船医 その2
ムガル帝国の民間療法はアーユルベータと呼ばれ、神官の中で特別な修行を受けた治癒神官が行う秘技だと言う。
そう言うことならと滞在している上級神官に頼んで、ムガル帝国の滞在中にその治療を出来るだけ受けれるように取り計らって貰った。
ドーシャと言う不純物を取り除くための、食事やマッサージと呼吸法だと言うので、すぐに治療をと願って、説明に神官がやって来た日から始められた。
温めた胡麻油を第三の目と呼ばれる額に滴し、植物から抽出したエッセンスオイルを組み合わせた物を使ってマッサージを行い、薬湯風呂に浸かり、体内から毒素を排出するお茶を飲んで体内から出す。
朝は、独特な呼吸法を用いて細胞を活性化させ、食事からも毒を排出をしやすいものを取り込み、昼にマッサージと薬湯風呂、解毒のハーブティーを数種類組み合わせて軽食と共に飲み、夜はまた呼吸法と薬湯に浸かる。
アメンティアほどの大きな発作に見回れることも無く、青白かった顔色も血色が戻ってきた。
出港する前々日に船に戻るため、最後の施術を受けて、その神官からマットへと最後にアドバイスがあると言われて、応接室に向かい合って座った。
「ドクター、あなたの見解は何ですか。毒はわかってますか」
帝国語で湾曲なやり取りをすることが困難なのか、神官は不躾な問いを口にした。
「ええ、高地で生息する毒性の強い植物、スズラン亜種とジキタリス葉由来の毒に何か別の薬草などを混ぜて作った毒だと思います」
マットはここまで調べてきてほぼ確信に近くなっている予想を告げた。
「そうですか。このムガルの地から海を渡った東の果ての国に、本草学と言う医学を修めた薬草を専門に扱う医師が居る。特に優秀なオリという名の医師に手助けを願ったら或いは、何か、解毒薬に繋がる薬草が分かるかも知れない」
秘匿の毒を解毒するなど雲を掴むような事柄に、一筋の光明が指したような気がした。
しかし、それに冷や水をかけるように、治癒神官の彼は、
「1日でも早く解毒剤を作って飲まさないと、彼女に残された時間は3月ほどしか残されていない、今回多くの病人に効く解毒薬を何種類も用いてアーユルベータを施した。しかし、彼女にどのくらい効いたか、正直、効いてないと言った方が良いだろう。時間が無いんだ、ある程度は先行して解っている毒性植物の解毒薬を作り、足りない分は順次出来た解毒薬を投与して、時間を稼ぐしかないだろう」
と、かなり厳しい表情で言うのだった。
上級神官からの紹介で治癒施術を行った彼は、余りに強い毒に犯されたルシンダを前に無力感に苛まれているようだった。
「ありがとう、貴方の誠意に感謝する」
マットはそう言うと固く握手をしたのだった。
船に戻り、ルシンダが休んだところで船医のいる診療室を目指した。
「ドクター少し相談したいことがあるのだが」
ドアをノックして、閉まった扉の前から声をかけた。
どうぞとドアが開かれ、あの老医師に室内へと迎い入れられた。
「ドクターミュラー、折り入って頼みがあるんだ」
何度も解毒薬について考えていても、壁にぶち当たり、マットは途方に暮れていた。
ルシンダに残された時間は刻一刻と減り続けていて、砂時計の砂がサラサラと溢れ落ちるように、彼女の命が尽きてしまう恐怖の中にいた。
マットは、意を決して船医である老医師に助言を求めるため、ルシンダの不調の原因がサンラザール王家秘匿の毒だと打ち明けたのだった。
「はあ、いつの世も殺し合い騙し合いが横行しているな、特にお前さんの家は昔から医者の矜持を履き違えておる。フルーレザンの国王が代わってからは、大人しくしていたのになぜ今になって」
船医は眉を寄せ、口をへの字に曲げた。
「ドクター、俺の生家を知ってるのか」
「知ってる、ジャン・セシルだろう。彼奴とは昔から反りが合わなかったんだ、帝国の大学での同窓だ。
あの頃、帝国では各国の王家からの使命を負った医学生で溢れていた。ジャンもだ、秀才気質な彼奴は寝る間も惜しんで研究していたよ。誰にも気付かれ無い無味無臭の毒の研究をね」
船医から祖父の名が出て、驚いて聞き返すと、忌々しそうな顔をして話し出してくれた。
「神聖帝国のしがない医者の息子の俺はさ、人の病を治すのが医者だと思って大学に入ったんだよ。ところが、そこで必死に研究されていたのが、健康な者を病気にさせて死に至らしめる薬の研究だ、嫌になっちまってな。俺は場末の飲み屋で管を撒いてたんだ」
「ヤになっちまうよ、クソっ」
「なんでぇ若いの、荒れてるねえ」
「荒れるだろう、俺は病気から救うために医者になったんだ、それなのに」
「なんだ、医者は病人を助けないってのか。あんた医者か」
「そうさ、情ねえ、力もコネもねえが医者だ」
「じゃあ、あんた俺の船に乗れよ。船医を探してたんだ、ちょうど良い」
ヘベレケに飲み明かした、飲み屋でのそんな軽口だ。
酒の席の戯れ言と、翌朝、痛い頭を抱え上着も脱がぬまま靴下も履いたまま、ベッドから半身落ちた姿で目覚めた所に、昨日の男が訪ねてきた。
「あんた、よく俺の家がわかったな」
「何言ってんだ、寝ちまったお前をここまで運んでやったのは俺だぞ。財布も擦らずご丁寧にベッドに寝かせてやったんだ、感謝の一つもねえのかよ」
「な、なんだ、それは申し訳ねえ。助かったよありがとう」
「ああ、じゃあ昨日の約束通り、船に向かうぞ荷物は良いのか」
その男、クレイグと言う名の大男は、飲みの話を真に受けて迎えに来たらしい。
酒が抜けずにボンヤリとした頭で、追いたてられるように手荷物を纏めて船に乗ってから気がついたのは、その船は海賊船だったってこと。
「ドクターミュラー、あんた海賊か!」
「話は最後まで聞け、海賊は海賊でも当時のアルビオン王国はアルビオンの船を襲わないと誓約した海賊に、王国発行の通行書を渡していたので、クレイグの船はペンデルトン王家御用達の海運商会ってことになっていたんだ」
「え、つまり?」
「つまり王国公認の海賊兼貿易船だ、アルビオンと植民地との間を双方に荷物を運び賃金を得て、時々気に入らない他国の船を成敗したりしてな。そうして船で地球を3周廻った後、クレイグは男爵位をアルビオン国王から貰って、海賊は引退して、貿易商となったのさ。俺はその時に船を降りてどこか港町の町医者にでもなろうかって考えていたのに、今度は客船の船医になれとクレイグに言われて、結局この年まで俺は世界を回ってんだ」
思わぬ船医の昔話に驚いていたが、いや世間話をしに来た訳ではないと思い直して口を開こうとすると、
「でだ、俺が腐ってた若い頃にお前のじいさんが完成させたサンラザールの毒と似た毒を扱う国があった。その国は毒を以て毒を制すって考えでな、帝国で学んだ医学とは全く異なった薬の使い方をしていた。その国の医学は本草学と呼ばれていて、そこでならジャンの毒を解毒出来る薬草があるかも知れない」
船医の思い出話だと思っていたら、解毒に繋がるヒントがもたらされた。
「その国とは、どこの」
「この船の最後の寄港地、長い眠りから覚めた神秘の国ハポネ皇国だ」
マットの聞きたいことがわかっていたのだろう、船医は目を細めて力強く答えたのだった。
ルシンダの病状を自分の目で確認したいと船医が言うので、翌朝の診察を彼に任せることにして、貴賓室へと招いて、問診と簡単な診察をしてもらった。
「美しい奥さん、嫉妬深い夫からやっと貴女の診察をさせてもらう許可が出ましたよ」
船医が軽口を叩くのに、ルシンダはふふふと笑い声を上げた後、マットへキッと一睨みしてから
「まあ、ドクター。夫が失礼しましたわ。後でキツく叱っておきますから許して下さいね」
なんて答えていた。
いつもと変わらない朗らかな声色。
シャンと背筋が真っ直ぐに伸びた美しい姿勢。
染めた髪は、もうすっかり染色粉が落ちてしまって元の白金色に戻っており、横髪は耳が隠れ、前髪は眉よりも長くなっていた。
「美しい奥さん、無理はしてはいけませんよ。今日はもう楽な服に着替えて休む方が良い。
もうすぐ神秘の国に着きますよ。貴方が見たことの無い景色が広がっている綺麗な国だ。食事も酒も旨い。そこで楽しむためにも体調を整えましょう」
船医がルシンダに話しかけて、壁際に控えているジュリアに目配せをした。
そして、部屋を出ると、マットに
「かなり悪いな。無理をしているんじゃないか、座っているのも辛いはずだ」
と、厳しい顔つきで言った。
最後の寄港地ハポネ皇国に到着する間際、船医はかつての古い航海日記を引っくり返して調べ出した、本草学の権威であるハポネの医師、イオリ・アサダの名前が記載された手紙をマットに渡したのだった。
「ワシの事など忘れているかもしれないが、少しでも役に立つなら使ってくれ」
「ドクターミュラー、協力感謝する」
マットは、頭を深く下げて、その手紙を受け取り、大切そうに胸の内ポケットへとしまった。
船はもうすぐ、着岸するのだろう、船員が忙しそうに動き回っていた。
マットは、この国で解毒薬に使える薬草を見つけなければならない、そう心に誓うのだった。




