病状が退っ引きならないことをマットの焦った様子から感じ取ったようで、非礼は不問として、可及的速やかにドクターイオリとの対面を叶えようと約束してくれたのだった。


約束は思いの外早く叶えられて、大使との謁見の翌日にはドクターイオリから手紙の返事がもたらされた。手紙には早急に会って話がしたいし、出来るだけ早く直接ルシンダを診察したいと書いてあった。


その返事にマットは歓喜して、急遽ルシンダの午後の診療を船医に頼んでまで、手紙を持ってきたドクターイオリの弟子だと名乗った若者と一緒にその療養所へと向かったのだった。




「あら、ドクターミュラー。どうなさったの?」

午後の診察にと貴賓室へとやって来た船医を見て、ルシンダが囁き声で問いかけた。


「美しい奥方、こんな老いぼれで申し訳ないな。貴女の夫は本日ちょっと野暮用で下船したのでね、代わりにわしがその手を取らせてもらうが、よろしいか」

頭頂部を光らせ、目を細めてフォフォフォと機嫌良く笑いながらミュラーがルシンダのベッド脇の椅子に座った。


「まあ、朝の診察ではそんなこと言ってなかったのに。何かあったのかしら?」

王子宮に居た時のような張り付けた笑顔で、船医にやんわりと問いかけた。



「いや、奥方。この地には他国にその名が轟く本草学医師が居てな。その者と連絡が取れた故、奥方に暇を告げるのも忘れて駆けていってしまったようじゃ。悪い夫だ、わしが厳しく叱っておくよ」


「その本草学とはどう言った?」


「わし達が学んできた医学とは全くアプローチが違う医学でな。一言では言えんが、ドクターイオリの知識技術は素晴らしい。それはわしが保証する。きっと貴女の為に役立つ。だから、わしに免じて今日は許してあげてくれんかの」


船医は目蓋にかかるくらい長い眉毛を下げて、ルシンダへ情けない顔をみせた。


「ドクターミュラーは、ずいぶんそのドクターにお詳しいのね。そのお話を聞かせてくれたら、夫を不問にいたしましょう」

彼女はわざとらしく悪態をついて、船医の話を聞きたがったので、やれやれと脈を測りながら、若い時分にそうとは知らず海賊船に乗ってしまった話を始めた。


想像の斜め上の話を話し出した船医に、ルシンダは思わずまあ!と声を上げ、目を輝かせて話の続きを促したのだった。



船医が思わぬ大冒険に飛び出して、初めての時であった。

今回と同じ航路を北上していた時に、運悪くこの地の海上で季節的に起こる大災害、タイフーンと呼ばれるそれに巻き込まれたのだった。


季節的にとは言え、その時期は通常ではタイフーンが終わった頃のはずだと経験豊富な船乗りたちは口々に嘆いたあと、ついてねえついてねえと悲嘆に暮れた、素人船医からみても状況は相当悪いと思われた。


逃げようにも酷い雨と突風に、帆を張ることもできず、小川を揺れて下る葉っぱの小舟の如く、ただその流れに身を任せて浮かんでいるだけ。


暴風雨と高波による揺れで、船医は酷い船酔いになり船室で呻き苦しんで居ることしかできない。

船員はみな必死に働いて、船が無事浮かんでいられるように高い場所の帆を畳み水を掻き出して、船が沈まないことをどこかの神に願っていた。


死を覚悟しながらの数日を過ごし、タイフーンが通りすぎた後、ボロボロに壊れた難破船のような船の姿であった。

マストは折れ、帆のどこそこに大きな穴が空き、船体はひどく傷んでいて、直ぐに修復しないと本当に沈没してしまう瀬戸際であった。


しかし、そこは海上のどこらかもわからないとこまで運ばれてしまって、しかも多くの船員や航海士たちが船を守ろうとタイフーンの中で作業したことで、酷い怪我を負ってしまい、完全に人手不足のお手上げ状態であった。


船医は、怪我人の手当てを始めたが、薬も用具も如何せん足りない。

このまま海の藻屑に消えるのか、と天を仰いで居た時に、遠くから漁船が数隻現れた。


「ダイジョウブか、タスケルぞ」

拙い片言の帝国語で、体は小さいが日に焼けた筋肉質の男たちが声をかけてきた。


船長がその男たちと交渉し、船は近くの離島に運んでもらうことになり、怪我人は先行して彼らの船で連れていって貰えるようになった。


怪我人の責任者として同乗した船医も離島へと一緒に向かった。


島につくと、頭頂部の髪が剃られて変わった髪型に結った男、ドウシンと名乗った男が、片言の帝国語で聞き取りをして、船員の名前と年齢を尋ね紙に記載していった。


それが終わると、木製の担架に乗せられて、先程の船乗りたちの詰め所のような小屋へと運んでくれた。


船医はドウシンに一人一人の怪我の具合を話し、担架について一緒に歩いて小屋へと向かった。


《イオリ先生、全部で十二人です。それとは別に一人船医が居ます》

その国の言葉だろうか、全く意味を理解できない独特な音を隣の男が発した。

《ああ、わかった。そこに順に寝かせてくれ》

奥からドウシンと同じ髪型をした男が白い服を着て出てきて、同じような言葉で指示を出していた。


始め、彼は並んで寝かされた船員の体を触診し、状態を紙に記載していった。 

これは診察だな、船医はそう思って見ていた。


全員の診察を終え、奥へと引っ込んだ男が暫くして黒い粘度のある液体を染み込ませた紙を船員に貼り始めた。


「これは何だ」

帝国語で問いかけると、

「打撲の薬だ、治りが早くなる」

そう答えた。彼は流暢に帝国語を話した。


その打撲薬と言われた紙は独特の匂いがして、薬草を擂り潰した物だろうと推測した。


「君、船医だろう。同じようにそこと、そこ、あそこの男に貼ってくれ。そして動かないようにきつく包帯を巻いてくれ」

そう指示して、男はまた奥に引っ込んで、今度は別の薬と添え木を持ってやって来て、一番重傷だろうと思われる船員の腕を持ってゴキゴキと動かした。


「ギャー」

大男が大声で騒いで、暴れたが、細身の身体のどこにそんな力があるのか、その医者は軽くいなして

「肩の脱臼は治った、足は折れてるから動かすなよ。治りが悪くなるぞ」


そう伝えて、肩には薬の紙を貼り包帯を巻いて、足は一度グキッと痛そうな大きな音をさせた後、添え木をして包帯を巻いた。


足を捻られた男はグガっと白目を剥いて息を飲んだが、その後は静かに治療を受けていて、

「もう痛くない」

と、呟いた。


「ずれた骨の位置を戻しただけだ、まだ治ってないから、ちゃんとくっつくまで絶対に動かすなよ」


もう一度そう言い聞かせたのだった。


「それから、怪我人が治癒して船が治るまで俺はその男、ドクターイオリにくっついて彼に本草学を教わったんだが、一朝一夕で理解出来るものじゃない、それだけがわかったことだ。彼はわしらの医学も学んでいるようで医学知識は膨大で、目の前の患者を治すと言う、わしが目指した医者の姿がそこにあったんだよ」


過去を思い出したのか遠い目をして、船医が話し終えた。


「そんな偉大なドクターなのね。私もお会いしたいわ」

少し疲れたからと、目を閉じたルシンダの呟きは、船医の耳には届かなかった。




一方、取るものも取り合えず会いに行ったマットは、ドクターイオリに解毒薬を作るための知識を授けてくれるよう、先ずは面会を必死に頼んでいたのだった。



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