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船内の日常

ガーベラを入口に立つジュリアに渡しながら容態について聞く。


「お風呂を上がって少し疲れたとルシンダ様が仰られたので、お休み頂いたのですが、ほんの数刻前に様子を見に伺った所酷く魘されておいでで、額に手を当てましたら平時より熱かったので、ドクターをお呼びした次第です」


「なるほど。花を生けてきてくれ」


少し前に食って掛かった侍女と同じ人物かと思うような殊勝な態度に、ふむと鼻を鳴らしてルシンダの元へと進んだ。


「妻殿、調子はどうだい?」

ベッド脇におかれた椅子に腰かけて手を握りながら話しかけた。


「あら、旦那様わざわざお見舞いに来てくださったの?そんなに大したこと無いのにジュリアったら心配性ね。何ともないのよ、マット、私は大丈夫だから自由にしていらして」


「残念だが、大丈夫かを決めるのは医者である私で、患者の君では無いんだよ」

握った手の熱さと潤んだ瞳から熱が上がっているのだろうと予想して、今度は脈を取った。

少し早いみたいだ。


「ルシンダ、少し胸の音を聞かせてもらうよ」

鞄から聴診器を取り出し、彼女の寝巻きの前ボタンを上から三つ四つと外して、隙間から聴診器をそっと差し入れた。


ドキドキと心音が早打ちしていて、ゼーゼーと言う雑音も聞こえた。


「熱を少し計ろうか、口を開けて」

聴診器をしまい、今度は体温計を取り出してルシンダの舌裏へと押し入れた。


赤い顔をして顔をしかめているのは、胸が苦しいのだろうか。


「胸が苦しいのか、少し姿勢を変えた方が良いかな。侍女殿すまないが柔らかいクッションを多めにもらえるか、ルシンダの背中に入れて少し姿勢をかえてやりたいんだ」

ガーベラを花瓶に生けて戻ってきて、マットの反対側のベッドサイドに立っていたジュリアに指示を出した。


「はい、すぐにお持ちします。ルシンダ様、こちらの花はドクターからのお見舞いですよ。このチェストの上に置いておきましょうか」


口に体温計を入れられているルシンダは、ジュリアの声する方に顔を向けて花瓶の花を見てからマットの目を見てペコリと頭を揺らした。


ジュリアはベッドサイドに花瓶を置くと、急いで部屋の外へと出て行き貴賓室付きのハウスメイドと思われる供と両手一杯にクッションを持って戻ってきた。


それをルシンダの背中側に宛がって、少し起き上がり横を向くような姿勢に整えた。


「どうだい少しは楽になったかな、体温計はもう良いよ。ああ、微熱だな、うむ」

口の中から体温計を抜いて体温を確認すると、37度と38度の境くらいであった。

それから足を指で押して浮腫の有無、喉の腫れの有無を確認した。


「忠臣に会えた安心感からか、ここまで無茶した疲れが出たんだろう。数日は安静に過ごすことを命じるよ、ルシンダわかった?私が許可を出すまではベッドの住人だ」

片方の眉を上げて意地悪な顔でそう告げた。


「ええ、そんな大丈夫よ。今日寝ていたら明日には治るわ。デッキに出て、夕焼けの海も、星の滲む海も、朝焼けに光輝く海も見ていたいのよ」


ルシンダがイヤイヤと子供のように頭を振って言い返してきた。

髪が短いのもあるのか、その仕草も可愛らしく、熱で赤るんだ頬も合間ってその姿はまるで少女のよう。


「見たら良いさ、海は無くならない。元気を取り戻してから飽きるほど見たら良い。そして、飽きたら、船内の娯楽を片っ端から試して歩こう。演劇舞台の会場近くにあるカフェの珈琲は絶品だった」

マットは目を細めてそんなことをサラッと言うので、


「まあ、マットったら貴方もう船内で遊んでらしたのね!ズルいわ私だって行ってみたいのに、自分ばかりズルいわ。ズルいズルい!もう」

頬を膨らめて拗ねた顔もまた幼子のようで可愛らしいとマットは眺めた。


「では、医者の言うことをしっかり聞いて、早く治すことだ。体調を整えたらすぐに行ける、部屋を出たらすぐそこにあるんだ、無くならないよ。

侍女殿、食事は軽めのポタージュスープやポリッジが良いと思う。果実水を多めに飲ませて。


ルシンダ、疲れを取るのには良く寝ることが大切だ、本なんか読んでないでひたすら寝るんだよ。そしたら、直ぐに良くなる、わかったね」


そう言うともう一度額に手を当てて熱の具合を確認してから、部屋を出ようと鞄を持って立ち上がった。


「ええ、ドクターマット。言い付けをちゃんと守るわ。だから元気になったら娯楽場へ絶対に連れて行ってね。あと、お花をありがとう、とっても嬉しい。記念日の儀礼的な物では無く男性からお花を貰うの、実は初めてなのよ。少女小説のヒロインに、いつか男性から自然な感じで花束を貰うのが夢だったの」


赤い顔、潤んだ瞳でそんな可愛らしいことを言って、惚れない男が居るのだろうか。

全くどんな箱入りの姫様だ、危険だ、危ういぞ、マット気を引き締めろ、夢見る乙女の言葉を迂闊に信じるな。


心中の叱咤激励を鷹揚な態度で必死に隠して、お大事にと一声かけて部屋を出た。


ドアの前にはアーチーが無表情で立っていて、出てきたマットに一瞥して、視線を外した。


「あれは無自覚なのか、ヤバイぞ。誤解する男が居てもそれは男のせいばかりとは責められまい」

はあ、と溜め息と共に溜まっていた言葉を吐き出した。


「黄金の籠に羽毛を敷き詰めて育てられた本物の姫様だ、気を引き締めろ」

厳しい視線を向けながらも、口調には労りが感じられた。


「肝に命じておくよ」

小さく手を振り、自室へと引っ込んでいった。


それから熱が下がるまで2日、その後更に2日ほど様子を見るためベッドの上で過ごし、5日目の朝、


「マット、もう流石に良いでしょ?寝すぎて逆に身体が痛いわ」

「そうだな、医者の忠告も聞かず隠れて本を読んでいた罰で許可を出すのを遅らせたのだが、」

「あ、え!?ま、マット知って、」

いつもの朝の診察の際に不満を述べたルシンダに、軽い嫌みで返事をすると、恐らく知られているとは思わなかったルシンダが、慌てて目を泳がせた。


「はは、妻よ、夫に隠し事はいけないな」

そう言って、マットレスの下に手を入れて、小さな文庫本を取り出した。


「あ、それは、その、あの、ドクターの言い付けを守りたくないとかじゃなのよ。暇で暇でもう眠くも無いし、寝れないしで、ちょっとジュリアにお願いしてさっき借りただけなのよ、本当よ。んん、マットごめんなさい」

シュンと身体を小さくすぼめて、心底申し訳なさそうに謝った。


「まあ反省しているみたいだし、体調にも問題が無いようなので、今日から普通の生活の許可をしよう。無理はしてはいけないよ。さ、では支度を整えて、デッキで朝食にしないかい?」


「え、本当に!?まあ、素敵なお申し出ね!ありがとう、マット!嬉しいわ。すぐに仕度をするわね」

マットが部屋を出ると同時にメイドを数人連れたジュリアとすれ違った。



貴賓室にはプールもついた広い専用デッキが備えられていて、そこに白いパラソルが立てられ白いクロスを掛けられたテーブルと椅子が出され花瓶には豪華な花が生けられていた。


見渡す限りの大海原、波は穏やかで、朝だと言うのに強い日差しは別世界にやって来たのを如実に物語っていた。


そこに、薄水色のサマードレスを着て大きなつばのある帽子を被ったルシンダがやって来た。


席を立って、彼女の椅子を引き手を差し出して短い距離をエスコートする。

「ありがとう、お待たせしてしまったわ、ごめんなさいね。仕度に時間がかかってしまって」

ルシンダは本当に申し訳なさそうな顔をして謝罪するが、


「いや、妻が夫のために美しく装う時間を待つのは、存外良いものだ。気にしないでセニョリータ」

軽口を叩いて、その細い指先にキスを落とすふりをした。


「まあ、レオナルドみたいね!マットには似合わないわ」

どうやらお気に召さなかたらしく、口が尖ってしまった。


「はは、ごめんごめん調子にのり過ぎた。ルシンダが元気になって嬉しいんだよ。さあ朝食にしよう、この海風を感じながら食べるのは気分が良いだろう?」


マットの言葉に、目の前に広がる海を目を細めて眺め、頬を撫でる風に口を弧にしてその感覚を楽しんでいた。


それからは、船内のショッピングエリアの店を覗いたり、カフェで珈琲を飲んだり。

ライブラリーで好きなだけ本を探して、読み耽ったり。

船内の演劇会場でやっている舞台『ローマの両片思い』を見たり、社交場でダンスをしたり。


体調を加味しながら、日々、娯楽場を端から試して歩いた。


「カジノは良いの?ルーレットとかカードとか、やってみなくて良いのかい?」

マットの質問に、

「ええ、小さな賭け事で運を使いきってしまったら困るもの」

ルシンダが意味深なことを言って断ったので、カジノだけは行かなかった。


「それはどういう、」

「余命は3ヶ月から半年なのよ。私の計画じゃ半年にビットしてるんですもの、この掛けには負けられないわ」

マットの質問にうっそうとした笑顔で答えたルシンダは、知らない淑女のようだった。


そして、始めの寄港地、遺跡と砂漠の国アメンティア王国へと到着したのはもうすぐ正午となる間際のことだった。



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