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船医 その1

バトラーに案内されて、先ずはライブラリーへと向かった。


「貴賓用からご案内致しましょうか?」

「ああ、それで頼む」


そう言うと、ライブラリーを中へと進み、談話室を抜け本棚の死角になった場所へと入った。

一番奥の本棚をスライドさせると後ろから扉が現れて、バトラーが内ポケットから鍵束を取り出しその中の1本を差し込んで回した。


そして開いた扉から中へと入り、正面にある階段を昇った所にある扉を別の鍵で解錠しゆっくり扉を開いて、

「さあ、こちらでございます」

と恭しく誘われた。


マットは思った以上に広い室内にへえと感嘆の声を上げたが、それは所狭しと並べられた蔵書の多さにも依るところだった。


近い本棚から本の種類を見て歩く。

客船という場所柄か、多くの地図と世界各国の蔵書が国別に納められていて、何語なのか表題すら読めない本も、記号としか思えない文字で書かれた本も、辞書辞典の類いも多数取り揃えられていた。


フルーレゾンと帝国の棚から歴史書と医学書をそれぞれ抜き出し、アルビオンの棚からは戦記を手に取った。


「他には宜しいでしょうか?それで宜しければ司書に手続きをさせてお部屋へとお持ちしますが」

バトラーがマットからその本を受け取ってそう言ったので、

「ああ、ここは今日はもういい。一般のライブラリーでもう少し本を借りても?」

そう言うと、バトラーに案内されて、来た道を戻った。


一般のライブラリーでは、『千夜一夜恋物語』と『アメンティアの神話』の本を借りて、その場を後にした。


ライブラリーを出て、船医の居る医務室へとバトラーと向かっている際、

「随分思っていたのと違うジャンルの本を選ばれたのですね」

と言われた。

如何にも上級使用人と言った風情の彼が、自身の感想を言ってくるとは思わなかったが、マットはククッと笑いを含んだ声で、


「妻は恋愛物語が大好きなんだ、時間があれば恋愛物を読み漁っているんだが、知らない恋の話を聞くのも同じくらい好きでね。


出来れば彼女とのお茶の時間にでも、話して聞かせてあげたいだろう?

メジャーな物はもう既に彼女の方が良く知っているから、変わり種を仕入れておかないとね」

そう言って、ウインクを投げてやった。


その仕草に、バトラーは驚いたのか鼻白んだのか、ほんの少し口元を歪ませた後、何事もなかったように顔を取り繕い、

「流石は愛と情熱の国の男性は言うことが違いますな」

と、どこかで聞いたような言葉を返した。


「そうさ、フィオレンツァではね、美しい妻の喜ぶ顔を見る為なら苦労を物ともしない、むしろそれは恋の奴隷である()の望外な喜びなんだ。俺は彼女の喜ぶことの為なら努力を惜しまぬ男だよ」


はは、と軽薄な笑い声をあげながら進んだ先に、医務室と書いた金のプレートが貼られた扉が現れた。



バトラーが扉をトントンとノックすると、白衣をきっちりと着た白髪で頭頂部が丸く禿げている老人がドアから顔を出した。


「ドクターミュラー、お時間宜しいですか?」

「ああ、バトラー。何かな?」

「こちら貴賓室にお泊まりのマット・セシル様でございます。お医者様でして船医にご挨拶したいと仰られたので、こちらまでお連れいたしました」


そう言って、横へと移動してマットを紹介した。


「初めまして。私が今ご紹介に預かりましたマット・セシルです。フィオレンツァで町医者をしています。実は妻の体調が今不安定なもので、色々と薬や検査薬などを融通して貰えたらありがたいんですが」


マットは、自己紹介をして手を差し出した。


「初めまして。船医のミュラーです。そう言ったことでしたら、私が診察に伺いますが」

船医がマットの手を握って、握手をすると、親切心から診察を申し出て来た。


「いや、私は狭量な性格でしてね、妻に触れる男は私だけで居たいんですよ。ですが旅先にそんなに多くの薬や検査キットを用意していませんで。そこをお譲り頂けたらありがたいんですが。どんな物を用意してるか、少し見学させて頂いても?」


マットの言葉に船医はほぉほぅと小さく呟いて、言葉のままに受け取ったようで、

「新婚ですかな?奥方は惚れられておられるとみえる。ええ、どうぞ、こちらに」

バトラーに若いっていいなぁ何て話しかけながら、医務室の中へと案内された。


「そうは言っても船内ですから、持っている薬も検査薬も限られているんだが」

診察室の隣の備品庫へ招かれて、そこに並んだ薬瓶や薬草などを端から確認していく。


「船内で気を付けているのは、感染症ですか?」

並んだ薬の多くから予想して質問すると、


「まあそうですね。海上で大規模な感染症が発生して重篤者が多数出たら、一発アウトです。航海士や船長が病気で戦線離脱したら、無事寄港地まで辿りつけないですし。それから毒ですかね」


船医がそう言って、アンプルの入ったシルバーのケースを指差して言った。


「毒とは、物騒ですな?」

船上で毒を盛られるようなことがそんなに多数起きるのか!と驚いて問い返すと、


「そうですよ。次の寄港地の砂漠には猛毒の蠍もいます、毒蛇もいます。

密林へ行けば大人の手より大きな毒蜘蛛も逆に爪の先より小さな毒ダニもいますからね。


後、非常に気を付けては居るのですが、船内の貯蔵庫の温度が高くて食中毒が発生するリスクも有りますから。

とは言え、用意できるのはよく知られた毒の解毒をする血清や薬のみですから、未知の毒には対応出来ないのですよ。


だから、たまに噂で聞くような各国王家秘匿の毒なんて物が仮に使われることが有った時には、どうすることも出来ません、ははは、実際調べようにも王家秘匿の毒なぞ、サンプルもなくて調べられるはずもありませんしね」


「ドクターそれは不適切ですよ。王族を笑い話にしてはいけません」

笑いながら王家について話す船医にバトラーが注意した。


「真面目だな、王家由来の毒の話しなんて、医療界隈じゃ軽いジョークだよ。ねえ、ドクターセシル」


「まあ、原因不明な病気で行き詰まった時にそう言った不謹慎なジョークを言う人もいますけどね」


「そのジョークはもう言ってはいけません」

バトラーがもう一度念を押して、その話は終わった。


「この薬と、この薬剤と、脱脂綿と」

マットが必要な品を指差して注文し始めたのだが、バトラーが

「必要な物を用紙に記載して私にお渡しください。こちらで揃えて、後程部屋の方へとお届け致します」

そう言って、メモ用紙を渡してきたのだった。


船医にお礼を伝え、バトラーとも別れて部屋へと戻ろうとした。


戻る道すがら、甲板へ出て海を見た。


原因不明な病、王家の秘匿の毒、か。

それこそ、サンラザール王家には確かに秘匿の毒がある、それは確かだった。

フルーレゾン王国の年若な王子妃の急な病。



キラキラと太陽の光に輝く海原に似合わない、誰かの悪意を想像し、黒い予想が首をもたげて、とぐろを巻き始めた。



気分転換に船内を一通り見て回ると、まるで町のようで、服屋、靴屋、宝石屋、お茶屋に菓子屋が建ち並び、大きなカジノに演劇舞台、ダンスの出来る社交場と、遊ぶ場所には事欠かないようだ。


カフェでフィオレンツァ風の珈琲を飲んで、花屋でオレンジのガーベラを買って部屋へと戻った。

自室には、バトラーに頼んだ本と薬が既に届けられていた。


ルシンダに花を渡しに行こうかと思った矢先に、護衛のアーチーがノックと共に声をかけてきた。


「ドクター仕事だ。ルシンダ様が熱を出されたらしい」

マットは医療器具と届いた薬を鞄に入れて、花と共に持って部屋を出てルシンダの部屋へと急いで向かったのだった。






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