絢爛豪華なマハラジャの国 ムガル帝国 その1
次の寄港地を目指して『ステラ·マリス号』が出港したのは、ルシンダが酷い発作を起こしてから2週間後のことだった。
予定では1月航海して1月その地に滞在し、また1月の航海へと旅立つスケジュールとなっていた。
本来ならルシンダたち一行は、地元の名士の宮殿に後半月は滞在する予定でであったが、病気の治療には客船の方が都合が良いため期間を短縮したのであった。
ただ不手際に依るものでは無いし、バザールでの店主夫妻や呪術士の対応も誠意ある物だった為、勿論滞在費とは別に感謝の意を込めた特別な恩情をアルビオン王国から名士と、名士を通して店主へもきちんと贈られていた。
その日から船内でマットは、ルシンダの診察以外の時間の殆どを費やし、彼女の身に起きている原因究明に取り組んだ。
また、アルビオン王国に起こった歴史的な事件も歴史書から掘り返していた。
現在の国王であるリチャードの両親の時代に、アルビオン王国では謎の病が流行り多くの若い貴族子息が亡くなった。
当時の王太子であった叔父にあたる者も亡くなってしまい、血脈主義で男子継承に拘り宗教感に基づく厳格な一夫一婦制の為に唯でも少ない王位継承者が、直系では当時の国王の娘、リチャードの母のみとなってしまった。
急に女性相続を認めると言う訳にもいかず、当時の国王の、リチャードの祖父の再従兄弟の子である遠縁を入り婿と結婚させて王太子として中継ぎしつつ、娘の生む子が育つまで老いた国王が王位に付いていたのだった。
15歳の誕生日に成人したリチャードは直ぐ様王太子となった。
その頃には、元王太子であった生物学上の父親は、王女の母親を全く気にする素振りもなく、闇夜の灯りに、群がる羽虫のごとき、権力にすり寄る貴族夫人を妾にするだけでは飽き足らず、王宮内の侍女や女官、それこそ平民のメイドにまで、目についた女を見境無く襲っては王宮の離れに囲って日々爛れた戯れに終始していただけであった。
そんな王家の痴部である父親は、リチャードが隣国フルーレザン王国の王女アニエスと婚姻した数ヵ月後に病に倒れ、口さがない者は、性病にかかってとも手込めにした女に呪われてとも噂されていたが、あっけなくその年内に亡くなっていた。
その亡骸は、国王でも無く既に王太子からも下ろされた者であった為、王家の墓ではなく生家へと戻されて代々の墓へと埋葬された。
こんなことがあった同年、王太子リチャードの子を孕んだまま公爵家令息トーマスへと嫁いだ伯爵令嬢ヘレンが王都の公爵邸で公爵令嬢としてルシンダを生み落として、産褥期に回復しないまま亡くなってしまったのだった。
その翌年、王太子妃アニエスが第一王子を生み未来のアルビオン王家にフルーレザン王国のサンラザール王家の血を引く国王が誕生すると、フルーレレザン国内では喜びに沸いていたが、当時、太陽王と呼ばれていた王国を大陸一の大家へと盛り立てたアニエスの祖父王が突然亡くなったことで、一気に国の雰囲気は暗くなり、お目出度いムードは自粛され忘れ去られてしまったのだった。
「妻殿、体調はどうかな?」
あの酷い発作を起こした日を境に、ルシンダの容態は悪化の一途を辿っていた。
その顔色は血の気が引いた青白くて、生気の抜けたようであり、食欲も減っていたので、細い体が更に痩せてしまっていた。
「ええ、変わらず良いわよ。マット、デッキで過ごしても良いかしら?」
それでもルシンダは変わらず朗らかに微笑みを浮かべながら、同じような声色で返事を返すのだった。
「ああ、今日もお茶をデッキでしようか。診察の後、君の好きなフルーツの一口パイをパティシエに頼んでおくから午後のお茶の時間を楽しみにしていておくれ」
ルシンダの脈を取り、心音を聞きながら、マットは優しくいつものように告げるのだった。
一神教の聖教と多神教の秘教が激しく戦いながら国を取り合ってきた歴史を持つムガル帝国へは、強い陽射しを浴びる熱帯を進んでいて、今日もとても暑かった。
病身のルシンダにはその暑さが堪えるのでは無いかと危惧していたが、何より本人が寝て過ごすことを嫌がる為、体調が比較的落ち着いている日の昼下がりに、ティータイムをデッキで取ることが日常化していた。
「今日のお茶はミントとネトルをブレンドしたオリジナルだよ。妻の口に合えば良いのだが」
「まあ、マット。これ、とてもスッキリして美味しいわ。フルーツとカスタードのパイにもとても合っていてよ」
マットがブレンドしたハーブティーを慣れた手付きでルシンダへとサーブするのも最近では当たり前になっていて、ルシンダの好みを最近はようやく掴んで、喜んでくれていた。
「ねえ、ルシンダ。君はペンデルトン王家のことをどこまで知っているの?」
「まあ、マット随分直接的な聞き方ねえ。でも美味しいお茶のお礼に教えてさしあげましょう。多分、フルーレザンの人が思っている以上に私は自分の身上を知っているわ。何かお聞きになりたいのなら、今日は3つお答えするわ」
ルシンダが綺麗な所作でカップを皿において、澄ました顔で答えた。
「君の母君が公爵家に嫁いだのはどうして?いや、王との出会いは偶然?公爵家ではどうやって過ごしていたんだい」
マットは3つと質問数を区切られてしまったので、聞きたい順に問いかけた。
「マットったら、落ち着いて。時間はたっぷりあるのだから。母がフィッツロイ公爵家に嫁いだのは、元々父の婚約者だったからよ。国王陛下とは顔見知りだったのよ、次期公爵家夫妻として陛下に従うのは当然のこと」
ルシンダから告げられた答えに、マットは驚いて目を見開いてしまった。
「なんと、臣下の婚約者を手込めにしたのか!そんな、」
「勘違いしないでね、これは多分に想像だけれど母は貴族令嬢としてその命令に納得していたはずよ。だって、」
マットが非常な行為だと非難するのに被せて、ルシンダは冷たい淑女の面持ちで、当時の国内情勢を話して聞かせた。
極端に次代の王候貴族の数が少なく、国内も不安定で、その不安定の原因は、ある時期に国の若い貴族子息が突然心臓発作で死んでしまったことに由来していた。
突然、息子を亡くした親たちは、確証は無いけれどフルーレザンの毒を使った工作ではないかと信じていた者もいた。王家秘匿の毒を知らぬ所で撒かれて息子は殺されたのだと。
そんな状況のアルビオンの貴族たちは、そのフルーレザン王国の王女の生む子に王位継承権を与えるのに拒絶感が強く、婚姻事態にも批判の声があがっていた。
だが、その不安定な状況で戦争を仕掛けられる口実を与えて攻め込まれても不味い。
ペンデルトン王家も王太子を失っており、各貴族家の噂を信じる気持ちも理解できるが、戦争するには時期が悪い。
そこで、隣国からアニエス王女が嫁ぎ子を生む前に、リチャード王太子の血を引く子が居れば話は変わってくる。
となると誰が生むのか、隣国の息がかかっていては意味がない。
そこで高位貴族家で王の忠臣、王太子リチャードの友人であり側近、国内貴族たちから信頼されているフィッツロイ公爵家が選ばれた。
その上、小公子の婚約者ヘレンの生家も建国以来の宮廷伯で信用がある、そこで秘密裏に国王に命じられて、ヘレンは王家の子と公爵家の子を生む任務としてルシンダを生んだ、と言うのだった。
「まあ、間違いなく王の子であると言う必要があるから、初めの相手は当時の王太子である必要があるでしょう。
アニエス王女の嫁ぐ前に、王家の離宮で、王家の使用人の監視の下、王太子の子を孕み、それを大陸中に公言する必要があったから、王宮から広報官が『王太子の子を妊娠している伯爵令嬢ヘレンはフィッツロイ公爵家に嫁いだ』ってお触れを出したんだもの。
彼女は次から公爵家の子を二人生み、その後フィッツロイ公爵家を後見人として公妾として王宮へ入るはずだったのよ」
ルシンダが語る話は、狡猾で、それでいて如何にもありそうで納得するものだった。
「だから、フルーレザンの王宮内で、いや国内で語られている不義の子・不貞の子と言う蔑まされた身と言うより遥かに私の立場は整えられていたわ。フィッツロイ公爵家で私は何不自由無く暮らしていて、大切に扱われていたのよ。
予定外に、産後母が亡くなってしまったので、私の身の安全を担保する為に、すぐに公爵領へと移され、その後、父の再婚した後妻の義母が生んだ弟と二人、祖父母の公爵夫妻と領地で下界から隔離され、穏やかに過ごしていたの。父の再婚相手義母も、実母の従姉妹だったから世間が期待する先妻の子を粗末に扱うなんてことも無かったしね」
ルシンダの話の聞き逃せない言葉に思わず、
「君の母君は殺されたのか」
とキツく聞いてしまったが、
「あらマット。質問は3つまでと言ったはずよ。その答えはまた今度」
と軽くあしらわれてしまった。
「後妻の生んだ弟と言うのも、まさか王の、」
「もう、だから、質問は3つまでと言ったでしょ。でも、まあヒントだけね。暇な時にでも、私と、弟のジョージと、第一王子エドワードの絵姿を見てご覧なさいな」
はあ、と大袈裟なため息を吐いて、ルシンダが返答したのだった。
その晩、貴賓用のライブラリーでアルビオン王国の貴族名鑑を捲った。
フィッツロイ家の家族の肖像画には、ペンデルトン王家の第一王子によく似た面立ちの長女、長男と共に、毎日ルシンダに侍っている護衛によく似た幼い次男アーチボルトの姿も描かれていたのだった。




