砂漠と遺跡の国 アメンティア王国 その3
砂漠の宮殿で歓待を受け、万全の警備体勢に乱れもなく、ルシンダの体調を見ながらアメンティアの町を散策して歩いたり、大河の船下りをしたりと楽しんでいる様子だったのだが。
本来その日は午前中はゆっくりと過ごして、夜から宮殿の名士がアメンティアの有名な舞踏士を呼んで宴会を開催する予定になっていた。
ルシンダたち、メイドも侍女のジュリアもルシンダ自身も、アメンティアに来てから民族衣裳であるガラベーヤと言う木綿のロングワンピースに頭髪を覆うヒジャブを巻いて過ごしていた。
曲者が襲ってきてもすぐにはルシンダがわからないようなカモフラージュの意味でそうしていたのだが、通気性の良いこの服はとても重宝で、しかも体を締め付けない仕様が病身のルシンダには適しているからだった。
宮殿の主が宴席を設けてくれると言うのだ、さすがに少しは着飾らないといけないと、宮殿からマットとラクダに乗ってバザールへとやって来たのだった。
「わざわざ足を運ばぬとも宮殿へと衣裳屋の外商に頼めば良かったのではないか?」
顔色の冴えないルシンダを気にしていたマットが否定的なことを口にしながらラクダから下ろすと、
「いえいえ持ってくるって言っても限りがあるでしょ?やはり、布を見て選びたいのよ」
気にもしないでさっさと下りた左右の店を覗き始めた。
ルシンダの後ろには相変わらず同じような衣裳を身に纏ったジュリアと護衛のアーチーが張り付いていて、少し離れたところには船内から連れてきた護衛たちがルシンダの警護にあたっていた。
マットは、ラクダをバザールの入口でフットマンに預け、ルシンダの後を追った。
彼女は、ズンズンと奥へと進み目当ての店の中にジュリアと話ながら入っていった。
その店は奥に長く広がっていて、入口には色とりどりのガラベーヤを並べていたが、それには目もくれず店主と思われる男が奥へと大きな声で何か叫ぶと、緑のヒジャブを巻いた女がやって来てルシンダとジュリアを連れていった。
マットとアーチーが一緒になって後ろから付いていくと、応接室のような椅子とテーブルのおかれた部屋が現れ、そこには店先とは明らかに違う高級な布で作られたガラベーヤが多数かけられていた。
青、藍、紺、蒼、碧と青色系統の物だけでも多くのグラデーションがあり、その木綿の布は見るからに柔らかそうで、そこに細かい作業の刺繍が衣服の首周りや裾、肩、一面などデザイン毎に刺してあり、中でもトルソーのかけられている物は金糸銀糸で刺繍が施されている豪華なものだった。
「見てみて、マット、これどう思う?」
トルソーを指差してルシンダが楽しげな声を上げた。
「すごく豪華だな」
「そうでしょ?これ、この前マットに聞かせてもらった神話のお話を刺繍した物なんですって。肩の金の刺繍が太陽神ラー、裾の銀の刺繍がハピなんですって。この前に来た時に刺繍しているって言ってたから、予約しておいたのよ。私が着たいと思ってね」
ルシンダはトルソーの前まで近づいて、マットに刺繍の説明をしながら嬉しそうに話した。
それから、店の女主とジュリアとメイドと共に、その衣裳に合うボトムや履き物を見繕ったり、歓待に見合うだけのアクセサリーを選んだり付けたりと、かなりの時間を要した。
マットとアーチーは傍らの応接セットに座り、妻の買い物を見守るのは家庭内の安寧の為に必要ですからね、なんて訳知り顔の主が淹れてくれたミントティを飲んで楽しそうなルシンダを眺めていた。
不意にルシンダの膝から力が抜けてヘタリと倒れかけるのが目に写った瞬間、マットは大きな一歩を踏み込んで、その背に手を滑らせて支え、直ぐ様かき抱いた。
「ルーシー、ルーシーどうした、大丈夫か」
マットの問いかけにルシンダは返答が無い。
体の力は抜け、小刻みにブルブルと震えているのを感じた。
「ルーシー聞こえるか、俺の声が聞こえるか?」
マットの問いかけに、ルシンダは薄目を開けてマットを見た。
「店主、休む所を。彼女を横にさせたい」
アーチーがお茶のポットを手にして狼狽している男に声をかけると、男は現地の言葉で何やら大きく叫んで、女主が走って出ていった後ろをついて来いとジェスチャーをした。
マットがルシンダを抱いて男の後についていき、指差された部屋の寝台へと下ろした。
「悪いが、少し出ていってくれ」
店の者たちを部屋から出すと、マットは背負っていたズタ袋から聴診器を出してルシンダの心音を聞き、診察を始めた。
「ルシンダ、喋れるか。声は出せるか」
顔は青白く、冷や汗をかいていて、手は震えていた。
囁くような吐息混じりの小さな声で
「ごめんなさい」
と声を絞り出していた。
「何も悪いことなんて無い、どこか痛いところはないか?胸は苦しい?我慢しなくていい、正直に俺に教えて」
「胸が痛い、気持ちも悪い」
「吐きそう?吐いた方が楽になるか、洗面器を用意してくれ」
マットの声に、メイドが外へと飛びだして行った。
借りてきた洗面器に吐くルシンダの背をジュリアが擦り、メイドが口を濯ぐ水を用意して手渡した。
そうしている所に店主が部屋の外から声をかけてきて、地元の呪術士を呼んだから見てもらえと言ってきた。
この地では、医者にかかるのと同じように病気の時には呪術士に診てもらうのだと、店主夫婦は必死で訴えてきているらしく、対応していたアーチーがマットを呼んだ。
ルシンダの様態が落ち着かなければ、動かすことも出来ない。
まさかあの状態の彼女をラクダに乗せて宮殿まで連れていく訳に行かないんだから。
しばらく、この部屋で安静にしなければならない故に、店主たちの好意を無下には出来ないのだが、呪術とはまた後進的だなと困惑しながら、ルシンダをジュリアに任せて店主たちに会うため部屋を出た。
「アメンティアで一番の呪術士が偶々数日前からイタ、だから診テモラウト良イ」
先程まで、冗談も流暢な帝国語で話していた店主が、焦りからかカタコトになってまで必死で話しかけてきた。
「何度もドクターが診るから必要ないと伝えたんだが引かなくて。体に危害を加えるようなことはしないとそのものも言うんだ、どうする?」
アーチーの困った様子に、マットも戸惑いながら、その呪術士と向き合った。
「呪術士とは何をするんだ」
マットの言葉を店主が訳し、呪術士が現地語で返事をした。全く理解できない言葉であった。
「身ヲ診て、病ノ原因ヲシルと言ってます」
「どうやって?」
また店主が翻訳して伝え、返事を訳した。
「熱、目蓋の裏、口内ヲ診てからヒジャーマ、ヒジャーマで悪いの取リ除く。彼はヒジャーマの呪術士」
店主が熱くヒジャーマを薦めて、その療法ですぐに良くなると言うのだった。
呪術士と言うのは民間治療士のことかと納得したが、ヒジャーマの内容には納得出来ない。
言っては悪いがこんな衛生的とは言えない場所で、ルシンダの肌に小さな傷をつけて血を抜くと言うのだ。
「ダメだ、彼女の身に傷をつけることは許可できない」
マットがはっきりと拒絶をすると、その呪術士は傷つけなくてもヒジャーマはできる、すぐにした方が良い、宮殿まで帰ることが出来るようになるから、と言っていると店主が訳した。
「ドクターの見立ては何だ」
アーチーがマットに問いかけた。
「心臓発作だと思う。現状動かすことは出来ない安静にして、体を巡る悪いものを排泄していくしかない」
「なら、そのヒジャーマしてもらおう、とにかく宮殿へと帰らねばならない」
「ヒジャーマで良くなるとは思えない」
アーチーの言うことはもっともだが、マットは医師として承諾できなかった。
しかし、アーチーは
「このままここにいても埒が空かない、傷はつけるな。ヒジャーマやる、そう伝えてくれ」
そう店主に言い、勝手に決めてしまった。
「君は護衛だろう、勝手に決めるな。主治医は俺だ」
「その主治医が手を拱いているんだろう、今は何としても宮殿に戻らねばならない」
出先での緊急事態である、藁にも縋る気持ちと言うのもよくわかるマットは眉間に皺を寄せながら、
「俺も同席する、ヒジャーマをやってみてくれ」
そう呪術士に告げたのだった。
バザールの店の客室で、アメンティア一の呪術士と言う男は、ガラスのカップを蝋燭の熱で温めて、ルシンダの肌に乗せていった。乗せられたカップの吸引圧で悪い気を流すと言う。
背中に乗せられた十数個のカップの内側はどす黒く変色し肌が吸引によって盛り上がっていた。
1時間ほどして、カップを外し、ハーブとスパイスを煮詰めた液体で湿らせた布で拭いて、何かの魔術のようなものを唱えて、頭の頂点・背中・足の裏を指圧して施術は終わったようだった。
「ルシンダ、どうだい。少しは楽になったかい」
ルシンダの顔を見ると、青白かった肌は血色が良くなっていた。
脈を取ると、平時へと戻っていて、
「マットもう胸が痛くない、もう大丈夫よ、心配かけてごめんなさいね。呪術の先生、お手数お掛けしましたありがとう、とても楽になりました」
そう、普段と同じ声色で話し出したのだった。
衣服の着替えをジュリアに頼んで、呪術士と共に外へ出ると、通訳係の店主を挟んでマットが問いかけた。
「体内の悪血、老廃物を少しだけ出した、と言ってます」
店主が、やっと流暢な帝国語に戻って訳した。
「病気の原因は何かわかった?」
マットが聞くと、呪術士は何やらブツブツと単語を並べて、店主に通訳させた。
「本人のでは無い、悪い物が時間をかけて体を巡り、全てを終わらせるように進んでいる、なんとかと言う花か草かその単語は訳せないな、難しい単語だ、」
「そのまま教えてくれ」
「コンバラリとかリリンとか複雑と言っている」
マットはその単語にハッとして眉間に深く皺を刻んで、強い視線をその呪術士に向けた。
「確かに、あなたはアメンティア一の呪術士だ。協力に感謝する」
マットはそう声をかけて呪術士に握手を求め、店主夫妻にも最大限の感謝を述べた。
その後、宮殿へとルシンダを連れて戻り、その日は体調を加味して宮殿で安静にして、翌日には船へと早急に戻った。
「ドクター、ルシンダ様の体調不良の原因がわかったのか?」
船に戻ってから、自室に籠り医学書と自身が持ち込んだ古い数冊のノートを読み直し、何やら難しい顔をしているマットにアーチーが部屋へとやって来て率直に聞いた。
「まだ確かなことは言えない。もう少し時間をくれ」
顔も上げないまま世話しなく医学書を捲りながら返事をした。
鬼気迫る勢いのマットに、アーチーも二の句が告げずに部屋を出ていった。
呪術士の助言から、マットは自分の出自の罪を意識して、目眩を覚えるのだった。




